3 レミーナとカスパル先生
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「やぁ、きよったな、王太子妃候補者どの」
「やめてください、カスパル先生っ、私は承知していませんって!」
離塔にある古い石階段を登って木目調の大きな扉を開いたら、耳なじんだしゃがれ声が飛んできた。
レミーナも負けじと歩きながら、本棚に向かってくってかかると、ふぉっふぉっふぉっ、と耳慣れた笑いが部屋に響いた。
やがて、書庫に沿って長く取ってある階段の下から、とことことローブ姿の老師がこちらへ歩いてきた。
もう! おこりますよ! とレミーナはぷんぷんしながらも、やっとたどり着いた職場に心底ほっとする。
採光の為に格子状に配列されている天窓から差し込む光は柔らかく、嗅ぎなれた紙の匂いと涼やかな塔内の空気に、レミーナは自然と深呼吸した。
この仕事場にこられたのも実に三日ぶりだった。本当は昨日から出勤するはずだったのに、まだ体調が戻ってなさそうだからと部屋から出してもらえなかったのだ。
そんなレミーナをみて、ふぉっふぉっふぉっ、と顔の半分を占めているんじゃないかと思うくらい大きな口と眼をくしゃくしゃにしてカスパル先生は笑った。
レミーナはぷんすかとむくれて、笑い事じゃないですよと両腕を振った。
「屋敷に帰してもらえなかったんですよ? いつのまにか看病してくれていた母も帰らされているし、私は覚えがないのに婚約者だって王宮に通達してしまったからですって! ひどくないですか?!」
「ふぉふぉ、何か事情がありそうだのぃ」
先生はにんまりと頷きながら持っていた分厚い本を閉じると、ゆっくりと塔内の西にある窓際の机へ歩いていった。
「レミーナ嬢、今日はミントティーが良さそうじゃの」
「はいはい、私の愚痴を聞くには鼻すーすーのミントティで気を紛らわさなきゃってことですよね、ふんだ!」
「はいは一回じゃよ」
「ふぁい」
このぷんぷんをどうしたらいいのかと肩をぎゅっと上げながら小さなキッチンへ向かうと、もうすでにやかんに火がかかっていた。
レミーナの現状が耳に入っていたのだろう。すぐに仕事には取りかかれないと思ってカスパル先生が先にかけてくれたんだと思うと今度はじんわりとお腹が温かくなった。
「……はぁ、もー、先生にはかなわないな」
そんな憎まれ口を叩きながらも気を良くしたレミーナは、波立った心が鎮まるのをまってキッチンの上にある引き戸を開けた。
何種類もある蓋つきの缶から緑葉のカラーの物を選び、二さじガラスのポットにいれる。
しっかりと湯気が立つのを待って、飛び跳ねそうに沸き切っているお湯を注ぎ、ミントの茶葉がポットの中でくるくると踊るのを待ってからポットカバーをかぶせた。
余ったお湯を二人分のカップにそそぎ温める。
お茶受けのクッキーは先生の分だけにした。レミーナはまだ食欲が出ないのだ。
木のお盆にのせてカスパル先生の元へと戻りサーブして自分も先生の向かいの椅子に座って一口飲むと、ミントの香りに多少は癒されながらそれでもやっぱり盛大なため息を吐いてしまった。
「先生、愚痴だと分かっているかもしれませんが聞いて下さいっ。もう、吐かないと無理!」
「ふぉっふぉっ! 承知じゃ、吐けばよい」
カスパル先生は大きなこげ茶色の目を器用にぱちんとウインクしてレミーナをうながしてくれた。
「ここに来るのだってなんやかや延ばされそうになったのです。仕事なのに。だから強く言って制服をかっぱらって来たんです。 アルフォンス殿下も王宮の人達も私の言うことにのらりくらりとして……耳を傾けてくれないのです。すごくいや」
「ふむ、アルフォンス殿下とは頻回にお会いしているのかね?」
「毎朝会ってますよっ」
「ほおぉっ」
顔からこぼれ落ちそうに眼を見開いたカスパル先生にレミーナの方が驚く。
「ど、どうしたんですか、先生」
「あの坊……いや殿下がそんなにレミーナ嬢へ時間を割くとは思わんでなぁ。ふぅん」
「ふぅんじゃないですよ、暇なんですか? 王太子殿下って」
「暇な訳なかろうて。未来の王太子妃のご機嫌をうかがっているのじゃろう」
