67 アルフォンス
「こんな荒事に付き合わせるつもりはなかったのだがな」
薄暗い通路を歩きながらアルフォンスは思わず呟くと、気絶するように意識を飛ばしてしまったレミーナの湿った前髪を起こさないように何度も梳いた。
「まずは地下王宮の通路を発見できるかどうかでしたから。まさかあのような形で露呈するとは思いませんでしたし。あ、殿下、この曲がり角は左へと参ります」
「ああ」
クレトは持参した地図の位置と通路を確認しながらアルフォンスの先を急いでいる。
そもそも逃走する為に作られた道だ。王族が一人で渡る訳もなく、クレトのような案内役をつけて通っていく。それをレミーナは一人、手探りで歩いていたのだ。彼女に降りかかる負担は考えるまでもない。
クレトの動きを視野に入れながらも、レミーナの顔色が気になって何度も腕の中の彼女を見てしまう。
まとめられた栗色の前髪は力なく額に張り付き、目を真っ赤にして泣きじゃくっていた若草色の瞳は今は固く閉じられ、軽く眉をひそめている姿は痛々しい。
「どこかにレミーナを休ませる部屋は?」
「うーん、むずかしいですね。部屋があるにはあるのですけれがどれも罠付きです」
「容赦ないな」
「逃走する為に作られたものですから。侵入者は部屋をしらみ潰しに探すと見込んでの措置ですね」
ひとまず先に進むが、レミーナが歩んでこその謎解きだ。このまま自分たちが助けた状態で先を急いだとしても認めてもらえるかと疑問が残る。
そうですねぇ、とクレトが地図をみながら到着地までの目測を出した。
「このまま最短の道をとってざっと一時間ほどで地下は抜けると思います。それまでにレミーナさまが回復されるかどうか」
「よし、少し寝かせよう」
「はーい、って、はい? ですからその場所がないと」
「クレト、お前、罠の部屋に入れ」
「はいぃぃ⁈」
ぎょっとした顔でこちらを振り向くクレトに、アルフォンスは何をおどろく? と真顔で軽く首を傾げる。
「盾を用意してやっただろう、それを正面に構えれば一撃ぐらいはしのげる」
「いやいやいやいや、どんな罠かもわからないですし!」
「ちょうどこの部屋ならその盾でも大丈夫だ」
そう言ってアルフォンスは左手に見えて扉を目線で示す。扉の上部には「狩人の間」と書いてある。おそらく弓矢での罠だと想像できた。
「いやいやいやいやいや、殿下、ご冗談ですよね?」
クレトは残像がみえるぐらいに首を横に振っているので、アルフォンスはひたと見据える。
「行け」
「無理ですってぇっ! 殿下も一緒に来てくださいよっっ」
「ちっ、使えぬやつ」
「ひどっ! 文官つかまえてそれは無いでしょーーっ」
わあわあとわめくクレトを尻目にアルフォンスはレミーナを抱き直しながら片手で肩にかかるマント留めを取ろうとする。するとクレトは先ほどまでの騒がしさを忘れたかのように無言で外し、通路のすみに敷いた。
アルフォンスはその薄い布の上にレミーナを寝かす。地下通路は整備されており横たえるのに苦労はないが、底冷えで体温が下がるのが気になった。
アルフォンスは迷わず上着も脱ぎ、その華奢な身体の上にかける。
「私もマントを持ってこればよかった。有事の時はなかなか気が回らないですね」
クレトがくやしそうに呟くので、アルフォンスは軽く肩をすくめた。文官にマントの着用義務はない。クレトの手元になくても致し方ないことだ。
「盾役になってもらうから帳消しだ」
「自分っ、補佐役ですからっ」
「たまにはいいだろ、行くぞ」
レミーナを一人で寝かせている時間を少なくする為にも早々に済ませたい。ま、まってくださいと覚悟を決めきれていないクレトはおいて扉を開いた。
ひいっ、と後ろで首をすくめているクレトがおそるおそる話しかけてくる。
「矢がすぐに飛んでくると思ったのですが……」
「まぁ、そう油断させておいて射る、という所だろうな。足元を見ろ」
なんの変哲もない石畳のようにみえるが、薄く盛り上がっている箇所がある。仕掛け石だ。
それは入り口からみて二、三歩はなれた場所に囲むように配置されており、どの方向に向けて歩いても踏むようになっていた。
「うわ、えげつなっ! こちらを作った方はどんだけ敵を抱えていたんですかっ」
「さぁな、王廟に行ったときにでも本人に聞いてみろ」
「嫌ですよっ、お前らそんな事もわからんのかーとか化け出てこられても困ります!」
「ありそうだな」
くつくつと笑いながらアルフォンスは鞘から剣を抜く。
「クレト、盾は構えても構えなくてもいい」
