エピソード1:再会、違和感、新たな始まり③
「統治ぃ……宮城って割と暑かねぇ……」
政宗が万吏と『仙台市局』内で打ち合わせをしていた頃、仙台市中心部にあるハピナ名掛丁商店街を抜けた山本結果は、アーケードの軒下で信号待ちをしながら……被っていたキャスケットのつばを持つと、少しだけそれを浮かせようとした。
福岡生まれ、福岡育ちのユカは、九州の夏しか知らない。容赦なく肌を焦がし続けるギラギラした強い日差しと、ひどい時は息をするだけでむせ返るような、そんな蒸し暑さが当たり前だった。
そのため、東北地方の夏なんか余裕だと思っていたことは否定しない。現に、宮城の夏は福岡よりも湿度が低いように感じられているし、気温も35度を超えることはさほどないけれど……それでも、ユカが思っている以上に暑かった。これで冬は冷凍庫に勝てるほどキンキンに冷えるというのだから今からとても怖い。
ちなみに本日の最高気温は30度。アスファルトからの照り返しなどもあるため、身長の低い彼女は実際はもっと暑く感じている。だからこそ、常にかぶらなければならない帽子のせいで、頭皮が地味に蒸れるのだ。
刹那、隣に立つ名杙統治が鋭い眼差しで彼女を見下ろしたため……ユカは渋々手を離す。
「……ケチ統治」
「外したいなら、『仙台支局』に戻ってからにしてくれ。いくら俺でも責任はとれないぞ」
「分かっとるよ……」
統治から釘を刺されると、これ以上無理をするつもりにはなれない。ユカは改めて赤く点灯している歩行者用の信号を見つめ、ため息をついた。
今日の彼女は、薄い水色のキャスケットの中に髪の毛をまとめて収納しているため、首の後ろがスッキリしている。フードのついた膝丈で半袖のシャツワンピースをカーディガン代わりに羽織り、その下は白いTシャツと7分丈のジーンズ、足元はスニーカーという出で立ち。本当は上に着ているシャツワンピースも脱ぎたいのだが、脱ぐと逆に荷物になってしまう&ポケットにスマートフォンを入れていることもあり、惰性で着ているような状態だった。
一方の統治は白い襟付きシャツの上からグレーのUVカットカーディガン(長袖)を羽織り、黒い綿のパンツに茶色の革靴を着用している。
「統治……暑くなかと?」
「通気性が良い素材だから問題ない」
「あ、そう……」
涼しい顔で言ってのける統治の同意を得られなかったユカは、前に立つビジネスマンの頭越しに見える歩行者用信号を見つめながら……ポケットからスマートフォンを取り出し、電源ボタンを押して時間を確認した。
時刻は14時を20分ほど過ぎたところ。一番暑い時間帯である。
「そういえば統治、政宗は15時以降に戻ってこいって言いよったけど……こげん早くてよかと? 折角やけん、どっかでアイスとか食べん?」
目をキラキラさせながら統治を見上げると、彼はチラリとユカを見下ろした後……視線を前に戻し、冷静に返答した。
「申し訳ないが、食べるなら1人で食べてくれ。俺は仕事が残っているから戻るぞ」
「あ、そう……でも、確か来客じゃなかったっけ?」
誘いをあっさり断られたユカがスマートフォンをポケットの中に戻しながら問いかけると、統治は「……ああ」と何かを思い出しし、少し呆れた眼差しで信号を見つめる。
「問題ない。仕事で世話になっている人だ」
「あ、そうなん? じゃあ、あたしも挨拶した方がよかやろか……でも、どこまで話せばいいっちゃろう……」
ユカが仙台にやってきて3ヶ月が経過している。『仙台支局』の『本性』を知っている関係者にはあらかた面通ししてもらったとはいえ、たまにこういうケースがあるのだ。しかし、統治が「問題ない」ということは、この時間帯に小学生にしか見えないユカが自己紹介をしても「問題ない」、そんな人物なのだろう。
とはいえ、相手がユカの事情をどれだけ理解しているのか分からないので、挨拶のテンプレを脳内で複数パターン組み立ててみる。そんなユカの横顔をチラリと見下ろした統治は、今、『仙台支局』にいる来客の性質を思い出して、浅く息をついた。
「……向こうから絡んでくると思うぞ」
「ん? 統治、何か言った? あと、その人って……あたしのこと、知っとる?」
「伊達先生の知り合いでもあるから、山本の事情もある程度知っているはずだ。ただ、茂庭さんとの折衝は佐藤の仕事だから……佐藤がどこまで話しているかは把握していない」
「茂庭さん……『縁故』じゃなかと?」
