46 レミーナ
扉を出てみると廊下の壁が二階の濃紺から白地になっていて、間違いなくここが一階だと示されていた。
「階段なんておりなかったのに……まるで迷路だわ」
アルフォンスにしがみついていたから気がつかなかっただけで、もしかしたらあの長い通路はなだらかに下っていたのかもしれない。
屋敷と離塔を往復する毎日ではけっして知り得なかった秘密に、レミーナは人知れずみぶるいをする。
「カスパル先生にも言っちゃダメ、よね。お父さまお母さまにもかな……。 なんだか……」
いつのまにか殿下との距離が近くなったように、気がつけば親しい人との距離も変わっていってしまうのだろうか。
目に見えない大きな圧が、すぐそばに来ているような思いがして、レミーナはぶるぶると首を横にふった。
「かみなりさまこわい、かみなりさまこわい! ……今はまだ、このままでいさせて」
胸に灯る想いとは裏腹に、逃げ出したくなる衝動も共にあって、レミーナは細く息を吐いた。
「だめ。これ以上考えると落ちてっちゃう。きりかえ!」
ぱしん、とレミーナは両手で頬を叩いた。
「今やらなければならないことが最優先。ですよね、カスパル先生」
仕事がうまくいかない時や失敗してしまった時、そしてときおり突きつけられる心無い視線を受けてしまったそんな時、心が落ちていってしまうレミーナにカスパル先生はいつでもなんでもないように、さぁやるぞーい、と声をかけてくれる。
「謎解き、そしてなにより、食堂で初ランチ……! 緊張するけれど、いこう」
新しい事は、いつもドキドキ。
殿下への想いも、謎解きも、知り合って間もない人と一緒に食事をすることも。
レミーナはこくり、と勇気を出すように頷くと、大きく開かれた食堂への扉に向かって歩き出した。
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行き交う人たちの後ろについて開かれた大扉の中へ入っていくと、目の前に広い大食堂が広がった。
右手にキッチンが見渡せる厨房があり、ゆっくりと人が流れていく。トレイを持って好きな食事を取っていくスタイルみたいだ。
先に席につかなくていいの? 自分の席って、ないのかな。
常に席が決まっているか案内されて座っていたレミーナは、どう動いていいか分からず入り口付近で歩みを止める。すると、レミーナさん、と左手の方から声がかかった。
「レミーナさん、こっちですよ〜」
「メリルさん、よかった」
立ち上がって、こっちこっちと手を振ってくれるメリルの姿をみつけてレミーナは駆けよる。
「まっていたのですけど、少し遅かったので先に食べ始めてたんですよ〜 お仕事忙しかった?」
「あ、いえ、ぼんやりしてちょっと迷って」
「あら」
「まあ」
目を丸くしてまじまじとレミーナに一言呟いたメリルさんの隣で息のあった合いの手を入れた人がいた。
切れ長だけど、ぱっくりと見開いた水色の瞳が印象的な、金髪を綺麗にお団子風にまとめている美人さん。
「あの……?」
「ああ、ごめんなさい〜、ご紹介します。こちらは以前にお話した私の同僚のリアナさん」
メリルさんの声に、やだ、ごめんなさい、座ったままで、と素早く立ち上がった美人さんは右手を胸に当て軽く膝を曲げて戻した。
「初めまして、リアナと申します。妃殿下付きの侍女をしています」
「初めまして、レミーナです。カスパル先生の助手をしております」
レミーナも胸に手を当て、丁寧に文官の略礼をする。その姿にまた目を見開いて軽く頷いたリアナは、にっこり笑って隣を見た。
「素敵な方ね!」
「でしょう〜? 食堂で食べるのが今日が初めてなんですって、案内してくるわ〜」
レミーナさん、こちらへ、とメリルに誘導されて厨房の方へ向かいながら、レミーナはドキッとした胸の内をメリルに相談する。
「メ、メリルさん、挨拶しただけで素敵だなんて言われたの、はじめてなんですけれども」
「ああ、文官の方で私たちにも気さくな人は稀ですから〜」
「ええ?」
ほら、よく見てくださいな、とメリルはちらりと食堂のテーブルが並んでいる方に顔を向ける。
「なーんとなーく、文官さんだけ、まとまっているの、わかります?」
「あ」
