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エピソード2:港町で生きる人々②

 その後、涼子と簡単に打ち合わせを済ませたユカは、政宗の運転する車に乗ってイオンから離脱。石巻の中心部――石巻駅の方へ向かっていた。

「ケッカ、今のうちに確認しておきたい事はあるか?」

 信号待ちで車を止めた政宗が、サイドブレーキを引きながら助手席のユカに問いかける。

 ユカは首を横に振ってから、シートの背もたれに体重を預けて、一度息を吐いた。

「とりあえず今日は、もうちょっと明るいところで写真を撮影すればよかっちゃろ? 仁義君や茂庭さんにも手伝ってもらうけんが、政宗も仙台で(・・・)ちゃんと仕事せんねよー」

「分かってるよ」

 信号が青に変わり、車の列が一斉に動き始める。その流れに沿って動く車内から窓の外を見つめながら……ユカは頭の中で、先日のやり取りを思い返していた。


 実は今日、政宗は夕方に仙台で1件仕事がある。そのため、ユカと仁義を合流させたら、1人で仙台に先に帰らなければならない。

 本当は調整して残ろうと思っていた政宗に、金曜日のユカがしっかりと釘をさしていたのだ。

「統治に確認したっちゃけど……政宗、月曜日は夕方にお得意様の進捗状況を確認するっちゃろ? 対象者の支倉さんが帰ってくるのも夕方なんやけん、石巻はあたしと仁義君で大丈夫やけんね」

「……随分情報収集能力を上げたな、ケッカ」

 政宗はソファに座り直すと、自分を強い眼差しで見つめているユカから視線をそらしてため息をついた。

 対するユカは、そんな彼にジト目を向けて足を組み替え、視線を向けたまま口を尖らせる。

「政宗の考えそうなことげな、お見通しなんよ。毎日あげん忙しくしとるとに、週明け月曜日の午後だけぽっかり空いとるげな……違和感があるに決まっとるやんね」

「……ソウデスネ」

「支倉さんのお姉さんにも協力を取り付けとるっちゃろ? お姉さんと仁義君はさておいて、いきなり見ず知らずで関係性不明の男女が一緒にやってきて「写真撮らせろ」なんて、完全に警戒されるやんね」

 ユカのもっともな意見に政宗が二の句を告げずにいると、彼女は組んでいた足をほどき、その両膝に両手を添えてから、少し優しい声で言葉を続ける。

「あたしの体とか、慣れない土地での仕事とか……心配してくれとるのは知っとるよ。でも、それで政宗が無理を続けたら、『仙台支局』がおざなりになるやんね。あたしだって……ここの一員として、一人前の仕事がしたい」

