42 アルフォンス
室内が静かになりほどなくして小さく扉の隙間が空いた。クレトだ。
それに気づいたアルフォンスは声を出すわけにはいかず、片手を上げて入れと合図する。腕の中にいる、静かに深い呼吸を繰り返している者を起こしたくはなかった。
それを受けてクレトが怪訝そうに入室するが、動かないこちらを見て近づく許可を目線で送ってくる。アルフォンスが頷くと、何事かとすばやくソファの上から覗き込んだクレトは、すぐに力を抜いて気の抜けた声を吐いた。
「あー、寝てしまいましたか」
「大きい声をだすな、起きるだろ」
「大丈夫ですよ、だいぶお疲れのようですから。午前中は離塔での通常のお仕事、午後からはドン室長と渡り歩いて、壁の謎も解き、最後の最後で殿下のお世話もされたのですから」
「世話をしているのは私の方だ」
寝てしまったレミーナを支えているのは自分だと主張する。しかし幼い頃から容赦のないクレトは、相変わらず分かっていらっしゃらない、と目を細めて残念そうに首を軽く振った。
「あんなに暴れていた両殿下を落ち着かせて穏やかにする事ができる方なんてレミーナさま以外おりませんよ。なんですか、春ですか、レミーナさまからなに言われたのです?」
「…………なにも」
「はい、だめー。沈黙長すぎー。いいこと言われたんですよね? でもレミーナさまは泣きべそ? おっかしいなー、私が思っていた展開とちがうのですが。あ、わかったー。またレミーナさまをいじめたんでしょう」
「そんなことするかっ、私は別に……事実をいっただけだ」
「ではレミーナさまのなかでは殿下の事実とは違ったわけですね。それで泣かれたと」
「お前、覗いていたのか?」
剣呑な目でクレトを見ると、本人は軽く手を振り、やめてくださいよ、と逆にため息をつかれる。
「そんな面白いことしてもいいならとっくにしてますよ。残念ながら状況から推測しただけです」
「勝手に読むな」
「それぐらい読まなきゃ側近なんてやってられませんて。みんな言わないだけで分かっていますよ?」
「口の減らないやつ」
「殿下には私ぐらいが丁度なんですよー。だからレミーナさまなのかもしれませんね」
「クレト?」
ふざけた物言いがすっと穏やかに変わった。
「完璧冷淡な殿下に手のかかる陽だまりのようなレミーナさま。自分とは違う方向を向いている人が側にいるというのは、貴方にとってもレミーナさまにとっても良いことだと思いますけれどね。で、なんて言われたんです?」
今度は茶化す風でもなく、親身に聞いてくる。こいつのこういう所が昔から好きになれない、とアルフォンスは苦く思いながら眉を寄せた。
いろいろ軽くいなしながら最後の最後は本心を言わされる。敵ならば絶対に言わないが、最終的にこちらの事を考えて投げかけてくるので応えない訳にはいかないのだ。真では自分の事を一番に考えているのが伝わってくるからタチが悪い。
アルフォンスは今回も負けた気分になりながら仕方なくぼそりという。
「告白された」
「うわっ! 予想外っ!! やりますね、レミーナさまっ」
「シッ」
驚きをかくせないクレトにアルフォンスは鋭く注意を促す。慌てて口を塞いだクレトをにらんでから腕の中をみるが、起きる気配はなさそうだ。
ほう、と二人同時に息をはいた。
あどけない表情で小さく口を開けて寝入っているレミーナを眺めると、とても適齢期の女性とは思えない。
もともと結婚願望がないからか、少女っぽさが抜けきれていない所がちらほらと見えかくれする。
特に先ほどのように素の感情を出した時はまるで小さな女の子のようで、思わずあやすようにしてなだめてしまった。
「レミーナさまは仕事の時はきちんとしていますが、こうしている時は子供のようですねぇ」
「あまり覗くな」
「うわ、ふーん。へぇー、ほぉー」
にんまりと猫のように笑って口元に手を当てているクレトを無視してアルフォンスは指示を出す。
「裏手門に紋章なしの馬車を用意。レミーナをルスティカーナ家へ送って一時間で戻る。そのつもりで」
「わかりました。レミーナさまのお菓子は一度下げますか? 焼き菓子にしてくださっているので明日でも食べる事はできます」
「いや、戻ってから食べる。布を被せておいてくれたらいい」
「承知しました。あ、それから」
アルフォンスはそう言ってレミーナを抱えて歩きやすいように身体の位置を調整して立ち上がる。するとクレトは頷き、ちょっと失礼します、と乱れたレミーナのドレスの端を整えながら身体を寄せてささやいた。
「妃殿下から親書が届いております」
アルフォンスは歩き出そうとした身体を止め、クレトに問う。
「陛下を通したものか?」
「いえ、直接こちらに寄越したものかと。朝にはなく、自分がレミーナさまをこちらへお連れした後、自分の椅子の上に置いてあったので」
