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25 アルフォンス

 



 腕の中でひとしきり身体を震わせていた彼女が、やがてふっと体重を寄せてきた。


「……寝たか」


 レミーナが馬上から落ちないようにしっかり左腕で抱えると、暴れそうになっていた右手はすっと静かになり手綱を掴むようになった。

 寝てしまった彼女の為に手綱をゆるめようとするとそれにも反応をする。


「自分の意思と重なれば静かになるのか? やっかいだな」


 手綱を左手にもち、空いた右手を自分の意思で開いたり閉じたりしてみると、何の障害もなく動くのだ。

 今のところレミーナ・ルスティカーナ嬢と絡む時にのみ、この不可思議な現象が起きている。


 仕事に支障がでなければ問題はない。レミーナ嬢との接触を最小限に抑えればそれで済むと思われる。が、さきほどの不安定な彼女をみるとそんな気持ちにもなれないのが正直なところだ。


『初めてお会いした頃の殿下っぽい、かな』


 そういって若草色の瞳を少しだけそらし、口元に笑みを作った彼女は寂しそうだった。

 時折自分の顔をみて、何かを探すような目は不安と切なさが入り混じっていた。


 彼女との関係が恋人なのかそれ以前なのか分からない。精神的安定に必要ならばキスの一つでもして応えてやれなくもないが、そんな表面的なやり取りはおそらく望んでいないだろう。


 思い出してとすがるのでもなく、おそらく戻ってしまったであろう関係を受け入れて認めた彼女の姿は、アルフォンスにとって印象深く映った。


 彼女は、自身の想いよりもこちらを優先しているのだ。

 利己的な考えを持つ者が多い貴族社会の中では珍しい人となりだった。


「心ある人間だというのは認める。緊急措置の婚約者としてしばらくの間この関係を続けておくのも悪くない。……王太子妃には向いていないが」


 伯爵令嬢というよりは町娘の方が似合いそうな率直な彼女をそう評すると、手綱を利き手に持ち直し、寝入っているレミーナを落とさないようしっかりと抱きながら少しだけ馬足を速めた。


 やがて道幅が開けていった先に森の入り口があり、そこを抜ければ見知ったどこまでも続く緑や萌黄(もえぎ)色の草原が目の前に広がっていた。


「殿下! ご無事で!」


 樹木の下で待機していた騎士たちが駆け寄ってくる。真っ先に声をかけてきたのは専属護衛騎士のグラウシスだ。

 短い前髪を濡らしているところをみると、先ほど降った小雨の中、待機していたのだろう。


「ああ、問題ない。馬車は用意してきているか?」

「は、こちらに」

「レミーナ嬢が寝てしまってな。お前、ルスティカーナ家にそのまま送ってくれ」

「はぁ、それは承りますが。……私が預かってしまってもよろしいので?」


 馬上から支持をだすと、グラウシスは太めの眉を訝しげにひそめた。

 アルフォンスは片眉を上げる。


「どういう意味だ?」

「馬車での移動になり、眠っているレミーナ様をお預かりするとなると、お身体を支えねばならないのですよ。私がその役を担ってもいいのですか?」

「座席から落とさないようにするにはそうするしかないだろう」

「殿下、正気ですか? なにか悪い物でも食わされたか」


 平然と頷くアルフォンスにグラウシスはますます顔をしかめて怪訝な顔をする。


「なにも食っては……ああ、そうか」


 やはり自分は変わったらしい。前の私はレミーナ嬢を誰かに預けることなどしないということか。


 当たり前だ、というように右手がぴくりと動いた。アルフォンスはしかたないな、と軽くため息をつき、手綱をもう一人の騎士に預け、レミーナを起こさぬよう慎重に馬上から降りてグラウシスに向かい合う。


「グラウシスにレミーナ嬢を預けるのは撤回する」

「はい」

「それから、一応私の身辺に起きたことも言っておく。例に漏れずグレイの代償を受けたようだ」


 グラウシスの目付きに鋭さが増した。ぐっと力を込めてこちらを見据えている。

 アルフォンスは苦笑いした。


「そのように構えるな、大したことではない」

「以前の代償を思えば身がまえます」

「ああ……私を王宮へと連れ帰ったのはお前だったな」


 急激な成長に伴う痛みで意識を失った自分を引き取りにきたのは王子付きになりたてのグラウシスだった。

 三日三晩苦しみぬき、目を開けた時にベッドの側にいたのはクレトとグラウシス。二人とも顔をくしゃくしゃにしていた。


 アルフォンスは、今回はさほどではない、と前置いて告げた。


「代償は限定された記憶の喪失だ。レミーナ・ルスティカーナ嬢に関する記憶が若干失せているようだ。レミーナ嬢曰く、出会った頃の私に戻ったらしい。あとその件に付随して右手がおかしくなってな。たまに自分の意思とは違う動きをするようになった」

