28 レミーナ
王立図書館を抜けて右へ左へとアルフォンス殿下の思うままに歩かされていると、急に視界が開けて緑が見えてきた。
渡り廊下から中庭に入った殿下は小さなベンチと丸テーブルのある四阿にくると、レミーナを座らせ自身もどかりと座った。
「殿下、お疲れですね」
「ああ、こうも予定外の事がおこるとね」
「それは……すみません」
本当は仕事に戻りたいのだろう。自分と図書館で出会ったが為に、ここに来る羽目になったことをレミーナは素直に謝った。
これでも文官のはしくれ。階級的にはだいぶ遠い上司だが、仕事の邪魔をしているのは忍びない。
しゅん、と肩を落としたレミーナに、殿下は、いや、と背もたれに寄りかかっていた身体を起こす。
「貴女との時間だけではないんだ。とにかく考えなければいけない事が多すぎる。それに……どうも貴女の前だと取りつくろえないようだな。謝らなくていい。こちらの事情だ」
普段ご令嬢の前でこんな姿はみせないのだが、と呟く殿下に、レミーナはそれならよかった、と安心してふんわり笑う。
「殿下、私の前だと最初からそんな感じでしたよ? おこったり笑ったり」
「へえ」
殿下は少しだけ海空色の眼を見開いてレミーナの話をうながす。
「たぶん、私は文官ですし、殿下の直属ではないですが部下のようなものですし、こんな言葉使いですし」
「確かに気安い」
「だから殿下も少し肩の力が抜けるんじゃないかな、ご令嬢と話されるときはちゃんと王子っぽくなると思いますよ? 先ほどの図書館での殿下もすごく王太子さまって感じでしたから、大丈夫です」
そんな話をしているうちに、侍女たちがすすすと近づいてきて、テーブルの上に紅茶の用意とレミーナの作ってきたお菓子を皿にのせて用意してくれた。
「あっ、もしかして離塔まで取りにいって下さったのですか? ありがとうございます」
レミーナが侍女たちに声をかけ礼をすると、侍女たちは頬を赤らめて静かに頭を下げると離れていった。
それを見送った殿下は腕を組み、片方の手で顎をさわりながらふぅんと呟く。
「貴女の気安さも、あながち悪いわけではないのだな」
「んー……場所によってはダメなのは自分でも分かっているのですよ?」
「気づいているのか」
殿下が手を止めて驚いた顔をするので、レミーナは心外です、と少しだけ肩をすくめながら侍女が入れてくれた紅茶を一口飲む。
「舞踏会や高貴な人を招いた公の場ではそぐわないですし、目上の人と話すときも気をつけなきゃ、とは思っています」
「……私は貴女より年上だし、要人の筆頭に近い立場の人間だが?」
「うーん、そうなんですけれどね」
レミーナは若草色の瞳を殿下から少しだけそらして首を横に向ける。
殿下はルイビス王国王太子アルフォンス・ファレーロ殿下であり、仮の婚約者であり、少しばかりではなく、気になる存在。
今までのことが頭によぎり、いろんな場面が浮かんでくるのだけれど、それを今の殿下に伝えるすべがなかった。
今の殿下との関係は、グレイの森からなのだ。
「なんていったらいいか。殿下は殿下ですから」
うまく言えなくて口についた言葉は、前の殿下も今の殿下も大切にしたい、という想いだった。
あー……まずい。
殿下に会うとまずい。
カスパル先生の前ではごまかした気持ちが動悸となって色づいてくる。
「耳が赤い」
「……っ! そういう事いわないでくださいっ」
「ふぅん」
「やめてそのわかったような顔っ、ダメっ 見ないでくださいっ」
レミーナは顔の前で腕を交差させて海空色のからかう目線を遮断する。
たすけて、右手の殿下!
レミーナは殿下の顔を見ないようにしながらテーブルの上に乗っている右手をちらりと見るが、全然動く気配もなかった。
うううっ 絶対、どっちの殿下も面白がってるっ!!
とりあえずこのなんとも言えない空気が居たたまれなくて、レミーナは作ってきたクッキーをつまむと、はいっどうぞっ と差し出した。
「貴女が作ったのだったな、む、右手は知っているようだ」
自分の意志より早く右手が動いたのだろう。殿下は右手に逆らうことなくぱくりと一つ食べた。
む、と一言呟くと、あとは黙って二つ、三つと口に入っていく。
「本当にお好きなのですねぇ」
以前もカスパル先生の所でレモンケーキをぱくついていた殿下を思い出し、レミーナはしみじみと頷いた。
「甘さ控えめだな」
「精製された白砂糖ではなく粗めの黒砂糖を使っているので」
「なぜ白砂糖を使わないのだ?」
「薄給だからですよっ!」
ジト目で立場的に遠い上司を見やると、肩をすくめてかわされる。
「勤めて数年はそんなものだ。しかし、黒砂糖もよいものだな。風味もかわる」
「すこし独特のコクが出るのです。高貴な方に食べて頂いたのは初めてですよー。お口に合ってよござんしたっ」
「すねるな怒るな」
お菓子は自分の趣味。頂いたお給料の中から材料費をまかなっているのだ。結婚するつもりはなかったから、一人で自立するためにお給料の半分は貯めている。
家族やカスパル先生に作るのとポステーラ養護院に作るのを合わせても使ってるのに、プラス殿下の分もですもの。結構な出費なんですけれどっ!
