2 レミーナ
翌朝、寝起きが悪かったレミーナを、母がゆすって起こしてくれた。
そのタイミングで扉から声がかけられ、侍女達がしずしずと部屋へ入ってくる。
母は、まぁまぁ、ありがとう、こんな急なことなのに、と侍女たちに応じている。
うすぼんやりとした意識のなかで聴こえてくるのは、少し困惑したような声だ。
え? あら、まぁ、ええ、ええと、大丈夫、かしら……と言うのをベッドから気だるげに起き上がって聞いた。
ありがとうで大丈夫って……?
掛布をはぐのもおっくうにぼんやりとしていると、侍女たちはこちらへ進み出て、手を差し伸べて起こしてくれた。
こちらへ、とレミーナをベッドからドレスルームへと導き、水色の仕立ての良いドレスを着せてくれる。
まだしっかりと覚醒していない状態で鏡台に座らされ、あっという間に栗色の髪をハーフアップに。
そして見るからに高級そうなクリームをおしげもなく顔に塗りたくられ、軽く薄化粧をされる。
でも鏡の中からこちらを見ている不安そうな若草色の目の顔は平々凡々。顔色も良くなく、キラキラを装っても綺麗にはなれないのだな、と姿見が教えてくれる。
かしずいて働いていらっしゃる侍女さんたちの方がよっぽど美人だ。
「こちらへどうぞ」
どんよりとした気分でドレスルームを出ると寝室と続きの間になっている隣室に誘導された。
ベランダへと続く大きな窓から朝陽が差し込んでいて、眩しさに目をぱちぱちとさせていると、おはよう、と声をかけられた。
「は、う、おは、おはようございま、す」
な、なんでここに……。
窓際のテーブルには朝食の用意が二人分なされ、なんとアルフォンス王太子殿下が脚を組んでこちらを見ていた。
侍従にエスコートされ湯気の立つ紅茶が手元に届くまでぽかんと口を開けていたレミーナを、アルフォンスは面白そうに眺めて海空色の目を細めた。
「体調はどう? レミーナ嬢」
「は、はい、なんとか起きました」
「寝不足のようだね、まだぼんやりとして。とりあえず紅茶でも飲もうか」
「う、はい。あ、あの、母は……?」
なぜ朝一番にこんな緊張する相手と食事をとらなければならないんだろう?
自分の記憶が確かならば殿下とお話しするのはこの場が二回目だ。気軽に朝食を取る間柄でもないのに!
ははー! お助けの母はどこ?!
きょろきょろとひな鳥のように母を探すレミーナに、アルフォンスは安心させるようににこりと笑った。
「ああ、少しだけ二人で話をしたくて。承諾を得て遠慮してもらったんだ、別の場所でゆっくり食べてもらっているから心配しなくてもいい」
いやいや、二人で話す必要はないと思う! えーっと、ともかく早く食べよう、とっとと食べてお暇しよう。ごちそうさまをしてお家に帰ろう。
そうは思っても身体がだるくてなかなか思うように動かない。レミーナはのろのろとカップを上げると、一口、二口飲んですぐに腕を下ろしてしまった。
「……まだ身体がつらそうだな、この中で食べられそうなのはどれ?」
「ええっと……スープとパンぐらい、です」
レミーナは綺麗に並べられた色とりどりのお皿を見ながら、申し訳ないと思いながらも正直に答えた。アルフォンスは頷くと向かい合わせに座っていた椅子をレミーナの近くに寄せてスープ皿を持った。
この人はなにをやっているだろう……え、スプーンが目の前にきた……?
「で、でんか?」
「腕を上げるのも辛いのだろう? どうぞ」
「い、いや、自分で食べられます」
「婚約者同士はこうやって食べさせ合うらしい。ひとまず食べづらそうなので今日は貴女だけで」
アルフォンスはにこりと笑うとレミーナの口元にスプーンを寄せてきた。
こっ、これは口に含まないと収められない感じ? は、恥ずかしいんだけど!
そろりと周りを伺うと壁に控えている侍女たちは目を伏せており、扉近くに佇んでいる殿下の護衛騎士は目線を上げて見ないようにしてくれている。
なんという羞恥プレイっ!!
