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エピソード1.5:過去の彼女と今の彼女

 万吏が『仙台支局』を訪れた水曜日のこと。

 ユカと統治を『遺痕』対策へ送り出した政宗は、テーブルを挟んだ向こう側、応接用のソファに座って書類を確認している万吏をチラリと見やる。

 スーツの上着を脇に置いて、政宗からの書類にひとしきり目を通した万吏は、「ふむ……」と頷いたあと、その中の1枚を一番上にして、彼へ冷静に問いかけた。

「政宗君、先月の自宅勤務における経費の計上に関してだけど……この理由だと、まだ薄いかな。凄く私的な理由にしか思えない。もっと客観的に『どうして自宅勤務になったのか』を書いて欲しいんだけど……これ、もう少し深く突っ込める内容?」

「客観的に、ですか……」

 突き返された書類に、政宗は顔をしかめるしかない。


 自宅勤務になった理由、それは――ユカに異常があり、ずっと側についていなければならなかったから。現に今も、書類には「職員の極度な体調不良により~」という内容が記載されている。

 これを見た政宗自身も、確かに私的な理由だと判断されてもしょうがないとは思う。しかし……これ以上に書きようがないこともまた、事実なのだ。


 政宗は表現方法についてもう少し統治と協議しようと心に決めて「分かりました、書き直してFAXします」と、その書類を引き取った。

 そんな彼の反応を見た万吏は……目を細めてため息1つ。

「この職員って、まだ俺が『会わせてもらってない』山本結果ちゃんだよね?」

 言葉の途中に彼からの絶妙な圧を感じた政宗は、目線を逸らしながら白々しく返答した。

「たまたまタイミングが合ってないだけですよ。それに、万吏さんとの話は内部に関することも多いので、あまり聞かれたくありませんし」

「まぁそういうことにしてあげよう。で、ケッカちゃんは元気になったの?」

 万吏から問いかけに、政宗は首を一度縦に動かす。

「はい、おかげさまで。彼女は福岡から1人で来てくれているので、流石に俺が面倒を見ないといけないと思って――」

「――その割には表情が暗いよね、政宗君」

 容赦のない万吏の言葉に、政宗は思わず息を呑んだ。

 的確に心を見透かされた気がした……いや、見透かされたから。


 ケッカは元に戻った。

 でも――ユカは、あの時間を共に過ごした彼女は、いなくなってしまったのだから。


 今はもう割り切って、ケッカを元に戻すことを命題に戻し、日々を過ごしているけれど。

 まだ、時折……ふとした瞬間に、あの時のユカの笑顔を思い出してしまうことがある。

 そうすると、強い意志で蓋をしたと思っていた心の奥底から、あの時のことが簡単に蘇ってくるのだ。

 あの幸せな時間は、まだそう簡単に、過去の思い出には出来ない。


「この『縁』が繋がってる限り、消えることはなかよ。『ケッカ』の中にもきっと、あたしと同じ……『好き』って気持ちが、必ずあるはず」


 あの時、ユカはそう言ってくれたけれど。

 でも、明確に政宗への『好き』を示してくれた大好きな人は、今、目の前にいなくて。

 それを自覚すると、どうしても――辛くなってしまうことがある。


 全てが終わった後、ユカの健康診断のために訪れた透名総合病院で……聖人は政宗に、こんな仮説を聞かせてくれた。

「政宗君を思い続ける力に回す余力がないんじゃないかな、と、伊達先生は考えたってわけ。だから、政宗君への思いを『忘れた』ことにして、総力戦で、『生命縁』から発生している物質を駆除し続けている。そうしないと、ケッカちゃんとして生きることも難しいんだろうね」


 それは、偶然が重なった奇跡。

 だから……奇跡は続かない。その奇跡を軌跡に出来なかったのは、ユカを助けられなかったのが、先月の自分だ。


「ケッカちゃんが最初に苦しんだ時に、その物質が多く放出されて……彼女を本来の姿に戻した。ただ、体調の回復と共にその物質は再び体内に蓄積されていくよね。だけど、政宗君と一緒にいたユカちゃんは政宗君との繋がりにエネルギーを使ってしまって、物質の駆除を疎かにしてしまうことに気付いてしまった。だから……今回、彼女はまた、これまでの姿に戻ることを選んだんじゃないかな。いくら恋人同士になって楽しくても、自分が死んじゃったら元も子もないって……本能で、ちゃんと、分かっていたんだろうね」