クレトのような王族に近しい側近の控え室はアルフォンスの執務室の隣に併設してあるのが常だ。レミーナを送り届けてお茶の用意をしている時に気づいたのだろう。
「椅子の上……」
「おそらくご本人かと」
アルフォンスはたまりかねて盛大なため息を出してしまった。
「ふらふらして下さるなとあれほど」
「最近だいぶ体調が戻ってきたようで。陛下もやきもきしていらっしゃるご様子です」
「あのクソ親父。じゃじゃ馬の手綱ぐらい握っていられないのか」
「ダメです、こと妃殿下がお隠れになってからはさらにダメです」
クレトは目を半眼にして小刻みに顔を横に振った。
「あと我々が作った壁の謎をレミーナさまに解るようにしむけたようです」
「なっ! せめてあれぐらい自力で解けないと意味ないだろう? どっちが仕向けた」
「実働が掃除婦なのでなんとも」
「一階は陛下の領域、女性という枠で考えるならば妃殿下、か。邪魔をするのもたいがいにしろと抗議だ」
「どちらにも、ですね。あー、文面考えるのむっちゃ難しいじゃないですかー」
「それがお前の仕事だろ。それぐらいまともに働け」
「まともに働けない仕事を回してくる人が何いってるんですか、あ、妃殿下の親書の内容、可能ならば教えてくださいよ? それもふまえて嫌味ったらしくすればいいんだ。そうすれば殿下の評価もうなぎ下がり。そうしようそうしよう」
「お前な……それとこれとは話が別だ。親書は見てから決める」
チキショー、横暴、鬼上司、給料上げろーという小言を聞き流しながら歩き出す。
まだブツブツ言っている側近にちゃんとやれよ、と念を押して部屋から出ていく所で呼び止められた。
「なんだ、文句は受け付けない」
「ちがいますよ、一応確認なんですがレミーナさまのがんばりにはお応えしたんですよね? おそらく明日もお見守りするとなると祝福のお声かけをしたいのでそれは教えておいてくださらないと」
「応える? なにをだ」
「はい? だから告白ですよ、応えたんですよね? 私もだとかそういう、ほら、歯が浮くようなやつですよ!」
「……嬉しいとは言った」
アンフォンスは振り返ってクレトに告げると、鈍色の眉がハの字にゆがんだ。
「うん? うん、まぁ、そうでしょうけれども。……大丈夫ですか? レミーナさまのようなきょろきょろと迷子になってしまうタイプはどちらかというとはっきりおっしゃって上げた方が良いように思いますが……」
めずらしく考え込むようにあごに手を当てながら腕を組んだクレトが、ふと真剣な顔をしてこちらを見た。
「ちなみに殿下、お応えしたあと、レミーナさまはなんていってました?」
「意味がわからないと言ってまた泣きだした」
アルフォンスが淡々と事実を告げると琥珀色の目がこれでもかというぐらいに見開いた。
あんぐりと口を開けたクレトを見たのは、しばらくぶりかもしれない。
クレトの肩がゆっくりと上がり、大きく息を吸う仕草を見た瞬間、アルフォンスの脳内に警鐘が鳴り響いた。
すぐさまきびすを返して足早に扉を出ると、側付きの護衛騎士にドアを閉めるよう目で告げる。
護衛騎士が条件反射のように素早く扉をしめたと同時に廊下まで響く叫びが聞こえてきた。
「……っバカですかーー!!!!」
おおう、とドアの取っ手から手を離しておののく護衛騎士に、しばらく叫んでるから本人が出てくるまで開けないように、と言い置いて歩き出す。
「……クレトの反応からすると応えになっていなかった、という事か。難しいな」
思わず呟いたとたんにクレトが文句を言ってくる顔が脳裏に浮かんだので、首をふってちらした。するとリズムよく歩いていた律動がくるったのだろう。ううん、と腕の中の宝がむずかるように首元に頭を寄せてくる。
両腕がふさがっているアルフォンスは起こさぬよう静かに、レミーナの頭に頬をよせた。
「私の気持ちは届いておらぬのかもな……またの機会だ、許せ」
おそらく聞こえてはいないであろう人の耳元に囁くと、今度はくすぐったそうに胸元に頬を寄せてきた。愛いな、と想うが声には出さず、黙ってしっかりと抱き直す。
そして頭を下げながら興味深そうにこちらを見てくる文官や侍女たちの視線を受けながら、護衛騎士の先導の元、裏手門へと急いだ。
おはようございます、朝は少し気温がおちついてきましたね。でもまだ日中は暑いくて水筒をからっぽにして帰っている日々です。
さて本日はアルフォンス視点でした。レミーナを片時も離さない殿下が私的にツボです( *´艸`)
今後ですがまたレミーナに戻って謎を解いていくのですが、九月はプチ繁忙期でして更新が不定期なっていくかもしれません。二週間は空けないようにがんばるつもりです。
来週更新できてたら心の中で小さく拍手してくださるととても嬉しいです。
ではまた近いうちお会いしましょう。
なん




