72 レミーナ
わずかに震えた口元をさっと扇で隠したイルミ妃殿下が、なぜ、そう思ったの? と流暢なルイビス語で尋ねられた。
私に贈ってくださったカードでは幼いぐらい可愛らしい文面であったけれど、きっとあれはプライベートな姿なんだろうな。今の妃殿下は公に立つ王妃さま。
レミーナも気を引き締めて、どちらかというとお仕事として相対する気持ちで望む。
これは私だけの意見ではなくカスパル先生の考えも参考にしていますが、と正直に言いながら推測を話しだした。
「アルフォンス殿下が自ら動かれた、というのにまず疑問を持ちました。陛下と殿下は一筋縄ではいかない関係だと後からお聞きして」
レミーナは謎解きをすると決めてからカスパル先生と相談の上、離塔の仕事を午前だけで切り上げていた。午後を使ってレミーナが考える推測に対してカスパル先生が指摘する、という議論を繰り返して今にいたる。
「やむにやまれぬ事情とはいえ、失礼ながら陛下の願いだけで動く人ではないと、当時はカスパル先生が、そして殿下の事を少しずつ知った私もその考えに納得をして推理してみました。すると、殿下がこの事態に助けを出すならばイルミ妃殿下の願いを聞き入れたと考えるのが一番しっくりきたのです」
「ひどい話だ」
「よく分かっているわね、さすがれみーたん」
ベルナルド陛下とイルミ妃殿下が矢継ぎ早に応えるのだが、最後の言葉に背後のクレトが大きく揺れた。
「妃よ、その呼び方はどうにかならんか、気が削がれる」
「……」
イルミ妃殿下はふいと横を向いて黙るので拒否のポーズなのだろう。レミーナはふわりと笑って大きく息を吐いた。
「ありがとうございます、イルミ妃殿下。とても緊張しているので助かります」
「れみーたん!」
ぱっとこちらを向いて扇の上にある美しいアメジスト色の瞳がきらきらと輝くように見開き、思わず、といった形でさっと立ち上がった。
「あっ、まって!」
「動くな、イルミ!」
「義母上!」
その場にいた全員が立ち上がって妃殿下の動きを止めようとした。特に隣にいた陛下がさっと立ち上がり、妃殿下の腰をしっかり抱いてどこにも行かないように確保する。
「急に動くなっ! またこの前のように倒れたいのかっ!」
レミーナがびっくりするぐらいの大きい声に、イルミは慣れているのか首をすくめて、分かってるわ、と大人しくまたソファに座った。
レミーナとアルフォンスもほっとして中腰になっていた身体を元に戻す。丁度給仕をしにきていたニコライはトレイをテーブルに置いて構えていた体勢から失礼致しました、と落ち着きはらってカップを並べてくれる。後ろに控えていたクレトは大きく息を吐いた。
「ニコライや腰ぬけはまだしも、アルやれみたん、クレトまでもう知ってるのね、私のお腹のこと」
「ええ、御子とイルミさまの事もあって私はここに来ています」
この子の事もあって? と妃殿下は首を傾げながら柔らかなラベンダー色のドレスの上から少しだけ膨らんだお腹をさすった。
「はい、認めて頂いたらお願いしたいことがありますから。でも今はまだきっと選定中だと思うので」
そう言いながら陛下の方をうかがうと、先ほどの激昂がうそのようにふん、と鼻を鳴らしながらこちらを見ていた。
ゆったりと背もたれに身体を預けて圧をかけるように脚を組んだ姿はまるでお話の中にいる悪い人の親玉のよう。
さすがのレミーナも面と向かって言葉にはしないけれど、これはこれで殿下とは違った怖さがあるな、と心臓が少しずつ跳ねる。
「だいたい概要は掴んでいるようだがそれだけでは認められないなぁ。イルミがアルフォンスに何を告げたと思う」
「たぶん……御子がいることを知らせないように、という内容かと」
「なぜ? 王族の子供はもろ手を上げて祝われるべきだろう、なぜ隠す必要があると結論付けた?」
矢継ぎ早に質問してくる。その追い詰めるよう雰囲気にレミーナは必死に呑まれないようにした。それに、今から話す事は隣にいる方の心に触れる事になる。
だんだんと跳ね上がってくる鼓動におちついて、と念じながらなるべく先ほどと変わらない声音で話す。
「それは、王位継承権に関わる事だからです」
レミーナの右手が、ぎゅっと握られた。
アルフォンス殿下は、どう思っているのだろう。
レミーナは今さらながら殿下の想いを聞かずにこの件を話すことに抵抗を感じた。
語り合う機会のないままここに来てしまった。
いろんな事を話したつもりで、殿下の心を感じて殿下を好きになって。
でも肝心な事はお互い話せないままここに来た。
だって、殿下も私に謎をかけた方だから。
