エピソード2:港町で生きる人々①
週明け、いつも通りの仕事が始まる月曜日の15時過ぎ。
政宗とユカは、宮城県石巻市にあるイオンモール内の、大手コーヒーチェーン店の中にいた。
この場所は地域最大のショッピングモールだ。このイオンがある蛇田周辺は、海岸から遠く、災害の被害がなかったことで、急速に商業地として開拓され始めていた。郊外には災害公営住宅や新興住宅地、大きな病院も整備されており、石巻の新たな繁華街として発展を続けている。
高速道路を使って仙台から1時間程度で到着した2人は、店の奥、4人がけの席で隣同士に座っている。ユカが乾いた喉を潤すべく、透明のプラスチックコップに入っているアイスカフェモカをストローですすった。
そして、隣でアイスコーヒーを飲む政宗に視線をうつし、これからの流れを尋ねる。
「政宗、これから会う人が……その、対象者のお姉さんでもあるけど、茂庭さんの奥さんなんよね?」
「ああそうだ。名前は茂庭涼子さん、年齢は……26歳だったかな。俺も数回会ったことがあるけど、凄まじく物腰が柔らかい人だ。ケッカのことは万吏さんから何となく伝えてもらって、今回はあくまでも妹さんについて話を聞くことと、今日の夕方の打ち合わせってことで話を進めてもらうよう頼んである。基本的にここは俺が話すから、自分から言い出さなくていいぞ」
「分かった。どげな人なんやろか……」
ユカは先日あった万吏のイメージを脳内に呼び出して……彼の奥さんが『物腰の柔らかい人』という評価を得ていることが、上手く結び付けられずにいた。
とりあえず、政宗が上手いこと仲介して、『夕方の接触』につなげてくれるだろう。そのために一度、彼がいられる時にこうして時間を作ってもらったのだから。
ユカがストローでコップの中身をすすっていると……一人分のカップをトレイにのせた女性が、どこかためらいがちに、2人が座るテーブルの方へ近づいてきた。
髪の毛は肩より少し長い程度。白い半袖のブラウスにパステルピンクのひざ丈スカート、足元はクリーム色のパンプスを着用しており、タレ目で、全体的に物腰が柔らかそうな印象を抱く。
彼女の姿を見つけた政宗が椅子から立ち上がり、軽く会釈をした。政宗に気付いた彼女もまた、その場で立ち止まって軽く会釈をしてから、確かな足取りで近づいてくる。
そして、二人の前に抹茶のクリームフラペチーノがのったトレイを置くと、改めて両手を前で揃え、しっかりとお辞儀をした。
そして、顔をあげると、柔らかな笑顔と軽やかな声音で自己紹介を始める。
「初めまして、茂庭涼子です。本日はミズちゃ……妹の件で、わざわざありがとうございます」
政宗の前に座った彼女――涼子は、とりあえず手元の飲み物を一口すすってから……改めて、政宗とユカを交互に見つめた。
「佐藤さんとは何度かお会いしたことがありますよね。えっと……こちらの女性が、山本さん、ですか?」
その問いかけにユカは口を開きそうになったが、政宗が視線で制する。
そして、彼は一口コーヒーをすすって口の中を潤してから、涼子の持っている情報をコチラ側とすり合わせる作業を開始した。
「ええ、彼女が山本結果です。確認なのですが……万吏さんから、彼女のことはどこまで聞いていますか?」
この質問に、涼子はどこか躊躇いながらも……一度呼吸を整えると、政宗を見据えて回答した。
「……特殊な病気で、体の成長が遅れている、と。あと、その都合で帽子が手放せない。そう聞いています」
とても差し障りのない認識に、ユカと政宗は同時に胸をなでおろした。とりあえずユカが外見より実年齢が高いことと帽子を手放せないこと、この2点を涼子が理解していれば十分だ。
「分かりました。彼女に関しては茂庭さんが聞いている通りですので、これ以上詮索しないでいただけると助かります。確かに見た目は幼いですが、彼女の実力は俺が保証します」
きっぱりと断言をする政宗に、涼子はすんなり「分かりました」と頷いた後、改めてユカに視線を向けて、優しく微笑みかける。
「山本さん、どうぞ宜しくお願いします」
「よ、宜しくお願いします。山本結果です」