ここには王宮に勤める人たちが集まってくる。護衛騎士や侍女、金庫番の方々やメリルさんのようなメイドさんもちらほら見かけるのだが、深緑の服を着た人達は一箇所に固まっていた。
「なんで……?」
「ちょっと鼻高々さんだからですかね〜」
「はなたかだか?」
オープンキッチンの端に並んでトレイをもらう順番をまちながらメリルさんにたずねると、メリルさんは豊かな身体をゆらしてはからからと笑った。
「文官さんはレミーナさんのように縁故で入られる方と試験を受けて入られる方といるのですよ〜。その試験がどうも難関のようで、試験を受けて合格された方々は、ね」
「あ、わたしも、一応試験を受けました」
「えっ、それは失礼しました。レミーナさま、ご令嬢だからてっきり」
メリルさんは口を大きく開けて驚いている。
「父が一般の方と同じ試験受けろって。そうでないと仕事にならないって言っていたので……」
「うわ、きびしい。お父さん、すごいですね〜」
「そうですね。今思えば、私が困らないようにいろんなことを考えてくれてたのかも」
「ふーん、レミーナさんってぽわぽわしているようでしっかりしてるのかも。ちょっと見直しました〜。あ、前が空きましたね、いきましょう」
話をしていたらいつのまにか順番がきたので、メリルさんに教えてもらいながらトレイをもらう。
「ゆっくり進んでいきますが後ろに戻ることはできないので、欲しいものはちらちらと眺めて目星をつけておくといいですよ〜」
「あ、はい」
手前の方から、前菜にあたるサラダ、その次に副菜の煮もの系、メインが肉か魚か選べて、最後に二種類のスープ、四種類のパンがそろっていた。
「すごい、選べるだなんて」
「んふふ〜。私もこの王宮食堂のランチが食べたいが為にメイド募集が出るの待っていましたからね〜。食事付きっていうのは魅力的です」
「ええ、本当に」
うれしそうに覗いているメリルを見ながら、レミーナが思うのはポステーラの子供達だ。
ミカーロをここに連れてきたらあれもこれもと欲張りすぎてお腹こわしそうね。シスタビオはそんなミカーロを止めながら慎重になってあまり取らないかも。
ああっ、最後にデザートまである! アマリーは食事そっちのけでかぶりついちゃうだろうなぁ。ティアはこの空間に慣れなくて固まってしまうだろうし。
「やっぱり連れてくるのは無理ね。こんなに美味しそうなのに」
ゆっくりと移動しながらレミーナは、メインを魚のソテーにして、じゃがいもと人参の煮物に、サラダ、スープ、パン、そしてデザートのフルーツを一皿とっておしまいにする。
レミーナの一つ後ろの護衛騎士は肉を二皿持っていっているし、その隣の文官は小食なのかパンとスープと副菜にサラダとこじんまりとまとめている人もいて、それぞれ好きなものを持っていっていた。
「自由度が高い……」
「そうなんですよ〜。こんな風にしてくれたのは今の王様になってからなんですって。けっこう革新的ですよね〜」
メリルさんは先に一式自分の分を取っていたが、せっかくだからもう一皿、とデザートをちゃっかりおかわりしていた。
「おまたせしました、すごいランチでびっくりしました」
席について、待っていてくれたリアナさんに話しかけると、リアナさんもそうでしょう! と嬉しそうに頷いて一緒に食べ始める。
「けっこう侍女の仕事も体力勝負で。午前の仕事が終わる頃にはお腹が減ってしまうのですけれど、そんな時に選べるランチがあると思うとあとちょっと、と思えてなんとか過ごせます」
「あら〜、掃除メイドの方がもっときついわよ〜 時間内に終わらせなきゃいけないんだもの〜」
「わかる、時間内に終わらすって大変よね。私はあっちへバタバタこっちへバタバタ、用事を預かって王宮内をずっと歩いている感じなのよ、なんだか想像していた侍女とは違ったわ」
「妃殿下の侍女っていったらおしとやかに部屋にこもっている感じだものね〜」
レミーナと話しだしたと思ったらすぐに二人の会話になっていく。仲がいいんだなぁと思いながら、食事を口に運びながらふんふんと二人の話を聞く。
「そうなのよ、うちの妃殿下、見た目とちがってけっこう活動的なものだから」
「えっと、最近もですか? 私、王宮に働き出してから妃殿下の姿をあまりお見かけしなくて」
妃殿下の話題! ここで情報を得る、ですよね、カスパル先生……!
