44 レミーナ
カスパル先生に背中を押されて離塔の玄関扉を開けると、ぴゅう、と冷たい風がレミーナの頬を触っていった。
「わっ、さむいっ」
慌てて肩をすくめ、綺麗にかられた芝の先にある王宮図書館の小さな扉をめざす。
走り込んで急いで扉をしめると、中は人と暖房が効いた温かさでふわりとやわらかい空気に包まれていた。
微かに香る紙の匂いと人の熱にほっとする。レミーナにとって離塔の次に安心できる場所が王宮図書館だ。いろんな人が居るが皆、調べ物や探し物をしているので動きはあるけれど静かで心が落ち着く。
殿下は、いないよね?
前にここで偶然に出会ったことを思い出してきょろきょろと見渡すが、ブリザードな気配も華やかな気配もないのでレミーナは胸に手を当てて一息ついた。
「カスパル先生には会いなさいっていわれたけれど、そうそう簡単にそんな勇気が出るはず、ないのですよ、せんせぇ」
完全なる独り言を吐き、力なく歩き出したところで、レミーナさーん! と受付から声がかかった。
「あ、はい、お届けものですか?」
もともとレミーナはカスパル先生のお使いで王宮図書館にはほぼ毎日訪れる。カスパル先生が頼んだ書籍や先生宛の手紙もここに届くので、助手であるレミーナが預かって離塔に届けるのが常だった。
レミーナが小走りに受付までかけつけると、いつも対応してくれる、おかっぱ眼鏡姿が可愛らしいブレンダさんがにこにこして待っていてくれた。
「いいえ、本日はレミーナさんに伝言を承っています。メリルさん、という方、ご存知ですか? 今日時間が合えば一緒にランチを食べたいそうです。お昼どきに食堂で待っているけれど、無理であればまた誘うから特に連絡不要だそうです」
「ありがとうございます! 先週、お約束していたのです。メリルさん早速……うれしい」
「レミーナさん、食堂で食べるようになったのです?」
「あ、いえ、たまたま誘われて」
あ、そうなのですね、とブレンダさんは少し残念そうに眉を下げたので、レミーナはどうかされました? と小さく首をかしげた。
「あ、いえー……でも……うん、やっぱり私も。レミーナさん、私も今度レミーナさんをランチに誘ってもいいですか?」
「へぇ?! ブレンダさんと?!」
「はい。レミーナさんとこうやって受付でお話するのも一年になりますし、最近のレミーナさんはいろいろと活動的になられたから慣れてこられたかな、とも思いますし。……あと、ク、クレトさまともお知りあいのようで」
にこにこしていたブレンダさんがやがてだんだんと顔を赤らめていく。ここまでくるとどんくささに定評があるレミーナでもぴんときた。
「えーっと、クレトさんもお誘いして一緒にランチですか?」
「いえいえいえいえめっそうも! そういうつもりじゃなくて、レミーナさんともうちょっと仲良くなりたくて。そのついでにクレトさまってどんな人か知りたいっていうか、なんというか」
にこにこはそのままに顔がトマトみたいにゆだってきて可愛らしい。ああ、きっと片思いなんだな、と今のレミーナは気付くことが出来た。
「はい、私でよかったらまたブレンダさんの休憩が合った時に」
「ほ、ほんとですか? とてもうれしいです!」
ブレンダさんはカウンターから身を乗り出してレミーナの手をつかみ、ぶんぶんと両手で握手してくる。
本当は聞きたいであろうクレトさんの事よりも、レミーナとのランチを優先してくれるブレンダさん。もともと気持ちよく話しかけてくれるブレンダさんに好感を持っていたので、レミーナははい、とうなずいた。
私も少しお話したい。恋って、こんなにもやもやするものなのか、ちょっと相談したいもの。
カスパル先生は背中を押してくれてありがたいけれど、このもやもやは枯れたおのこじゃ解決してくれないのだ。
ではまたお昼のシフトが空いた時にご連絡しますね! と嬉しそうに手を振ってくれるブレンダと約束をして、レミーナは図書館を出る。
「そういやクレトさん、前に図書館で見かけた時も受付の人に話しかけていたものね。でも、その時はブレンダさんじゃなかったような……」
