45 レミーナ
「こんな所でこそこそと何をしている? 午前中は離塔で仕事だろう」
「あう、それは……」
ぶつけてしまった鼻を押さえながら、ちょっぴりうらめしい気持ちを込めて見上げる。
アルフォンス殿下は殿下で、ここにレミーナが居ることに疑問をもっているようだった。
若干眉をひそめて冷ややかなオーラを出しているのがその証拠、でも背中からブリザードは出ていないので怒ってはいないようだけど。
自分でも殿下の事を想いながら歩いていたら階を上がってきてしまっただなんて信じられなかったし、しかも本人に会ってしまうとも思わなかったのでうまく理由を説明できない。
「うう、ぼんやりしてました」
うわぁぁ、ちがうけど、あああ、でもほかにいいようがないよ……! ぼんやりしてここまで上がってくるなんてどんな人って思われるよ。
かなり残念な回答しかできず、レミーナの顔色はどんどん悪くなっていく。そんな彼女をみた殿下は少しだけ肩をすくめて一息つくと、なぐさめるようにぽんぽんと頭に手の平を乗せてくれた。
「よく分からないが、通常ではないんだな?」
「うう、はい」
惚れた弱みから貴方の所為なんですっ、とも強くいえず、レミーナは唇をかんで頷いた。
「わかった、とりあえず場所を変えるか。レミーナ、今から普段は使用しない箇所を抜ける。親しい者にも言わないように」
「えええ? そ、そんな秘密、わたしに言わないでくださ……え? ちょっ! 殿下、どこへ……」
親しい者にもいわないでってどんな機密よ、と身体をつっぱっていやいやとするが、殿下はうむを言わさずレミーナの手を取り、少しだけ周りを見回すと銅像のすぐそばの壁の一部を押した。
すると、壁は小さく鳴りながら下がっていき、人一人通れる隙間が出てきたのだ。
「な……なにこれ……!」
「見ての通り隠し通路だ。いくぞ、こちらからの方が速い」
レミーナは殿下の手に導かれながら隙間の空間に入る。レミーナが通路に入ったのを確認して、殿下は通路の壁を押したらしい。
カコン、という音と共に後ろの壁が閉じて目の前が真っ暗になった。
「やだ! 殿下っ!」
なにもかも見えなくなって怖くなり、思わず繋いだ手を頼りに殿下の腕にすがる。
「大丈夫だ、目が慣れるまで動かなければいい。しばらくするとうっすらと人影ぐらいは見えてくる」
そうはいってもこんな狭くて暗い所は初めてで、レミーナは思わずぎゅうっと目をつむって殿下の腕に顔をつけた。
「目までつむらなくてもいいのだがな」
くすりと笑った気配がして、その後に大きな手がレミーナの頭を撫でてくれる。普段であれば赤面案件な殿下の行為にも、今のレミーナはそれどころではない。
怖いものはこわい、こわいものはこわい、こわいんですっ!