 そしてユカはいなくなり、ケッカが戻ってきた。

 記憶を反転させ、彼への思いを忘れたままで。


 そう、全ては『もとに戻った』だけのこと。

 紫でなくなった2人の『関係縁』、それが……今の2人の現実だ。


 政宗は無意識のうちに両手を膝の上で握りしめ、俯いたまま問いかける。

「万吏さんは……涼子(すずこ)さんが、その……万吏さんのことを忘れてしまったら、どうしますか?」

「政宗君……?」

 怪訝そうな万吏の声に、政宗は慌てて顔を上げた。そして慌てていつも通りの笑顔を作る。

「いきなり変なことを聞いてスイマセン。その……ケッカ、熱が高くて意識が朦朧としていることが多くて、本当に危ない状態だったこともあって……俺が世話をしていたことなんかも、ろくに覚えていなかったので……」

「そうだったの? それは大変だったね……そりゃあ、自宅勤務にもなるわ」

 万吏は足を組み替えて、空笑いを浮かべる政宗を見据えた。

 本当はもっと、政宗の悩みは深刻だと思っている。しかしこれは恐らく、自分が『踏み込んではいけない』領域なのだろう。

 彼が抱えるものは、万吏が思っている以上に複雑で、とても、重たいものだと思っているから。

 けれど……せめて、最初の質問には答えてあげたいと思った。

 眼の前にいる彼は、過去の自分と重なってしょうがないところがあるのだから。


「スズが俺のことを忘れたら……悲しいと思うよ」

「万吏さん……」

「そうだね、ちょっと想像しただけで悲しかった。俺はスズのことを覚えているけど、きっと話は噛み合わなくて……もしかしたら、一時的に距離をおきたくなるかもしれない」

 ここまで言ってから、万吏は手元のお茶をすすった。そしてコップを置いてから、真剣な表情で聞いている政宗に向けて……優しい表情になって、言葉を続ける。


「でも、完全に離れられないと思うよ。自分でも呆れるけど……多分俺はずっと、スズのことが好きだと思うから」

「……」

そう断言できる万吏が、とても、眩しく思えた。

「俺が偉そうに語れることじゃないけど、人を1人真剣に好きになるって、そういうことなんじゃないかと思ってる。辛いこと、ままならないことの方が多くて……でも、そんな中で嬉しいことがあると、また、その人のことを好きになる、それの繰り返しなんじゃないかな。政宗君も思い当たること、あるんじゃない?」

 万吏の問いかけに、政宗は肩をすくめて頷くしかない。だって……。

「……ありすぎます」


 ユカがいなくなって、どうしても割り切れなかった時。

 そんな自分を見つけて、抱きしめてくれたのは、彼が『ケッカ』と呼んでいる少女だった。


「……お疲れ様。頑張ったんやね。そういう頑張りやなところ……本当、政宗らしいと思うよ」


 距離をおきたいと思ったのは一瞬で、すぐにまた元通り。

 あの時また、政宗は彼女に恋をして――共に歩いていきたいと思った。



 だって、ケッカは――ユカなんだから。



「政宗君がどんな思いをしたのか、今の俺はこれ以上分からないけど……でも、ケッカちゃんのことがまだ好きなら、これから彼女と同じ思い出を沢山作っていけばいいと思うよ。折角仙台に呼べるくらいになったんだから、もうちょい頑張ってみなって」

 そう言っていつもと変わらない笑顔を向けてくれる万吏に、政宗は一度、力強く頷いた。

「……そうですね、努力します」

 迷っても、苦しくても――結果、彼女のことは好きなのだから。

 そんな政宗の反応に満足そうな表情を浮かべる万吏は、その口元にニヤリと笑みを浮かべて、書類を整理している政宗を見つめた。

「それで、万吏おにーさんにはいつ紹介してもらえるのかなー?」

「いつでしょうねー。そのうち会えるんじゃないですかー?」

 瞬時に貼り付けた営業スマイルで切り捨てる政宗に、万吏はヤレヤレと肩をすくめつつ……自分と似た、どこか不器用な一途さを持っている彼に、「頑張れよ」と心のなかでエールを送るのだった。


