18 レミーナ
馬車の外は薄い曇がはっている空。
丘の上にあるポステーラ養護院から西へ下ると刈り取られた後のどこまでもつづく麦畑が広がっている。
「今年の冬は暖かくてありがたいな」
いっしょに乗っているアルフォンス殿下がふとそんな風に呟いたので、レミーナは意外に思った。
「殿下でもそんな事、おもうのですね」
「……あなたの中で私はどんなイメージなんだ」
呆れたように海空色の瞳がこちらをみたので、しまった、と肩をすくめた。
「すみません、失礼なことをいいました」
「ここは私と二人だけだからいいけどな、人の目がある時は気をつけた方がいい」
レミーナは先ほどのポステーラでのテオという護衛騎士との火花を思い出して、もう一度すみません、と小さくなる。
苦言をいってはいるが、本人はレミーナの言葉をそんなに気にした風もない。
二人きりの時にみせる殿下の姿は肩の力が抜けていて、普段常備されている作った表情ではないから、ついレミーナも素の思いが出てしまう。
「まぁ、そこが面白いからそのままでいて欲しくもあるが」
「殿下も失礼ですよー」
「ではお互いさまだな」
ふっと口元が緩んだ姿に、レミーナもそれもそうだ、とくすりと笑う。
するとアルフォンス殿下は少しだけ目を見開き、まるで眩しいものをみたようにまぶたを瞬かせた。
「なにか?」
「いや、初めてみた」
「なにをです?」
「君の笑顔」
「へ?」
レミーナがまじまじと殿下をみると、濃いブラウンの乗馬服を身にまとい、脚を組みながらで柔らかく微笑んでいる。
王宮の中でみせる貴公子のような姿とはちがって、まとう空気が陽だまりのように温かい。
それにどことなく言葉に甘さが含まれていて、レミーナの心臓は、とくんと鳴った。
顔面の温度がすこしずつ上がってくる。
さすがに自分でもわかってしまって、あわてて顔をふせた。
まって、まって、ちょっとまってっ!
アルフォンス殿下はあのツンドラ鬼上司なの!
一生懸命、今朝のヒヤリとする雰囲気を思い出そうとするのだがうまくいかない。
向かいの座席から笑った気配がして、ますます目を合わすことができずにレミーナは逃げるように窓の外を眺めた。
「こんな時間が設けられるのなら、馬車での移動も悪くないな」
笑いぶくみの大きなひとり言にむぅとしながらも、いつもは馬車での移動じゃないんですか? と視線を引き戻されて疑問を口にしてしまう。
「馬車でと義務付けられている移動以外はだいたい騎乗する。馬に乗る方が好きなんだ」
「そうなのですね、私も馬は好きです。……乗れませんが」
「好きなら乗ればよいのに」
「う、馬が動いてくれないのですっ」
鞍に乗ることはできるが、合図をしてもぴたりと止まったまま動いてくれないのだ。なだめても声をかけてもぶるるといって動かない。
「武官の娘なのだからと小さい頃は母はやきもきしたみたいですけれど、肝心の父が女の子なんだから別に乗れなくてもいい、とかいって、結局いまも馬には乗れません」
「動かない事はないのだがな……溺愛が過ぎたか、あのお父上ならばわからんでもない」
「父に会ったのですか?」
「昨夜な」
「何か失礼なことでも……? 機嫌が悪いとあまり喋らないのですが」
「あ、いや、寡黙では、なかった。そうか、娘にはみせていないのだな」
昨晩はなにを話したのだろう? 殿下がくっくっとゆるく流した前髪をゆらして笑う。
レミーナは父がなにかやらかした事だけは察知し、問いつめようと心に誓った。
「帰ったら聞いてみます」
「悪いことではないよ、ほどほどにな。しかし馬に関しては乗れるにこしたことはない。私が教えてもいいが……いや、すぐには、無理か」
さくさくと何事も決めるアルフォンス殿下にしては珍しく言いよどみ、顎に手をあてている。
「お忙しいですね」
「忙しいことに変わりはないよ。というよりも……そうだな、いま、話しておくか」
「殿下?」
アルフォンス殿下はしばらく自身の顎をゆっくりとなでながら考えていたが、やがてレミーナに身体の正面を向けた。