跳ね上がった動悸が落ち着くまで、レミーナはじっと殿下の腕にひっついていた。
しばらく頭を撫でていた手が今度は頬をふにっとつまんだので、やめてくらはい、と潤んだ声で小さく抗議する。
「そんなに暗がりがダメなのか? 知らなかったな、動けるといいのだが。 この狭さだと抱き上げてやることもできない」
「いやっ、は、はずかしいことはしなくていいですっ。早くここをでたい……がんばって歩きます」
レミーナのよれよれした応えに、そうか、とまた笑った気配がして殿下はゆっくりとした足並みで歩き出した。
とにかくぎゅうと殿下の腕を胸元に抱えて、もう片方の手も離れないように固く掴みながら殿下についていく。
そんなレミーナの様子に、殿下がごほんと咳をつきながら歩みをゆるめて聞いてきた。
「あー、レミーナ?」
「なっ、なんですかっっ」
「貴女が掴んでいる腕はその……もう少し離しても大丈夫だが」
「やですっ、こわいからやですっ」
「いや、そうか。……まぁ、いいか」
珍しくもごもごと口ごもっている殿下。でもレミーナとしてそんな事より早くこの場から出たい。
「わ、わたしのことは気にせず、とにかく歩いてくださいっ」
「わかった。暗闇の不可抗力だな、この感触は甘んじて受ける事にする。だがレミーナにここを通らせるとするとこんな役得を与える訳にはいかないな……側付きを厳選しなければ……女騎士限定……難しければ剣の心得のある侍女……」
ぶつぶつとつぶやきながら殿下はまた歩き出した。かなり長く歩いた先で、二回ほど道を右に折れていったのはレミーナでも分かった。
まだ先へと続く暗闇の途中で止まった殿下は、先ほどと同じように壁を押して細い開き戸を開けた。
開き戸の向こう側は細い光線が入ってきて、さらに小さな扉がありそうだ。
「私が先に出るが、向こうには段差があるので気をつけて」
レミーナが、は、はい、と小さく頷くのを確認して、殿下は身体をかがめて小さな扉を開く。眩しいぐらいの採光が入ってきて、レミーナが反射的に目をつむっている間に殿下は通り抜けたようだ。
苦労して目を片目ずつ開いていくと、扉の向こう側から、レミーナが通りやすいように手を伸ばしてくれていた。
「あ、ありがとうございます」
伸ばされた腕につかまって、しゃがんだ状態から扉を抜けると、その先には足場がなく思いのほか高さがある。どう降りたらいいのか迷っていると、殿下がレミーナの両脇をつかんで上半身をひっぱり抱きとめてくれ、すとんと床に降ろしてくれた。
「はぁ、ついた……?」
いったいどこから出てきたのかと振り返ってみると、目の前には両開き扉のクローゼットが鎮座している。
足場がなかったのは両開きの下が三段の引きダンスになっていて、閉まっていたからだった。
ええーーっ クローゼットの中に隠し扉?! す、すごっ!!
レミーナが目を見開いて息をのんでいると、殿下が身を乗り出してもう一度扉の中に入り、おそらく隠し通路に通じる壁を閉め、クローゼットの扉も閉じてこちらに向き直った。
「このように王宮にはいろいろな所から通る事が出来る。覚えておくといい」
「むりですっ! こんな複雑に隠された通路、覚えられませんっ」
「だな。貴女が入ったら最後、一人で出て来ることは難しそうだ」
殿下は軽く笑いながらも、からかうでもなくしごく真面目に頷いた。
「ほんとですよ……方向感覚が無い人をナメないでください……」
あんな暗い所で迷子になってじっと座っていたって、誰も助けになんかきてくれないっ。
お先真っ暗な未来しか見えなくて涙目になってしまったレミーナに、殿下の右手がぽんぽんと頭を撫でてくれる。
「わかったわかった、貴女の姿が見えなくなったらここも捜索項目に上げておくから心配するな」
「そもそも入口すらわからないからこんな所には入りませんっ」
「まぁそう思っていても不可抗力で入る場合がある。慣れも必要かもな。また機会をもうけるか」
「いやぁぁ、どうぞお気になさらずにっ」
ふるふると頭を小刻みに振って遠慮するレミーナに、わかったわかった、忘れた頃にな、といいながら殿下はレミーナをソファへと座らせた。
