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試み的作品シリーズ

穴スキー!

作者: 香坂くら

平凡な男の日常


 【しがないサラリーマン】ってのは俺の事を言うんだろうな。

 帰りの電車の中でふと考えだした。


 普段はそれほど気にもならんのだが、こうも電車の中吊り広告に婚活の宣伝があると無性に気になってくるし、今までの生き方を全否定されている気分にもなる。


 四十をとうに過ぎて未だボロアパートに一人暮らしって事自体、人生終わってるのかも知れない。

 なんて思考が煮詰まってくると、だんだん腹が立ってきた。


 そうだよ。

 きっとそうだ。


 俺がこうなったのも、今のアパートを紹介した、あの不動産屋の爺さんのせいじゃないのか?

 あの爺さんがもっとちゃんとしたアパートを紹介してくれていれば……。

 ひょっとして……。


 いや……違うな!


 あの不動産屋に寄ったのも、「あなたの為の、あなたによる、あなただけの住いを探します! マルアナーキー紹介」などと言うふざけた……と言うよりも意味の通じないキャッチフレーズとネーミングのせいだったし、そこの爺さんが掛けてた眼鏡の形も、爺さんに案内されたアパートのあちこちに置いてあった、俺好みの装飾品の数々……それがとても魅力的過ぎたせいだ。


 実に心が踊ったなぁ!


 それに、部屋の真ん中にぶら下がっていた麻のロープの大きな輪っか、そして、アパートの大家だった婆さんが耳から垂らしていた巨大リングのピアス。


 これで思わず即決してしまった。


 ふっ。

 なるほど、罪なのは俺かぁ?


 あれから二十数年経った。


 よく住んでるよなぁ。


 過去を懐かしく思い出し、ニタニタしながら婚活の広告を眺め「丸くて穴っぽい子いないかなぁ」と割合大きな声で呟きつつ、周りの乗客に距離を空けられつつ、いつものように最寄り駅に到着するのだった。



 駅に着くなり足早にバス停へ。


 ド田舎ということもあり、バスの本数が極端に少ないのもあるが、実を言うとそれだけでは無い。

 普通なら、電車の時刻表に合わせてバスが発着している……と思うのだが、ド田舎はそうじゃない。


 本数が少ないのは、これはもう仕方ない。

 だがここのバスときたら、完全に運転手の気分次第で運行している……様に思えるのだ。

 運転席でスマゲーに興じているる姿を見ていると余計にそう苛立ち感じる。


 そういう理由なので、俺は駅に電車が着くなり、取り敢えずバス停まで走る習慣なのである。

 目の前で性悪なバスが行ってしまう絶望を味わいたくないから走るのである。


 駅のホームからバス停まで大汗垂らして駆けながら、いつも心の中でつぶやいてしまう。


「このクソ田舎の心無しめ」


 駅のホームからバスが停留しているのが垣間見えると、同じくバスを利用している数人の【好敵手】も一斉に走り出す。スタートを切った乗客の集団が、負けじとコンクリ床に靴音を立てて速力を上げる。


 運転手はその光景を横目で眺め、ニヤニヤを浮かべる。

 全くもって腹が立つが、そのときの彼は神だ。

 生殺与奪の権は彼が握っている。


 勝者には安堵を、敗者には怒りと疲労を与える権利を有している。


 乗客は息を切らしてバスになだれ込み、バックミラーに映る神の顔を見て「どうだ。乗ってやったぞ!」と、達成感に似た満足顔を見せつけるのである。


 神は鼻で笑っているがやや眦を下げて慰労の言葉を吐くのである。


「では出発しまーす」


 よくよく考えるとただの思い過ごしで意味が解らん事だと自分でも呆れるが、俺はその者たちと同類、戦友、お仲間なのである。


 互いに顔をチラ見し合い、今日も無事に生き延びた事を心の中で称え合う。

 窓から眺めるバス乗り場は黒々した墓場だ。


 乗り損ねて戦死した乗客を見捨ててバスは悠々と走りだす。


 閑散とした商店街を横目で通り過ぎていく最中、電車の中吊り広告を見たせいだろうか、それともバス停まで全速力で駆けて生存したせいだろうか、過ぎ行く定食屋の()()()が六文銭に見え、命の尊さと儚さを同時に感じ、妙に昂揚した。