レミーナは廊下を歩きながら記憶をたどるのだが、はっきりと覚えていなかった。
「そもそも、クレトさんは私を知ってるみたいだけど私はあまり知らないのよね、いい人なのはわかるけれど」
話し上手で女性のあしらいもスマートなクレトさんは、レミーナからみると殿下よりも話しやすくて助けてくれる存在だ。
でもドキドキはしない。逃げ出したくもならない。レミーナに胸の苦しさを刻み込むのは、一人だけだ。
「ブリザード鬼教官王子よりも素敵にみえるのにな」
クレトの方が好感が持てるのに、自分の鼓動をかき乱す人は一人しかいないというのが、レミーナには不思議だった。
私の目や身体はいつのまに変わってしまったのだろう、と、そんな事を考えながら歩いているものだから、レミーナは見たことのない廊下に出てしまった。
「あれ? 二階に上がってる……? え? 階段登ったっけ……」
きょろきょろと周りを見渡すが人が行き交う一階の喧騒はなく、廊下の窓をみれば葉が落ちきった中庭の木々の枝は細い。明らかに上層階に上がってきてしまっていた。
いけない、食堂は一階なのに、と来た道を戻ろうとしてレミーナは、ひっ! と立ち止まる。
窓越しにアルフォンス殿下の姿を見つけてしまったのだ。思わずその場でしゃがみこむ。
(わあぁぁっ 殿下っ! でもまって、しゃがみこみこんでどうするのっ)
窓のへりから頭を半分だけ出して覗くと、殿下はレミーナがいる長廊下に向かって護衛騎士と交差する廊下を歩いている。ここで固まっていても、殿下がこちらの廊下に曲がってきたらはちあわせする事になってしまう。
隠れる所はないかと探すと、うまい具合に廊下の途中に鎧姿の大きな銅像が立っていた。レミーナは見つかりませんように! と願いながら銅像の陰にしゃがんだ。
やがて靴音が聞こえてきたがこちらには来ない。どうやら廊下の端にある階段を下りていったようだ、しばらくすると二つの足音は消えていった。
レミーナはドキドキする胸を押さえて立ち上がり銅像の隙間から周りをうかがうが、廊下はしんとしていて、この場にいるのはレミーナだけだった。
レミーナは、ほぅ、と息をつき、緊張してぎゅっとこり固まっていた肩の力を抜いた。
「はぁ、いやになる。かくれても仕方ないのに……」
こつりと銅像の膝あたりに額をつけるが、鎧がなぐさめてくれるはずもなく、殿下から逃げてしまったという事実がレミーナの心にとすとすと重しをのせてくる。
「だいたい、殿下がいけないんだもの。私は告白したのにお返事もくれないし」
レミーナはゴツゴツした鎧に額を押し付けながらシワになってしまった深緑のプリーツの端をいじった。
「お休み中にこちらの様子を気にするお手紙も届かないし、今朝出勤してもうんともすんとも声もかからないしって……でも、そうだよね。今までそんなこと、私もしてない、か」
こつり、と再び銅像の硬い鎧の脚に額をくっつけようとしたら、視界が硬い手でふさがれた。
「うわっ! なに⁇」
「それはこちらの台詞だ。隠れたり、突然頭突きをしだしたり、なにをしている……」
呆れたような声が耳に届いてぶわわわっと体温が上がる。
「で、ででで殿下?! いつのまに後ろにっ?!」
「貴女がごつごつとやり出した時に。というか、大丈夫か? また調子が悪いのか」
心配そうに覗き込んでくる海空色の瞳にちかいっとのけぞると、今度は壁に頭をぶつけそうになったらしく腕を引かれて鼻から殿下の胸元に飛び込んでしまった。
「忙しいな、なにごとだ」
いや、貴方のせいですからっっ!!
ぶつけて赤くなってしまったであろう鼻を両手で隠しながらうらめしい気持ちも込めて涙目で見上げると、会いたくて会いたくない人が不思議そうにこちらを見ていた。
なんとか連休中に間に合いました。
皆さんゆるゆるしてますか? 私はごろごろしています^_^
今回、いいところで止めてしまってごめんなさい! 殿下がなぜ背後からこれたかも含めて次回なるべく早くお届けしたいと思います。殿下、リベンジなるか? こうご期待!