26 レミーナとカスパル先生
「ふぉっふぉっふぉっ! まぁた面白いことになっておるようじゃのぉー」
「先生、笑い事じゃありませんっ」
ひさびさに白いシャツブラウスに袖を通して深緑色の制服に身を包み、レミーナが離塔の仕事場に出仕できたのはグレイの森から戻った一週間後だった。
グレイの森から帰る途中で疲れて寝てしまい、ルスティカーナ家にアルフォンス殿下自ら送り届けて下さったと聞いたのは翌日の朝。しかしその後レミーナは一日だけ熱を出した。
医者は特に悪い所もなく、疲労だろうといったのにもかかわらず静養をさせられたのは父が珍しく家に居たからだ。
見張りよろしくデデンと居間に居座り、レミーナが二階の部屋から下がってきても有無をいわさずまた戻されて寝かされる。
もう大丈夫だといっても、むすっとして聞かないし、殿下が様子を見に来たいと手紙を書いてくださったがそれもはねのけていた。
母に父をどうにかしてと頼んでも、今回だけは気がすむまで許してあげて、と眉をハの字にしながらくすくす笑っている。
お父さん、すごく心配していたから、と言われれば大人しくしない訳にはいかない。
せめてポステーラ養護院の様子だけでも、とティアの事情を話し半日だけ見に行けたのが三日前の話。元気になったティアをやっと抱きしめてあげることが出来たのだった。
その後もまた屋敷に缶詰となり、週末明けにほうほうのていで出仕してきたら仕事場はえらいことになっていた。
「ああー! やっぱり山積みじゃないですかぁ、あれほど出した本は戻してほしいと手紙で念を押しておいたのにぃぃ」
本の匂いのする静謐な空間は、レミーナが休んでいる間に様変わり。そこかしこに積み上げられた本の山に囲まれた埃っぽい空気に変わっていた。
なにを隠そう頭脳明晰のカスパル先生の最大の欠点は、出したものを片付けられない所だ。
レミーナという助手がいなければ、背の低い先生は本の壁に埋もれてみえなくなってしまう事もしばしば。
「ふぉっふぉっ! お前さんの仕事を残しておいてやったのじゃよ、ほれほれ面白い話を聞くのはやることやってからじゃ、きびきび片付けるのじゃぞい」
「先生が私の話を聞きたいんじゃないんですか? 先生も働いてくださいっ」
そうぶちぶち文句を言いながらレミーナはぱたぱたと雑多に積まれている本を分別していく。
なんだかんだいって先生が引き出すものは関連づけられた書物なので、片付けるのはそんなにむずかしいことではないのだ。
黙々と本を棚に戻す作業をしているとあっという間に時間がすぎ、部屋の中心にある柱時計がボンボンと鳴ってお昼を知らせてくれた。
レミーナはカスパル先生に声をかけて、ルスティカーナ家から持参しているバスケットを南側の窓に面した大机に置いた。
「やれやれ、ルスティカーナ家の弁当を食べるのも久しぶりじゃのい。今日はなんじゃ?」
「シェフがカスパル先生にってちゃんと作ってくれましたよ、はい、揚げパン、どうぞ」
「ふぉっふぉっ、これじゃないとのぃ」
カスパル先生はルスティカーナ家特製、ミートソース揚げパンが大好物。
野菜も細かく刻んで時間をかけて煮込み、肉と絡めて塩コショウとスパイスで味をつけてある揚げパンは毎日食べても飽きないと気に入っている。
レミーナが手渡した包みをひらくと、顔の半分もあるかという目を嬉しそうに細めてぱくぱく食べ出した。
レミーナは柔らかめのパンに卵やチーズが挟んである惣菜パンをいただく。
久しぶりの先生とのランチに舌鼓をしながら、レミーナはカスパールの件からグレイの森での出来事までかいつまんで話した。
「ふむ、盛りだくさんな休みを過ごしたのじゃなぁ。それにしても今回のグレイの代償は面白いのぅ。行使する人やモノにも絡んでいるのか、いずれ研究してみたいものじゃが、いかんせん事例が少ないのが残念なところじゃ」
「わざわざ代償を伴う秘術を願おうなんて誰しも思わないですからねぇ」
「ふむ、それを二回も受けたのじゃ。なかなかに肝が座った男だとそうは思わんか?」
「え? え、ええ。ソウデスネ」
突然殿下の話を振られてもぐもぐしていたパンがのどに詰まりそうになり、レミーナは若草色の目をぱちぱちと瞬かせた。
殿下の人となりを知るにつれて、いつのまにか灯るようになったくすぐったい想いをまだ認められない自分がいる。
