17 レミーナ
「コンスエロ先生、入ってもいいですか?」
レミーナは早朝、屋敷から届いた替えのドレスに身を包み、コンスエロ院長の私室を訪ねた。
ティア、まだ寝ているかな。
小さくノックをしてまっていると、内側から静かにドアが開く。コンスエロ先生はレミーナをみとめると、おはようございます、と柔らかく微笑んだ。
「レミーナさま、ありがとうございます。ティアはまだあの後から目を覚まさないのですよ。でも熱は引いてきました」
「よかった、顔をみてもいいですか?」
「ええ、もちろん」
コンスエロ先生の私室にはいると、ベッドの上には淡い栗色の髪を広げて眠るティアの姿があった。
枕元の近くに行き、ほっそりとした頬をなでると、やわらかな温かみがある。レミーナはよかった、と小さく息をはいた。
ティアは夜中に一度目を覚ました。そばに控えていたコンスエロ先生とレミーナの顔を見て、みるみるうちに琥珀色の目から涙がこぼれおち、自分の方へ両手を伸ばしてきたのだ。
震えるティアの背中をさすりながら、大丈夫、心配かけたね、私は大丈夫だよ、と何度も何度も伝えた。
ティアは黙ったまま、ずっとレミーナにしがみついていて、やがて力が尽きたように腕が離れて眠っていった。
首に巻かれた細い腕の必死さが、まだ身体に残っている。
「コンスエロ先生、ティアの目が覚めたら、私が無事なことを伝えてください。もしかしたら覚えていないかもしれないから」
夢かもしれないと思ってしまったら、また泣いてしまう。そうならないように、とドア付近にいる先生を振り向いて願う。
もちろん、そのつもりですよ、と頷くコンスエロ先生に、レミーナはお願いします、と頭を下げた。
「帰ってきたらすぐにここに駆けつけようと思っていますが、なにぶん殿下のご用事となるとなかなか離してくれなさそうだから」
「あら? あらあらあら」
レミーナの言葉に、コンスエロ先生は眼鏡の奥の小さな翠色の瞳をきらめかせてころころと笑った。
むむ? なにやら誤解をまねいているような。
なにもコンスエロ先生が思い浮かべるような事はないですよ、と言いかけて昨晩のことがうっかり目に浮かんでしまった。
包まれた腕の温もり。
ほのかに香った柑橘系の匂い。
頭の上から響く低い声。
〝この先、あなたを守ると誓う〟
わあぁぁぁと叫びをこらえて激しく頭を横にふる。
「お近くで拝見してもとても素敵な殿方でした。わかります、レミーナさま」
まって! なにがわかるというのですかっ、コンスエロ先生!
「わからない、わからないです!」
首を振り続けるレミーナに対して、すごくすごく生暖かい目で見てくるコンスエロ先生。
「まぁまぁ、そうでしたか、レミーナさまにとって初めての……。わかりました、お見守りさせて頂きますね」
「先生っ、なにが初めての、なのですかっ」
「いいからいいから、はい、レミーナさま、ここまで。ティアが起きてしまいますから」
いけない、と口に手を当てベッドを覗くと、色素の薄い前髪を静かにゆらしながらティアは寝ていた。呼吸も整っているので起こしてはいなさそう。
「ごめんなさい、コンスエロ先生」
「大丈夫ですよ。ではまたいつでもお寄りください」
「はい、ティアによろしくお伝えください」
柔らかく頷くコンスエロ先生に後を任せて部屋を出ると、階段の方から子供たちの嬉しそうな声が響いてきた。
この時間はまだ、みんな朝食を取っている。こんな賑やかな声は聞こえてこないはずなのに、どうしたんだろう?