ぷっと頬がふくらんでしまうレミーナ。それを見た殿下は、手を伸ばして頬をむにっとつまんできた。
「給料はそれに見合う労働をした者に出している。多く欲しければより働くことだ」
「いーです、カスパル先生の本の整理と立案だけでお腹いっぱい頭いっぱい。お金に目がくらんで殿下に頷いたら絶対お仕事二倍三倍に増やされる。無理っ」
「よく分かってるじゃないか」
弾けたように殿下が笑った。
ぐしゃぐしゃと貴公子然とした見かけによらず硬い手で頭を力強くなでてくる。
「やめやめてっ! せっかくコテで伸ばしてきたのにっ」
「コテ? 必要ないだろう。髪が傷む」
「うねっているのです。みっともないと常に言われるのですっ」
「なぜだ。別に悪くない」
「なぜって……!」
殿下はルイビス王国の貴族女性の流行りをしらないの?
宝石のような色鮮やかな瞳と金色の髪、さらさらと流れるような髪質が良しとされて皆さんがんばっていらっしゃるのに……もしや殿下は容姿を気にしない人?!
まさかの事態にレミーナはあんぐりと開いた口をふさぐことができなかった。
「え? 殿下に浮いた話が出なかった原因て、もしかしてそこ?」
「なんの話だ」
「さらさらな金髪や美しい碧眼のご令嬢にドキドキはしないのですか?」
「同じような会話しかしない女性にあまり魅力は感じないな。遠回しな言い方も好きじゃない」
「で、殿下、ダメじゃないですか、私みたいなこといっちゃ」
「本人の前では言わない。当たりさわりのない事を言っておわるから大丈夫だ」
いや、大丈夫じゃないと思う。
興味ないのだだバレだと思う。
だってちょっとの仕草にも目を光らせているご令嬢たちですもの!
「まぁ、次から次へと飽きもせず話にくるから気にもとめていないけれどな」
わー! 悪い男の人みたいなセリフだ、イケメンなのに! 前の殿下に舞踏会の時は隣にって言われてたけど、ぜったいむりー!
寒い会話の渦中の人になるなんて、わたしむりー!!!!
誘われても断ろう。もしも強制参加になっても壁にくっつこう。そうだ! 壁に寄っかかっても崩れない後ろに大きなリボンをつけたドレスを着ればいいよね、せっかくだからサッシュも固めにしたら崩れない。
ルスティカーナ家の屋敷に戻ったら母に相談してみよう、と思ったとたん脳裏に舞踏会の映像が流れた。
壁の花となって見ていた舞踏会、廊下、中庭を見ながら奥へ進んだ先の部屋。
漏れた細い光。
「殿下、そろそろ戻らないと。休憩時間、だいぶ過ぎちゃいました」
「ああ、そうだな、いい気分転換になった」
「何よりです」
ふんわりと笑えているだろうか、殿下が先に出てくれないと本当の目的の場所まで行くことができない。
立ち上がると同時に、侍女さんがすすすとあまり足音も立てず駆けつけてきた。
「図書館にあった資料です」
「あ! ありがとうございます」
すっかり資料の存在を忘れていたレミーナは会釈して礼をいう。嬉しそうに微笑む侍女さんにニコっと笑うと、レミーナは自分を取り戻すことができた。
「殿下、私はすこし花を摘んでから戻ります。今日はありがとうございました」
「あ、ああ、気をつけて戻るように」
花を摘むとはお手洗いに行くということだ。おそらく離塔の近くまでエスコートするつもりであった右手の殿下が目に見えてうなだれた。
「ごめんなさい、右手の殿下。またの機会に」
レミーナは右手を胸に当て、文官の礼を取った。
「ああ、励めよ」
右手の殿下ではなくアルフォンス殿下が応え、足早に中庭を去っていった。
レミーナはその姿が見えなくなるまで送ると、ゆっくりと来た道と反対側の渡り廊下へ歩いていった。
こんにちは、今日は雨です。
謎解き謎解きと思うのですが、レミーナとアルフォンスと右手さんが一緒になるとついつい楽しくて。
次回、次回こそは現場へむかいますっ。