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61 レミーナとカスパル先生

 






 ガラスに映る編み込まれた髪がうれしくて、レミーナはついそっと触ってしまう。


 ちらっと眺めて口元をゆるませながら石畳みの階段を登り切ると、離塔の大きな扉を開く。あけた瞬間ふわりと香る古い紙の匂いにますます目を細めた。


 おはようございます! と一声告げて入っていくと、カスパル先生が天井まである本梯子の影からちらりと顔をのぞせる。


「おはよう、今日は調子がよさそうじゃな。すっきりした顔をしておる」

「はい! 本日もよろしくお願いします」


 うむ、と頷いた先生から仕事のメモを頂き、書類を整えたり必要な書籍をそろえて午前中の就業を終えると、レミーナは南窓近くのテーブルに近づいていった。


「カスパル先生、少しお時間を頂けないでしょうか」

「ふぉっふぉっ、なんじゃな、改まって。午後からサボりたいっていうのなら二つ返事で良しといってやるぞーい」

「せんせぇ……」


 せっかく気合を入れてカスパル先生の前に立ったレミーナだったが、先生の気のぬけるような言い草に腰がくだけてしまう。


「ふぉっふぉっ! あまり力を入れすぎるとかえってじゅーなんに動けぬからなのぉ。普段どおりに、そして少し視野を広げる。お前さんの場合はそれぐらいで充分じゃからのー」

「うぐぐぐ、なにも言い返せないー」


 くやしいけれどカスパル先生の言うことは当てはまってる。はぁ、もーやんなっちゃうなぁ。


 そんなことを思いながら肩の力をぬこうと大きくふー、と息を吐いていたら、変わったのぉ、とカスパル先生が大きな眼をふんわりと細めて笑った。


「なにがですか?」

「気がつかぬか? 少し前のお前さんなら、私はそんなことありませんっ! とかなんとか言ってキャンキャン騒いでおったではないか」

「あー、そういえば……」


 つい数ヶ月前のレミーナは、何かを受け入れるということに抵抗しながら生きていたような気がする。

 貴族は自分には合わない、だから文官で生きるしかない、と肩肘を張って何か言われたら反発して。


 んー、そうですね、と少しだけ目線を外しながらどう答えようかと考える。


「先生のおっしゃる事は案外、役に立つなぁって思ったからですかねー?」


 素直に認めるのははずかしくて、少し横をむいてそんな風に言ってしまった。本当は一人の時、何度も何度も先生の教えを思い出しながら心の中で話しかけていたのはナイショだ。


「ふぉっふぉっ、ま、そういうことにしておこうかのー」


 きっとこちらの考えていることなんてお見通しなのだろう。カスパル先生は面白そうに大きな目を細めると、いつもの窓際の机の前に立ち、レミーナと向き合った。


「ではレミーナ・ルスティカーナ殿、このカスパルに御用命とは何事かな?」


 先生がフルネームで呼んだのは、もしかしたら初めてかもしれない。


 レミーナは少しだけ息を呑みすぐに呼吸を整えて淑女の礼をした後、続けて手を胸に当てた。目上の上官に対する文官の習いだ。


「カスパル・ベネディート先生、私が預かっている養護院の件の精査をお願いできますか? 人員確保とそれにともなう食費の確保。一定数の人がいれば食費への予算もきちんとつくと思うのです」


 本来、助手としてのレミーナが上官であるカスパル先生に何か頼むのは失礼に値するだろう。


 でもレミーナは先にカテーシーをした。

 貴族として、王太子の婚約者としての願いを込めて。


 カスパル先生はその意味を正確に受け止めて下さった。


 同じく手を胸にあて、軽く首を垂れてくれたのだ。

 ありがとうございます、と恐れおおく少し震えた声でいうと、まぁ、そんなに緊張しなさんな、とまた軽い口調でいってくれた。


 そして、ふむ、とカスパル先生は細く骨っぽい指を楕円を横にしたようなアゴに当て、いつものレミーナを教えてくれる時と同じように窓際の席に座る。


「金庫番からも養護院全体の人員増減の数字がきておったな。それに付随する予算の概算も届いておる。して、追加する人員の役割はどうする? 子供達の為に増やすというのは理由としては難しいぞい?」

「ええ、私もずっと考えていたのです」


 レミーナもうながされて先生の隣に座ると真っ白な紙を取り出し、ポステーラ他、ルイビス王国にある養護院の総数を書いた。


 預かるこどもの人数に応じて人員を追加する、ということも考えた。でもそれだと申請した時から後に増えたとかの対応ができない。予算はその年の末に決まってしまうからだ。


「ポステーラを訪ねると、いつもコンスエロ院長先生が待ち構えていたように背の高い場所への修繕や重量のある荷物を運んでほしいと頼まれるのです。普段は私も含めて従者と一緒に応じているのですが……全ての養護院に男手をつけることはできませんか?」