そんな事を思いながら階下へ下がっていくと、見なれない風景にレミーナは口をぽかんと開けた。
まず、食事をするテーブルの横にある、少し開いたスペースでミカーロが細身の護衛騎士の片腕に腰を抱えあげられて足をバタバタしてきゃっきゃしている。
もう一人の身体ががっしりとした護衛騎士にはシスタビオが腰に手を当てて動かそうとしている。でも護衛騎士は腕を組んだままぴくりとも動かず、シスタビオはくそー! と叫んでいる。
テーブルに目を向ければ、まだ朝ごはんを食べている途中のアマリーナが、なんとアルフォンス殿下の膝の間に入ってパンを食べさせてもらっていた。
「で、殿下っ! なにをやっていらっしゃるのですっ!!」
「ん? この子の食が細そうだったのでな、食べさせている。うまいか?」
「んまいー」
アマリーナは嬉しそうにもぐもぐしている。
「まって、アマリーは自分で食べられます!」
おやつの時もいつも自分で食べていたよね? アマリー、なにしてるのー!
ちょこんとやんごとない方のお膝に自然と収まっている幼子はかわいいけれど、きっとあまり良くないことだ。
自分のお席で食べるよ、と声をかけるのだが、アマリーナは首をいやいやと振って動こうとしない。
「そのように甘やかしてしまったら……コンスエロ先生に叱られてしまいますっ」
「グラノジェルス院長がいる時はきちんとできると思うぞ。なぁ?」
「あいあーい!」
アマリーナは無邪気に手をあげている。
そういう問題じゃなくって、とキッチンにいるリサに顔を向けると、迷うような顔をした。
リサ、殿下だから止められなかったのかな。私やコンスエロ先生が席を外すときは子供たちをうまく食べさせてくれるのだけど。
そんな中、ほいほいとアルフォンス殿下は手ずからパンをアマリーナに食べさせてた。
おなかがいっぱいになった彼女は、ごちそうさまをして護衛騎士とたわむれている二人の所へ走っていく。
「殿下っ」
「まぁ、座れ。実は食事の最中にあの子が固まってしまったんだ」
アルフォンス殿下はレミーナに隣の椅子に座るよう勧めた。
固まるって、どういうこと? といぶかしんで座ると、アルフォンス殿下はシスタビオやミカーロの近くで笑っているアマリーナを眺めて苦笑した。
「グラノジェルス院長が不在のところへ私たちがまた来たからな。なんとなくいつもと違うと思ったのだろう。ふと食べるのをやめてしまったのだ」
「アマリー……そうだったの」
甘やかすのはよくないと思うけれど、食べないのはもっとよくない。
「ありがとうございます、殿下。でもお膝じゃないと食べられなくなっちゃうといけないのでほどほどにしてください」
「承知した」
一言おおかったかな、と思うけれど、殿下は気にした風もなく頷いた。
「さて、きみの食事がまだだと聞いた。私も一緒に食べさせてもらおうかな」
「え! うそっ! いつも食べていらっしゃるのとは全然ちがいますよ?!」
歯ごたえのあるパンと根菜のスープ、申し訳程度にソーセージが一本のっている皿を殿下が食べるの?!
