6 アルフォンス
おはようございます! 日間22位! たくさんの方に読んで頂けてとても嬉しく、今日も投稿しました^_^
楽しんで頂けたら幸いです!
青みがかった室内の中、アルフォンスはふっと目を覚ました。
寝不足の頭を振りながら身体を起こすと、カーテンの隙間から白々とした気配があった。夜が明けるほんのすこし前の時間だと、体内時計が教えてくれる。
もうこの時間ならば起きていた方がいい、とサイドテーブルのランプをつける。
椅子に掛けていたガウンを羽織ると、ランプと共に文机へと向かった。
かたり、と机に置いた音を聞きつけて、遠慮がちにノックが二回鳴る。
「ああ、入れ」
「失礼致します」
細く開けた扉から指示を受けるため、当直の護衛騎士が入ってくる。
「少し早めに起きた。そのまま起床とする。ただし日課は通常通りとしてくれ。紅茶を持ってきてくれればいい。あとは朝食の時間に合わせる」
「は。朝食はどちらに持っていきましょうか」
「ん? レミーナ嬢の客間では……ああ、昨日帰っていったか……」
「はい。こちらか執務室か、いかが致しましょう」
「では執務室で」
「はっ」
護衛騎士は小さく胸を叩き、扉を下がっていった。
「そうだったな」
誰も居なくなった室内にぽつりと呟く。
やがて大きく深呼吸をすると、文机に溜まっている王太子に向けて書かれた書類を読み始めた。
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護衛騎士に先導されて執務室に入ると、すでに近習であるクレトは書類の整理をしていた。
「早いな」
「今日はこちらと聞いたので」
「それはすまない、と言っておこうか?」
「本当に。何故帰されたのです?」
レミーナの事を暗に聞かれてアルフォンスは肩をすくめ、それを答えとした。
幅広い執務机を迂回して席につくと、用意されていた案件から紐解いていく。
流し読みながら王の採決がいるものと、自分の決で遂行できるものに分け、署名をしていると、まとめた書類の間にクレトがサンドウィッチをのせた皿を置いた。
アルフォンスはちらりとその三角になったパンのサイズを見て、ぼそりと呟く。
「レミーナ嬢の口にはちょっと大きすぎるな」
「これは殿下用に切ったものなので当たり前です。レミーナ嬢とお食事する時は……って、だからなんで帰したんですか! 」
「本人が帰りたそうだったから」
アルフォンスはクレトの様子を気にした風でもなく、書類を読みながらサンドウィッチを摘んだ。
「そこを引き止めるのが男ってものでしょうがっ」
「そうか?」
「そうです!」
二つ年下のこの近習は幼い頃から側使いとしてアルフォンスの世話をしているため、言葉使いに容赦がない。
身分を度外視して話す姿が、薄っすらと栗色の髪の娘と重なった。
「ああ、そんな所も少し似てるかな」
「なにがです?」
「クレトとレミーナ嬢」
「はいぃ?!」
ずささっとクレトは鈍色の金髪を揺らして飛びのいた。一瞬にして机から体一つ分離れた機敏さに感心しながら、アルフォンスはサンドウィッチを平らげていく。
「構えるな、面白い所が似ているといっただけだ」
「あぶなっ、危うく私をレミーナ様の代わりにするおつもりかと思いましたよ」
「女の気配がなかったからか? 巷の噂通りに振舞うこともできるが、試すか?」
「勘弁ですっ、私は女性が好きですっ」
小刻みに首を振る近習をみて、くつくつと笑うアルフォンス。
二十六となっても長く婚約者を定めず、女性と個人的に会ったとも聞かない王太子に、王都の下町で囁かれる噂は、年若い男子が好みではないか、というものだった。
下世話な話など本人の耳に入らないよう、厳重に取り締まっているはずなのに、当の本人は知っている。
どれだけ市井に影を放っているのか、クレトでさえも計り知れない。
「はぁ、その腹黒な本性、レミーナ様の前で出さないでくださいよ?」
「なんとなく気がつかれている気がしないでもない」
「うへぇ、見せたんですか!」
「いや、彼女の動物的勘、かな?」
面白そうに笑っているクレトの主人は、現在このルイビス王国の執務を担っている。
父であるベルナルド・ファン・ルイビス王は腰痛がひどく現在療養中、王妃イルミ・スフ・フォンタナは病気療養中となっており、両陛下とも先日の舞踏会から表舞台には出てきていない。
アルフォンスの机には王と王太子、二人分の採決が送られており、また王妃への書簡なども保管されている。
舞踏会からずっとほぼ休みなく執務室にこもっており、膨大な量の書類を裁いているのであった。
仕事が早いと定評のあるアルフォンスでさえもさすがに余裕はなく、ここでは普段、表で見せている柔和な表情は消え失せ、為政者の顔が強く出ている。
ただ、レミーナ嬢の存在が出てきてから、その顔がふっと崩れるのだ。彼女と食べる朝食の場では、アルフォンスは少年期によく見せていた素の笑顔をみせる。
それをみた下々の者は一様に目を見張り、歓喜の表情を出さないようあえて口をへの字にしているのだ。
なんせブリザードが吹いているような凄まじい勢いで仕事をするアルフォンスである。
口数は必要最低限になり、また一言で終わっていくので言葉尻も寒々しい。
どちらかといえば陽気な気質の部下たちからすると、王太子の手前、自分たちが楽しげに話す事もできず、息を潜めて勤務しているのだ。
そんな中、レミーナの前ではくつろいだ様子を見せる主人。
いうなれば極寒のなかの陽だまり。
喜ばない配下などいない。
ここ一週間、すさまじく忙しい日々を送る中で、アルフォンスはレミーナといる時だけ安らいだ顔を見せていた。
その時だけは、近くにある者も安らいだ気持ちになれるのだ。
我らの小春日をなぜ無くしてしまったのかと、執務室から廊下に出るたびにクレトに苦情まがいに問い合わせがくる。クレトとしてはたまったものではない。
「とにかくまた理由をつけて戻してください、でないと私が同僚に吊るし上げられてしまいます!」
「骨はひろうよ」
「そういう事ではありませんっ」
なかなか引かない近習に、アルフォンスは仕方ないな、と呆れた顔で書類から顔を上げた。
「レミーナ嬢はあの時の事を覚えていない。思い出す気配もない。それならば閉じ込めておく必要もないだろう」
「私は貴方の身体の為に言っているのです。レミーナ嬢と食べる時しかまともに食事も取らないでしょうがっ、この状態がいつまで続くと思っているのです! 一ヶ月や二ヶ月の話ではないのですよ?!」
「だが、それだけのために婚約者を軟禁か? 本人が不満を持っているのであれば自然と噂として筒抜ける。そうすれば悪い虫も寄ってくるだろう」
「彼女を守るための措置、ですか?」
「それもある、が」
ふっと手元にある紙と、右と左に積んである書類の束を見る。
「巻き込まずに済むならそれに越した事はない」
淡々とそういうと、アルフォンスはまたサインに集中し始める。
クレトは食後の紅茶を置き、そんな貴方だから必要だと思いますよ! と一言放ちながら、次々と手元にスライドされてくるインクの乾ききらないサインを、吸水紙で押さえていった。