2.はじまりは唐突に
引きこもって早ひと月が経過していた。光陰矢の如し、とは昔のひともよく言ったものだと私、最上由佳はテレビゲームをしながら思うわけだ。
先月まで、私はとある焼肉店で包丁を振っていたんだけれど、独り営業に心や身体が壊れ、ついぞ病院の御世話になってしまった。
会社からは自己都合退社でよろしくと圧力をかけられ、給料に申し訳程度の色がついて振り込まれていた。ブラック企業とはなんとおそろしや。
先ほどコンビニで買ってきたジュースとお菓子をつまみながら、買うだけ買ってプレイすることのなかった積みゲーを消化している。ちなみにいまやっているのは国民的RPG「モンスタークエスト」、通称モンクエだ。
テレビ画面の中では、記憶を失った無名の若者が、王様の前で「私は勇者です」と営業を掛けていた。それを素直に信じる王様も王様だし、それを通してしまう衛兵たちは教育が必要だろう。
魔王討伐の準備をすべく、街のあちこちでクローゼットやタンスを開けて周る勇者を眺めながら、私も幼いころは勇者というものに憧れていたなーなどと懐古に浸っていた。
「ふぁあ、やり始めたばかりなのに……さすがに完徹で映画三本鑑賞からのゲームプレイは無理があったか……」
まあ、時間はあるから、ここいらで仮眠を取ろうか。ベッドになめくじよろしくもそりとあがって、うつぶせのまま目を閉じる。
こんな人生の、果たしてどこに価値があるというんだろう。まどろみの中、そんな疑問を抱くが、意識はすぐに深い泉の底へと沈んでいった。
* * * * * * * *
「ん……」
木々の葉が風に揺れる音で目を覚ました。
近くの川では魚が跳ねる水音が、少し離れて小鳥のさえずりが聞こえる。
仰向けになって目を閉じたまま、全身で自然を受け入れる。
――――はて? 自然? 私は自室のベッドに寝転んだような気がするんだが。
ゆっくりと、目を開ける。
陽の光を浴びて、柔らかな緑が目に優しい。ちょっと前までは赤ばっかり見ていたからなあ。主に牛の血。枝葉の間から覗く空の青もまた、とても良いコントラストだ。
なんと開放的な空気だろう。都会のゴミゴミした臭いとも煙の臭いとも大違いだ。息に味なんてないと思っていたのに、美味しい。不思議な感覚だ。
「さて、頭も冴えてきたぞぅ」
おはよう私。おはよう世界。どこだよ、ここ。
むくりと起きあがる。どうやら森? のようだ。木々に囲まれた中で、眼前には小さな川と、その水が流れ込む池があった。池というか、小さな湖というか。湖の傍には色彩豊かな花が咲き、果実を実らせた木々もあってか、その光景はファンタジーRPGの背景で出てくるような、神秘的なものだった。
うーん、他で例えると……神様っぽいシカとかいそう、そんな景色(学生時代の美術と国語の成績は推して知るべしである)。
自分の服装は、日ごろと変わらない。胸元ゆるゆるだるだる白Tシャツに、ショートパンツ。裸足。部屋着度マックスだ。少なくとも多くとも、森の中に居ていい恰好ではない。ブラジャーをしていたことだけが救いだった。これでノーブラなんて痴女以外の何者でもない。
そして、私の傍には何故か包丁があった。なんでここにマイ包丁の葵があるんだ。仕事中はこいつと共に幾千の牛を相手に大立ち回りを演じたものだ。あ、葵は包丁の銘から取ったの。「葵山河」が銘。余談だけど。
残念ながら、他には何もなさそうだった。この恰好で包丁だけ持ってるってなんだ。ゾンビゲーの主人公でももうちょいマシだというものだ。
空を見上げると、木々の隙間から陽光が覗いていた。位置的にはお昼時のようだ。しかし、本当にここはどこなんだろう。都内にこんな森がある場所なんて知らないし……そもそも間違いなく部屋で寝ていた。夢遊病者だとしてもここまで大胆なことはしまい。
誰かいないかな、と立ち上がったときだった。
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少しずつ書いていきます。