 自宅近くの停留所から、目と鼻の先にあるスーパーへ。


 ここのスーパーは狭い。

 品数も少なく、客も少ない。

 客は3軒先に住む地黒の婆さんと俺だけだと思う。


 だいたいの者は車で15分ほどの所にある大型スーパーで用を澄ましている。

 それが真っ当な人生を歩んでいる者の常識だ。

 だが俺自身にはその常識は無い。ついでにそこへ行く義理もマメさも無い。


 俺はこのスーパーが気に入っているのだ。

 スーパーが気に入っていると言うか、俺がとても気に入ってる物があるのだ。


 それは揚げたてのイカリングだ。

 大好物で、このスーパーこにしか売っていない。


 たとえ食欲が無くてもここのイカリングだけは喰える。

 最高の食い物だ。この食べ物を開発した人を表彰したいくらいだ。


 きっちり9個、イカリングを詰めて、颯爽とレジに並び財布を開く。


「アッ、イカン!」


 小銭が五円と五十円しかない。

 正直困った。

 これは俺にとって、使うことの出来ない大切な小銭なのだ。


 俺の部屋には大量に五円と五十円玉が貯まっている。

 日本中の五円玉と五十円玉が俺の部屋に集まっているのではないかと錯覚を起こしかねないほどの量だ。


 物心ついた時から貯めている。

 この2種の小銭は俺の大切なコレクションだ。


 だが近頃、さっぱり貯まっていかない。むしろ減っている気さえしている。

 大体の予想はついてる。


 ()が盗っているに違いないのだ。

 あのバケモノ野郎。


 仕方なく俺は一万円札を渡しお釣りをもらった。

 非常に残念な事に、五円玉も五十円玉も釣り銭の中に入ってない。なんてこった。


 ひとつ45円のイカリングを9個買えば405円だろうが!

 一万円を投下したら、普通釣りは9595円なので50円玉と5円玉が混じるだろが!


 それが9600円お釣りを渡しやがった!

 5円サービスだと……!


 セコさに負けた俺は「有難う」と無条件降伏のセリフを吐いて店を出た。


 気を取り直し、大好物のイカリングの匂いを嗅ぎつつアパートへ。


 バケモノの()の存在を警戒し、気づかれない様に部屋に持ち込む。


 イカリングを全部食べ切るためにはどうしたら良いか、考え巡らせるのも日常の一部になってしまっている。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 部屋に入ると、ようやくくつろぐ事が出来る。

 何故なら、至る所、穴の空いた物で溢れているからである。


 壁の真ん中には自転車の車輪が堂々引っかかって君臨しており、まずこれが目につく。その下側には、いつかの縁日で無理矢理入手した輪投げの輪、知人から得た電車の吊革、さらに下って紐で作った輪っかの締め飾りへと、癒しのインテリアたちが数珠つなぎになっている。


 右の本棚の上に目を転じてみると、今度は透明ケースのDVDを始め、アナログレコードもわざとビニールカバーのみのむき出しで据えてあるのでこれはこれで異種なリングも堪能出来る。


 また、ちゃぶ台の隅っこに置いた瓶底眼鏡の渦巻きなどは、不必要なのに眼鏡屋の店先で惚れ込んで買ってしまい、以降、俺のお気に入りグッズとして最高の位置に腰を据えさせている。


 飽く無くコイツらを見詰めていると、本当に不思議なくらい心がざわついて来るのだ。


 つまり俺は【穴スキー】なのである。


 どうして俺が丸い物や穴が好き、称して「穴スキー」なのか? というと、俺は町の鉄工所に勤めており、中でもはボール板を一等の特技にしている。


 だから、美しく丸い穴には深いこだわりがある。例えば穴の位置決めひとつとっても、職場の誰よりも真摯に取り組み、一分の妥協を許さないのである。それほど穴というものを愛している。