 そう言い終えてから、ユカは静かに、握った左手を彼に向けて突き出した。

「ほら、約束。無理はせんし、何かあったら仁義君を通じて現地の名倉さんに応援を依頼する。後は……何かある?」

 こう言って首を傾げる彼女に、政宗は破顔してから……握った左手を彼女の拳に押し付け、ユカを真っ直ぐに見つめる。

「そうだな、後は……時間によっては直帰を指示するから、その時は石巻で美味しいもの食べてこい。万吏さんに交渉して、経費も検討してやるよ」

「ん、分かった。交渉頑張ってね、佐藤支局長」

「何かあれば俺でも統治でもいいから報告してくれ。頼んだぞ、ケッカ」

 彼からの全幅の信頼を預かったユカは、拳を重ねたまま一度だけ強く頷いた。


 仙台以外の場所を、見てみたい。

 ユカは少し前にも、同じことを彼に願ったような気がするけれど……詳しく思い出せないので、これ以上深く考えなかった。


 見慣れぬ景色が流れ続ける窓の外を眺めていると、住宅街の細道に入った政宗が、「そろそろ着くぞ」とユカの意識を引き戻す。

「写真を撮影出来たら、帰る前に統治に送っておいてくれ。『生痕』かどうかも含めて判断して対応を協議する」

「了解。『生命縁』写っとればバストアップだけでよか?」

「ああ。っていうかケッカ……『生痕』の対応ってやったことあるか?」

 政宗の問いかけに、ユカは初めて口をつぐんだ。そして……窓にぼんやり映り込む自分の顔を見つめ、一度ため息をつく。

「……実は、実例の対応は初めてなんよ。福岡でもあんまなかったし、仮に出てきたら麻里子様が意気揚々とぶん殴りに行っとったけんね……」

 シミジミと語るユカに、政宗は思わずハンドルから両手を離しそうになり、慌てて両手に力を入れた。

「……ちょっと待ってくれ何でぶん殴るんだよ」

「生きてるからだって。あと、気絶させないと対処に失敗するとか何とか」

 平然と語るユカに、政宗は背筋に嫌な汗をかく。

「もっと穏便なやり方があるだろうが……流石、修羅の国だな……」

「ちょっとちょっと、一緒にせんでよね!! そういう政宗は対応したことあると!?」

 語気を強めて反論するユカに、政宗は「いいや」と首を横に振った。

「残念と言うのが正しいかどうか分からないけどな……俺も実は、『生痕』の対応はやったことがないんだ。ただ――」

「ただ……え――!?」

 端的に事実を告げた政宗に、ユカが軽く目を見開いた次の瞬間――彼は不意に速度を緩めてハンドルを動かすと、とある家の前の路肩に車を止めた。

 市街地の住宅街にある、ごく普通の一軒家。木造と思われる2階建てで、駐車場と小さな庭がある。名杙の屋敷とは規模がまるで違う様子は、予想していたとはいえ、実際に見ると……少し、驚いてしまった。

 名杙から離れると、こうも一般的な暮らしが出来るのか、と。


 そして、門の前で待っていてくれた仁義が、車から降りてきたユカを見つけて軽く会釈をした。

「お疲れ様です、山本さん。今日は宜しくお願いします」


 その後、2人して政宗を見送った後、ユカは仁義の先導で、名倉家へと足を踏み入れる。

 ドアノブを引いて玄関扉を開いた仁義に続き、靴を脱いで家の中に入った。2人以外に人の気配はなく、静まり返った家の中に、廊下を移動する足音だけが響く。

 ユカを応接用の和室に案内した仁義は、座布団を用意しておいた位置へ彼女を誘うと、キョロキョロと周囲を見渡すユカを見下ろした。

「飲み物を持ってきます。アイスコーヒーでいいですか?」

「うん、ありがとう」

「あと……この家の中だったら、帽子を脱いでも大丈夫ですよ。外は暑かったと思いますので、もしもよろしければ、ですけど」

 仁義はそう言い残し、一度席を外した。

 ここが名杙直系のフィールドであることを改めて意識したユカは、座布団の上に腰を下ろし、かぶっていた帽子を脱いで、自分の脇に置く。

 周囲を見渡しても、ごく普通の和室だ。ユカから見て正面に廊下とつながる出入り口の襖、右手奥に床の間があり、左手に押し入れがある、8畳ほどの空間。名杙本家のような仰々しさも、張り詰めたような緊張感もない。住宅街ということもあって時折聞こえるセミの鳴き声と、前の道路を通り抜ける自動車の走行音程度の音しか届かない。

 ユカ自身は『普通の家庭』を知らないけれど、きっとこれが『普通』なんだろう……思わずそう感じるほどに『普通』だった。

 と、廊下の足音と共に、仁義が戻ってくる。お盆に二人分のガラスコップと、細長いポットに入ったアイスコーヒー。腰を下ろした仁義がコップをユカの前に置くと、細長いポットを傾けて、その先からアイスコーヒーを注いだ。

「山本さん、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」

 ユカは出されたコップに口をつけて、中身で口内を潤してから……息を吐き、仁義を見つめた。

「なんというか……仁義君と2人で仕事げな、初めてやね。今日、里穂ちゃんは部活なん?」

 この問いかけに、仁義が静かに首肯した。

「はい。里穂は夕方まで部活なので、丁度山本さんと入れ違いになるかと思います。今日は宜しくお願いします」

「こちらこそ宜しく。ここは仁義君達のフィールドやけん、しっかり頼らせてもらうけんね」

 こう言って仁義を見つめると、彼はどこか照れたような表情でアイスコーヒーを飲んだ。

 その表情を見つめるユカは、2人で話を出来るタイミングが限られていることも考慮して……意を決して、話を始める。

「仁義君も政宗から話は聞いとると思うけど、今回は『生痕』が関わっとる可能性が高いんよ。今回はその証拠固めやけど、本当に『生痕』が生まれとるんやったら……早く対処せんといかんね」