実際はカスパル先生やレミーナ自身が離塔にこもっているので王宮内で見かけることはないのだが、妃殿下の最近の動向が知りたくてレミーナは話しかけた。
「それがここ一月ぐらい、なんだか面白い遊びをされているみたいで」
リアナは苦笑しながら肩をすくめた。
「お隠れになっているといったらいいのか、かくれんぼをしてるみたいに、私たちにもお姿を見せてくださらないんですよね」
「え? 一月も?!」
ご主人さまがずっと顔を見せないだなんて、心配じゃないの?
落ち着いた様子でじゃがいもを頬張っているリアナが信じられない。でも本当に居なくなってしまったのなら、それこそこの食堂の机がひっくり返るぐらいの騒ぎになるはず。
妃殿下の周りの人たちにとってはお姿が見えないのはなんでもない事なの? なぜそれを受け入れているのかよくわからない。
レミーナは自分の常識と照らし合わせて、とにかく疑問に思ったことを聞いていく。
「えーっと、様子を見にお探ししたりはしないのですか?」
「んー、ご本人がいらっしゃるのは私たちでも分かるのです。なのでまぁ、楽しんでいらっしゃるうちはそのままに、という事になっています」
「ど、どうやってわかるのです?」
「カードが置いてありますので」
「カード……」
それだけで本人と分かるって、いったいどういう事なんだろう。
目を白黒とさせているレミーナをみて、ふふっといらずらっ子のように笑ったリアナは、よかったら見に来られますか? と気軽に誘ってくれた。
え……いいのだろうか。
一介の文官が妃殿下のお部屋に?
「もちろん侍女服に着替えて頂かないといけませんが。どうです? ちょっと楽しそうでしょ?」
メリルも、うわ、いいですね〜 仕事じゃなかったら私も行きたい、なんていってる。
いく? どうする?
迷った時、レミーナはいつも心の中で決めている事があった。
じっと、目の前の二人を見る。
デザートを頬張りながらこちらの返事を待っている彼女たちの仕草からは、なにも仄暗いものがない。
嫌な感じ、しない。
いこう。
いってみよう、謎の本拠地に。
レミーナは迷った時、その時の相手を見て悪い感じがしなければ進むと決めていた。
「いってみたいです」
二人の目をみて、しっかりと頷いたレミーナに、メリルがぐっと親指を立ててばちんとウインクをしてくれた。
リアナは、楽しみ! と軽く手を合わせて喜んでいる。
ランチが終わったら早速いきましょうね、なんて弾んだ声をかけてくれたので、レミーナはちょっと急ぎめに平らげていった。
こんばんは。冷えてきましたが、皆さまお変わりないですか?
今回大変おまたせしてしまって申し訳ないです。十月はオンもオフも繁忙期でした。秋は行事というものがあったのですね……。
忙しい時期を過ぎますとまた週一で書いていけるかと思います。
レミーナもいよいよ妃殿下のお部屋へ向かうところですね。謎を解く鍵をもらえるといいのですが……!
と、気になるところでおわっているので、なるべく早めにお届けしたくがんばりたいとおもいます。
温かくしてお待ちくださいませね。
なん




