40 レミーナ
クレトに連れられて王宮の二階に上がっていくと、片側に連なっているドアの色が全てダークブラウンに変わった。
「一階と違ってだいぶ落ち着いた雰囲気ですね」
「あ、レミーナさまはこちらに上がって来られるのは初めてでしたか。そうですね、南側の王宮はアルフォンス殿下が管理されているので、殿下の好みが反映されているかもしれません。また、一階は王宮に来られる方向けになっておりますれば。お分かりになりますか?」
レミーナは一階の白亜に満ちたダンスホールや黒の飾り石が幾何学的に埋め込まれた廊下、各部屋に付けられた臙脂に金糸の刺繍をほどこした艶やかなカーテンなどを思い起こして、口元に人差し指を当てる。
「うーん、そうですね、煌びやかなイメージなので……王宮に来た方に華やかな印象を持ってもらいたい、ですか?」
「お、近いです。正確に言えば、我が国の繁栄を感じ取ってもらう為に造られています」
「それであんなに豪華なんだ……」
吹き抜けのダンスホールに初めて入った時、見上げるほどの天井から吊るされたシャンデリアの記憶が蘇る。十四だった自分はその大きさに口をぽかんと開けてパートナーの兄にたしなめられたのだった、とレミーナは深く頷く。
「こちらは主に実務を担う部署が連なっていますからすっきりしてますね。あ、こちらの角の部屋が殿下の執務室、なのですが……あー、まずいかもしれません」
「ふぁい?」
天井近くまである大きな開き扉の両脇にいる護衛騎士の顔を見てクレトは頬をかいた。
「中はどうも寒そうです。あ」
バタンと扉が内側から開いて一人の文官が出てくると扉をすぐまた急いで閉めた。
文官はドアの取っ手を掴んだまま肩で息をしている。
「あー、すみません、うちの殿下が」
クレトが申し訳なさそうに声をかけると文官はガバリ振り向いた。
「ほ、本日の殿下のご機嫌はツンドラ山脈の永久凍土です! 陛下の書簡を置きにくるだけでこの寒さだと死んでしまいますぞ! 陛下にご報告します!」
そう悲鳴のような声を上げてまくしたてると、寒そうに腕をさすりながら去っていく。
「い、いいんですか、報告とかなんとか」
「あー、大丈夫です、陛下からの書簡だから機嫌が悪くなったと思いますので」
レミーナは文官のものすごい捨てゼリフに心配になりながらクレトを見上げると、クレトは気にする様子もなく肩を軽く上げてそう言った。
「でもこのタイミングでレミーナさまに来て頂けてよかった。殿下の永久凍土は歩ける山道に早変わり」
「んん? クレトさん?」
「本日のお菓子はレミーナさまの手作り、さらには春の陽だまりも共にありますから。どちらの殿下も夕方からの仕事ははかどるはず。おっと、独り言が多すぎましたね、さささ、レミーナさま、入りましょう」
そう背中をうながされて扉を開けてもらうと、北の土地に足を踏み入れたようなヒヤリとする空気がほほを撫でた。
広く間をとった先にこげ茶色のどっしりとした机があり、その先でアルフォンス殿下が何か書簡にサインをしている。が、その背中からひんやりとした空気が漂ってきているような幻がみえてレミーナは目をぱちぱちと瞬かせた。
ドアが開かれたのに殿下は顔を上げないので、話しかけていいものかと隣にいるクレトを見上げると、にっこり笑って口を結んだ前で人差し指を一本立てていた。
レミーナは黙ってうなずくと、クレトにうながされて右手にあるソファのローテーブルに作ってきたお菓子を置き、紅茶を入れようとかがんだ身体を起こしたとたん、チッという鋭い舌打ちが執務机の方から聞こえた。
「またボイコットか、いい加減にしろっ! 今日中に終わらせないと明日は顔をみる時間もないぞ!」
なにごと?! とレミーナは殿下の方をみると、殿下は暴れようとしている右手殿下の手首を左手で机に押さえつけていた。
右手殿下はバンバンと机を叩いて、手首を離そうとしているのだが、やがで人差し指をレミーナの方にむけて指している。
あっ、右手殿下、私が来たことに気づいてくれたんだ!
