10 レミーナ
ミルクをおかわりしたい、という賑やかな三人をコンスエロ院長先生とリサにお願いして、レミーナはティアをプレイルームに連れ出した。
リビングより小さな間取りだけど、四人が十分に遊ぶことができるスペースがあり、壁には本棚やおままごとが出来るもの、本棚とは反対側の壁にはマットが敷いてあって少しだけなら身体を動かすこともできる。
レミーナはラグが敷いてある、本棚に近い場所へティアを導き、一緒に座った。
「おまたせ、ティア、今日はなにを選んでくれたの?」
琥珀色の目を覗き込みながらレミーナがたずねると、ティアは先ほどからずっと持っていた本をレミーナに渡した。
「あ!『おしゃべりなカナリア』! 私も大好きな本、ティア、趣味が合うわ!」
レミーナが喜びの声を上げると、ティアは少しだけ顔を上げ、よくよくみないと分からないぐらいの小さな微笑みを浮かべた。
レミーナも嬉しくなりながら、もう読んだ? と顔を見ながら聞くと、ティアはこくんとしっかりと頷いた。
「このカナリアが王子さまだったの、びっくりしたよねー! ぴーちくぱーちくよく歌って王女さまにからんでくるカナリアだなぁと思っていたら、えー! って思ったのよね!」
ティアも同じように思ったのか首をこくこく縦に振っている。
「カエルさんが大臣さんで小さなワンちゃんが騎士さん、ってのも面白かったのよね、魔女の魔法にみーんなでかかってしまって……え、なに?」
レミーナが物語の内容をそらんじようとすると、ティアはそっと袖口をつまんだ。そしてとんとん、と本を冒頭を指差す。
「あ、ごめんなさい。そうだよね、最初から読んでいけばいいものね」
ティアはまたそっと口元をゆるめた。
「じゃあ、読むね」
レミーナはひとつ、呼吸を整えた。
「むかしむかし、あるところに……」
ゆっくりと、言葉がはっきり伝わるように読みだした。
ティアは喋れないでいるが、言葉が分からない訳ではない。でも、しゃべらない、というのは言葉の発音がどんどんと衰えていくらしい。
昔おなじ症状の子がいて、落ち着きを取り戻して喋れるようになった時に、とても苦労していたの、とコンスエロ院長先生から聞いた。
『どうにかしたいとは思っているのだけれど、なかなか良い方法が思いつかなくてね』
いつもはきらきらしている小さな翠色の瞳が曇っていくのをみて、レミーナはカスパル先生に聞いてみたらいいのでは、と提案してみた。
コンスエロ院長先生はすぐに頷き、ティアが養護院に来た経緯と現状をしたためた手紙を、レミーナに託したのだった。
カスパル先生はざっと一読し、そうさの、と少し考えてから、とにかく言葉を浴びるのが大事じゃ、と助言をしてくれた。
赤子が言葉を覚えていくのは、まず耳から入って真似をする。それと同じように、しゃべらなくても、まずはたくさん話しかけて言葉を忘れないようにするのが大事だと。
『いつか自分の言葉で話したい、と思ったときに、自然と言葉は発せられるものじゃ。その時まではたくさんの言葉を聞かせて、じっと待つのじゃな』
いつもなにかしらからかってくるカスパル先生が、真剣な表情でレミーナに応えてくれたのでレミーナもしっかりと頷いたのを覚えている。
それ以来、レミーナは丁寧にはっきりと、ティアに絵本を読み聞かせていた。
感情もなるべく大げさになるように、顔もへんな顔になるのも気にせずに。
そうすると、ティアが少しだけ笑ってくれるのだ。ティアの表情が変わるのはとても良いこと、とコンスエロ院長先生も喜んでくれている。
ゆっくりゆっくり、心を取り戻していけばいい。
ティアとの時間は、レミーナにとっても忙しない日常から穏やかになれる、素敵なひとときだった。
「からだをとりもどした王子さまは、姫にけっこんをもうしこみ、すえながくいっしょにくらしましたとさ。 おしまい」
