56 アルフォンス
執務室に入るとクレトが朝食の用意をしていた。朝の挨拶と共に礼を言い、食べながら昨日見切れなかった書類をみていると侍従が新たな書類を持ってきた。
クレトが受け取りつつ和やかに侍従と話をしているのを見やると、侍従は少し表情をゆるませて二言三言話して戻っていった。
「今朝はとくに変わった事はなさそうだな」
「盗み見ですか? こっちなんか気にせずに自分の事を考えてくださいよ」
「なんだクレト、機嫌がわるいのか」
「ええ、ええ、昨日の私の働きといったら食堂でレミーナさま確保にも間に合わない、殿下の元へ行こうとしたら妃殿下の護衛に足止めくらってそちらにも行けない、執務室に戻れば殿下は馬車溜まりにいったで駆けつけたら入れ違いぃぃ! ええ、ええ、私のことはいーから、はい、仕事してくださいよー!」
ぶあぁと文句だけ言い、ばっさばっさと到着したばかりの書類を王、王妃、自分用と仕分けている。そんなで荒い手つきでちゃんと分けられているのかと思うが、途中まで仕分けた物をよこしてくる中に妙な書類はない。
結果として蚊帳の外だったのを怒っているのか。
感情は素直に表す方だが仕事には支障は出さないクレトの荒れ具合を心に留めおきながら書類に目を通していく。ざっと流し読みながら優先順位をつけていると、クレトが、うーん、これは、と一声うなった。
「どうした?」
「カスパル先生からメモが」
「珍しいな。何と書いてある?」
メモならば口頭でいいと顔を上げたが、クレトは神妙な顔をしてこちらへ持ってきた。
独特の右上がりの筆跡は昔から変わらないな、と懐かしむも伝えてきた内容はアルフォンスの眉を微かに寄せるものだった。
「レミーナが休んだか……」
「規定の休日以外で取るのは初めてですね」
「お前、そんな事まで把握しているのか?」
暇なのか、と思わず目を見開くと、なに言ってるんですか貴方が保護観察対象にしたからでしょう? と呆れられた。
「王宮出仕者全員の勤怠なんて調べていませんよ、レミーナさまだからです! そもそも貴方に関わる最重要人物なんです、自分が調べられるところまで調べますよ」
「お前、意外にすごい奴だな」
「なんですか、突然。褒めても何もあげませんよ」
ふん、と鼻鳴らしながらも仕分に戻った手つきがいつもの丁寧なさばきになったのを確認する。
アルフォンスは機嫌はなおったな、と思いながも聡い側近のヘソがまた曲がらないよう、なんだつまらん、とうそぶきながらまた書類を読んでいく。
即決できるものにサインをして午後に侍従が持っていく書箱にいれると、クレトが入れ直してくれた紅茶のカップに手をつけた。
「レミーナさま、持ち直してくれますかね……」
残りの半分を仕分けた終えたクレトが再び書類をこちらによこしながら静かに聞いてくる。どうだろうな、とアルフォンスは空いた手で受け取った。
「こればかりは、本人次第だからな」
そういいながら昨日の彼女に思いを馳せる。
栗色の髪を震わせながらうつむき、帰りたくない、と小さく告げた彼女を抱き上げ、自室に連れ帰ってしまえばどんなに楽だったか。
感情のままに動いたとしても、後は王太子の権限でどうにでもなる。部屋に囲い、必要な時だけ表に出し、あとは何不自由なく自分を待つだけの存在にすることも出来た。
実際、右手は動こうとした。しかしその右手でさえも、途中で動きを止めた。
彼女の自立を想う気持ちも同じかと、内心苦く笑った。
「どんな結果になろうとも彼女が自分で選ばなければならない。私はその結論を受けて動くだけだ」
「この場所を捨てても、ですか」
「そもそも執着している訳ではないしな。生業だからやっているようなものだ」
「貴方がここにいるからこそ保っている人や物があるとしても?」
クレトがひたりとこちらを見据えている。自分も問われているのだろう。王太子としての地位や権限、責任を置いてでもレミーナと共にあるのか、と。
アルフォンスはカップをソーサに戻し読みかけの書類をぱさりと机に置くとその紙の上でさりげなく指を組んだ。
「クレト、公人として生きるか、私人として生きるか。そう問われたら、お前ならどうする?」