「そうですね。山本さんはこれまで、『生痕』に対応されたことはあるんですか?」

「残念ながらないんよ。やけんが正直、知識だけしか持っとらんっちゃけど……」

 ユカはここで言葉を切ると、改めて仁義を見据えた。

 その眼差しである程度のことを察した仁義は、肩をすくめて苦笑いを浮かべた後……一度、息をつく。

「……そうですね。僕は昔、『生痕』と関わったことがあります」


 それは、彼が『柳井仁義』になる前の話。

 彼がこの港町に住むことになった、柳井仁義という名前を名乗ることになった――里穂と出会った、そんな、昔話だ。


 彼は元々、宮城ではないところに住んでいた。親が共に海外に本社のある外資系企業に勤めており、世界中が対象となる転勤族だったこともあって、1つの土地に思い入れはない。

 知り合ってもどうせすぐに引っ越しをするし、何よりも……彼に色濃く隔世遺伝した、色素が極端に薄い銀髪と碧眼。およそ日本人離れした風貌が、彼と周囲との間に決定的な溝を生み出していた。今でこそ安定してきたが、幼少期はホルモンバランスが安定せず、白髪のような状態に見えることもあったのだ。

 また、彼の頭皮は市販の毛染め剤に耐えられるほど強くなかった。髪を黒くするとフケが出てしまい、それが白いポツポツになって余計に目立ってしまう。それにどれだけ染めたところで……新しく生えてくる髪の毛は、黒くない(他の人と違う)のだ。

 だから正直、海外で過ごす時間の方が心地よかった。地域性やその街の雰囲気にもよるのだろうが、海外では最初こそ驚かれても、ちゃんと彼を理解しようとしてくれる大人がいた。けれど、日本に住んでいると……大人はまず奇異的な眼差しで自分を見つめてくる。そして、よほどのことがない限り、近づいてこようとはしなかった。

 一方、子どもは明らかな好奇心を向けてくることもある。その中から一緒に遊んでくれた子もいたけれど、彼らともいずれ別れてしまうことが幼心に理解出来ると……自分から距離を近づけようなんて、思えなかった。


 そんな中、里穂と仁義の父親同士が仕事上の知り合いだったこともあり、小学校の夏休み期間を利用して親が夏季休暇を合わせ、一度、宮城県に遊びに来たことがある。外資系企業に勤めている仁義の父親――國見忠義(くにみただよし)と、石巻の加工工場で働いている里穂の父親――名倉陽介と……今となっては『本当は』どんな関係だったのか、まだ詳しく聞いたことはないけれど、名倉家の家族3人は、仙台駅で、自分たちを笑顔で出迎えてくれた。

「初めまして、名倉里穂ですっ!!」

 ポニーテールをゆらしながらこう言って、元気に挨拶をしてくれた里穂が、可愛くて、眩しくて……彼は思わず母親の手を握り、その影に隠れた。里穂は「あれ?」と目を丸くして首を傾げ、そんな様子を見た大人4名は、とても楽しそうに笑っていて……年上なのにちょっと恥ずかしかったことを、今でもよく覚えている。


 そんな、楽しいはずの宮城旅行中、レンタカーで県内を移動していた3人は、大型トラックとの交通事故に巻き込まれて……忠義は即死、母親の仁美(ひとみ)が意識不明の重体となる。後部座席にいた彼もまた、全身を強く打っており、しばらくは生死の境をさまよっていた。


 病院で目が覚めた時に、先日初めて会った陽介がいて、彼の意識が戻ったことを喜んでくれた。

 そして――親を探す彼に、言葉を濁すことしか出来ない。


 そこからしばらくのことは……正直、今でもよく覚えていないけれど。

 しかし、彼が宮城に残る理由になったのは、そんな彼が陽介に自分の両親について、包帯だらけの手を見つめながらぼんやり呟いた、こんな一言だった。


「おじさん……ずっと手から出てるこの『紐』、何ですか? 僕の治療には……この『紐』が必要なんですか?」

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