23 レミーナとグレイ
ふっと浮き上がるような感覚にまぶたを上げると白い天井と壁が見えた。
視界のはしにいたグレイがこちらに気づいて、おかえり、と微笑んでくれる。
レミーナが身じろぎをしようとすると、グレイは首を軽く横にふってとめた。
「まだ起き上がらないで。アルフォンスと繋がっているから」
グレイはそういうと、視線を正面に戻してレミーナとアルフォンスの手の上に自身の両手をかざしている。
レミーナは慎重に頷くと、首だけを傾けてアルフォンスの方に顔を向けた。
柔らかそうな金糸の髪は流れて、普段はみえない形のいい額が出ている。
印象的な瞳は閉じられていて、まだ殿下は起きていないみたいだった。横からみる殿下は鼻が高くて、やっぱりイケメンさんなんだな、とぼんやり思う。
「どう? 記憶がもどった?」
「え、あ、はい。もどりました」
「アルフォンス、悪い顔してた?」
「あ、うーん……。それなりに」
「あはっ、それなりに、か。レミーナちゃんは、やっぱりいいね」
グレイは笑いながらも微動だにせず、じっと手をかざしている。
レミーナには何が行われているのかさっぱりわからないが、少し額に汗をかいているグレイが何かをしようとしているのは感じた。
「グレイさんはなにを?」
「うん、まぁ、ちょっと。出血大サービスをね、がんばっているところ。一応育ての親だからさ。アルフォンスから聞いてない? 今回の代償のこと」
「代償?」
「あー、言ってないか。そっか。……っと、まずい、あと少しで目がさめるな」
グレイは殿下の様子をみながら、ごめん、急いでいうね、と話をきり出した。
「えーっと、たぶん、アルフォンスは目が覚めたら君にちょっと冷たくなる。君のことをただの貴族令嬢として扱うと思うんだ。でもさすがにそれじゃあね、という親ゴコロもこめて、本心は分かるようにしておくから」
「え?」
「言葉に惑わされないでね、態度もクソ悪くなるかもしれないけど。アルフォンスの想いは少しだけここに残しておく。君との縁が繋がって二人でここに来れたように、この先の道も重なるように」
グレイはそれだけを一息にいうと口を閉じ、眉を歪めてぎりりっと歯ぎしりをした。
グレイの両手が羽のように広がり、そして何か強い力を込めるように両手を強く握ると、ぐっと交差する。
そのまま力を込めて引っ張るような仕草をすると、にっと笑った。
「よ……っし、残せた!」
そう言い、何かを結ぶように拳を再び交差させた瞬間、グレイは弾かれるように後ろへさがってよろめいた。
「大丈夫ですか?!」
レミーナが思わず半身を起こすと、グレイは大きく息をはいてしゃがみこみ、ひらひらと片手を振った。
「ああ……平気平気、いつものことだから。それよりもアルフォンスが目覚めるから様子をみててもらえる? ちょっと水飲んでくる」
「は、はい」
レミーナが頷くと、グレイはへらりと笑ってもう一度大きく息をつき、袖で額の汗をぬぐいながら、よっと声を上げ膝に手を当て立ち上がる。
ふらふらとドアの方にいく足がおぼつかない。グレイがかなり何か力を使ったのだと感じた。
なにをしたのだろう? 私はなんともないけれど、あんなにふらふらになるまで。
レミーナはなにか変化があるか自分の身体を一通り眺めてみたけれど、変わりない。
ただ記憶が戻っただけだ。
殿下の方になにかしたのかもしれない。
「大丈夫かな」
手を繋いだまま膝をつかってなんとか身体を起こすと、自分が横になっていたベッドから降りて殿下の側へ行く。
床に膝をついて様子をみると、寝苦しかったのか殿下の前髪は乱れて目にかかっていた。そっと整えると、思った通りの柔らかい感触にレミーナは口元をゆるめた。
思いのほか長い睫毛があってうらやましく眺めていると、その一本が抜けて頬についていた。
「殿下、ちょっと失礼します」
寝ているとしても断りもなく頬に触れるのは躊躇した。髪は撫でてしまったのに、頬は、なんだか特別な気がして。
そっと手をかざして取ろうとしたとき、レミーナの右手がぱしりと叩かれた。