 例えそれが製造工程が違うものであっても、材質が異なれど、穴加工されていれば全て同じ。決して揺るがない性癖なのである。


 さて前述したが俺は、五円玉を集めている。

 五十円玉も好きだが特に五円玉を愛している。


 新しい五円玉などは光沢が良い。惚れ惚れする。

 古く渋み掛かった艶が滲む五円玉もまたこれはこれで素晴らしい。

 いずれの五円玉も大変気に入っている。


 全日本国民に提供されている代物とは言え、この硬貨は芸術の域に達していると俺は思う。


 だから必死に収集している。


 保管方法にも色々あり、針金を通してとぐろ状にするも良し、串を使って塔型に積み上げるのもまた良いものだ。

 これは五円玉や五十円玉に穴があるからこそ成せる技だろう。


 なお、姫路城だのエッフェル塔だの、五円玉をアート作品にする趣味は俺には無い。


 五円玉は五円玉というだけで十分芸術の域に達しているのだから、それをわざわざ大業なモニュメントに昇華させる必要は全く無い。


 俺が一番五円玉が美しいと感じるのは、ありのままの姿。

 棚の上に無造作に積まれたり、無機質なバケツに詰められ、零れ落ちてゆく五円玉等、これが究極にして最高に、う、つ、く、し、い。……と、俺は強く、強く思う!


 とにかく五円玉の直径とその穴の黄金比はうっとりとするほど。これが俺の自称【穴スキー】の、穴スキーたる所以なのである。

 俺の穴、穴ブーム! それは永遠に変わる事の無い、まさに人生丸ごと穴スキーなのだ。


 ……ああ。心底安らぐ。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 最寄りの駅からアパートの間には寂しいながら小さな商店街があり、そこで食材を買い込んで家で調理、という事も出来なくもないのだが、ただもう面倒臭いの一言に尽きる。だから普段はバス停留所近くの御用達スーパーで出来合いを買ったりする。イカリングがその代表格だ。

 しかし残業が無くて早く上がった日はバスに乗らずにその商店街を歩き、そこの肉屋でコロッケを二個買う。そして角の食堂に入る。


 店の引き戸を開けると目の前に厨房、左手には階段があり、階段を上がって二階に行くと、学校の教室を思わせる配置のテーブルがある。最奥の漫画しか並べられていない本棚の上部には、少し油じみたテレビが点けっ放しで大音量をだだ漏らせている。


 適当に座ると同時に店のオヤジが茶を置き、注文を取る。


「和定食」


 いつも同じだ。時々、夜なのにランチが残っている日があり、その時にはオヤジが「ランチありますよ」と目を合わさず独り言のように呟く。俺は「じゃあそれで」とやはり目を合わさず返事する。そういう日もある。


 この定食屋は安くて食のバランスの取れた定食を提供しており、安く美味くが売りらしい。店が汚いがそれには一切のこだわりは無い。建物が古いというのもあるだろう。

 定食は盆に載って、一階から簡易昇降機を使って運ばれてくる。ゴトッと不安な音がしたら到着だ。階下から「どーぞー」と声がしたらスライド板をズラし、手を入れて内部のものを取り出す。その瞬間、やや不安が増す。


 この定食屋は店自体が特徴的だが無論、俺みたいな常連客はいる。


 今日もその常連客は最前列のテレビの前を陣取り、おつまみセットを肴に一人宴会をしている。

 グレーのワイシャツにネズミ男風の風貌。傍に瓶ビール。住んでいるのかと錯覚するくらい、何時もそこに、テレビの下に、彼は存在している。


 定食屋を出てから酒の自販機でビールを購入、十分ほど抜け道の細い路地を歩くとアパートに着く。

 アパートの入り口で、茶トラの猫が座って出迎えてくれる。


 いや。奴は違う!

 奴は俺の宿敵なのだ!


 奴を追い払い、外階段から二階へ。三部屋並びの真ん中が俺の部屋。ちなみに一階角部屋は大家さん、二階奥は空室になっており、その空室は当アパートの住民からは「猫部屋」と呼ばれ、さっきの茶トラ猫の住まいになっている。


 その部屋の玄関ドアの下方は丁度いい大きさの穴が開いており、窓ガラスの下側にも穴がぽっかりと開いている。

 穴スキーの俺だが、この二つの穴は憎っくき穴、なのである。

 何故ならこの穴は、茶トラ猫さまの出入り口だからである。その出入り口にはご丁寧に小さなしゃれたカーテンが掛けてあり、益々度し難い気持ちにさせてくれる。


 そして、その茶トラ猫が狙う物、これが俺の五円玉なのだ!

 俺の部屋から俺の大切な五円玉を咥えて持ち去りやがる最凶最悪の猫の穴!