ぱぁっと顔に熱が上がってきたのに気がついて断ろうと口を開けたら間髪いれずにスプーンが入ってきた。
「うむっ……」
「まだ熱があるといけないので、少し喉ごしのよい冷製スープをオーダーしたのだが、大丈夫そうだね」
「あ、おい、おいひいです」
「ではもう少し。はい」
「あの、じぶんで……うむっ……たべ……うむむ……でん……うむうむ」
口を開けばほいほいとリズムよく入ってくるスプーンに乗せられて、アルフォンスに食べさせてもらいながらスープを最後まで飲んでしまった。
「で、殿下、ありがとうございます。パンは、パンは自分で食べますっ」
「そうか?」
スープが尽きたところを見計らってナフキンで口元をガードしながらやっとそう言うと、アルフォンスは残念そうに手を下ろした。
それでも座る位置は元に戻さず、食事をするにはかなりの至近距離で朝食を共にすることになった。
冷たいスープと度肝をぬかれる殿下の行動のおかげでレミーナの頭もはっきりとし、パンを食べて人心地つくと居住まいを正した。
「殿下、昨日は助けて頂いたようでありがとうございました」
「話をしていたら急に倒れられたので驚いたよ。フローラ殿から少し記憶が曖昧だと聞いたのだが?」
「ええ、実は午前中までの記憶しかなくて」
レミーナは自分の中では舞踏会に行く予定で、その後の記憶がすっぱりと無くなり突然王宮の中にいて寝台で寝ていた、とアルフォンスに答えた。
「では、私と話した事も覚えがない?」
「はい、私の中で殿下はバルコニーから手を振ってくださる遠い存在です」
「なんと……」
アルフォンスは海空色の瞳を見開くと、形の良い唇に拳を当てて考え込んだ。
しばらくしてアルフォンスもレミーナに身体を正面にむけ、落ち着いて聞くように、と言った。
「レミーナ嬢、昨晩、あなたと私は二人で話し合う機会に恵まれた。……正直に打ち明けると個室で話し合いたいと思うぐらいに親密になった」
「うそです」
「本当」
「ありえません」
「信じられないかもしれないが本当だ」
「ありえないわ、だってっ……」
そもそも結婚願望のないレミーナ。王太子殿下に見初めてもらおうとおもって舞踏会に出席した訳ではないのだ。
父母との約束を果たしただけなのに、どうしてこんなことに、とふるふると首を横にふる。
「私はもし殿下からそのような申し出を受けたとしてもいやですと言ったはずです」
「確かに」
「え? 言ったんですか?」
「……確かに言っていたね」
アルフォンスは思い出したようにくくっとなぜか顔を背けて笑った。ゴホン、と扉の護衛騎士が咳払いをしている。アルフォンスは少しの間、肩を震わせていたが、失礼、と軽く手を上げて紅茶を一口飲むと、ふっと微笑みを作ってこちらを見た。
「貴女は確かにそういったが、私が説得して婚約者になって欲しい旨を伝えると、頷いてくれた」
「うそっ!」
「本当だと言っても、記憶にないのならば仕方ないね。思い出すまでしばらく王宮に居ればいい。ルスティカーナ家にはそのように伝達しておくから」
「ま、待ってください! 私、明日から出仕しなければなりませんし、制服も何もかも屋敷にありますし、帰りた……」
「文官の制服ならこちらにもあるよ。他に必要なものは侍女にいっておいて。ああ、仕事は書類整理と聞いているから文机が必要だね、今日の内にこの部屋へ入れておくよ」
アルフォンスはそう言って後ろを伺うと、侍女が一人、頭を下げて部屋から出ていった。
レミーナは待って待ってと首を横にふる。
「殿下、待ってくださいっ」
「いや、実は待てなくて」
アルフォンスは申し訳なさそうに形の良い眉を下げた。
「まだ公にしていないが王宮内にはあなたを婚約者に決めたと通達してしまった。だから、しばらくこちらに居てもらわなくてはならないんだ」
「そんなっ」
「私もあなたが覚えていなくて残念だけど……これを機会に少しずつ、お互いを知っていけるといいね」
そう言うとアルフォンスは海空色の目を柔らかく細めて笑った。
まって、昨日何があったの? 私が承諾したの? 全然覚えていないよ?
そもそもこんなイケメンさんにプロポーズされたらうっかりウンと言いたくなるかもしれないけれど、まったまった! そんな風に言われる顔じゃないでしょ、自分!
「殿下……なにかの間違いですよね?」
「いや、間違いには、できないね。あなたを選んだから」
なんでこの人こんなに穏やかな物言いなのに有無をいわさない感じで……え? まったまった、大事なことを忘れていましたよ?
「殿下、わたし、伯爵令嬢ですよ?」
「ルスティカーナ家のね、承知している」
「身分的にありえなくないですか?」
「恋愛結婚だから、私の一存で、とそう押すよ」
「いやむりむりむり、だって、殿下と私ってそういう仲じゃないですよね?」
「そういう仲になってるとしたら?」
はい? なにその謎めいた言葉。
なってるもなにも、そんな事なんて。
「昨日一晩でそういう仲になることもありえなくもない、とは思わない?」
「思いませんっ!」
ぶはっ
レミーナが間髪いれずにそう叫ぶと、アルフォンス殿下はとりつくろった顔をくしゃくしゃとくずして笑った。
「いや、ほんとはっきりと言うね」
「大事なことですから」
「そう、昨日もそう言っていた。面白いよね」
全然記憶にない、昨日の私はなにをこの方としゃべったのだろう?
でもその弾けるような笑いは見たことがある気がして、レミーナは正直にむう、と眉をハの字に寄せたので、アルフォンスをさらに笑わせたのだった。
本日の投稿はここまでです。
また明日。