「いたっ」
「勝手に触れられるのは好きじゃない、やめてもらおうか」
手を退けられたことよりも、氷のように冷えた声音に驚いてレミーナは身体をゆらした。
目を向ければ剣呑とした視線が下から自分をみている。
「殿下?」
「レミーナ嬢、婚約したとはいえ、私と君は懇意にしているわけではない。こういう触れ合いは誤解を招くからしないように気をつけてもらいたいな」
アルフォンス殿下は左手で自分の前髪をかきあげると、レミーナにひたりと冬の寒空のような視線を投げた。
こんな目をむけられたの、初めてかも。
これが殿下への薬の作用? 全然、別人みたい。
あまりの変化にとまどって、レミーナは若草色の瞳を瞬かせる。
そんな様子に構うことなく、殿下はすらすらと言葉をかさねてきた。
「触れ合いは対外的に必要な時でいい。その時はわたしから節度をもって触れる。それでいいね?」
承諾をうながしながら、レミーナの意思を確認することもなくそう言い放つ殿下。その様子にレミーナはうっすらと覚えがあった。
初めてお会いした時の雰囲気に似てる。
いつの間にか殿下の良いように変わっていったんだよね。
あの時は、なにこの人って、思ったんだっけ。
レミーナはだんだんと心が落ち着いてきてしげしげと殿下を見ていると、殿下は身体を起こそうとしていた。
力をいれようとして動かない右手に気づき、眉をひそめている。それもそのはず、レミーナの手と繋がっているからだ。
ふぅ、と苛立ちのため息をついて殿下は手を離そうとした。
が、右手は離れない。
「離してくれないか? 先ほども言ったように君とは節度をもった関係だ」
「えっと……」
「その方がお互いのためだと思うのだが?」
「ええ、それは、私もそのように思うのですが」
「だったら」
「あの、殿下、私は力を入れていません」
「なに?」
不機嫌そうに苛立った殿下よりも、レミーナは自分の手と繋がっている殿下の右手をみた。
殿下の右手が、ぎゅっと握ってくれる。
その力強さに覚えがあった。
夢の中に落ちていくときに、支えてくれた右手。
あれ? もしかして……?
レミーナはふわりと笑う。
それに呼応したように、殿下の右手は優しく手の甲を撫でた。
「っなにを……! して、いるのだっ!」
ばっと殿下の左手が自身の右手を掴んだ。
右手が離れないので、レミーナの手も引っ張られる。
「あっ」
「!」
レミーナの身体がよろめいて倒れそうになったとき、殿下の両手はぱっと開いて、倒れないように両腕を支えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いや、すまん。悪かった」
「いえ」
レミーナはしばらくじっと、自分を支えてくれている両方の手を見た。そして今度はきちんとアルフォンス殿下に顔を向けてふわりと笑った。
冷たいだけじゃない。
殿下の本質は、変わっていない。
レミーナは殿下の手が離れたのをみはからって、乱れたドレスを整えた。
意識して両手を前にそろえて、背筋を伸ばす。
「殿下、支えてくださってありがとうございます。またこの度は、私のためにグレイの森までご同行頂き、お力添えをくださり、ありがとうございました」
「あ、ああ」
レミーナがかしこまったので、殿下も対面し言葉を受ける姿勢をとる。レミーナも、いまは冷たさが残る海空色の瞳をみつめてはっきりと意思を伝える。
「王宮に戻りましたら、文官として王家の為に誠心誠意勤めていくつもりです。また殿下が隠しておられたことも思い出しましたので、その謎を解く事、お許しください。覚えていらっしゃるかわかりませんが、ここに来る前に謎解きをすると、殿下とお約束いたしましたので」
「……いや、覚えている」
「そうですか、よかった。では、よろしくお願いいたします」
レミーナはそう言うとまたふわりと微笑み、腰をかがめ淑女の礼をとった。
「レミーナちゃん、大丈夫そうだね」
レミーナが顔を上げると、部屋のドアに寄りかかったグレイが腕を組んで頷いていた。