慌てて名前を告げて頭を下げるユカは、顔を上げて涼子を見つめ……彼女の物腰の柔らかさに圧倒されつつ、どうして彼女は万吏と結婚したんだろうという素直な疑問を、カフェモカと共に一度飲み込んだ。
当事者である支倉瑞希の姉であり、万吏の妻でもある女性、茂庭涼子。
彼女に接触したいと言い出したのは、政宗だった。
金曜日、『仙台支局』で仁義との打ち合わせの最中、政宗は顎に手をあてて……ボソリと呟く。
「とりあえず、お姉さんにも話を聞いてみようかな」
その言葉に、仁義が軽く目を見開いた。
「お姉さん……涼子さんですか?」
「ああ。元々万吏さんに妹さんのことを相談したのは彼女だ。今は確か、結婚して実家を出ていたと思うけど、そんな彼女が気になるってくらいだから、一度話を聞いておく必要はあると思う」
「そうですね」
「それに……この支倉瑞希さんも、いくら仁義君がいても、俺やケッカもいきなり接触すると警戒するだろうから。出来れば最初の立会にはお姉さんに一緒にいてもらうほうが、まだマシだと思うんだ。仁義君、お姉さんの連絡先って……知らないよね?」
ダメ元で尋ねる政宗に、仁義が申し訳なさそうに首を横に振った。
「スイマセン、僕もそこまでは……」
「いや、それでいいんだよ。むしろ知ってる方が気になるし。とりあえずその辺は万吏さんにすり合わせてもらうとして……仁義君は一度、支倉さんに会っているよね。今回の件、現時点でどう思う?」
「そうですね……」
政宗に問いかけられた仁義は、少し目を伏せてから……どこか自嘲気味に呟いた。
「恐らく、ですけど……『生痕』――生霊の類だと思います」
それはかつて、彼自身も苦しめられた経験から出た言葉。
彼が『柳井仁義』という名前を手に入れる少し前の――そんな、昔話だ。
時間は戻り、石巻イオン内のコーヒーチェーン店にて。一見すると奇妙な取り合わせの3人は、店の片隅で更に情報を共有する。
「お姉さんが妹さんの変化に気付いたのは、いつ頃ですか?」
政宗の問いかけに、涼子はスマートフォンのスケジュールアプリを起動して、カレンダーを確認した。
「私が気付いたのは……あった、5月28日です。石巻駅に用事があった時に、駅近くにある広場のベンチに1人で座っているミズちゃんを……妹を見て、少し顔色が悪そうだったから話しかけたんですけど、すごく挙動不審で」
結婚したとはいえ、それまでずっと一緒だった姉がこう言うのだ。よほど様子がおかしく見えたのだろう。政宗は涼子からの情報を手元の手帳に書き留めながら、確認するように問いかけた。
「挙動不審……その時、周囲に人はいなかったんですよね」
「はい。スーツ姿だったので仕事終わりだってことは分かったんですけど……話を聞こうとしたら、疲れているからって逃げるように帰ってしまったので……」
「そうでしたか」
「その後も気になって、実家に聞いたり、折を見て駅に行ったりしてみました。近づくと警戒されると思って、離れた場所からコソコソ様子を伺ったりして……本当、私、何してるんだろうって……」
その時のことを思い出したのか、涼子は両手を頬にあてて「はぁ……」と、ため息をついた。
ユカは黙って2人のやり取りを聞きながら、頭の中で状況を整理する。
支倉瑞希は、約2ヶ月近く、石巻駅近くのベンチで1人、コソコソと何かをしている。
偶然接触出来た里穂や仁義によると、『遺痕』の気配はない。そして、統治の開発したアプリを通じて写真を撮影してみると、とある『関係縁』の色が、どす黒くなっているように見えた。
これらの現状と仁義の見立てによると――涼子が出会い、里穂と仁義が再会した瑞希は、生霊の可能性が高い。
生霊――それは、生きた人間の魂の一部が外に出て、執着している『誰か』に干渉すること。
これを縁故的に解釈すると、執着している相手との『関係縁』に異常が発生してしまい、その『関係縁』が他の『縁』に干渉して、本人や相手の心身を脅かすことになる。
そしてこの『関係縁』の異常は、時に予想外の事態を引き起こす。詳しい原因は定かではないが、生命活動を維持するためのエネルギーが異常をきたした『関係縁』の方に流れてしまい、暴走する。そして……『遺痕』のような不安定な存在を、本人と――今回の場合は瑞希と一切変わらない外見で生み出すことがあるのだ。現象や存在の全てを含めて『生痕』と呼んでいる。
