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60 レミーナ

 



 無事に殿下の執務室がある二階から一階へ降りるエントランスまで戻ったところで、レミーナさまぁぁと遠くから声をかけられた。

 振り向くと南棟からの続く廊下からリアナが小走りでこちらに向かってきている。


 リアナと会うのは妃殿下の部屋以来。あの時は自分のことで精一杯でろくに話もせず別れてしまったので、レミーナも気になっていた。


「リアナさん、おはようございます。先日はご心配をおかけしてしまって申し訳なかったです。妃殿下はあの後大丈夫でしたか……?」

「おはようございます、レミーナさま。いえ、こうやってお会いできてほっとしました。妃殿下もお健やかですのでご安心ください」


 少し肩で息をしながらリアナは略礼をすると、胸に手を当てて、ああ、よかった、と笑顔になった。


「レミーナさまが降りられるぎりぎりで間に合ってほっとしました。あの方ももう少し早くいって下さったらよかったのに」

「え?」

「あ、失礼、こちらの話です。お気になさらずに」


 誰かがリアナさんを呼んだの? とレミーナは首をかしげるのだが、リアナはう、うん、と咳払いをしてにっこり笑った。


「それにしてもレミーナさま、ちょっとお髪が乱れていますね、少し整えませんか? まだ始業には時間がありますから」


 え、ほんとですか? と首元に手をやるとひとふさ、留めていたはずの髪が落ちていた。


「こちらのお部屋が空いてますからどうぞ」


 そう素早く話したリアナはエントランスに一番近い部屋にレミーナを入れてくれた。


「ありがとうございます、リアナさん。全然気が付かなかった」

「そうでしょうとも、そのお姿で階下にいかれてはレミーナさまをご存じない羽虫が悪さするといけないので少し手を加えさせて頂きますわね」


 羽虫? わるさ? なんのことだろう?


 戸惑っているレミーナを導きながらリアナはドアに近い椅子に座らせてくれた。


 大きな鏡がなくて申し訳ないのですが、と手鏡を渡されるとリアナは椅子の後ろにまわって慣れた手つきで髪をすき始めた。


「先日も思いましたが素敵な栗色ですわ、ゆるやかな流れがまた柔らかくてとてもお似合いです」

「そうですか? でもまっすぐじゃないから……」


 目の端で踊るゆるやかなウェーブはレミーナにとってあまり良いものではない。しかしリアナは大丈夫ですよ、とやさしく櫛をいれてくれる。


「レミーナさま、ご存じですか? アルフォンス殿下のお母上ラミラさまは生まれつき毛先が軽く巻かれていたとか」

「え? そう、でした……?」


 レミーナは目を瞬かせながら例の鏡に映ったラミラを思い浮かべてみるが、綺麗な方だという印象はあるが毛先までは覚えがない。


「ええ、その代の貴族令嬢たちはこぞってラミラさまの真似をされたようですよ。そして当代の妃殿下のお髪は直毛ですので、みな真っ直ぐがお好きみたいですわよね。そしてレミーナさまが殿下の隣に立たれるとまた変わると思います」

「……まさか」


 王の隣に立つ者の真似をしているの……?


 レミーナは驚きをもってリアナを振り返ると、彼女は困ったように眉をハの字に下げて微笑み、そっと頷いた。


「いつの時代も女性は華やかなレディの真似をしたいものですわ」

「そんなのって……」


 レミーナは言葉を失った。


 デビュタントで真っ直ぐじゃないと失笑されたこの髪が、殿下の隣に立つだけで認められるというの?

 そんなの、あんまりだ……。


 傷ついたあの時の気持ちまで馬鹿にされたような気持ちになって口をつぐむレミーナに、リアナはこめかみのあたりの髪の毛をサイドアップに編み込んでいく。


 仮止めをしていた細い三つ編みと合わせて一つに留められた髪型は、正面からはきりっとした文官の顔立ち、横から見ると三つ編みの飾りがほんのりと女性らしさをかもしだす仕上がりになっていた。


「わぁ……! すごく、素敵ですっ! リアナさん、ありがとうございます!」


 レミーナはかさかさした気持ちが飛ぶような感覚になりながら、振り向いてリアナに感謝する。

 リアナも嬉しそうにこちらこそですわ、と微笑んでくれたが、すぐに心配そうな顔になって話しかけてくれた。


「なにか、お(ぐし)のことで気がかりが?」

「あ……実はデビュタントの時に真っ直ぐじゃないことを笑われて」

「まぁ! 王宮主催の舞踏会で、でしょうか?」


 リアナは眉をひそめて目を細めている。


「あ、いえ、王宮主催の前にプレで伯爵令嬢たちばかりが集まる会があって、そこで」

「同じ爵位の方々ばかりというのはあまりよろしくありませんわね。高位の方がいればそのような下世話な牽制などなかったものを」

「けんせい……」


 なぜそのような事をするのか検討もつかないレミーナに、侍女は穏やかに頷きながらそっと眉を下げた。


「レミーナさま、貴族の女性というのはだいたいにおいて華やかに流行を追うことを重きにおいています。そして彼女らの流行の先には王族の女性がおります。なぜそうされているのかを、お分かり頂けたらご納得頂けると思いますわ」

「…………」


 伯爵令嬢なのにデビュタントの強烈な印象から貴族社会そのものに背を向けてきたレミーナにとって、彼女たちの思いをイメージすることもできなかった。


 むずかしい、という顔をして黙ってしまったレミーナの様子を見ながらリアナはにっこりと力強く笑みを浮かべる。


「レミーナさまは本当に素直な方ですわ。その資質をどう活かしていかれるかは、近しい者たちの手腕が問われるという所でしょうか……腕が鳴りますわね」

「腕がなる? リアナさん、どこか痛いの?」


 全く見当違いなことを言って心配そうにこちらを振り向いた愛らしい文官に、隙のない美人侍女は不覚にもよろめいた。


「くっ……あざとさのない天然さんの破壊力になすすべもありませんわ……! 猛吹雪も溶かしてしまう、春のお日さまの威力とはこの事ですわね、ううん、凄すぎます。レミーナさま、近いうちにまたお会いいたします。先ほど手腕の件はその時にでもお伝えいたしますわ」

「あ、もしかしてランチですか? 嬉しいです、ぜひ!」


 レミーナはこくこくと頷きながら笑いかけると、リアナは眩しいぐらいの天然さんですわっ、とまたよろめた。


「もちろんランチも行きましょう! メリルも誘っておきますわ」

「はい、ぜひ!」


 心躍る約束にうれしくなってさらにうなずくと、さあ、そろそろお時間ですわ、とリアナは部屋の外まで導いてくれた。


「リアナさん、ありがとうございます。素敵な髪にしてくださって、今日一日がんばれそう」

「私こそ、レミーナさまのおひさまのような笑顔を頂いて幸せになりました。お互いがんばりましょうね!」

「はい!」


 ではまた、と優雅に略礼するリアナに丁寧に文官の礼で返すと、レミーナは足取りも軽く階下へと降りていった。


 その姿を見送りながら、リアナは小さく呟く。


「緩やかにほつれた髪を結うのはもったいないのですが、ほのかな色のある無自覚な後ろ姿は罪ですわよね。きれいに消して死守致しましたわよ、クレト殿。それにしてもあんな何も知らない天然さんに殿下は朝から何をされたのかしら? 婚約期間中なのですからお手柔らかにして頂かないと」


 さあ、これから忙しくなりそうですわね! とリアナは人知れずにっこり笑うと慎ましながらも早足で南棟へと戻っていった。










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