22 レミーナとグレイ
古い木枠の格子窓から空を見上げると、来た時よりも雲が厚くなっていた。木々は揺れていないから嵐にはならなそう。
そう思いながらレミーナがふう、と息をはくと、目の前の格子窓が白く曇った。
「冷えてきた。雨が降るかも」
なんとなく小寒く思えて二の腕をさすっていると、ノックと共にアルフォンスが部屋に入ってきた。
こちらが返事をする前にドアを開ける、なんてことはいつもはしないはず。殿下の普段とは違うふるまいに、レミーナの手は少しだけまた冷えた。
「すまない、待たせた」
殿下は窓ぎわのレミーナの手を取り、両側の壁にあるベッドの一つに二人で座る。
「薬はできたのですか?」
「ああ、無事に」
殿下の左手に握っているものがその薬なのだろう。しかし殿下はそのまま手を開くことをしない。
「……殿下? 飲まなきゃ、ですよね?」
「ああ」
言葉すくなげに肯定はするのだけれど、殿下は動かない。海空色の瞳は自身の握りしめた手を見ている。
「殿下、どうか」
「馬車の中で言ったこと、覚えているか?」
レミーナの言葉にかぶせながら殿下は性急に聞いてきた。すっとこちらを見た眼が鋭くて、表情に余裕がない。
殿下、いつもとちがう。なんだか必死だ。
レミーナは思わず、殿下の白い端が浮いた拳を両手で包んだ。
意識して、にこりと笑う。
ポステーラの子供たちが気持ちが落ち着かない時に、コンスエロ院長がしているように。
まぁまぁ、どうしたの? なんて言ったら怒られそう。でも、子供たちの顔と一緒だ。
「もちろん覚えていますよ? 殿下、どうしたのです? お腹を空かせた子供みたいな顔してますよ?」
レミーナはぎゅっと両手を握った。
大丈夫、大丈夫。
落ち着いて。
言葉にはしないけれど、心で唱える。
ここで言葉にしてしまうと、きっとプライドを傷つけてしまう。ポステーラの男の子達でさえ、子供扱いするなって言うのだから。大人の男の人ならなおさらだ。
でもきっと、今は必要。
子供っぽいかもしれないけれど。
いつもの殿下に戻れるように。
殿下の深海の底にあるような瞳が、ふっとゆるんだ。
「……そういえば、君はお菓子作りが得意だったな。王宮に戻ったら、作ってくれるか?」
「いいですよ? 前に約束しましたから」
「もし私がいらぬといっても、置いていってくれるだろうか」
殿下の右手が、レミーナの両手の上からかぶさる。殿下の右手は冷たかった。そして、ぎゅっと握られた。
包まれた両手を見下ろして、レミーナはゆっくりと雪どけのようにぬくもっていく温かさを胸にしまった。
「今ここで約束したし、大丈夫です。心配しなくても無理矢理押しつけますって」
「ああ、頼んだ。それから、薬を飲んで起きたあとに君の記憶が戻っても、君は君らしくいてくれ。私も、私らしく在る。そう願う」
「はい」
レミーナは穏やかに凪いだ海空色の双眸をしっかりとみて頷いた。
やがて軽いノックと共にグレイが部屋に入ってくる。
「話はまとまったようだね。じゃあちゃちゃっとやっちゃおう」
グレイはアルフォンスに二つのベッドを近づけて、と指示をすると、レミーナに薬を服用するよう求めた。
レミーナは人がひとり間に入るぐらいの隙間を作って近づけられたベッドに座り、アルフォンスから半円型の薄茶色の薬をもらう。
「チョコスノークッキーの欠片みたい」
「残念ながら少し苦味がある薬なんだ。噛まずに飲み込んでね」
グレイはあとで口直しをあげるね、と言いながらグラスに入った水を渡してくれる。
レミーナは苦いなら一気に飲んでしまおうと、薬を舌にのせると水で流し込んだ。そんなに味を気にすることなく飲めたのでほっとする。
横をみると、殿下も同じ薬を飲んでいた。
「私の治療に殿下も薬をのむのですか?」
「ああ、君に忘却の薬を含ませたのも彼だし、副作用を取り除くことを願い出たのも彼だからね。さ、二人ともそれぞれのベッドに寝てくれる? それから片手で手を結んで」
何が起きるんだろう。
殿下が緊張していたのは、このこと?