 ヤツの尻を追うと、ヤツは大家の家に向かい、それを大家に渡す。


「まあ。今日のお家賃ね。サブちゃん、()()ありがとう!」


 まさに猫可愛がり、猫だから家賃は五円で良いのか、一ヶ月換算で百五十五円で良いのか、よく理解出来ないが二階奥の角部屋はそうしてお猫さまの邸宅になっている。


 ちなみに、サブちゃんというのは、目つきがするどく、鼻の下には黒い柄があり、まさに北島のサブちゃんの風格があるからなのだろう。大家がそう呼んでいるので俺も「茶トラのサブロー野郎」と心内で唱えている。


 部屋に入り、五円玉の山がまだ健在であることを確認してホッとした。今日盗られたのは一枚だけのようだ。

 ようやく安心して、コロッケと缶ビールをちゃぶ台に並べた。

 ビール片手に窓を開けると「茶トラのサブロー」がブロック塀の上でしゃがみ込んで、こっちを睨んでいた。

 睨み合いの静かな戦いの末に俺は根負けしてコロッケをひとつ目前に置いてやる。「茶トラのサブロー」は見向きもせず、欠伸と背伸びをして、隣の()()()()()に入って行った。


「いつか必ず、締めてやる!」


 毎日湧き上がる感情だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そりゃあ俺だって、このままで人生終わろうなんて、これっぽっちも思っていやしない。

 いや、カノジョの話。

 二十歳くらいの頃にゃ、せっせと通った店もあった。ま、結局金が続かなくなってそれきり縁切りになったけれども。


 最近はこれ、三日前に鉄板を加工し造った【巨大五円玉】が自分史上最高の出来で無二の宝物になった。これが至上の安らぎと自負の拠り所になり始めていて、自室にいるときにはしょっちゅう眺め倒している。

 だからこれがカノジョだよ!

 と断言してしまう覚悟はさすがにないが、にしても自分の日常に潤いを与える存在になったことは間違いなかった。それで充分に心は満たされていたのだ。


 そう。今朝までは、な。


 ――他人にとっては些細かも知れんが、その異変は、歯磨きしながら部屋のテレビをつけた時に起こった。

 第一波に突然のえづき。

 そのあとすぐに激しい胸の痛みが襲い掛かり、息が止まりそうになった。


 歯ブラシを吐き、洗面台に突っ伏し、死に物狂いでやり過ごし、徐々にその脅威は治まっていったが、ほんの数十秒が永遠に思えるほどの苦痛だった。


 まっさきに頭をよぎったのは【死】。


 部屋の中で、一人静かに、しかも壮絶に、誰にも看取られずに天に召される。そんなそんな。生易しいモンじゃあなかった。

 断末魔の形相で、目を剥き血反吐飛ばしつつ、地獄に引っ張り込まれる。そんな表現が望ましい。


 そして数週間後、職場の上司がようやく俺の無断欠勤に気付き、音信不通を不審に思い、警察と共に部屋に踏み込み俺を発見するんだ。


「あーあ。面倒なことになったなぁ」


 という表情で社長に携帯で報告してさ。「葬儀屋の手配は私らがすべきでしょうか」

 うっわぁ。サイアク。

 病院行こって発想よりも、葬儀屋調べとこって気持ちが先立ったのは恐らく、自分の心配なんかより、他人さんの冷たさにショックを受けたからに相違ないからで。

 必要以上に膨らませた想像力の行き着く先は……。


「あぁ。寂しい」


 だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 時々、いや、しょっちゅう思うことがあるんだよな。

 もし中学二年のあの日にもう一度戻れるとしたら、自分はどう行動しただろうかって。


 ひょっとしたら、いつもと違う、まったく正反対の日常を過ごしたら、あるいは何等かの神懸かり的な超常現象に巻き込まれて、異次元経由で、その、希望する過去に行けるんじゃないだろうか? なんて。そう、異世界生活ってやつだ。


 なんて妄想して今日、会社の帰りに平素なら素通りしてるターミナル駅で途中下車して、今までの人生でほぼ関わりの無かった繁華街に足を運んだ。

 そして、見つけた占い館に入った。


「ちょっと思い出したい過去がありまして。探すヒントが欲しいんです」


 タロット占いなどと言うオーソドックスで堅実な手法を選んだが、占い師そのものは絶望的に胡散臭かった。

 西洋魔術の雰囲気づくりか、真っ黒のフードですっぽりと全身を隠し、丁寧に黒いマスクまでし、ギョロリとした目だけを爛々とこちらに向けている。年齢不詳だがおっさんのようである。


