弓月と千沙都とバスルーム
シャー、ザー、お湯が流れる浴室。肌身放さずと命じられている為、カタツムリも一緒。それはペンダントに姿を変えて胸元にぶらぶら、下がっている。
ダラダラ歩いて戻った彼が何時もの様に、涙で汚れた顔と、べとついた汗を流す為、シャワーを浴び始めた。
しばらくすると。
ヒュウ。首筋背中を襲う異なる質感の風。
「え?何?ドア開いてる?それとも。カタツムリだけに、お湯が嫌だとか?」
シャー、ザー、お湯が流れる。モウモウと白い湯気が鏡を曇らした、その時。
「ふえ!な!なんだぁ?寒!気持ち悪い!」
お湯を浴びているにもか関わらず、一気に体温が下がった彼。カタツムリ、風呂が嫌いならそう言え!念を送りつつ、ブルブルと震えギュッと目を閉じた、その時。
「うきちゃん!おまたせ!ひゅぅ、ドロドロ。幽体離脱して来たよ。そのカタツムリ最高!あー、鏡、曇ってるし、これだと、うきちゃんの、産まれたまんまが見れない!」
ザー、ジョボボ流れるお湯の音に混じり、明るい声が響く。
「は?そ!その声ってか、うきちゃん!なんかいる!いる!背中にいる!こ!怖い!ひえ!ま、まさか千沙都か?どうして?え?なんで?」
早瀬 千沙都、弓月より一つ下の幼なじみ。事故により病院で寝ている筈の彼女の、溌剌とした声が、慌てふためく彼の耳に飛び込んできた。
「どうやって?、うふふ。カタツムリのお力借りたんだ」
「ひぃ!嘘だろ、何なのそのオカルト設定!た!タイミングがあるだろ!風呂場だぞ?おま!何考えてるの!てか!ひ~!背中から胸!なんか冷たくて、ゾクゾクする。何した?」
「タイミングなら、バッチリ図ったに決まってるし!バックハグしているの、うふ。ねぇねぇ、目を開けて見てよ、ねえ、鏡拭いて見てみてぇ!せっかく、肉体から抜け出てきたのに、霊体、千沙都ちゃんだぞ」
「肉体って言うな!怖!見ねえ!絶対!見ないからな!出ていけ!生霊!覗き魔!痴女!変態!おま、それでも高校生かよ!」
「ひっどぉぉい!かわいい幼なじみの後輩に、そんな事言うんだ。下心モロ出しで、『浴衣は白地がいい』って!言ったのは、うきちゃん」
「健全なる男子高校生の証拠だ!だってお前、ジュース飲んだら、よくこぼしてたし!」
こぼしてた。こぼしてた。こぼしてた。こぼしてた。
前から聴こえたソレが、彼女の中で繰り返す。
その言葉を受けた事により、しょんぼりとした彼女。抱きつかれた彼の背中のゾクゾク感はより一層、温度を下げ深みを増す。
「ふぐ、せっかく来たのにもう、過去形。寝てる間に時間が過ぎてくよぉぉ、うきちゃん、三年生になってるし、私、二年生なのに……、休学してるし、目が覚めても多分、一年生からやり直し」
「くぅ!風邪ひきそう……!そう、三年になってんだよ!だから目を覚ませ!こんなところになんか来ないで、病院に帰れ!目を覚まして現実世界に戻ってこい!」
冷たさと異様な気配に包まれているにも関わらず、弓月は、何故か嬉しくて泣きたくなる。それを勘づかれる事が恥ずかしく、産まれてきた涙を溢すまいと、ギュウウと目を固く閉じている弓月。脳天気に話す彼女にまくし立てる。
「それなら見て!見て、『ちさと、かわいい、好きだよ』と、言ってくれたら、それだけでいいの。言ってほしかった。なんとなく、流れで付き合っていたから。うきちゃん、そんな事って、アーハハって笑うし。ちゃんと言って欲しかった。それで満足するんです」
『満足するんです。満足するんです。満足するんです』
耳元で囁かれた言葉が、彼の中で繰り返す。ゾクリとした、喪失の予感が過る。
ザァァァ、お湯が床を流れていく。胸元のカタツムリは、冷たく熱い。
満足したら。事故により病院のベッドの上で目を覚まさない彼女が、身体を維持するその鼓動をも、止めてしまうかもしれない。危うい予感が、モクモクとした入道雲の様に彼の中で立ち昇る。
そんな事になったら、僕は……。
目を固く閉じたまま、ポキンと折れそうになっている心を奮え立たす弓月。
「絶対!言わない!それより先に、こんな格好でなのが、ものすごっく!イヤだ」