私だけではなく、殿下にも何か起きるの?
ベッドに身体を預けながら思わず首を傾けてアルフォンスの方を見ると、殿下は先ほどと変わらない、春の海のような眼でこちらをみていた。
「レミーナ、約束だぞ。甘いものならなんでもいい」
「……たくさん持っていけばいいですか?」
「ああ」
殿下は頷くと右手を差し出した。レミーナは左手をそっと繋ぐと、節のある親指が手の甲を撫でた。確かめるようになぞるその仕草が優しくて、レミーナの目元はじんわりと赤くなってくる。
「あー、あー、みてられない、みてられない。ちょっと育ての親の前で平気でいちゃつかないでくれるかなー」
「うるさい、親なら後ろを向くぐらいの気づかいぐらいしろ」
「いたいけな子が襲われるところを指をくわえてみているなんて出来ないなー、せめてガン見させてよ」
「クソグレイ、早くやれ」
グレイのからかいをバッサリと蹴散らす殿下に、レミーナは思わずそっと微笑んだ。
いつもの殿下に戻ってきた、それが嬉しかった。知らず知らずに固まっていた身体がゆるんでいく。
その様子をみたグレイがにっと笑って、じゃあ、始めようか、と軽く告げた。
言葉と共に視界がぼやける。急激に耐えられない眠気が襲ってきた。レミーナは思わず左手をぎゅっと握ると、殿下の右手は応えるように握り返してくれた。
大丈夫って、今度は殿下がいってくれてるみたい。
その力強さを感じたまま、レミーナの意識は深々と落ちていく。
大丈夫、大丈夫。
落ち着こう。
殿下の為に祈った言葉を、自分にも唱える。
手に残る感触をつなぎとめながら力を抜くと、目の前に浮き上がってきたのは、レミーナの隠された記憶だった。
壁の花となって見ていた舞踏会、家族の目を盗んでホールから出た後に見た廊下、中庭を右目に奥へ進んだ先にみえた部屋から漏れた細い光。
倒れていた人が引きずられていく。
床に広がる紫のドレスは金の刺繍が縫われていた。
つる草と鷲の意匠は、社交に疎いレミーナでも誰のものか分かる。
前王妃が亡くなって一年もせずルイビス王に嫁いできた現王妃、イルミ・フェンナ・ルイビス。
そして有事にかけつけたのは白地の軍服にいくつもの勲章を胸に付けた、アルフォンス・ファレーロ殿下だった。
海空色の眼は探るようこちらを見ている。レミーナの言葉にいぶかしみ、しかし事を確認する為に部屋に入っていった。
なかなか出てこない殿下が襲われていると思った。助けを呼ぶために廊下をはっていると、その途中で、白い袖の男に背後から捕まったのだ。
その袖には金獅子の刺繍。顎を捉えられ、見上げた先には今まで見たこともない冷えた蒼い視線があった。
有無を言わさずに口移しで流し込まれたものが、忘却の薬だったのだろう。
でも意識が途絶える前に見えた殿下の表情にレミーナは、あ、と口元をゆるめた。
複雑そうにこちらをみている顔は、レミーナと二人の時だけにみせる、心配そうないつものアルフォンス殿下だったから。
おはようございます。
だいぶ暖かくなってきましたね。
いろいろ飛んでいる中に花粉もはいってきて、ちょっとつらいです。
物語はまだ気になるところですね。また早めに書けるよう、がんばります。
なん