「男手のぅ……」


 カスパル先生は、ふぅむ、と一つ呟くと、レミーナがメモ代わりにと置いた紙の余白にさらさらと書き出した。


 成人男性、町の住人、護衛騎士。


「男性、と限定するとなかなかに少ないの。女性は念頭にないのかの?」

「一時的に勤めるのは可能かと思います。例えば昼間とか。でも私が求めるのは用心棒も兼ねた常駐できる人です。そうなると男性の方が望ましくないですか?」

「まぁ、女性騎士もいない訳ではないが少数ではあるな。まただいたいにおいて要人につく場合が多いしのぉ」


 要人に? とレミーナは不思議そうに小首をかしげた。


「男の護衛騎士を側につけたくないという大笑いな理由でつけたこともあったかの、まぁお前さんの場合はそのうち分かるから気にしなくていいぞい」

「うーん? そのうちですか?」


 近いうちに要人として守られる立場になるという事に全く気づいていないレミーナに、カスパル先生は、はぁ、とため息をついて目をおおってしまう。


「ほーんに自分の事になると、とんと鈍くなってしまうのは変わらずじゃのー」

「先生、なんだかよくわからないけれどひどいですっ」

「まぁ、そこら辺は殿下がそつなく何とかしてくれるじゃろ。ほれ、話を戻すぞい、常駐には騎士が望ましいのじゃな?」

「わぁ、さっくりと放り投げましたねー? いいですもー。あ、はい、そうですね……町の人は、ほとんどの人が家業を持っていますから、なかなか。手に職を持っていない人を当てるにはちょっと不安もあるし」

「むしろ遊んでいる輩を騎士団に入れて鍛え上げてもいいがそれには時間がかかるの」

「ええ、欲しいのは今すぐなんです」

「ふむ」


 カスパル先生は、そうさの、と羽ペンを片手に空中を見据えると、すぐにまた机に視線を戻しひたと紙を見た。そしてさらりと大きく真ん中にバツをつけると、右側の護衛騎士に丸をつける。


 レミーナは首をかしげた。


「護衛騎士を配置するには人手が足りないとおっしゃっていませんでした?」

「もちろん現在の護衛騎士を割くことはできんのー。それでもここに丸をつけた理由がある。さて、わかるかの?」

「ううーん」


 町の住人にはバツがついている、ということは家業の者を対象から外すのは先生の考えと合っている、のよね。


「男手、護衛騎士、でも現在の護衛騎士ではない。現在ではない?」

「ほほ、だいぶ着目点がしぼれるようになってきたの」


 カスパル先生はうれしそうに目を細めた。

 レミーナは立ち上がってすぐ近くにある大窓に身体を寄せる。そこから見える離塔の出入り口には、いつからか護衛騎士が立つようになっていた。

 みな一様に直立不動で長い時間その場に緊張感を持ってたたずんでいる。結構な重労働だとレミーナは感じていた。


 グレイの森へ行く時に護衛してくれた騎士も若く、年かさの人でも三十代か四十代前半。


 現役の護衛騎士の方はみな一様に健康で、若い。


 ……若い? もしかして。


 レミーナは身をひるがえしてカスパル先生の元へ戻る。


「若く現役の護衛騎士ではなく、引退された元護衛騎士を当てる、ということですか?」

「ほほ! ご明察じゃ。ちなみにどこで分かったのじゃ?」


 カスパル先生の質問にレミーナは若草色の瞳をぱちぱちっとまばたかせた。


「えっと……現在の護衛騎士、という先生の言葉に違和感をおぼえて。窓の外を見ると皆さんお若いから、結構早めに引退されるのかなって」

「ふふ、当たりじゃ。体力のいる仕事じゃからな」

「やっぱり。ちなみに引退するとあの方達はどうなるのです?」

「有る者は管理職にいき、稀に文官へ転属する奴もいるが大半は指導教官となって地方へ散らばるな。だいたいその土地に根付いて退官してもそのまま暮らしている者が多いときく」

「じゃあ!」


 レミーナは思わず胸の前でぱちんと手を組むとカスパル先生はくつくつと喉をならしながら面白そうに頷いた。


「ふふ、退官ほやほやの奴などまだまだ現役でいけると思っておるじゃろうて。二つ返事で引き受けそうな匂いがぷんぷんじゃー」








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