「ああ。茂庭さんは公認会計士だ。過去に名杙とも関わりがあった人だから、こちらの事情には精通している」
「過去に関わりが『あった』人、ね……」
統治が彼のことを過去形で語ったことが少し気になったが、信号が青に変わったため、2人も人の流れに沿って横断歩道を渡る。
ユカは渡りきったところで、スマートフォンとは反対のポケットに片付けていた入館証を取り出しながら……ここで隣にいるのが政宗だったら、15時まで時間を潰すことに同意してくれるだろうなぁ……なんてことを考えて、ため息を付いた。
「――政宗ー、ただいまー」
「ケッ……ケッカ!? おい統治、なんでこんなに早いんだよ!!」
予想以上に早く戻ってきた2人の姿を確認した政宗は、思わず椅子から立ち上がって、扉に施錠する統治に苦言を呈した。
施錠を終えた統治は、それはもう面倒臭そうに政宗を見つめ……努めて冷静に返答する。
「仕事が残っているからだ。戻ってきて何が悪い。俺も山本も向こう側にいるから、佐藤の邪魔はしないぞ」
「あ、いや、まぁ……それはそうなんだけどな……」
1人狼狽える政宗から視線をそらした統治は、同じく立ち上がった万吏の横に立つと、軽く頭を下げる。
「茂庭さん、お久しぶりです」
その言葉を受けた万吏は統治の方へ向き直り、軽く頭を下げて彼を見据えた。
「おぉ統治君久しぶりー。聞いたよ、透名先輩の妹さんとお見合いしたんだって?」
「透名先輩……?」
統治が訝しげな眼差しを向けると、万吏は「あぁ」と補足説明を始める。
「登米市にある透名総合病院の透名健先生は、俺たちの大学時代の先輩なんだよ。その妹の……えっと……ゴメン、名前何だっけ?」
透名という名字で、統治はある人物に思い至った。最近割と定期的に連絡を取っている――主にスマートフォンのトラブルシューティングで――機械が苦手だけど頑張っている、そんな女性。
「透名櫻子さんのことですか?」
その名前を聞いた万吏が、大正解と言わんばかりに目を輝かせてまくしたてた。
「そうそう櫻子ちゃん!! あの子と統治君がお見合いしたって聞いて、万ちゃんはびっくりしたんだよ。政宗君のお世話に青春を費やしていた統治君が、遂に女を知るときが来たんだなーってね」
「……そうですか」
万吏の物言いに統治は当たり障りのない相槌をうつことしか出来ない。要するに大体事実なのだろう。
ユカはそんな統治を横目で見た後、万吏の向こうで視線を泳がせている政宗に視線を向ける。
そして、政宗はやっぱり統治がいないと私生活は何も出来ないんだなーと実感していると……万吏がいつの間にか、自分の方を見ていることに気がついた。
ユカは慌てて居住まいを正すと、万吏に向けてペコリと頭を下げる。
そして、とりあえず対外用の当たり障りのない自己紹介をすることにした。
「初めまして。4月より『仙台支局』で働いております、山本結果です。失礼だと承知しておりますが、諸事情により脱帽できないので、ご理解いただければ――」
「――初めまして、君がケッカちゃんだよね」
何の躊躇いもなく通称で呼ばれたユカは、元凶である政宗を睨むが……彼の目はひたすら泳ぎ続けているので、ユカの抗議を受け付ける余裕すらない。そして統治はいつの間にか自分の席に座り、イヤホンをつけて自分の仕事を再開していた。
要するに何のフォローもない2人に対して、ユカはとガクリと肩を落としてから……認めるしかない。
「……はい、そうです。あたしがケッカちゃんです」
「やっと会えて嬉しいよ。俺は茂庭万吏、主にこの『仙台支局』の税務関係を任されているんだけど……公認会計士って、知ってる?」
「公認会計士……スイマセン、資格ってことくらいしか……」
申し訳なさそうに肩をすくめるユカに、万吏は右手の人差指を立てて頷いた。
「そう、一応国家資格だよ。公認会計士は企業の『監査』をするのが主なお仕事なんだけど、『仙台支局』は企業とはちょっと違うからね。主に税金関係の書類作成や申告の代行、あとは、経営が上手くいくようにコンサルティング業務もちょっとやってるよ。まぁ、要するに……政宗君の先輩みたいなものかな。これから宜しくね、ケッカちゃん」
そう言って右手を出す万吏に、ユカもまた右手を出して握手を交わす。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
