38 レミーナ
妃殿下は変わらなくお部屋にいらっしゃる、でも姿は見えない。
小春日のような柔らかい日差しが手前の部屋から差し込んでいてとても気持ちのいい午後なのに、レミーナの心中は穏やかになれない。
いろいろな可能性を秘めている情報に、レミーナは唇に人差し指を当てたまま黙ってしまった。そんな自分とは裏腹に、メリルは立派な腰に手を当てて軽く肩をすくめる。
「まぁ、そろそろ出てきてもらわないと妃殿下のお仕事に支障が出るって妃殿下付きの侍女の方々がぼやいてたから、その内ひょっこり出てきてくれるんじゃないの〜 っていう話に私らの中ではなってますけれどね〜」
そ、そんな軽い感じでいいの? 仮にも妃殿下、我が国の王妃さまなのに?!
文官ではありえない気安い物言いにさらに動揺してレミーナは目を白黒させてしまう。
下働きの人たちにとって王族は近くにいるようで軽口も言える遠い存在なのだろうか。
なんとなくまた違った世界を見たような気がして、レミーナは心に留めた。
「あの、他に何か妃殿下の事で知ってること、ありますか? 私、妃殿下をお探ししているのですがなんというか人となりも何も存じ上げなくて」
「さぁ、私もただの掃除婦ですからね〜 同僚から聞く愚痴でしか知らないけれど。でも、けっこう変わった方みたい」
「変わった?」
「ええ、ふらっと居なくなるなんてしょっちゅうらしいですよ〜」
「ひ、ひえぇ?!」
そ、それはまずいんじゃない?! もしかしてじゃじゃ馬系なの??
美しい白金の髪を結い上げ淑女然としていた舞踏会でお会いした姿からは想像もできない。
そんな事はカスパル先生も言っていなかったから、もしかしたら本当に近くにいる人にしか見せていない姿なのかも。
今日偶然出会えたこのメリルというメイドとまたお話したい、とレミーナは思った。
彼女から伝え聞く妃殿下の普段の様子から、謎は解けるかもしれない。
誘拐というよりも自らお姿を消しているかも。でも……。
レミーナの脳裏によぎるのは倒れた妃殿下の姿。
「えーっと、えーっと、すみません、近い内にまたお話しを聞かせてもらえますか? ちょっとほんとに心配で、無事を確かめたいのです。私の身分は文官だから直接お会いする事もできないし。ご飯は食べてるのはよかったと思うけれど、お姿が見えないのが気になります」
レミーナが最後に妃殿下を見た姿は倒れて引きずられていた。その後どうなっているのか、やはり直接姿を見ない事には安心は出来ない。
「ええ、私は別にいいですけれど〜、冬の間はこの部屋に来てもらえればこの時間なら居ますよ〜、あとお昼は食堂にいますしね〜」
「あ、そうか。皆さんは食堂ですよね、私はいつもお弁当を食べているからお会いできていなかったんだ」
「へぇ、倹約家なんですね〜」
「あ、いえ、そういう訳では……そっか」
人と接するのを無意識に避けていたから、シェフが気をつかって持たせてくれていたのかもしれない。
そのようにシェフに指示していたのは紛れもなくレミーナの父か母で。
もしかしたらカスパル先生にも様子を聞いていた? ドン室長も父さまの事、ご存知だった。
一人で生きていくとか、一人前に文官になったつもりでいたのに、どれだけ守られてたのだろう。
レミーナはきゅうっと口元を引き締めた。
「あの、あの、今度お昼をご一緒しても……?」
「ええ、もちろん! こんな可愛らしい文官さんとお知り合いになれるなんて友だちに自慢しちゃいますよ〜。妃殿下付きの同僚にも会えるといいんだけど。一応伝えておきますね〜」
「あっ、ありがとうございますっ!!」
レミーナは思わず立ち上がって頭を下げると、そんな、大げさですよ〜、とメリルは顔の前で手を振った。
じゃあ、一緒に食べれそうな時は連絡します、とメリルにいうと、だいたい食堂で食べているから直接来てくれたらいいとの事だった。