レミーナはうれしくて執務机に駆け寄ると、じろりと殿下に睨まれた。見たことのない鋭い視線にレミーナは思わず足を止める。
「まだ執務中だ。だれに許可を取って入室した」
「す、すみません……」
「私ですよ。なんですか、自分でレミーナさまの様子を見に送っておきながらレミーナさまが来てくださったらそんな顔。嫌われますよ?」
「離塔に送り届けたら戻ってこいといっただろ」
「ええ、無事送り届けてレミーナさまのお菓子を持って帰ってきました。本人付きですよ? 感謝してほしいぐらいですが?」
「本人は必要ないだろう、仕事が」
「……バカですか」
ドキッとした。
必要ないといわれて、思わず顔を伏せる。
やっぱり、やっぱり殿下にとって私は。
殿下とクレトが言い合っているけれど全然耳に入ってこない。
どくりどくりと何かが流れ出てしまっている心臓の音だけ聞こえる。
レミーナは胸元で握っていた両手を強く結ぶと、口の端、上がれと祈って顔を上げた。
「すみません、お仕事の邪魔をしてしまったみたいですね」
レミーナの声にはっとしたように二人がこちらを向いた。
「えっと……お約束のお菓子をお待ちしました。お仕事のキリがついた所でよかったらどうぞ。では、私はこれで失礼します、ね」
目をみて言うことができない。
殿下の襟元に話しかけて、最後は声が震えそうになってしまった。
すぐに背を向けて歩き出す。
ガタリと後ろで音が鳴ったような気がしたけれど、レミーナはこの場から離れたくてドアノブに手をかけた。とその時、右手を掴まれて、身体がくんっと後ろへ引き戻される。
「まて、話を聞けっ」
「……っ、お、お菓子をもってきただけのただの文官にっ、まだなにか、ようがあるっ……んですかっ」
泣いたらダメ、泣いたらダメ、と歯をくいしばりながら話すので上手く喋れない。
こんな状態の部下をつかまえて離さないなんて、ひどい上司ですっ 鬼殿下!
ばかばか、たこたこっ と心の中で思いつくままに文句をいって必死で耐えていると、くるりと正面を向かされた。
くいっと頬を両手で包まれるのだが、絶対顔をみないと決めてレミーナは横目をそらす。
「まず許可なしに入ってくるな。護衛が開けたとしてもドアにノックをする事。二回だ」
叱るような声なのに、頬を撫でる手がやさしいのやめて。目元をくいっとぬぐってくれるの、やめてよ、何もでてないってば。
「本人は必要ないと言ったのは貴女も仕事中だからだ、やらなければならない事があるだろう? 用が済んだらすぐに戻るんだ」
諭すように言いながら頭をぽんぽんしないで。やさしく抱きしめないでっ、なんなの? なんなの……ばかぁっ!
レミーナがおそるおそる殿下の胴まわりに腕を伸ばすと、ぽんぽんしていた右手が頭の後ろを撫でてくれて殿下の胸に顔を埋めるように押してくれた。殿下の左腕は、腰をしっかり支えてくれている。
「はぁ、お言葉と行動がうらはらですよ、殿下」
「うるさい、お前は茶の準備でもしてこい」
クレトの声にレミーナはぎくりと身体を震わすが、殿下の左腕は動かないし右手はなだめるように頭を撫でてくる。
「はいはい。あまりレミーナさまをいじめないでくださいね、殿下」
「そんな事するか」
「してるから言っているのです。とにかくお二人、しっかり話し合って下さい。レミーナさまも、ね」
クレトは普通に話しかけてくれるが、レミーナはこの状態でクレトの方に向く訳にもいかず、小さな声でふぁい、と応える。
殿下に真意を聞くの、今は無理ですっ、と心の中で叫ぶのだがもちろん声にもならず。
恥ずかしさともう少しだけこのままでいたいのとのせめぎ合いで結局、殿下の腕の中でふるふると震えているのであった。
少し早めに、と言いながら一週間はかかってしまいました。ドン亀ですね……。
でも久しぶりに殿下を書けて嬉しかったです( *´艸`) レミーナの腕を掴んだのはどちらか? 正解は殿下にきいてみないと、ですね! 楽しんで頂けますように。
なん