『生痕』の恐ろしいところは、『生命縁』も含めた『縁』までもコピーしてしまうことだ。そのため、『縁故』ではない涼子でも認識することが出来る。
要するに瑞希の本体は、本来1人を生かすはずのパワーが無理やり分散されて、もう1人の彼女を生み出していることになる。この状態が続けば、本体が消耗していき……やがて、共倒れになってしまうのだ。
恐らく瑞希は特定人物に執着しており、その人物と繋がっている『関係縁』に、何かしらの異常が発生しているのだろう。夜に撮影した写真では、そこまで詳細に確認が出来なかったので……ユカは今日、直接この目で確認をするつもりだ。
これは涼子には告げられないけれど……放っておけば、瑞希自身の命が危険な状態になってしまう可能性も否定出来ない。だから、早めに原因を解明して、対処する必要がある。
『生痕』の対処法、それは――
考え込むユカの横顔をチラリと確認した政宗は、涼子に視線を向けてから、瑞希の交友関係について尋ねてみることにした。
「妹さんは、最近、ストレスを感じていることはありませんでしたか? もしくは、大切な人との別れがあったとか」
政宗の問いかけに、涼子は頬に手をあてて考えを巡らせる。
「そうですね……4月から仙台のイベント会社で契約社員として働きだしたんですけど、色々とやることが多く、慣れないことも続いているようです」
「そのことについて、相談出来る人はいそうですか?」
「どうでしょうか……性格がどうしても、内向的な子なんです。ご承知の通り、私は結婚して家を出ていますし、互いにカレンダー通りではない仕事をしているので……」
「失礼ですが、内向的な妹さんが、どうしてイベント会社の契約社員に……?」
政宗の素朴な疑問に、涼子は苦笑いを浮かべて、その理由を説明した。
「佐藤さんも仙台でお仕事をしているので、知っているかもしれませんけど……ミズちゃんが、妹が働いているイベント会社は、特に災害からの復興に関するイベントに力を入れているんです。今週末に石巻でも、防砂林が流された海岸での植樹イベントが開催されるんですけど、初めてメインの担当にしてもらったそうなんです。勿論1人ではないんですけど、絶対に成功させるって張り切っていた……と、家族から聞いています」
そのイベント会社とは浅からぬ因縁がある政宗は、「なるほど」と、相槌をうちながら、心の中で仮説を組み立てる。
『生痕』の存在は、それだけで本体にいつも以上の疲労とストレスを感じさせる。
イベント会社に勤務しているともなれば、これまで以上に色々な人間と知り合う機会が増えるだろう。例えばストレス源となっている相手が仕事の得意先にいて、その人物と会うことで心が刺激されて、余計に消耗してしまったら……彼女の死期を早めるだけになってしまう。
「要するに……妹さんの今は、そのための用意で余念と余裕がない、ということですね」
時間的な猶予は、あまりないかもしれない。政宗は自分に言い聞かせるように真顔で呟くと、手元のコーヒーをすすった。当然だが、涼子が心配そうな眼差しと一緒にオズオズと尋ねる。
「あの、佐藤さん、それが今回の件と何か関係があるのでしょうか……?」
いらぬ心配をさせてしまった政宗は、慌てて涼子にフォローを入れた。
「現時点ではまだ断言出来ません。情報は一つでも多く知っておきたかったので……一方的な尋問のようになってしまってスイマセン」
「い、いえ、私こそごめんなさい。本当に……宜しくお願いします」
すがるように頭を下げる涼子に、政宗は顔をあげるよう声をかけてから……隣で黙して何も語らないユカに「頼んだぞ」と声をかける。そして、彼女が無言で頷いたことを確認してから、少しぬるくなったアイスコーヒーを最後まで飲み干した。
万吏の奥様・茂庭涼子さんの登場です。実は彼女は結婚前に一度外伝で出してますが、今回は結婚後に本編登場となりました。
あれだけ尖っている(笑)万吏の奥様は、それはもう穏やかな女性です。多分、『エンコサイヨウ』の中で一番人畜無害でしょうね。
そんな彼女と万吏の馴れ初めは、万吏の誕生日小話などを使って明かしていきたいと思いますので、石巻の茂庭夫婦も宜しくお願いしますー!!