柔らかく後ろに流れている短めの金色の髪が日の光をうけて輝いている。まるで肖像画のように見えるその姿も、海空色の双眸をみればこの方の厳しさがわかる。
ひたりとレミーナをとらえるこの方は、目で雰囲気を変えているのだと今更ながらに気がついた。
「レミーナ嬢は、グレイの森を聞いたことがあるか?」
「いえ、知りません」
「まぁ、そうだな、要人しかしらぬ場所だ。いま、私たちはグレイの森に向かっている」
アルフォンス殿下は自分の眼差しをうけとめ、自然と居住まいが正されたレミーナに軽く頷くと、今向かっている場所の事を話してくれた。
はるか昔、この大陸にはまじないをつかう者がいたらしい。
先読みという未来を見る者がいたり、呪いをかける術者がいたり、薬を作る者がいたり。良いことであっても、悪いことであっても、人の営みから外れて不可思議な事をしている者を、魔術士と呼んでいた時代があったそうだ。
やがて文明の発達と共にその者たちへの需要は激減し、不確かな者たちへの興味はなくなっていく。
「世の人々に忘れさられ、血も絶えて久しいと世間では言われているが、実際には細々と受け継がれてる。しかしながら我が国に残る魔術士はグレイという者だけだ」
「だからグレイの森」
「一見するとただの森だが、用のないものは迷い込んでもいつのまにか森の外に出されているらしい」
「それは、やさしい魔術士さんですね」
「……優しい?」
いぶかしげに首を傾けた殿下に、レミーナは、ええ、と頷く。
「だって森で迷ってしまったら、どこを歩いているのかわからなくて、どんどん奥にいってしまうかもしれないでしょう? あとは同じところをくるくる回っていたり。でも森の外に誘導してくれるなんて、お家に帰れるしありがたいな、なんて思ったのですけれど……だめですか?」
「いや、そんな見方もあるのかと興味深い。あなたならば直接会った時に聞いてみることができるかもしれないな」
「え? グレイさんに?」
「ああ、気が向けば応えてくれるかもしれない」
うーん、グレイさんって、どんな人なのだろう。殿下の口ぶりだと一筋縄ではいかなそう。
「殿下は会ったことがあるのですか?」
「十数年前に」
「どんな方です?」
「必要でなければ会いたいとは思わない人物だ」
「えー……じゃあ、なんで……」
なんとなくあまり動じない殿下がそんな事をいうなんて、今から行く先はあまりよろしくない場所なんじゃないかと腰が引ける。
「あなたの憂いをなくす為、かな。いや、元をたどれば私がもたらしたものでもあるから、だな」
「どういう事です?」
憂いをなくすって、つまり、あのよくわからない映像が流れて倒れてしまうのを治してもらうってこと? でもそれに殿下が関わっているの?
「〝謎解き〟の助けになることをしに行くと思えばいい」
「なぞとき」
「そう、私には隠すことがあり、その為にあなたに一つ細工をしたんだ。あの時はそれがあなたの憂いになるとは思わなかった。……というのは言い訳だな。含ませる時、いかようになってもよいと思ったことは確かだ」
ふと苦笑した顔が、今までになくやるせなさそうだった。
この中では、二人だけの時は、殿下は正直なんだ。
告げられている内容は結構ひどい話なのに、不思議とイヤな気持ちにはならなかった。
「グレイはおそらく、あなたの憂いを取ってくれるだろう。それと同時にあなたは、私が隠そうとしたものを思い出す。それから先の謎を解くのは、あなた次第だ」
柔らかく、そして真摯に告げるアルフォンス殿下に、揺らぐものはない。
海空色の眼差しが、いつのまにか穏やかに凪いでいた。レミーナの姿を目に焼き付けるように眺めている。
「行きでの私はあなたに謎を解いてもらいたいと思ってはいるが、帰りの私はそう思っているか、定かではない。だから」
私はあなたがあなたである事を望む。
アルフォンス・ファレーロ王太子殿下は柔らかく笑ったまま、確かにそう言ったのだった。
おはようございます!
寒くなってきましたね。
我が家では家人がインフルになってしまいました。みなさまもどうぞお気をつけて。
なん