「殿下の腕は信じておりますが命がおしいので構えますよっ」
「よし、よく言った」
覚悟があるなら側にいても大丈夫だろう、とアルフォンスはおもむろに一番近い罠の石を踏んだ。
カチリと留め金が外れた音と共に弓弦と共に正面から複数の矢が飛んでくる。
斜めに払って切り捨てるが、逃れた一本がギィンという音ともにクレトの盾に弾かれて落ちる。
「ひいぃっ!」
「ふん、逃したか」
「殿下ぁぁっ! 踏む時は踏むっていってくださぃぃっっ」
「覚悟したなら感じろ。右斜め上、の後は右正面か」
「ひぃぃぃっっ、なんでそんな連続、やめっ、ひぃぃぃぃっ!!」
向かい側の壁にある隙間の位置から矢が飛んでくる予測ができ、アルフォンスにとっては分かりやすい罠であった。
意識が戻ったレミーナが万が一罠を踏まない為にも全て解除した方がいい。アルフォンスは、クレトの悲鳴は度外視して次々と仕掛けを外していった。
「自分は、絶対、武官には、なりません! 絶対にです!」
アルフォンスか最後の仕掛け矢を払った後、クレトは何本か刺さった盾を放り出し、どてっと後ろに転がった。
「武官にならなくても良いが筋力は増加した方がいいな、盾役としてこの程度で倒れてもらっては困る。近衛の基礎訓練にいけるよう手配しておこう」
「いやいや……どうぞおきずかいなく……」
「遠慮するな、しごかれてこい」
からりと笑ってクレトの口を封じると、アルフォンスは扉を開けてレミーナの元へ行く。慎重に背中と膝裏に手を入れて抱き上げるが、起きる気配はなさそうだった。
そのまま狩人の間に入ると扉近くの壁に寄り掛かるようにあぐらをかき、膝の上にレミーナを抱き込むように下ろす。
よれよれと立ったクレトが開いたままの扉を閉めると、しばらくして人熱の為か廊下より暖かみのある空間になった。
「すこし、安心されましたかね」
心配そうにレミーナの様子をみたクレトに、だといいが、とアルフォンスは短く返す。
「大仕事の前に疲れさせてしまったからな。体力と共に気力が回復するといいのだが」
泣きじゃくりながらすがりついてきた細腕の強さに、彼女が今まで溜め込んできた想いを感じた。
常に不安と共にここまで来たのだろう。
意図せずに王太子の婚約者となり、あろう事かその本人に忘れられ、それでも側にいると誓ったレミーナは強いとさえ思っていた。
でも違った。
一人になった彼女の声は、震えていた。
「これからは、私が守る」
腕の中のレミーナに囁きながら誓うと、側でクレトが苦く笑っていた。
「それ、絶対ご本人が起きてからも告げてくださいよ? どれだけ想っていても伝わらなければ意味ないですから」
「……善処する」
はぁもぅ、照れ屋にも程がありますって、というぼやきには聞こえないふりをする。
辛辣な言葉や揶揄する言動なら考えなくとも発せられる自分の口から愛するなどという言葉など出るはずもない。しかしそれが彼女の不安を煽っているというのならば。
「善処する」
少しずつ赤みを帯びてきた頬をなで傷に触れないように額に口付けると、アルフォンスも息を吐き全身の力を抜いた。
肉体的な試練よりも厳しいものに相対する時には僅かな時間でも休みを取らねば良い方向には傾かない。
今から向かう先で矢面に立つのはレミーナだ。
適切な距離で隣に立たなければ認めてはもらえないだろう。それでいてレミーナの支えにならなければならない。
分が悪くなった場合の対策を一通り考えていると、腕の中のレミーナが身じろぎをした。
「レミーナ?」
起きたか、と腕の中を見下ろすとむずがるような仕草で顔をアルフォンスの胸の方に付けてくる。
自分の居心地の良い体勢になったのだろう、また深い寝息に変わった。
アルフォンスは乱れた栗色の髪を梳いてやると、ずれた上着を肩までかける。いつの間にか一連の動作を自分の意思として右手を使っていた事に気づいた。
右手との関わりも変わっていくのかもしれない。
ここ数日、融合と乖離を繰り返している。前ほど右手を気にしなくなっていた。
今は自分と乖離し安心させるように彼女の手を包んでいる姿を見て、以前にはあった渦巻く感情がない。
厳密には自分の意思とは違うが、右手から届く彼女の手の感触に想う気持ちはおそらく変わらないのだろう。
アルフォンスはふっと口元をゆるませる。
「頼んだ」
クレトにも聞こえないぐらいの小さな囁きに、右手は左手を軽く叩いて応える。
アルフォンスは深く満足のため息をつくと、後は右手に任せて軽く目を閉じた。




