71 レミーナ
「面を上げよ」
陛下の落ち着いた声音に呼応して、レミーナは上体をゆっくりと起こした。
交差した蒼い眼が王宮にて壁越しに会った時のように遠慮のない視線でレミーナの全体を見ている。きっとあの時だったら震えてしまっただろうけれど、今のレミーナはその視線をだまって受け止めた。
「ふん、メイド服を脱いだと思ったら今度は文官か、とても王太子妃の装いとは思えぬがな」
「正式なドレス姿でなくて申し訳ありません、陛下。でも今は勤務中なので、この姿で失礼します」
臆することなく自分の言葉で返すレミーナに、ほう、と陛下の目が細まる。
軽く頷いてにやりと笑った往年の陛下は思っていた以上に体格の良い人だった。
クセのある金髪を後ろにまとめ、広い額やがっしりとした顎はアルフォルス殿下とは似ても似つかない。でも太い眉の下で面白そうにこちらを見ている瞳は鮮やかなスカイブルー。
殿下の海空色は陛下からいただいたのね。
似ている所をみつけて少しほっとしながら、陛下の言葉を待つ。王族との会話は基本的に身分の高い者からの問いに応える形。基本は抑えつつもレミーナはあえてかしこまらない事にした。
王族であっても、家族になる方だもの。私らしい所を見ていただいた方がいい。
じろじろとした目線の中でも変わらないレミーナに陛下はふむと自身の顎をひとなですると改めて評した。
「固さや怯えがなくなったな。かつがれてここに立っているわけでもなさそうだ。話を聞こう」
まずは第一関門突破に肩を下ろすと、一歩下がっていた殿下がよくやった、とでもいうように左腕で腰を抱いてくれる。
うながされて二人がけのソファに座らせてもらうと、真正面にベルナルド陛下、右側にイルミ妃殿下、そしてレミーナの右隣にアルフォンス殿下、いつもは騒がしいクレトは後ろについてくれた。
殿下の左手がぽんと軽くレミーナの右手を叩いて離れていく。レミーナは感謝を込めて見上げると、海空色が柔らかく細まり口元には笑みが浮かんでいた。
信頼してくださっている。黙っていらっしゃるけれど、殿下が隣にいてくれるだけで心強い。
レミーナはアルフォンスの目をみてしっかり頷くと、正面を向いた。
「見せつけてくれる、この数日で何があったか聞きたいものだな」
「アルフォンス殿下と家族、クレトさんにも支えてもらいました。皆さんのおかげです」
「へぇ?」
それだけではないだろう、というような陛下の問いだけれど、レミーナはあえて口をつぐむ。
本当はラミラ元妃殿下のギフトも大きな支えになっているのだけれど、それをいう時ではないように感じた。
ラミラさまの事はここにいる方々にとって一番繊細な話になる。今は謎解きに集中したい。
意思をもって黙るレミーナに、ベルナルド陛下は肩をすくめた。
「まぁいいだろう、瑣末な事だ。それより本題だ」
レミーナのことを軽んじるような発言にぴくりと反応したのは殿下の右手だった。すっと左手が抑えるように動いたのをみて、レミーナも殿下の軍服の端を軽くつまむ。
前だけをみながら苦く笑うアルフォンスにレミーナは気にしていない、と頷いて右手の殿下にも目線を送るとやがて抑えていた左手が膝にもどった。
怪訝な顔をしている陛下には、まだ右手の殿下の存在は伝わっていないのかもしれない。そしてレミーナは心の中でそういう事か、としきりに頷いた。
ラミラさまが教えてくれた通り、陛下はご自身の発言で誰がどう反応するのかを見ていらっしゃるわ。そして次の一手を考えている。
冷静にみえて一本気で情の熱い殿下とこちらの嫌なことをいいながら相手の反応で会話を変化させる陛下とでは相性が悪すぎるのだ。
レミーナは納得しながら陛下の視線を追っていくと、やがてこちらを見たので軽く頷いて口火を切った。
「まず、私の中での謎は王宮主催での舞踏会から始まりました」
レミーナは思い出した記憶を頼りにしながら、あの日のことを話していく。
「私はずっと社交から離れていました。原因としましては、貴族として向いていない性格、それに伴って向けられる周りの嘲笑に辟易していたからです」
今度は殿下の左手がぴくりと動いた。
気にしないで、とレミーナはそっと手を重ねる。
「デビュタント以来の舞踏会が始まって、早々に私はホールから離れました。蚊帳の外の場所にいる息苦しさから解放されたかったからです。それで休憩場所をさがして奥のお部屋まで歩いていったのです」
「まぁ、手前はいつも満室だ。気の合った者たちの熱い逢瀬に当てられただろう」
王さまとは思えないぐらいにやにやしながら語る意味にさっと頬を朱に染めながらも、レミーナは心を落ち着けて冷静に先を話す。
「中庭に抜ける回廊の先にある部屋は、わずかに扉の隙間が空いていました。手前の部屋のこともあったので、私はすぐに入らずにそのわずかな間から中の様子を見たのです。そうしたら、イルミ妃殿下が倒れられてさらに奥の部屋へと引きずっていかれる所でした」
レミーナは先ほどから一言も喋らないイルミ妃殿下の方を向いた。真っ直ぐ垂らした白金髪の前髪から涼やかな薄紫の瞳がこちらを見ている。
おそらく陛下との約束がありなにもおっしゃられないのだろう。れみたんと書いてくれたカードの印象とは恐ろしくかけ離れた人形のような面持ちに語るようにレミーナは告げる。
「きっと妃殿下は何らかの要因で意識を失われた、もしくは身体が動けない状態になったのだと思います。それに慌てた人物が奥の部屋へといったん保護された。その状況を見て、あまりのことに腰を抜かした私に変わって中へ入ったアルフォンス殿下は何かの約定をもって私の見てしまった記憶を封じました。そして様子を見るために一時的に婚約者にされたのだと思います」
わずかに動く殿下の左手を今度はレミーナがなだめるようにその甲をきゅっとにぎると、殿下は手のひらを開いて包むようにして応えてくれた。
あの時、殿下は私に薬を飲ませた後にとても複雑そうな顔をしていた。きっと本意ではなかったと思う。
「何かを見たかもしれない私の記憶を消して、初対面の私を婚約者として王宮に留めておく程の事となると、よほどの機密。そしてアルフォンス殿下が事情をさっして動かれるとなると、謎の人物は浮かび上がってきました」
レミーナは小さく息を吐くと、意を決して告げる。
「イルミ妃殿下が倒れるような事をしてしまったのと、倒れた妃殿下を隠そうとしたのはベルナルド陛下。あの時意識を戻されたのか、それとも以前からお願いしていたのか、とにかく見てしまった私の記憶を消して留めて欲しいとお願いされたのはイルミ妃殿下、貴女です」
美しいドールのような口元が、わずかに震えた。