自分を忘れられて寂しいという感情と、この想いと向き合うことが先延ばしになった安堵感と、どちらもレミーナの心にマーブル色となって渦巻いていた。
「ふぅん、ここに来ぬ間にずいぶんと殿下との仲も進んだようじゃのぅ」
「な、なにがですが? なにもすすんでいないですよ?! むしろ謎は深まるばかりですっ」
「ふぉっ、ふぉっ、まぁ良いわ。で? 記憶が戻ったんじゃな? 殿下が隠しておきたかった事とは?」
「はい、すごく重大な秘密でした」
レミーナは持っていたパンを手早く食べてしまうと、紅茶を一口のみ、テーブルに両手を組んでなるべく冷静に事実のみを伝えた。
カスパル先生はローブから出た細い腕をくんで時折レミーナから目を離し、空中に視線を置きながら聞いていた。
「ふむ、まず、倒れていた女性は妃殿下で間違いなかろう。お前さんが突然殿下の婚約者になった時から未だ姿を見せていないしの」
「妃殿下は、あの……いえ、すみません。なんでもありません」
言葉にするのもはばかられる事が頭の中をよぎり言えなくて、でもその可能性が秘めている事にレミーナの心は苦しくなる。
もし、妃殿下が身罷られているとしたならば、アルフォンス殿下も関わっている。
記憶が戻ったあとアルフォンスと共にいた時は、その事をなるべく考えないようにしていた。
変わってしまったアルフォンスを受け止める事で頭が一杯で、記憶は記憶としてひとまず置いておこうと思ったのだ。
ポステーラやグレイの森で包んでくれたアルフォンスの暖かい腕を信じたい。ときおり苦しそうに歪む海空色の瞳をもつ人がそんな事するはずもない、という想いと共に記憶にある出来事が交差する。
その事実を認める覚悟が、まだレミーナにはなかった。
「ふぉっ、ふぉっ! 心配せずともそんな大事にはなっとりゃせんわいな」
「先生」
唇を震わして想像する大事と戦っている弟子を、師匠はあっけらかんと笑い飛ばした。
「身罷ってはおらぬだろうさ、そんな事ならばこのように王宮がゆるゆるしておるはずもない。まー、何かを隠そうとしておるようじゃけれどもなぁ」
目をしばたかせ少しだけ鼻をすするレミーナにカスパル先生はやれやれ、乙女になりおって、と紙ナプキンを手渡してくれる。
レミーナはすみませ、と横を向いて目元をぎゅっと押さえると深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
「で、では、何を隠すつもりでしょう?」
「それを謎とくのがお前さんの仕事じゃろー。そうさな、お前さんは考えることがちーと向いていないからの、歩いてみるのはどうじゃ?」
「歩く?」
レミーナはカスパル先生の言っていることがさっぱり分からず小首をかしげる。
「ピンとこぬ弟子じゃのー。隠された記憶が見えたのじゃろう? まずはその場所に行ってみないと始まらんじゃろ」
「あ、妃殿下が倒れた、部屋」
「そうじゃー、隠された現場にいけば何か見つかるかもしれんぞぃ? そうと決まれば作戦タイムじゃ!」
ぴょんと飛び跳ねるように席を外したカスパル先生はレミーナにテーブルを片付けるよう指示して、空いた場所に紙とペンを持ち、謎解きの道しるべを箇条書きに書き出していった。
「せ、先生、まって。やることの中になんで養護院立案の調べ物が書いてあるの??」
「じゃから面白いことはやる事やってからって言っておるじゃろう。殿下から受けた仕事も謎解きも同時進行していかねば終わるものも終わらないわい」
「む、無理ぃ! そんな二つのことを同時になんて!」
「まぁ、聞きなさい。とにかく午後からは王立図書館にいって養護院の概要を調べてくるのじゃ。その帰り道に広大な王宮の内部に迷って寄り道をしてもよいとは思わんかの?」
「寄り道?」
カスパル先生は手にもったペンを行儀悪く左右に振りながら、大きな目をにんまりと細めて言った。
「離塔ばかりにいて王宮に慣れない文官がうっかり迷い、妃殿下が倒れていた部屋に入ってしまったとしても、誰もとがめんと思うぞぃ?」
こんにちは、街の桜も満開ですね。
お花見にいけないのは残念ですが、画像をみて楽しんでいます。
この物語も少しでもみなさんの楽しみになれたら嬉しいな。
このお話からレミーナは王宮に戻り、いよいよ謎解きを紐解いていきます。
次話はいよいよ現場入りかな? その前にちゃちゃが入るかな? 私もどうなるか楽しみです。
なん