「あなた、煙草吸ってる?」

「いーえ」

「変わるんなら、煙草なんて良いんじゃない?」

「はぁ、煙草」


 このおっさん、全然タロットカードに触れもしないで【お告げ】を口走った。

 げんなりする。

 これは早々に撤退した方がよさそうだ。

 下手したら分刻みで金を請求されるかもしれないと見切りをつけた。


 礼の言葉を吐くのと立ち上がるのとを同時に行い、足早に背を向けた。

 まだ何か呼び止めようとしているのをムシしつつ。


 駅に戻る手前のコンビニに寄り、カウンターの中を覗く。


「いらっしゃいませ」


 と直ぐに反応されるが、まだ用を確定してないのでとりあえず雑誌コーナーを目指す。

 で、意を決め再びカウンター前に。


「ま、マイルド……」


 しまった。煙草の銘柄なんて知らん。どーしよう。


「マイルドセブンですか?」

「……あ、はい。それを」


 生まれて初めて買った煙草をポケットに押し込み、電車に乗った。

 最寄り駅に着き、改札をくぐってから、ライターが要ると気付いた。


 現時刻午後九時。売ってそうな店などとっくに閉まっている。

 急速に気持ちが萎えた。


「すみません。落とし物だと思います。そこのベンチに」


 駅員に未開封のブツを渡し、家路についた。

 ――やはり自分は、異世界には縁が無さそうだと確信した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 このアパートの住人について話そう。

 大家と【茶トラのサブロー】の他に、()()YouTuberのロン毛のオッさんが隣室に住んでるのだが、レアアイテムよろしく殆ど顔を現わさない。人柄どころか、年齢なども分からない。ただ名前が

福神というめでたそうな名前ということだけだった。ロン毛の福神で印象だけはずば抜けている。


 以上だ。

 他にも住人はいる。しかし名前を知る前に引っ越してしまうのである。

 結論的に住人に認定されるのは大家と福神、俺と茶トラのサブロー。


 大家と言えば、どう見ても後期高齢者なのだが彼女はまだ全く枯れていない。夜、残業で遅くなった時、彼女がアパート前に佇み手招きするので何かと思い近づくと、空き室に連れ込まれた。


 重い物を持つので手伝って欲しいとの依頼だったが、その部屋には何もない。

 大家は口に人差し指を当てて、


「しぃーっ」


 と小声で言った。

 すると、隣室から愛を営む声が聞こえて来た。


「確かこの部屋は先週、若い夫婦が越してきてたな……」


 引っ越しの挨拶に来た奥さんを思い出し、俺は良からぬ想像をしてしまった。

 大家と眼があった。耳のピアスリングが異様に光っている。


 俺は舌を出した大家に寒気……というより恐怖を感じ、腰を抜かして絶叫し自分でも訳の分からない悲鳴を上げながら自室に逃げ込んだ。そうして何度も施錠を確認し寝床で震えた。


 相手がマスターキーを持っている事を考え、その夜は寝れなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 この前、定食屋のオヤジの伝手で、自転車屋から古い自転車を譲ってもらった。

 古い自転車と言っても、三年や五年という代物ではなく、平成を飛び越えて昭和時代の匂いが強く漂う古式の品で、俺は自転車に詳しくないが、カーバイトランプ付きでロッドブレーキタイプといった、まさに生きた化石のような骨董自転車だった。

 本来は廃品にして終わるのだが、それでこの自転車の命運に止めを刺すもが忍びないというノスタルジックな店主の想いに定食屋が同情し、俺に目星をつけたということだった。

 俺なら大層嬉しがって大事に乗ってくれるだろうとの勝手な願望の押し付けである。俺は実際の所、迷惑だったのだが、貨物用の自転車でもあったので重宝するかも、とつい心を赦してしまい結局貰うことにした。


 ただ、しばらくして気づいた。部品の置いてある店が無いのだ。

 ある日パンクしたので大手の自転車店に持って行った、当然のごとく扱っていなかったのである。


 苦情ついでに下取りを要求してやろうと例の自転車屋に行った。すると自転車屋は勿体つけた上で「いいですよ、わたしが責任を持って修理しましょう」と応じてくれた。その顔は異様に活き活きとしていた。

 つまり、このオッサンは生粋の自転車マニアなのだと悟った。昔俺に車輪をくれたこともある。その車輪は自室の壁で今も光り輝いている。


 彼はまさしく【チャリスキー】なのである。


 翌々日にはその仮認定が本認定に昇格した。

 眉をしかめるほど変わり者のオッサンだが、ド素人の俺にも彼の腕が確かだと判るほど、修理した自転車は完璧に仕上がっていた。ブレーキや各パーツのメンテも存分にこなしてあり、操作性が飛躍的に向上した。本当に見事な仕事ぶりだった。