 そして、仁義との打ち合わせを終えた金曜日の17時過ぎ、政宗は仕事が一段落したユカを応接スペースに呼び出して自分の向かい側に座らせた後、週明けの段取りを説明した。

「……と、いうわけだ。申し訳ないが月曜日、ちょっと石巻まで付き合って欲しい。ケッカ、大丈夫か?」

「うん、あたしは問題ないけど、政宗こそ……大丈夫なん?」

 そう言ってユカが、どこか心配そうな表情で政宗を見つめる。

 政宗は反射的に「大丈夫だ」と言おうとして……自分を見つめる彼女の眼差しに強い疑いがあることに気がつくと、苦笑いで肩をすくめた。

「俺……大丈夫じゃなさそうに見えるか?」

 この問いかけに、ユカは少し考え込んだ後、言葉を選びながら返答する。

「うーん……忙しいからやと思うっちゃけど、少し、顔が青白く見えた……かな」

「マジか。これはアルコールを摂取して血色を良くするしか――」

「――政宗」

 ユカがいつもより厳しい声音で政宗を呼ぶから、彼は「悪い」とふざけたことを謝罪しつつ、自分を疑うユカを安心させる言葉を探した。

「とりあえず週末は休めるから大丈夫だ。ケッカこそ、仕事は溜め込んでないだろうな?」

「だっ、大丈夫やけんね!! 出すべきものは今日出すし!!」

「ちゃんと出して帰れよ……」

 今日まで夏期講習のため、事務担当のアルバイトが休みである。今日中に出せば勝てると自分に言い聞かせるユカは……そんな自分を苦笑いで見つめる政宗に、ジト目を向けた。

「……なんね政宗、どうせいつも書類関係はギリギリですよー」

 口を尖らせて自虐的に呟くと、政宗は更に呆れる……わけでもなく、苦笑いのまま言葉を紡ぐ。

「そうだよな。福岡では……瑠璃子さんや、専任のスタッフがいたんだよな」

「政宗……?」

 彼がどこか自嘲気味に呟いたその言葉が気になってユカが首をかしげると、政宗は机上の書類を片付けながら、その真意を吐き出した。

「いや、仙台はまだ人手が足りてないから、ケッカにも負担をかけてるなって……」

「そげなこと気にせんでよかよ。あたしだって分かってここにおるっちゃけんね」

「ありがとな。でも……もう少し、ケッカや統治、片倉さんの負担を――」

「――それを言うなら、政宗の方が減らさんといかんやろうもん」

 反射的に強く口をついて出た言葉に、政宗も、そしてユカ自身も目を丸くした。

「ケッカ……」

「だっ、だってそうやろ? いつも1人で頑張って……政宗の代わりはおらんっちゃっけん、ちゃんと自己管理してもらわんと困るけんね」

照れ隠しもあって、少しぶっきらぼうになってしまったけれど。

ユカの言葉に政宗は肩をすくめて、1度だけ頷いた。

「……ああ、ちゃんと分かってるよ」

「ならいいけど……本当、統治以外で政宗の世話をしてくれる人はおらんっちゃか。政宗もちょっと頑張れば、すぐに彼女くらい――」


 すぐに彼女くらい、出来るやろうに。

 この軽口に特に理由はない。いつもどおり女っ気のない彼をからかって、一緒に笑って、また来週も頑張ろうとエールを交換すればいい、そのためのキッカケにしたかったのに。


 どうして、その先を口に出せないんだろう。


「ケッカ……?」

 中途半端に口をつぐんだユカを、政宗が訝しげな表情で見つめる。

「あ、えっと……そのっ……!!」

 我に返ったユカは、慌てて言葉を続けようと口を開き――不意に、先月のことを思い出した。


 ユカが体調を崩して、意識と記憶が復活した日の朝。

 何故か自分は、政宗の部屋のリビングにいた。しかも、大人用の衣服や下着を身にまとった状態で。

 そして、見知らぬパジャマの襟のところには……女性のものだと思われる、長い髪の毛があったのだ。


「……」


 知らなかった。

 政宗はユカの知らない女性を自分の部屋に呼んでいて……しかもその女性は、彼の部屋にパジャマを置くくらい、彼と仲が良いことを。

 女っ気がないと勝手に決めつけていたのは、自分だ。


「……」

「ケッカ? おい、ケッカ?」

 政宗が呼びかける声も、今のユカには響かない。


 いつか政宗も、例えば統治における櫻子のような、大切な(女性)を見つける日が来るだろう。

 そして――その女性を、自分(ユカ)に紹介してくれる、そんな瞬間がきっと来る。


 その時、自分(ユカ)は――どんな表情で、彼と向き合える?



