75 エピローグ
「レミーナさま、いましばらくこちらでお待ちください」
何度も訪れている王宮の中でも一度も入ったことのない白亜の部屋に通されて、横になれそうなソファに座れたことにレミーナはほっと息をつく。
今日は皆が待ち望んでいた新年祭。
レミーナは朝から湯浴みをして頭から足の先まで磨かれ、うねりのある髪質には侍女が三人がかりで香油をぬったくられたりとここまでくるのに相当な時間をかけてきた。その甲斐あってほつれなく結いあげられた栗色の頭頂部には、きらびやかな婚約の証となるティアラが輝いている。
そんな中レミーナはぴたりと腕にそった真珠色の長手袋の端を伸ばしてバルコニーに出る時間を待っていた。
慣れないな、正装って。
目の前に広がる手袋と同色の光沢あるローブデコルテも一日だけだから我慢できるけれど、コルセットのキツいドレスが苦手なのは変わりない。
隙あらば文官の制服に着替えてしまうレミーナに直属の侍女たちは悲鳴を上げる日々だ。
「浮かない顔だな」
「殿下。あっ!」
白の軍礼服に金の勲章を胸に抱いているアルフォンス殿下が濃紺のマントをなびかせながら足速に入ってきた。レミーナはきょろきょろと殿下の後ろに付き人が居ないか探すのだが、残念ながらアルフォンスだけのようだ。
レミーナはやってしまった、と手を目に当てようとするのだが手袋の存在に気づき、化粧が落ちるっとあわててドレスの上に戻す。
そんなレミーナの左手を殿下の右手はさっとさらって手袋越しに口付けると、珍しく深々と隣に座って息を吐いた。いつもより額を出してオールバックで固めている髪型にどきりとしてしまったのはないしょにしよう、とレミーナは目を伏せながら思いついた事をいう。
「アルさまもおつかれですね」
「ぎりぎりまで執務をやらせようとする輩が後を立たないからな。レミーナ、今更言い換えても遅いぞ」
「ダメです、口紅がおちちゃう」
「それも時間の問題だけどな」
「?」
小首を傾げるレミーナにアルフォンスは身体を起こすと、貸し一つ、といって頬に口付けてくる。
レミーナは薄く目元を染めながら、もうそろそろ許してくれませんか、と柔らかく緩む海空色に訴えた。
陛下の許しを得て正式に婚約してからというもの、なかなか殿下呼びが抜けないレミーナにアルフォンスはとんでもない約束を提示してきたのだ。
それは、二人きりの時はお互い名前呼びをすること。
間違えたら相手にキスをすること。
お互いにとは言っているけれど慣れないレミーナの方が圧倒的不利な条件に首を横に振れば、じゃあ乗馬訓練に変えるかというのでいやー! とさらに首を振る羽目になったのである。
「刺繍訓練に変えてもいいとも女官長に言われているが」
「いえ、このままで」
小刻みに首を横にふるとかくりと首を垂れた。そんなレミーナの右手を殿下がぽんぽんと叩く。
「辛いか? レミーナ」
「そんな事はないですけれど……。覚えることばかりなのでちょっと疲れます。同時進行は二つまで! それ以上は私がこわれちゃう」
「三つはいけそうだが」
「それは自分で決めます」
やれない、やりたくないとは言わないが許容範囲を自分で選ぶあたりがレミーナらしいとアルフォンスは口元をゆるませた。
ソファに浅く座る姿勢は背筋が伸びやかで美しい。
冷気避けに真珠色のボレロを肩にかけて目を伏せ、手袋を伸ばしている横顔はどこからみても気品のある貴族女性だ。
アルフォンスの視線に気づいたのか、ちろりと若草の瞳がこちらをみた。流し目で見てくるまなじりは珍しく黒いラインが目元から上がっていて、普段は見せない色香を醸し出している。そしてその事におそらく彼女は気づいていない。
「なんですか、そんなにじろじろみて」
「いや、綺麗だなと思ってな」
「なっ……!」
ぱあっと鎖骨あたりまで朱に染める姿は初心を通り越して毒だ。アルフォンスは思わず喉がなりそうになるのをごほん、と空咳で散らした。
「無自覚天然の最強さに敵う気がしない」
「殿下っ、からかわないでくださいっ」
「また言った」
「ああっ、もう! 勘弁してください、だって今も上司なんだもの……」