自分は慣れているからいいけど、とレミーナはあわててキッチンの方になにか他に出せないか聞こうとする。でもアルフォンス殿下はコンコンと軽くテーブルを叩いて、いいから座りなさい、とうながした。
「私は公人だが、軍部を預かる軍人でもある。訓練の時の食事を思えばここの朝食はご馳走だ。気にしなくていい」
「あ、そうなんですか、それならよかった……。私はここのごはん、素材の味が分かってすきなのですけれど、さすがにあのスペシャル朝ごはんを食べてる殿下には合わないと思ってあわてちゃいましたよ」
食事に感謝の祈りをささげてから、熱々のスープを口に運びながら伝える。
「そうだな、好みでいったら……このスープは野菜だけしか入っていないからベーコンでも入っている方が塩気もあって好きではある」
「そうですね。とは言え、養護院にはなかなか予算がつきにくいそうですから日々の食費を切りつめてやりくりしてるそうですよ? 殿下、ちゃんとこちらにも目を向けてくださいね」
せっかくだから現状を知ってもらおうと話していると、しっ、失礼な……! と後ろから声が上がった。ミカーロを相手にしていた細身の騎士だ。
「殿下の仕事は多岐にわたっている! 目を向けていないのではなく、目を向ける余裕がないというのに! そもそも養護院等の慈善事業は妃殿下さまが主に動かれているはずだっ」
「殿下が忙しいのは百も承知ですよ。それでも現状をみて、知ってほしいと思うのはいけないことですか? 貴方が抱えている子供の脇を触ってなにも思わないのです?」
興奮ぎみに殿下の弁明をしている騎士に、レミーナは静かな声でいった。子供たちはびっくりした顔をしてこちらを見ている。
三人とも痩せすぎてはいないが、身体は細く、あごの線がすっとした顔をしている。
「成長期の子供に必要なのはお腹いっぱい食べられることと、安心して過ごすことのできる環境です。コンスエロ先生のおかげで衣住はとても気持ちよくととのえられているけれど、食に関しては足りないわ。人の上に立つ方なら一度見ていただければ対策を取っていただけると思いますけれど?」
ぐっと顎を引いてなにも応えない騎士を静かにみているレミーナに、コンコン、と机を叩く音がした。
「そういう事は部下に言うのではなく、私に進言するべきなのだが?」
「お耳に入っているからよし、ではだめですかねー」
ほんとは売られたケンカは売った人とやるのが家訓だからこの現状ですけれども!
殿下を見ずに護衛騎士とばちばちと火花をちらしていると、隣で含み笑いが聞こえた。
「まぁ、な。だが、それでも、だ。王宮へ戻ったら貴女の名前で提案書に明記の上、私の所に提出するように」
「えぇ⁈ やです! 仕事がふえるっ」
「レミーナ嬢っ なんたる無礼! あなたはそれでも貴族のご令嬢かっ」
レミーナは柳眉をゆがませた。
散々貴族らしくないといわれてきた身としては、細身の騎士が今から言わんとする罵詈雑言がくっきりはっきりと想像できる。
〝思ったことをはっきりと言う、淑女らしくない〟
〝こちらに物申すだなんて、信じられない令嬢だ〟
わかってます、わかってますよ、と心に蓋をしようとした、その時だった。
「テオ、そこまでだ」
いつの間にか手元の皿を綺麗に平らげた殿下が短く口をはさんだ。
「レミーナ嬢は私の婚約者だ。侮辱することは許さない。…………という常套句を子供たちの前で言うのもあまりよくないと思うのだがな、二人とも」
「「申し訳ありません!!」」
完全にツンドラ地方の冷えた声音になったアルフォンス殿下に、レミーナはひっと立ち上がった。さっと御前に並んだテオと共に武官と文官の最敬礼で頭を下げる。
「レミーナはとにかく朝食を食べろ。終わり次第、出立する。テオはレミーナの言葉尻をまともに拾うな。慣れろ。言葉遊びのようなもので、彼女はやる時はやる」
「うー……はい」
「はっ」
今度はきれいにそろわなかった返事にテオが目を見開いてレミーナをみているので、アルフォンスはため息まじりにドア付近に控えているグラウシスに告げる。
「テオにレミーナは部下であり婚約者だということを教えておくように」
「……は」
グラウシスでさえまともに返事をしない事に目を白黒させているテオ。
むう、今まで触れ合ってきた騎士さまたちとちがう。
頭の固そうなテオを警戒しつつテーブルに戻って食事をすすめていると、アルフォンス殿下が誰に聞かせるともなく小さく呟いた。
「脳筋は脳筋で私は好ましいのだがなぁ」
なにが好ましいのかさっぱりわからないわ。
レミーナはむう、と眉をしかめながら、とりあえず早めにスープを平らげるのだった。
こんばんは!
今週、無事にあげられてほっとしています。暖冬とはいえ風邪が流行っていますね。お気をつけください。
次話からグレイの森に行きます。
レミーナとアルフォンスの関係に変化はあるのか、そしてアルフォンスが秘密にしている件をレミーナは思い出すのか。
その先の物語、お楽しみに頂けますように。
なん