レミーナが最後まで読み上げると、ティアは満足のため息をついた。そしてやわらかく微笑みながら、本に書いてある姫の髪をそうっと指でなぞった。
「すてきよね、さらさらの金髪で。あ、でもティアの髪もとてもきれいよ!」
広々ととってある窓から、午後の光がティアの髪にふりそそいでいる。同じ栗色でも色素が薄いティアの髪は、黄金色に輝いていた。
少しだけ面長で目鼻立ちがすっきりとしたティアは、北の国フィンリー国の顔立ちをもらっているようだった。栗色はルイビス王国に多くある髪質なので、おそらくご両親のどちらかが北の出身なのだろう。
そういえば、とレミーナは気がついた。
「ティア、私たちの国の王妃さまはフィンリー国のご出身なのよ、知ってた?」
ティアは小さく首を横にふる。
「イルミ妃殿下はね、いまのティアみたいにさらさらの白金髪でね、それはそれはお綺麗な方らしくて、私も遠くのバルコニーに立たれているのを見たことがあるのだけ、ど……」
レミーナは、王族の方々が国民の前にお出ましになった時を思い出しながらティアに伝えていると、ちかちかっと、脳裏に妃殿下のドレスが映った。
紫のベルベット生地、そのドレスの後ろ側に付いている、ドレスより深い色のドレープと呼ばれる飾り布が美しく広がっている。
あまり表情の変わらない妃殿下が何かの口上を聞いたのか軽く頷きこちらを見た。
結い上げられた白金髪の頭上にはティアラがシャンデリアの光を受けて輝き、その場所は、レミーナが以前見たことのあるバルコニーではなく、室内のようだった。
(なぜ、こんなにくっきり……? 私、妃殿下にお会いしたことは、ない、はずなのに)
ちかっ、ちかっとまた、光が瞬くように映像が脳裏に浮かんでは消える。
誰かが踊っている。
父と母、兄がいる。
照明が少し落とされた廊下。
廊下に差し込んでいる、細い明かり。
つぎの場面では、紫色のドレスが、床に広がっているように見えた。
「うっ……!」
突然、激しい頭痛が襲ってきた。
映像は全て消え、ただひたすら痛みだけを感じる。
(な、に……これ、すごい……いたいっ)
こめかみに手を当てながら必死に耐えていると、身体がぐらりと揺らいだ。
(まずい……っ倒れそうっ)
気がつけばティアが、驚いた表情で目を見開いている。
「ティ……ア……ごめ……だれか、呼ん……」
ああ、いけない、ティアは声が出ないんだ。そうじゃなくて。
呼んで、じゃなくて、リビングに行ってきて、と、言いなおさないと。
そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。
どさり、と音がして、後から身体に痛みが走る。倒れたんだ、と思う前に近くで子供の鋭い悲鳴が聞こえた。
ティアだ。
ああ、ごめん、ティア。
声が出せるようになればいいな、と思っていた。
でもそれは、こんな風に出すものじゃない。
泣いている声がする。
ティアが大きな声で泣いている。
ごめん、ティア。
泣かせてごめん。
びっくりさせてごめん。
大丈夫だよ、とすぐにでも起きたいのに、人差し指でさえも動かす事ができない。
やがて、泣き声も遠のいていき、レミーナはごめんごめんと心の中であやまりながら、とうとう意識を飛ばしてしまった。
おはようございます、お待たせをいたしました。
先日はランキングまで上がらせて頂きありがとうございました! 無事におりてきまして、今からはゆっくりと楽しみながら綴っていきたいと思います。
週一ペースを目指したいと思いますが、繁忙期の時には間に合わないこともあるかと思います。
また逆に、筆がのりますとどんどん書いていくタイプですので、やはり不定期とさせて頂きます。
年末、体調をくずされる方も多いと思います。温かくしてお過ごしくださいね。
なん