レミーナは正式な婚約者として王宮に住むようになってからも週の三日は文官として働いている。妃教育の息抜きと文官で才女という触れ込みの為でもあるが彼女にとって前者の理由の方が大きい。
それでも本日のレミーナの装いは文官の可愛らしさよりも貴族としての美麗さが優っている。表に出る機会が増えればさらに王族としてのロイヤリティも備わっていくのだろう。
今日はその第一歩だ。
からかっている訳ではないが、会話をしている中で緊張していた顔が少しだけ緩んできた事にアルフォンスは満足げに頷く。
いつものレミーナに戻れたならそれでいい。
ココン、とノックだけの合図に今行く、と簡潔に告げ、先に立ち上がってレミーナの左手を取る。
エスコートに導かれてゆっくりと立ち上がったレミーナは、ドレスが皺になっていないかと少しだけ後ろを払った。
「落ち着いていて安心したよ、奥さん」
「これでも心臓が飛んでいってしまいそうなの。……手を離さないでくださいね、アルさま」
大きく息を吐いてそう言ったレミーナは、くんっとエスコートしている左手を引くと、少しかがんでください、と小さく囁いた。
どうした? と要望に応えるアルフォンスの肩に華奢な手をのせるレミーナ。
「貸しはニから一に変更ですから」
どうかこのドキドキが余裕な殿下にも伝わりますように、と奥さん呼びを指摘しつつも頬に触れるか触れないかの可愛らしいバードキスをした。
ルイビス王国の新年祭では年に一度、王族が国民に向けて王宮のバルコニーに立ち、姿を表して祝う式典がある。
日時と共に前触れとしてロイヤルメンバーが発表され、新たに王太子婚約者としてレミーナ・ルスティカーナの名前とまだ見ぬイルミ王妃の御子の名前が〝新しき命〟として明記され巷の話題をさらっていた。
時間と共にお腹の大きいイルミ妃殿下を伴ったベルナルド陛下が現れ、その後にアルフォンス殿下、新たな王族として紹介されたレミーナ王太子妃となる可憐な女性が登場すると、どぉっと喜色に満ちた歓声が上がった。その様子は、振られている手の多さと共に地面が波打っているようだったと後に国史に記載される事となる。
渦中では隣の人と触れ合うぐらいの人の多さの中で貴族や市井の民が一緒くたになって肩を並べていた。
「うちとこの殿下のお嫁さん、かぁわいいねー!」
「いつもは澄まして手を振ってる殿下の顔がでろでろだもんなぁ、ありゃだいぶ惚れてんぞ、あ、キスした! やるなーおいー!!」
「陛下もあの年で御子さまを授かるなんてなー!」
「若くて美人王妃さまだもんなー! かー! やってらんねぇな、ちきしょー!」
手を振りながらやいやい言っているおっちゃんたちに混じってガタイの良い偉丈夫に肩車された小さな男の子がにっこり笑う。
「でもみんな、うれしそうだね!」
澄んだ声に顔を見合わせたおっちゃん達は押し並べてにかっと笑った。
「おうよ! なんてったっておれらの希望の光だからな!」
「うん!」
憧れと喜びに満ちた眼差しがきらきらとバルコニーに注がれている。
抜けるような青い空が広がって、祝砲と共に打ち上げられた色とりどりの花びらがひらひらとどこまでも続いていく。ここにいる人々全員の記憶に残る、ルイビス王国の新しい門出であった。
完
こんばんは!
本日はこちらまで読んで頂き、ありがとうございます^_^
一年と半年、時には一ヶ月もお休みを頂きながら完結まで書くことができました。
読んでくださった方々のおかげです。
ありがとうございます。
また、謎解きにはレビュー、そしてたくさんのFAを頂きました。素敵なレビューはこちらのレビュー欄に掲載されています。
FAは近日中にまとめて番外編として掲載させて頂きたいと思います。いましばらくお待ちください。
感想欄やTwitter、はずかしがりやさんは静かにpvで^_^ レミーナ、アルフォンス、クレト、グレイさん達を、たくさんの方が応援してくださっていました。
とてもうれしかった。書こうとする原動力でした。
今から完結となるのが信じられないくらい、長く一緒にいたな、という印象です。
たくさんたくさん、言いたりなくらい。
一緒に読んでくださってありがとうございました。
書いていてとても楽しかったです。
ありがとうございました。
2021.8.5 なななん