開かれた目を糸のように細めるとふぉっふぉっと先生は笑った。
「そんな雰囲気じゃないですけれどね」
レミーナはぽそりと呟くと、ミントティーをゆっくりと口に含む。爽やかな若草の香りが鼻をくすぐる。先程はそんな香りも楽しめなかったけれど、先生に吐いたことで少しだけ頭の中もすっきりした気分になった。
「まぁ、おまえさんがアルフォンス殿下に気がないからのぅ」
「それもそうですけれど、なにか違う気がする」
「というと?」
「アルフォンス殿下も別に私のことを好きじゃないと思うんですよね」
「ふぉっふぉっふぉっ!」
カスパル先生はカップをガチャガチャと置くと腹を抱えて笑いだした。
「先生、失礼!!」
「ふぉっふぉっ! 年寄りを笑い死にさせる気かねっ、おまえさん!」
先生は涙まで出てきたまなじりを骨ばった指で拭きながら、小さな身体を起こしてレミーナをみた。
「政略的にみてお前さんを選んだんじゃ、そこに愛だの恋だのはカケラもないじゃろうて。ましてやあの王子であればの」
「じゃあなおさら私じゃなくてもいいじゃないですか!」
「ふむ、確かに」
レミーナの生家であるルスティカーナ家は王国に古くからある由緒正しき伯爵家ではあったが、別段とくに取り立ててそれ以外特徴はない家だ。
父は近衛を取りまとめている武官ではあるが政治の中枢にいる訳でもなく、母方の血筋に王家筋の血が入っていない。
王太子殿下の婚約者候補にふさわしい宰相の娘とか将軍の娘とか、国内で見つからなかったら隣国の王女さまとか、選択肢は無限にあるはずなのだ。
「今まで殿下からアプローチがあったとも聞いてないからのぉ。殿下が凡庸なおまえさんを突然見初めたとは考えづらい。これは何か考えがあってのことだわぃ」
「先生、なにげに失礼っ!」
ずいぶんな言われようだが、レミーナはぷん、と横を向きながらも否定しなかった。
自分の容姿はザ・ふつう、なのだ。
誰がみても。
ルイビス王国の通りを歩けば、三人に一人は見かけるという平凡なアーモンド色の髪。
母のようなサラサラストレートならまだしも、父親のくせ毛をもらってあっちにぴょん、こっちにぴょんと跳ねる髪質。
文官に似つかわしいお団子にすることも出来ず、後ろで一つに縛るのが精一杯。
褒めるところなんかなくて唯一、瞳の色は綺麗な若草色ね、とは言われるが。それ以外の言葉を贈ってもらったことはない。
そんなレミーナが着飾った美男美女がそろったあの舞踏会で見れたものではなかったはずだ。そもそもどんな格好をしていたかもレミーナは覚えていない。
「そうだった、先生にあったら相談したい事があったんだった。実は記憶がなくて」
「ふぉい?」
「アプローチもなにも、殿下と舞踏会でお話しした記憶がないんです」
「ほ、ほう」
もぐもぐと口に含んでいたクッキーを食べたカスパル先生は顎に手をやった。
「いつからじゃ?」
「舞踏会の当日、午後からの記憶がありません。気がついたらベッドに寝かされていて、母が心配そうにみていました」
「それからずっと王宮にいるのじゃな?」
「ええ」
「ふむ、これは臭うの」
「え? なにも臭わないですけど……はっ、まさか私、火を消し忘れました?!」
「はぁ、いろんな意味でおまえさんが王太子妃候補者とは思いたくないのぉ」
「先生! さすがに一時間のうちで三回も失礼ですって言わせないでくださいっ!」
そうキャンキャンと吠えなさんな、とカスパル先生は鼻にしわを寄せてしかめっ面を見せると、細い人差し指を一本立てて、二重三重と横じわがはいっている額に当てた。
「昨日、近衛がいつになくバタバタとしておってな。ここからでも様子が分かるぐらいに」
離塔と言われているこの場所は王宮の北東に位置しており、夜などはこちらの灯りを消してしまうと王宮の窓から人が動いている様子を見ることが出来るらしい。
顔まではっきりと分からないが、人がどのように動いているかを脳内で想像するのが何よりの楽しみでのぃ、とカスパル先生はにやりと悪い顔をしていった。
「王宮内で何かあったには間違いない。そこら辺、王太子殿下につついてみたらどうじゃ?」