 自転車を手に入れてからの通勤ルートが変わった。

 ターミナル駅まで自転車で行き来するようになり、時間に相当なゆとりが出来た。

 通勤形態が変わると、通勤時の顔ぶれも変わるもので、俺は新たな変わり者に目がいくようになった。 変わり者など幾らでも居るだろうが、俺のお眼鏡にかなった者は特に目立っていた。


 その第一号は女性だった。

 彼女は服装が変わっていた。今どき割烹着を着ていた。膝までありそうな長い髪を後ろで一つ括りにしていた。

 まぁでもそれだけなら、この町の通行人Aで終わってしまうのだが、俺の目を引いたのは眼鏡だ。眼鏡がとてつもなく瓶底眼鏡なのだった。

 目がわからないレベルの分厚いレンズの入っている眼鏡。


 年齢は、俺よりひと回りは下か? 眼鏡に遮られた目が想像を掻き立てる。路上、面と向かって、「お目を拝見」など流石に出来ないので、すれ違いざまにさりげなく横目を送ると……。


 お世辞にも美人には見えなかった。さりとて決して悪くも無い。「地味子」というのが当てはまる……のかどうかは知らんが、瓶底眼鏡の女性は俺の中の好奇心を急上昇させていた。。


 彼女は明らかに目立っている。

 瓶底眼鏡だからか。それとも瓶底眼鏡っ子だからか?


 しかも時々の遭遇ならまだ俺もさほど気にはしなかったが、最近しょっちゅう見かけるのである。始めはターミナル駅周辺だったが、最近は自宅アパート近くでも見る。

 先月にはあろうことか、アパート前で【茶トラのサブロー】を抱きかかえていたのだ。俺は「サブローを猫みたいに甘えさせんじゃねーよ」と心の中で怒鳴った。


 しかしこのツーショットは俺の潜在意識に深く強く残った。


 そして先週の土曜日だったか、帰宅し自転車を置き場に片していると何とはなしに視線を感じた。振り返ってみると、サブローをあやす【瓶底眼鏡っ子】がいた。俺は気にせぬ素振りでアパートに入った。


それから数日間、これといったことも無かったが、日曜日の朝、引っ越し屋のトラックがアパート前に止まり、要領よく荷物を一階の空き部屋に運び入れ始めた。


 引っ越しのシーズンでもないだろうに、さては訳ありか、俺の大好きな変わり者か? などと妄想を膨らませて、買い物ついでに様子を伺った。


 瓶底眼鏡っ子! が、可愛らしい日用雑貨を抱えて頭を下げた。

 一瞬、「瓶底」と声に出しそうになった。


「この度、このアパートに住む事になりました目黒久子と申します。宜しく御願いします」

「輪島奥安です。こちらこそ宜しく」


 これはもう素直に頭を下げるしかなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 日常を過ごしていると大小様々な出来事があったりするものだが、人によって捉え方や感度は違う。他愛無いとやり過ごす事象も多々あるだろう。しかし俺にとって、事件だと騒ぐには大袈裟だが心がさざめく程度の出来事がアパート内で起きた。


 アパート先住民の一人であった福神さんが【瓶底眼鏡っ子】の目黒さんに、ゴミの出し方を激しく注意していたのである。


「だからさ。燃えるゴミの日にトレイを捨てたらダメなんだって! 常識だろう」

「……?」

「ここにさぁ、トレイはプラだって書いてるだろ! ちゃんと見といてくれよ。ゴミ収集の人は俺にばっかり文句言うんだから」

「はぁ、はい」


 そう言えば、福神さんは前の住人にも怒鳴っていたことがあったなと思い出し、俺も分別表を読み直してから、


「福神さん、大丈夫ですよ。燃えるゴミの中に多少のトレイなら入れても構いません」


 俺のゴミ袋の中味を見せて声を掛ける。


「多少は見逃してくれます。むしろ注意すべきなのはプラの方ですよ? リサイクルするやつなので混ぜて出したらダメみたいです」


 福神さんは反論しようとしたが、口実が見つからなかったのだろう、


「ま、俺が文句言われないなら良いだろ。んじゃ」


 と、部屋へ戻って行った。


 目黒さんと俺が取り残されたが、出社前の俺はサッと頭を下げて彼女の前を抜け、自転車置き場に向かった。背中越しに遅れた目黒さんの挨拶が届いた。無意識に俺は振り返り「はい、行ってきます」と返した。