ユカに良い意味で気を使わない態度と、彼の仕事を噛み砕いて説明してくれたことから、とりあえず悪い人ではなさそうだと結論付けた。互いに手を離したところで、万吏がユカをしげしげと見下ろし……一度口を閉じた後、改めて問いかける。
「ケッカちゃんさぁ……政宗君と付き合ってるって、本当?」
「は?」
「ば、万吏さん!?」
刹那、政宗が極限まで目を見開いて万吏を凝視した。一方、間の抜けた声を出したユカは、万吏をしげしげと見上げた後……冷静に問いただす。
「……どこからの情報ですか、それ」
「伊達ちゃん。あ、伊達聖人先生ね」
「それ、どう考えても安直に信じちゃいけない情報ソースですよね……」
ため息をついて頭をふるユカは、万吏の向こうで先程から何も言えなくなっている政宗をジト目で睨んだ。
「政宗、なして何も言わんとね。こげな嘘、伊達先生にしてみれば日常茶飯事やけんが、適当に受け流さんとやってられんよ」
「あ、あぁ……そうだな……」
我に返った政宗が慌てて万吏を見ると、彼がそれはもう愉快な顔で笑っているから……どんな顔をすればいいか分からなくなり、結局、きまりが悪そうに視線を逸らすことしか出来なかった。
そんな政宗を意に介さないユカは、万吏を真正面から訂正する。
「茂庭さん、そんな噂話は信じないでください。あたしと政宗は、そんな関係じゃありません」
「あ、やっぱりそうなの? ケッカちゃん的に、政宗君のことは……なし?」
「政宗のこと、ですか……?」
万吏に問いかけられたユカは、狼狽する政宗を数秒見つめた後……。
「……こげん頼りにならん支局長は、なしですね」
一切の容赦なく、その結論を告げた。
ユカの結論を受けて灰になっている政宗はさておき、万吏は「いやーケッカちゃん最高だよ」と彼女が理解出来ない理由で評価を下した後、荷物を持って立ち上がる。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。政宗君、『例の件』よろしくね」
「あ、はい……追って連絡します……」
力なく首肯した政宗に万吏は軽く手を振った後、ユカに軽く頭を下げて……扉から外へ出ていった。
足音が遠ざかっていくことを確認して扉に近づき、施錠したユカは……再びソファに腰を下ろして、疲れた表情でため息をつく政宗に近づく。
「政宗……茂庭さんへの挨拶って、あれで良かったと?」
「あ、あぁ……いいんじゃないか」
「なしてそげん投げやりになっとるとね。あと、『例の件』って……何かあったと?」
ユカも万吏と知り合ってわずか数分だが、彼が政宗とふたりだけの内緒話をわざわざ口に出すとは思えなかった。要するに彼が『例の件』と呼んだ案件は、多かれ少なかれ、ユカや統治――この『仙台支局』に関係があることなのだろう。
そんなユカの問いかけに、政宗は「後で話す」と返答してから、ほぼ空になっている2人分のコップを持って立ち上がる。そして……ユカを見つめた。
「政宗……?」
我慢できずに帽子を外してパタパタと扇ぐユカが、彼の視線に気付いて「何事か」と言わんばかりに首を傾げる。
そんな彼女を見下ろした政宗は、一度息を吐いて気持ちを切り替えた後、ユカに次の指示を告げる。
「俺がコップ片付けたら打ち合わせだ。ケッカ、俺の机にある地図を用意しておいてくれないか」
「地図?」
「ああ。宮城県内の地図だ。ちょっと……ここから離れた場所での仕事になりそうなんだ」
「そうなん?」
「詳しくは戻ってから説明する。じゃあ、頼んだぞ」
そう言ってユカに背を向けた政宗は、彼女が自分との関係を否定したことに誰にも言えない虚しさを抱きながら……とりあえずコップを洗うために、部屋の外にある給湯室へ向かって歩き始めるのだった。
あれだけユカと万吏の邂逅を避けていた政宗ですが、まぁ……こうなりますよ。だってユカは主人公だから!!
そして挿絵もあります。まずは冒頭のユカ。これはボイスドラマで蓮(華蓮)役をお願いしている狛原ひのさんが描いてくれましたー!! この幼女可愛いんですけど政宗には見せたくないですね。東北の夏は意外に暑いことが多いです。熱中症には気をつけてね、ケッカちゃん。
もう一枚、万吏オンステージの挿絵も増えました。こっちはボイスドラマでユカ役のおがちゃぴんさんが小説公開後に描いてくださったものです。
この政宗の表情と統治の目線ですよ……すっごく嫌そう。万吏とどこまでも対照的ですな。(笑)
お二人とも小説公開後2時間以内にそれぞれ描いてくださったのです。何これ凄い……本当にありがとうございますー!!