自分にとって一番近しい存在である側近は、突然質問に質問を返されて髪の色より明るい琥珀の目が忙しなく瞬いた。
「わ、私ですか? もちろん公人です。殿下のお側から離れませんよ」
「お前、少しは考えろ」
「考えるまでもありませんよ、なにいってるんですか」
「……はぁ、お前は幸せな奴だなぁ」
少しは悩むかと思ったにも関わらず即決即断したクレト。それをみたアルフォンスはがくっと首をたれると、ため息をついて左手に自分の頬を預けた。
右手も同感だったのか、やってられないとばかりに身近にあったペンを持つと手慰みにくるりくるりと回しだす。
「なんですかなんですかっ、両殿下とも失礼な! このクレトが一生側にいるっていってんですよ、もっと嬉しそうにするとかすまんなと重く受け止めるとかなにかあるでしょう⁈」
「あー、はいはい、ありがとな」
「かるっ! そして冷たっっ!」
ひどい! こんなに誠心誠意貴方に仕えている側近なんて私しか居ないですよっ、とやけに芝居じみてきたのでひらひらと右手が応えてやっている。
アルフォンスは深いため息をついて、みるとも無しに自分の意思とは関係なく動く右手を眺めた。
自分は生涯に置いて二度、私人として動いたことがある。
一度目は亡くなった母、ラミラの死期を伸ばす為に。
二度目はおそらくこの右手が、自分の知らない過去の自分がレミーナの為に代償を伴う願いを私人として行使したのだろう。
どちらにしても代償は、何も王太子としての自分が受けなければならなかった訳ではない。グレイに受け入れられたかどうかは分からないが、代理を立てる事も出来たはずだ。
だかどちらもそうはしなかった。
公人として動くのが当たり前として生きてきても、私人として動くことだってある。
王族の責任は重い。とはいえ、貴族や街の者となんら変わりのない一人の人間だ。
と、自分では思っていても、周りはそうは思わないからな。
自分とレミーナだけの問題で収まるならまだしも、王と王妃が表立って出てこない事を良しとしない勢力はこれを機に一気に潰しにかかってくるだろう。
もし次に私人として動くときは、誰しも目を剥く大事になる。可能な限りの根回しと何を言われようとも屈しない精神力を備えておかねばならない。
それにはまず、感情で動かぬよう冷静にならなければ。一番大切なものを守るの為に何が必要か、すぐに判断できるように。
「クレト、私が市井に下る事も考えておけよ?」
冗談まじりに笑いながらそう言ってやると、クレトは馬鹿ですか、とは言わなかったが琥珀の眼をじとりと細めて口をへの字に曲げた。
「なにいってるんですか、市井に下る訳ないでしょう? いいとこ辺境まで飛ばされて広大な領地管理と隣国との国境警備強化です。あの方が殿下をただの人として終わらすわけがない。死ぬまでこき使われますよ」
「ははっ、違いない」
アルフォンスは冗談とも思えない未来に、有りだな、と頷く。
廃嫡なったとしてもそれはそれ、あの親父ならば臣下となった自分を目一杯使うに間違いない。
「それも楽しそうだな」
「やーめてください、最後の手段なんですから。本来は貴方がここに座っていらっしゃるのが望ましいのですって。レミーナさまがくよくよしていたら俺が守るから一緒に生きようぐらい言ってくださいよ、ほんとに!」
「お前うまいこと言うな。想い人でも出来たか?」
「そんな素敵な人がいたらそっこー私人として生きるっていいますよっ! なんですかなんですかっわかっていってるんですか、失礼極まりないですよ?!」
「はははっ、まぁな、そんな所だ」
なんですか、どんな所ですか! これでもブリザード王子を影ながら支える側仕え美青年と巷で人気なんですよ! とわめいているクレトにひらひらと片手をふりながら書類に向かう。
レミーナは明日、屋敷から出てこれるだろうか、もし出仕しなかったら迎えにいこう。それだけを決めて執務へと頭を切り替えた。
こんばんは、ここに来るのは久しぶりです、お変わりないですか?
アルフォンスとクレトのやりとりを楽しみながらも、気持ちはもう次話以降のレミーナの動向に向かっています。
近いうちに投稿しますね。
なん