「さて、少しは落ち着いたか? といっても暗がりの件でそんな事も飛んでしまってそうだが」
「うう、殿下は人の心が読めるのですか? もう、なにがなんだか訳がわからないです」
殿下に会いたいとか会いたくないとか、そんな事、ぜーんぶすっとばしてレミーナは今でも殿下の腕を離せないでいる。すでに迷子になってしまったひな鳥の気分だ。
「そんな顔をしなくても今日はもうどこにも連れて行かないから安心していい。それにしても……とにかく貴女はいろんな事に慣れるのが先決だな。屋敷と離塔の往復しかしていないからこうなる。経験不足の解消が必要だ」
「殿下のおかげでずいぶんいろんな事を経験させてもらっていますっ、あとポステーラも行ってますっ」
これ以上仕事を増やされては困るとレミーナは必死に顔を横に振る。
「あれは貴女の避難場所だ。今必要なのは日常の荒波だろう?」
「うう、今度はなにさせる気ですかぁ。経験の浅い部下なのにひどい……あいかわらずの鬼教官……」
「部下の為、ではないが」
「え?」
部下でなくして、なぜこのような鬼のような仕打ちを? とレミーナは見上げると、海空色の瞳は呆れたようにこちらをみていた。
「貴女は文官以外にも肩書きを持っているだろう」
「ル、ルスティカーナ家の娘です」
「はぁ……。その伯爵令嬢に付いたもう一つ肩書きは?」
「あ、殿下の婚約者、仮、みたいな」
「……仮に隠し通路は教えないんだがな」
「へ?」
再び深いため息をついたアルフォンス殿下は、するりとレミーナの胸元から自身の腕を抜くと、今度は両手をつかってレミーナの両頬をむにーんとひっぱった。
「にゃ、にゃにしゅるんでしゅかっ」
「私を好きだと言ったのに自覚は無しか?」
「ふぇ⁈」
「王太子妃として知っておいてもらわねばならぬから教えている。それとも何か? もう気持ちがなくなったとでも?」
「そんなこと!」
いつのまにかつままれていた頬は開放され、今度は柔らかく包まれている。
冷たく見える海空の色が近い。
穏やかに凪いでいるのに、瞳の奥が揺らいでいて……熱を感じる。
というか、こんな風に見つめられるのは初めて、で。
でんか、という言葉が喉を通らない。
さりげなく顎を上げられたのに気づき、どくっと鼓動が鳴った。
ちかい。
ちかい、ちかい、ちかい!
っもしかして……!
ぎゅうっっと目をつむって近づいてくる静かな吐息に全身が震えたとき。
トン、トトンと、ドアをノックする音が聞こえた。
「チッ」
すごく間近で聞こえた鋭い舌打ちの音びくりと肩をすくめる。
「ああ、すまない、貴女のことではない」
盛大なため息が耳にかかると共に、なだめるように額に柔らかな唇の感触が当たった。
「急用の合図ときたか……クソ親父め。貴女は? 離塔に戻るのか?」
「あ、いえ、しょ、食堂に……」
耳鳴りのような動悸をどうする事もできず、レミーナはうつむき、どもりながら応える。
そうか、と殿下はくしゃりとレミーナの頭をひと撫ですると、かちこちに固まってしまった真っ赤な頬を名残惜しそうにふにふにとつまんだ。
「続きはまた今度だな」
「……ひゃ、い」
まともに声にならないレミーナに、これも慣れだ、と笑いながら告げると、控えめにドアの外から呼ぶ催促に短く応じて、今度こそ殿下は足早に部屋から去っていった。
想い人がこの場を離れてからしばらく、しばらーくしてレミーナもよれよれと部屋を出る。
周りを見渡せばそこは一階で、現在レミーナが立っている場所は目的地である食堂にも近い部屋だった。
「なんで……二階から一階にいるの……? もう、殿下、謎すぎます……!」
ほてる頬をドアにくっつけながらついつい答えをくれない殿下にやつあたりをするのだが、さすがにこれは自分でも照れかくしだと思って、こつこつと熱がおさまるまで額もくっつけてしまうのだった。
おはようございます、だいぶ朝晩が冷えてきましたね。皆さまお変わりないですか?
前回とてもいいところだったので今回がんばってみましたが、やはりどうも邪魔が入るようで( *´艸`)
あとちょっとでしたね、殿下!
さてさて、次回は食堂に参ります! レミーナの謎解き、すすみますように。
なん