「はぁ……?」


 ふだんあまり表情を変えることをしないグラウシスがぽかんと口を開けて止まっている。いま告げた情報がうまく呑み込めていないのだろう。


「まぁ、信じがたいだろうな。右手に関しては見たほうが早いか。例えば今からレミーナ嬢をグラウシスに預けようとしてみるぞ?」


 アルフォンスはグラウシスに近づきレミーナを預けようと腕を伸ばそうとした。


 すると、左腕は前に出るが右腕はがっちりとレミーナを抱いていて離さない。


「このように右手は私の意思と反して動かない」

「は、はぁ。まぁ、殿下ならばそうされるかと」

「しかし今の私としては王宮に戻るのが最優先事項だ。できればレミーナ嬢を預けていきたいのだが」


 なんとか午後の謁見までには戻りたい、ともう一度グラウシスに譲渡しようと試みるのだが、やはり右腕はそのままだ。

 グラウシスは困り顔で首を横に振る。


「いや、そう言われましても殿下の右腕はしっかりとされていますし、無理矢理レミーナさまとの隙間に手を突っ込む訳には。……命の危険を感じます」

「この殺気は私の意思で出しているのではない」

「どちらにせよ殿下の利き手から出ている限り近づこうとする者はおりません」

「……なりふり構わずだな、そんな余裕がなくてどうする」


 思わず呆れたように右手をみると、殺気が増し、ぐぐぐとレミーナを支えている手が握られていった。ドレスの皺が深くなる。


「よせ、それ以上殺気を出せばレミーナ嬢が起きる。それは本意ではないだろう」

「うぅん……」


 腕の中のレミーナが身じろぎをした。二人は、はっとし口をつむり、右手はバツ悪げにドレスの布をさりげなく伸ばした。


 フードの影から見える栗色の前髪はしんなりと力なく分かれていて、その先にある若草色の瞳はいまは閉じられている。グレイの小屋で話した時は気がつかなかったが、頬がかなり青白い。


「疲労の色が濃いですね。昨日もあまり寝ていらっしゃらないのでしょう」

「何かトラブルが?」

「ポステーラ養護院で倒れられたのですよ。殿下はご心配されて駆けつけられました。まさかその事さえ忘れているので?」

「おそらく。レミーナ嬢に関することがすっぽりと抜けている感じだ。まぁ、執務には影響はないだろう」

「その物言い、確かに以前の殿下です。クレトが嘆きますね。分かりました、王宮に戻る道すがら簡易ですが私からみた殿下とレミーナ嬢の経緯を説明いたします。レミーナ嬢は王宮とルスティカーナ家とどちらに?」

「ルスティカーナ家だ」


 右手はぴくりとまたドレスを握っている。


「私の状況把握が先だ。お前も私自身なら分かるだろうが。落ち着いたら顔を見にいく」


 右手はむすりと握ったまま離さない。

 チッとアルフォンスは舌打ちをした。


「……彼女が目覚めたら顔を見にいく、それでいいだろう」


 仕方なく譲歩すると右手はまたドレスを綺麗にならした。


「これは……殿下がこちらにいるので?」

「失った記憶をもった私らしいがな」

「ああ、なるほど! 納得しました」

「するのか?! これも私だと?!」

「ええ、大丈夫です。やれやれ、今回は変わった代償ですがひとまず安心しました」

「安心?! これでか?」

「ええ。右手の殿下、グラウシスです、お分かりになりますか? お手柔らかにお願いいたします」


 グラウシスがそう言ってアルフォンスの右手の近くに手をもっていく。

 すると右手は右腕で騎士よろしくレミーナを支えながら、ぎゅっと力強く握手をした。


 これで納得できるお前も大概だな、というアルフォンスに、あなたの知らないお二人を見てきましたからね、と返された。


 あまりにも自分とかけ離れている右手の行動を認められる。いったい以前の自分は何をやっていたのか、とアルフォンスは頭が痛くなってくるのだった。










こんにちは、外出を控える日々ですね。

そんな中、右手の殿下とのやりとりでくすりと笑って頂ければ幸いです。


我が家では満開の桜が昨日の雨ではらはらと散っていきました。その姿もまた綺麗でした。この桜が終わると、街のソメイヨシノが開いていきます。


春は変わりなくきます。

いまのひと時を過ぎれば、必ず。


そんなひと時の楽しみになれたら嬉しく思います。


次回レミーナ。王宮に戻っていきます!


なん




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― 新着の感想 ―
[一言] ふふっ、って笑ってしまいました とても微笑ましい光景に見えてしまいます
[一言] 右手の殿下というパワーワード。意味深な意味にも聞こえてしまいます(笑)
[一言] なんか、今の殿下が切ない。 除け者ではないんだけど、殿下は知らないのに皆んなが理解していて。 殿下は多分そんなに気にしないんだろうけど、なんか寂しいなぁ。 頑張れ今の殿下!!
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