自分の想いはたくさん告げたけれど、殿下からレミーナへの応えはわずかだ。正直、レミーナ自身のことを好いてくれてるのかも、自信なんてない。
ただ、とレミーナは目を伏せ繋がった手をみる。
言葉なくとも変わらずに握ってくれている左手。
拳のまま節が浮き上がるほど握られた右手。
海空色の瞳が静かに語る、殿下の想い。
きっと間違っていない。
もし間違っていたのなら、きっとそれを教えてくれる。
レミーナはきちんと前を向いて、殿下と同じ蒼い瞳をとらえた。
「イルミ妃殿下は、御子が生まれる事により浮き上がる王位継承権の政争回避のために、アルフォンス殿下の婚姻が済むまでご自身の妊娠を隠すようにとお願いしたのだと思います」
「おかしくないか? 今さら子が産まれたとしても王位継承権の順位は変わらない。男であれば第二位、女であれば王女で王族の男がいなくならない限り基本的に継承権は生じない。どちらにしても筆頭はアルフォンスだ」
「いいえ、もし男児が生まれたら王位継承権はイルミ妃殿下のお腹の御子に移ります。なぜなら」
ごめんなさい、殿下……あなたの出自を暴いでしまう。
レミーナはぎゅっと殿下の左手を握り返しながら、静かに告げた。
「アルフォンス殿下のお母上である故ラミラ元妃殿下は平民の出自であり形式上側妃にあたり、身分の差から正妃であるイルミ妃殿下がお産みになる男児が王位継承権第一位になるからです」
しん、とした空気に包まれた中、陛下の青い眼はゆっくりと細まり、背後にいるクレトが息を呑んだ気配がレミーナの所まで伝わってきた。
隣をみる勇気がなくて、唇をかみしめながら必死に左手を握る。
誰がみても王太子に相応しい人が、祝賀のバルコニーでずっと祝福を受けてきた人が、その席からいなくなるかもしれない。
レミーナの胸に湧き上がる想いは、いやだ、という単純な言葉だった。
理屈とか形式とか関係なくて。
アルフォンス殿下が王太子じゃなくなるなんて、あり得ない。
ふいに、手の甲が撫でられた。
はっとして思わず視線を上げると、大好きな海空色の瞳は凪いでいて、切なそうな色を残しながらも口元は柔らかく笑っていた。
「よく調べたな、王家の系譜にも載っていない事柄だ」
「ううん、教えて頂いたの」
アルフォンス殿下が軽く眉をひそめたのも無理はない。おそらく家族間でしか知らない事だから。
どう答えようか迷っていると、あれか! と向かいに座る陛下がパチンと額に手を当てて顔を天井に向けた。
「ラミラの、ギフトか…………」
「やはり、ご存知だったのですね」
レミーナがほっとしたように息をはくと、胸ポケットに入れていた折り畳んだ二枚の手紙を陛下にお渡しする。ラミラさまからギフトを頂いた翌日、カスパル先生と相談してその内容を陛下に陳情すべき、としたためたのだ。
陛下はさっと文面に目を通すと、まいった、というように両手を上げて誰にいうでもなくぼそりと呟いた。
「最後の最後までやってくれる。結局は全員がラミラの手の内の中で動いていたか」
「そんな風にはおっしゃっていませんでしたが」
「君は直接話していないから分からんのだ、あのすっとぼけた顔の裏でこちゃこちゃこちゃこちゃ悪巧みばかりしよって」
「「「似たもの夫婦……」」」
イルミ、アルフォンス、レミーナがそろって言ったのに対して背後のクレトがまた揺れた。そんなに我慢して腹筋が筋肉痛にならないか心配してちらりと振り向くと、クレトはぴくぴく眉を震わしながら軽く首を横にふって気にせず前へと目線で言われてしまった。
そんな中、アルフォンス殿下が陛下に発言の諾を願った。
「父上、私からレミーナに質問しても?」
「ああ、許す」
仕事は終わったとばかりに手をひらひらとした陛下は紅茶に口をつけた。
喉がからからになっていたレミーナも紅茶を飲ませてもらう。時間がたって冷たいだろうと思っていた紅茶は温かいものだった。いつの間に取り替えてくださったのか、とレミーナはニコライに会釈する。
そんなレミーナに少しだけ目をみはり、微笑みながら目を伏せたニコライの様子にやれやれ我が側近も陥落済みか、と陛下がぼやく。
陥落? と小首をかしげているレミーナにカップをおいた殿下が向き合った。
「レミーナ、教えてくれ、母上のギフトとは?」
「はい、いまルスティカーナ家の私の部屋で預かっているのですが……」
レミーナは王太子妃の覚悟なく泣いて屋敷に戻った後の事をゆっくりと殿下に話した。
抱えている秘密がなくなっていく事に安堵しながら。
全てをさらけ出せる事に感謝しながら。