 俺は大抵の出来事は寛容に受け止め、また動揺もしない性質だ。しかしその日の夜、更なる例外が起った。

 俺の部屋にノックの音がした。

 戸惑いつつ入口を開けると、目黒さんが立っている。


「あの。……明日土曜ですが。お休みですか? 昼食をご一緒して頂けたらと思いまして」

「えっ?!」


 俺は一瞬ギクッとした。

 これって! でええと? いや、デエエト? いやいや、デート! なのか?

 俺にだって恋愛経験は人並みにある。むしろ学生時代にはどちらかと言うとモテていた。だが今回のケースは特殊だ。学生ならば毎日何かしらお互いの顔を突き合わせている。自然に会話したり、行事毎に親睦を深めたり、それ以上のスキンシップを図ることだって可能なはずだ。それは会社の職場だって同じだ。ところが今回の場合、無の状態からいきなり五円玉を創造するくらい稀有な話だ。


 俺の心中を察してくれたのか、目黒さんは、


「何でしたら大家さんも交えて……」

「それは断固遠慮します」


 まあ、律儀にこの前のゴミ分別事件を気にしての事なのだと思い直し、ランチ程度ならと昼食を付き合うことにした。


 目黒さんの職場はアパートの近くらしく、彼女の馴染みの店に行く事にした。俺の馴染みと言えば例の定食屋くらいなので、オススメを聞かれなくて良かったと安堵した。

 店は小綺麗な洋食屋だった。随分古くからその場所にあったようだが俺の頭にはマッピングされていなかった。とても美味かった。


 俺は一人暮らしの極意を色々聞かれると思っていたが、勿論そんな話題も上ったが、メインは俺の知っている日常生活のための店と、彼女の知っている食べ物屋の話だった。互いに色々な店を紹介し合った。

 彼女はターミナル駅の周辺に実家があるが、兄夫婦が両親ごとその家を継いだ形になったため、急遽独立を余儀なくされ、この地に引っ越してきたらしく、取る物もとりあえずと言ったところだったそうだ。人生初の一人暮らしに戸惑いも大きいらしい。


 俺は話のついでに思い切って【茶トラのサブロー】との関わりについて聞くと、彼女は笑ってサブローが猫の中でも最も大人しく自分に懐いてくれたと語った。尤も彼女はアパートの大家の縁戚だそうで、茶トラとも初対面では無かったとの事。


「実はわたし、古いものが大好きなんです。町はどんどん新しく変わって行きますが、そんな中でも古いままの物が残り続けるのがとても感動を覚えるんです」


 アパートへの帰り道、不意に立ち止まった彼女が眼鏡を外した。分厚い瓶底の眼鏡を。


「この眼鏡も年代ものなんですよ。わたしの視力に合った、古いタイプの瓶底レンズ。今では見るのは稀でしょう」


 彼女に断ってから俺は眼鏡を手にしたが確かにフレームからしてズッシリと重かった。

 返そうとした時、俺は後ずさりをしてしまった。


「こんな……人だったんだ」


 その後アパートまで会話は無かったが、別れ際に彼女が小さくお辞儀をし、


「……古い物を大切にする人も、わたしは大好きなんです」


 満面に笑みを浮かべて部屋へ消えた。


 俺も自分の部屋に入って落ち着く事にした。落ち着いて考えた俺の決断。

 それは「茶トラのサブローと仲良くなろう」……だった。


お盆に3人でリモート飲み会をしまして。その席で具体化した作品です。


キーワードと人物設定を蝦夷さんが考え、それぞれ2000字程度ずつ分担し、その後特に大きな打ち合わせもせず、勝手気ままに書いたものを持ち寄って繋げました。気付いた箇所は無理矢理辻褄を合わせました。


……。


あれほどラブコメにしようって言ったのにー、微塵もそんな空気感のある話にはなりませんでしたー。何なんだよ、穴スキーってよォ! ただ頭のオカシイオッサンが出てくるだけの話じゃんかよー!

とまあ、内輪もめを暴露した所で、取り合えず掲載します。あーでも、とっても面白かった。


ご訪問、有難うございました。

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