 ――そんなの、無理(イヤ)だよ。



 心の中で、『誰か』の拒絶が聞こえた。



「あっ……!!」

 ビクリと両肩を震わせて目を見開いたユカは、政宗が真顔で見つめていることに気づき、我に返った。

「ケッカ、おい、どうしたんだ?」

「あ、えっと……う、うん……何でも……」

「何でもないってことはないだろうが。どこか調子が悪いのか? ケッカは先月のこともあるんだから、正直に教えてくれ」

「正直に……」

 政宗が自分を心配してくれていることは、嫌になるほど分かっていた。ユカ自身も、心に残るモヤモヤを吐き出したほうがいいことも理解している。

 でも……ユカが知らない『パジャマの女性』は、政宗がその存在を悟らせなかったような女性だ。きっと、ユカには踏み込まれたくないのだろう。そんな気がする。


 どうすれば、いいんだろう。


 ユカの戸惑いが表情に色濃く出ていることを察した政宗が、彼女を見つめて笑顔を向ける。

「無理はしてないか?」

「うん、それはなかよ……ゴメン、なんか、あのパジャマのこと考えたら訳わからんくなって……」

「あのパジャマ?」

 刹那、ユカは己の失言を悟った。しかし、時既に遅し。政宗が説明を求めて自分を見ていることが嫌でも分かる。

 一瞬、「通販で見たペンギンのパジャマが気になってー」などと、適当に誤魔化そうかとも思ったが……二人の間に嘘をつくのは、やめることにした。

きっと政宗も、ユカに嘘はつかないと思うから。

「あの、ほら、あたしが意識を取り戻した時……あたし、大人用のパジャマとか着とったやろ? あたしの着替えが乾いとらんかったんやっけ……あれ、今思ったら、政宗の彼女のものやったんかなって……」

「え……」

 ユカの言葉を受けた政宗が、明らかに表情を強張らせた。その反応が、彼女に確かな確信を与えてしまう。

 ユカはあの頃、リビングで1人悩んでいる彼の姿も確認していた。きっと、彼女との関係やユカの体調不良が重なって、あれだけ落ち込み、悩んでいたのだろう。

 これだけ近くにいて気づけなかった、それは……自分の過失だ。

「政宗にもそげな人がおったって、おかしくないけんね。だから、今度からはあたしもあまり軽率に――」


「――違うんだ!!」


 予想外の大きさで届いた否定に、ユカは思わずビクリと肩をすくませる。

 そして、自分でも驚くほど大きな声を出してしまった政宗もまた、軽く目を見開いて……きまりが悪そうに視線をそらした。

「わ、悪い……ただ、その、本当に違うんだ。あのパジャマは……その……」

「政宗……?」

 政宗は視線を逸らしながら、必死に言葉を探して……思い出してしまう。


 あのパジャマを着て、政宗に笑ってくれたのが、誰だったのか。

 あの時、彼の側に寄り添ってくれたのが、誰だったのか。



 あの時――政宗のことを好きだと言ってくれたのが、誰だったのか。



 笑顔が、蘇る。


 声が、響く。


とめられない。



 泣きそうになった。



「政宗……?」

 しかし、自分を心配そうな眼差しで見ているユカに気付くと、今この場で泣いてしまうわけにはいかない。

 政宗は自分の中でくすぶる感情をツバと一緒に飲み込んでから……ユカを見下ろし、腰に両手を当てた。

「あのパジャマは……そう、富沢さんのために用意してたんだよ。ほら、ケッカの具合が悪かった時に、俺や伊達先生が着替えさせるわけにもいかないから、割とついていてもらっていたんだ」

 彼の言葉に、ユカが「あ……」と声を漏らした。

「そういえば……」

「先月は雨も多くて、コインランドリーも混雑してたから、中々全部乾かせなくてさ……大は小を兼ねると思って苦し紛れに着せてもらったんだよ」

「……」

 ユカが不安げな表情で、自分を見上げて――決定的な一言尋ねる。

 政宗の言っていることは信じたい、けれど……心の中でずっと、誰かが『違う』と言っている気がするから。


「……本当に?」


 政宗は、彼女をいつも通りの表情で見下ろして……こう、答えた。


「ああそうだ。こんなところで嘘をつく理由がないだろう?」


 こう答えて、彼女の答えを待つと……ユカは不承不承ながら、首を縦に動かす。


「分かった。確かに富沢さんにはお世話になったみたいやし……政宗が、そう言うなら」


 政宗が、そう言うなら。

 彼の言葉を信じてくれているユカの言葉に、罪悪感が募るけれど……あの時のことなど、言えるはずがない。言ったところで、信じられるわけもないだろう。

 

 政宗はこの日もまた(・・)、ユカに事実を告げられなかった。

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