7.お屋敷でのひと時
「ほー、これまた立派な……」
ひとしきりほっぺを味わった私は、ついに屋敷の中へと足を踏み入れた。
正面の大扉を開くと、まず目に入るのは大きなエントランス。床には赤の絨毯が敷かれ、二階へとつながる広い階段へと伸びる。一階はその階段を挟んで左右に大きな扉があり、そこがメインルームのようだ。
「一階は食卓と応接室、厨房、お風呂などがあります。二階が居住区となっており、ブリアンさんを含め、私たちメイドや来客用のお部屋があります」
ラディアがどこからかタオルとスリッパを持ってきた。足を拭いて、スリッパに足を通す。
階段を上って案内された部屋は、こじんまりとしていたがとても清潔に保たれていた。ホテルに泊まった経験が乏しいため、こういう雰囲気には少しテンションがあがる。
そんな私の様子を見て、ラディアは小さく笑みをこぼした。
「こちらが由佳さんのお部屋です。ブリアン様の支度が整いましたらお呼び致しますので、おくつろぎください。あ、お預かりしていた包丁はこちらに置いておきますね」
「ありがとう、お言葉に甘えるよ」
一礼して退室するラディアを見送って、
「包丁のことすっかり忘れてた」
いつの間にかラディアが預かっててくれてたらしい。タオルやスリッパといい、気の利くコだなあ。
改めて自身の服装を見る。部屋着でコンビニに出てきましたみたいな(いや、実際出かけてきたのだけれど)ラフすぎる恰好は、先ほどの戦闘で少し土色に変わっている。あれは現実だったのだ。
ポケットの中をくまなく漁っても、所持品は掛け値なしに包丁だけのようだ。スマホでもあれば、異世界系ラノベみたいに多少は無双ができたかもしれない。惜しいことをした。そもそも電波通ってないか。
ベッドに寝転がる。ふかふかだ。
何がきっかけかはわからないが、私はいま流行りの異世界転生とやらをしてしまったようだ。いや、転生は生まれ変わってるから……異世界転移と言った方が正しい?
ただ、マンガや小説で見るような、いわゆるパラメータウインドウのようなものは見られない。出し方がわからないのか、そもそも出ないのか。どれどれ、試してみるか。
がばっと起き上がり、左手で弧を描いて叫ぶ。
「むむむ……システムコール! パラメータウインドウ!」
うんともすんとも。他人が見ればいまだに中二病なのかと心配されそうだが、そんな年齢は十年前にとうに迎え終わっている。扉の隙間から覗いている影がないことを確認して、ため息をついた。
「そういえば……さっき、エリンギをマイ包丁で切り飛ばしたけど……全然ダメージ入ってなかったもんね。ステータス的にはレベル1ってことかな?」
しかし、包丁が光ったのは何だったんだろう。もしかして、あの白い光がラディアの言っていた「ユニークスキル」とやらだろうか?
包丁を手に取って、念じてみる。むむむむ。発動せよ、我が最強スキル『神速の光剣<ライトニング・スラッシャー>』!
「……っぷ、くふふ……あはははっ」
なーんてね。何も起きやしないよ。はー、子供の頃からこういうスキルだの必殺技だのに憧れてたけど、さすがにこの年齢になっては色々と夢を見るのも諦めるというもの。
「はー……笑っちゃうよね、そりゃ」
なんやかんやごちゃごちゃと言葉を並べて茶化してみても、私の頭はどこか他人事のようにひどく冷めていた。
ここにいることに、そんなに違和感を抱いていないということには、ちゃんと気づいている。この世界は妄想の産物だと、一笑に付すこともせず。それどころか、迎合し、順応し、積極的に受け入れようとさえしている。わくわくしている自分がいる。そう、私は――、
「あの世界に、驚くほど未練がない」
あの仕事の日々を思い出す。
短い睡眠時間の後、ひとりで仕込みをして、ひとりで営業をして、ひとりで事務作業をして。怒られること、怒鳴られることはあっても、褒められることは無くて。
夢や目標も持てず、毎日をこなすのが精いっぱいの日常で。
すがるものもなくて、寄りかかるものもなくて、震える脚で踏ん張って。
泣きたいのに、助けてほしいと叫びたいのに。何かと理由や言い訳をこぼして、ごまかして生きている。
結局、ひとは、独りで生きていく。それを知ってしまったから、私は壊れたんだ。だから、あの世界に未練がない。
「はぁ……ほんとーに、私って弱いなあ……」
自分ひとりの面倒すら見れず、他人に頼るなんて情けないこと。
私は自分の仕事を全うできずに、結局はすべてを放り捨てて逃げてしまったのだから。
閲覧ありがとうございます。
ちなみに私はよく召喚術師になってフェニックスで仲間を助ける妄想ばかりしていました。