「グレイさん、ありがとうございます!」
レミーナはたたっとグレイの近くへいくと、こそっと小さく尋ねた。
「なんだか殿下、冬の殿下と春の殿下に分かれちゃったみたいですが」
「うん、まぁ、どっちもアルフォンスに変わりはないんだけどね。ごめんよー、態度悪くなっちゃって」
グレイもレミーナに合わせて少しかがむと、首をすくめて苦笑いをしている。
「そうですね、冷気が三割増しです。あの、殿下って、あのままなのです?」
「うーん、おそらくしばらくは」
「わぁ……」
ちらりと後ろをみると、殿下は右手を開いたり握ったりして、しきりに気にしている。
「グレイ。これはお前の仕業か? 右手が勝手に動く」
「いや? その右手もアルフォンスの意思だよ。生活に支障はないから大丈夫大丈夫。普段は同化してると思うし。それよりもレミーナちゃんに迷惑かけそうだけどね」
扱いが難しくなってごめんよ、とグレイはレミーナに申し訳なさそうにあやまる。
レミーナは、とんでもないないです、と顔の前で片手をふると、ふふっと笑った。
「大丈夫ですよ、ツンドラ地方並みのブリザード王子には慣れていますから」
「お! いうねー、レミーナちゃん! ますます気に入っちゃったなー、また遊びにおいでよ」
「はい、ぜひっ」
嬉しそうにグレイと話すレミーナを目を見開いて見ていた殿下だったが、居間から鳴り響いてきた柱時計の音ではっと我に返ったみたいだった。
「いかん、午後から謁見の時間だ」
「え? 今日明日とお休みを取ったって、おっしゃっていましたけど」
「なに? そんな覚えは……う、ある、な。街を視察? いや今は必要ないのになぜ……」
殿下は左手をこめかみに当てながら目を細めている。
「あー、アルフォンス。それ、レミーナちゃんとデートしたかったんだよ、無理矢理ねじ込んだんじゃない?」
「ならば必要ない。謁見の方が重要だ」
「という始末なんだよ、ごめんねー、レミーナちゃん」
「いえ、私もポステーラに一度戻りたかったので、大丈夫です」
さして気にしていないレミーナに、グレイは呆れたようにいった。
「君たち似た者夫婦なんじゃ?」
「「夫婦じゃ」」
「ありませんっ」
「ない」
一人は顔をほんのり赤らめて、もう一人は眉をひそめて、それでも二人、息の合った答えにグレイがあははと笑う。
チッと不機嫌そうに舌打ちをした殿下は、馬をつれてくる、と先に部屋を出た。グレイははいはいと見送ると、レミーナを居間まで導く。
ちょっとまってて、と言って小さく窓をあけると、右手を外に出した。するとすぐに一羽の鳥がグレイの手にとまった。
灰色の羽に、お腹が真っ白な綺麗な鳥だった。
「ハラシロっていうんだ。私の友人でね。なにか困ったことがあったり、私に連絡が取りたい時はこの鳥に話しかければいいから」
「話すだけでいいのですか? 手紙とか足にくくるのではなく?」
「ああ、私の友は言葉を覚えてくれるから大丈夫」
グレイは笑ってうなずくと、必要そうな時には窓の外にいるとおもうから、遠慮なくハラシロに声かけてね、とウィンクをした。
相変わらずの破壊力にのけぞってたじたじとしていると、いつの間に戻ったのか、背後に冷気を感じた。
「レミーナ嬢、時間がおしいのだが」
「す、すみません」
「ふぅん、その状態でも気に入らないんだねぇ」
グレイは眼鏡の奥の瞳を細めてくつくつと声を立てると、また来なね、と気軽にいった。
「はいっ」
「遠慮する」
嬉しそうに頷くレミーナと横を向くアルフォンス、対照的な二人はそれぞれ会釈をしてグレイの小屋を出て行く。
ドアを開けたまま様子を見ていると、馬の鞍に乗せるところでまた何かごたごたとして、やがて二人馬上に上がった。
レミーナだけが振り向き、手を振ってくる。
グレイは手のひらをひらひらと振って応えると、敷地外に出て行く二人の背中が消えるまで見送った。
こんばんは、雨が降ってもあたたかくて、春らしくなってきましたね。
陛下の想い、こんな形になりました( *´艸`)
なん