「わかりました、近々お邪魔します!」
「ぜひぜひ〜 今日は手伝ってくださってありがとうございました〜」
また会う約束をし、次の部屋を掃除にいくというメリルと別れる。
レミーナは少し考えたい事があるので、とこの場に留まった。
メリルが部屋から出ていくのを見計らって、レミーナは改めてこの隠し部屋を見渡す。
ソファ、天蓋付きのベッド、窓の近くに備えられた花瓶を置く為のテーブル。
小休止できるように整えられている特に変わりない部屋。
「わざわざ壁を作る必要があるとも思えないんだけどな」
もう一度見てまわるのだけれど、特筆してなにがあるというのでもない。
「この部屋はどういう部屋なんだろう。引きずられていった妃殿下を隠す為の部屋? でも人が住んでいるという気配はないよね」
窓側の花瓶は拭き清められて埃はないものの、肝心の花がない。
一、二泊でも人が留まるならばクローゼットがわりのチェストがあってもいいのに無い。
妃殿下が居たという痕跡さえも見つからない。壁を上下に動かせるという事が分かっても、その先にまた謎がぶつかる。
「そもそも妃殿下が倒れた後の動きを知らないの、きびしい。私も倒れちゃったんだもの」
背後から迫られた恐怖を思い出してレミーナは身震いする。
あれはアルフォンス殿下だって今は分かるから大丈夫だけれど、若干トラウマになっているのだ。
「殿下のばか。怖かったんだからね」
誰もいないことをいいことにこっそり本音をいいながら、鳥肌が立ってしまった腕をさすった。
「あの後、倒れてしまった妃殿下をきっと安全な場所に移動したはず。どうやって移動したのかと、そもそも倒れた原因をつきとめないと」
本来なら護衛兵士を呼んで事に当たるのだと思う。でも殿下の中でそれをしなかった要因がきっとある。騒がれたくない理由が。
レミーナに関しても、アルフォンス殿下はこの件を極秘にしたくて薬を飲ませたのだ。とっさの処置をして、レミーナを仮の婚約者としてしばらく様子を見ていたのだろう。
そこまでして隠す謎に迫るという事に、レミーナは深い息を吐く。
「この謎にせまるということは、王宮に深く関わっていくことになるという事。ちゃんと、その覚悟、ある? レミーナ」
言葉にしてみると揺れる。
ただの伯爵令嬢の身で、ただの文官の身で、私になにができるんだろう?
アルフォンス殿下の婚約者と言われても仮の姿だ。そんな私になにができる?
それに。
「もしかして、この謎を解いた時には殿下との関係も、終わる?」
ドキン、と心臓が重く鳴った。
たくさんある可能性の中で見つけてしまった一つの事柄にレミーナは固まる。
どうしよう……どうしよう……。
一瞬にして頭の中が真っ白になっていく。
どくどくという心臓の音だけが聞こえ、息苦しさに思わず胸元のリボンをぐしゃりと掴んでしまった、その時。
コンコン、と軽いノックと共にドアが開かれた。
「そろそろお茶の時間ですよ、レミーナさま」
「クレト、さん」
トレイを持って佇んでいた細身の青年が、失礼しますね、と軽く会釈して入ってくる。
歓談の部屋のローテーブルにトレイを置くと、動けないでいるレミーナの側に来てそっと手をとった。
「お仕事の最中だとは思いますが、休憩もしないと身体にわるいですよ。殿下が心配して行け行けいうので、申し訳ないのですが自分とご相伴願えませんか?」
「殿下が? 私を心配?」
「ええ、もうね。ぎりぎり歯ぎしりして仕事が手につかないし、右手の殿下もペンを放り出して抗議するしで執務室で大暴……げふんげふん、とにかく休憩、休憩は大事です、さ、こちらへ」
クレトはにっこり微笑むとレミーナをソファに促し、それぞれのカップに紅茶を入れるとサーブしてくれた。




