69 レミーナ
暗く長い道のりも三人で歩いていくとなぜか短く感じる。不安の中で進んでいた時を思うとこうも違うものなんだ。
レミーナは前を行くクレトの確かな歩みと隣を歩いてくれているアルフォンス殿下の存在に心から感謝した。
「お二人が来てくれただけで、ほっとします。一人って、やっぱりどうがんばっても心細くて」
「そりゃそうですよー! 自分でもここを一人で歩けっていわれたら嫌なものです。殿下はほんとレミーナさまに手厳しい」
クレトがこちらを振り返りながら鼻にシワを寄せて殿下を見やるのだが、殿下はどこ吹く風というように肩をすくめる。
「もちろん動けないほどの怪我をしていたなら待っていてもらう。しかし身体が動くのなら何らかの最善を尽くす行動をする方が望ましい」
「うわー、甘々になっても鬼畜は変わらないー、いいんですかレミーナさま、こんな人で。今ならまだやめるーっていっても間に合いますよ」
「クレト、給金無くすぞ」
「減俸されすぎてすでにないですって」
口の減らない奴、と顔をしかめながらもレミーナの手を握ってくれている指は柔らかい。厳しい事を言っている最中もなだめるように親指が手の甲を撫でてくれていた。その手は右手の殿下ではなく左手で。
殿下って、もしかしたら表に出している言葉と内心のお気持ちはちがうのかもしれない。右手の殿下はそれをきっと行動にだしていて……。
レミーナはそう思ったら心がほっこりしてきた。きゅっと殿下の掌をにぎると、海空色の瞳がこちらを見てくれる。
変わらない冬空のような色に向かってレミーナはにっこり微笑んで、クレトに応える。
「殿下はお考えがあってそうおっしゃっているので大丈夫です。あと、そのままにせずに助けに来てくださいましたし」
「当たり前だ」
「はい、うれしかったです」
こくりと頷いて笑いながら見上げると、殿下は口元を押さえて明後日の方を向いていた。
「どうかなさいました?」
「いい、気にするな」
「あーー見ちゃいられない、目がー、目がー」
「お前は黙って前を向いてろっ」
「はいはい」
クレトもなぜか口元を拳でおさえながら、今度は前を向いて歩き出した。
はてなが頭をめぐって殿下に目線で問おうにも頑なに前を向いているので目が合わない。でも手は相変わらず優しく握ってくれているので大丈夫なんだと思う。
レミーナも気にしなくていいみたい、と気持ちを切り替えて前を向いた。
幸い道中の罠は少なかったが、突き当たりの壁を押して隠し戸を開いたり、四つん這いになってやっと通れる通路を進んだりと自分だけだったらとてもすんなりと行けなかった道を進んだ。
特に壁に垂直にかかる縄梯子を見たときには、ぜったい一人だったら怖くて登れないっと顔が青ざめた。
クレトが先に登り、レミーナが真ん中、殿下がしんがりを務めてくれてやっとのことで登りきって肩で息をしていると、その後ろで主人と従者は冷静に話し合っている。
「追ってがきたらこの縄を切るか燃やしてしまえばいいな」
「ええ、最悪、私が下で残ってお二人が登りきったらばっさり切って行ってもらって構わない、という寸法ですね」
「こわいこと言わないでください、そんなの絶対いや」
主従の何気ない会話にレミーナが信じられない、と息を整えるのもそこそこに口をはさんだ。すると殿下とクレトは目を丸くしてこちらを見るのだ。
そして殿下は口元をゆるませながらぐりぐりと頭を撫で、クレトはくぅ、と腕を目に当ててなぜか泣く真似をするのだ。
「レミーナさまのお心がお優しくて、涙がちょちょ切れそうです」
「まぁ、ここを通るのは今回が最初で最後にすればいいだけの話だ。案ずるな」
「……」
そうやって自分には和やかに受け応えをしながも二人の中には揺るぎない答えがありそうで、レミーナはそれ以上なにもいえなかった。
クレトさんを置いて自分たちだけ先にいくなんてありえない。そう思うのは、おかしなことなの?
疑問が顔に出ていたのだろう。殿下は微苦笑をしてくしゃくしゃとレミーナの頭をなでた。
「どれが正しいという訳ではない。その都度自分で判断して決めていけばいいことだ」
「でも、殿下とクレトさんと私では明らかに意見が違いそうです」
「ああ。だがそれでいいんじゃないか? 新たな案は一考の価値がある。それによってまた判断が変わる可能性もある。全ての意見が同じでなくてはならないことはない」
「んんー……んんー?」
良いも悪いもないってこと??
殿下のいっている事が難しすぎて人差し指で唇を押さえながら考えていると、見かねたクレトがえーっとですねぇ、と解説してくれる。
「レミーナさまはレミーナさまがお考えになった事をそのまま仰れば良いということですよー。それをふまえて殿下はご判断されますので」
「あ、なるほど、わかりました。私は私の意見を持っていていい、ということですね。それが通る時もあるし、通らない時もある」
「先ほどからそのように言っている」
「難しい言い回しだからうまく飲み込めないんです!」
「そうか?」
クレトの説明を受けて納得するレミーナに、殿下は不満そうに口をへの字に曲げて閉じた。
レミーナもちょっとだけむぅと唇をとがらしながら、殿下にうったえる。
「私は殿下のように頭は回らないですから、できればかみ砕いておっしゃって頂けるとたすかりますっ」
「裏もなく率直に言っているつもりだが」
「ううーー……自分でいうのも恥ずかしいのですが、たぶん子供に向けて話すぐらいで丁度だと思います。とにかく、慣れていないので……」
伯爵令嬢としての教育をきちんと受けていたなら、殿下の言い回しもすんなり分かったと思う。レミーナの胸は悔しさと歯がゆさできゅうっと心を掴まれた気持ちになった。
でも、そんなの今から覚えるしかない。
「えっと……普段通りに話して頂いて、分からない時だけかみ砕いて話してくださることは可能ですか?」
話がわからないなんて幼な子みたいではずかしい。
けれどそんな事いってられない。
だってこれから、一緒にいるんだもの。
きゅっと唇をかみしめて制服のプリーツを掴みながら見上げてお願いすると、殿下はうぐっと喉がつまったような様子をみせて目をおおった。
「わ、わかった。だからそんな涙目にならなくていい」
「なってませんっ!」
「……あとそのような訴えは私だけにしてくれ」
「え?」
「絶対に私だけだ。いくぞ」
ぱしりと腕を取られて早足で歩き出す殿下に、小走りでついていくレミーナ。
肩を震わせながら追いついてくるクレトさんにどういうことですか? と口パクで聞いても顔の前で手を合わせるだけ。主人に忠実な従者さんは声を殺して笑うばかりで答えてくれないのだった。




