エピソード1:再会、違和感、新たな始まり②
里穂と仁義が瑞希と再会して、違和感を感じてから数日後。学生が夏休みに突入した後の平日・水曜日の14時過ぎ。
石巻から場所は変わって、仙台市中心部のビル内にある『東日本良縁協会仙台支局』にて。
東北とはいえ仙台でも30度に届くのが当たり前になってきた今日この頃。水色のボタンダウンシャツ――襟の先端をボタンで固定したシャツ――に、黒い夏用のズボンというクールビズスタイルの佐藤政宗が、机を挟んだ反対側に腰を下ろしている男性に何とも言えない眼差しを向けながら……そっと、手元の資料をまとめてテーブルの脇に置いた。
この部屋に今は2人きり。常勤である2名――ユカと統治は別件で出ており、アルバイトの学生は夏期講習があるということで本日は休みである。
「いやー、毎日暑いね」
脇にジャケットを置いている彼が、コップの中に半分ほど残っていた麦茶を一口すする。
耳が隠れる程度の短髪に、目に力の宿った、精悍な顔つき。今は薄いピンクのボタンダウンシャツと、こげ茶色のズボンを着用していた。全体的にスマートだが、それでいてどこか掴みどころがない雰囲気を持っている彼は、政宗が内心若干苦手な人物でもある。
彼の名前は茂庭万吏。『仙台支局』が主に税務関係で世話になっている公認会計士である。
政宗はオズオズとお茶を自分の方へ手繰り寄せつつ、彼の動向を伺う。
「それで万吏さん、打ち合わせは終わったんですけど……まだ何か?」
次の瞬間、万吏が「ハハッ」と彼を嘲笑った。
「何だよ政宗君、俺がのんびりお茶を飲んじゃいけないって言うの?」
「そんなこと言ってないじゃないですか。ただ、万吏さんが仕事の話が終わっても帰らないのが珍しくて……何かあったんですか?」
政宗は正直に理由を告げると、自分用に用意した麦茶をすすって……彼に、本題に入るよう促した。
空気を読んだ万吏は足を組み替えた後、本題を話し始める。
「俺の奥さん……スズは知ってると思うけど、彼女の妹のことは知ってる?」
「奥さん、の、妹さん……?」
政宗は脳内で情報を精査して、その人物を脳内で探し出そうとしたのだが……ヒットせず。特に知り合いではないという結論に至る。
「申し訳ないですが、俺とは面識がないと思います。要するに万吏さんから見れば義理の妹さんってことですよね、その方がどうかしたんですか?」
万吏が何の関係もなく身内の話をするとは思えない。政宗は居住まいを正し、彼の話に耳を傾けた。
「これは俺もスズからの又聞きなんだけどさ、最近、夜にフラッと出ていることがあるみたいで」
「それは……コンビニなどではなく?」
政宗の質問に、万吏は少しだけ表情を引きつらせながら首を横に振る。
「いやいや、そんなことで政宗君に相談するわけないじゃん。それに、石巻駅近くのベンチで、夜に誰かとヒソヒソ話をしていたらしいって目撃証言もあるんだよ。でも、周囲には1人だけだったって」
「ベンチで1人、ヒソヒソ話……」
万吏の言葉を反すうした政宗は、改めて、石巻という土地について思い返していた。
先の災害で県内でも特に甚大な被害を受けた石巻では、短期間で大量の『遺痕』が発生した。
元々石巻は、里穂の生家である名杙の分家筋・名倉が担当している。先の災害発生後は、名倉家を筆頭に、文字通り休む間もなく『遺痕』対策に追われていたのは、政宗もよく知っている話だ。
それは、当時小学生で、『縁故』について共に勉強中だったの里穂と仁義も同様だった。特に里穂は名杙直系の血を引いており、一般的な『縁故』と比べても、『遺痕』を処理した際にかかるストレスへの耐性が強い。そのため、皆が里穂を頼り、里穂もまた、期待に答えようと頑張っていた。
そんな中、里穂や仁義を守ってくれていた里穂の母親が、無理と心労がたたり、過労で倒れてしまったのだ。
名杙直系でさえ耐えられない、そんな異常事態――当時大学生だった政宗と統治が石巻に応援として入ったのは、そんな出来事の直後だった。
線路が流され、電車が復旧していなかったこともあり、統治が運転する車で石巻に入ると……車を降りた瞬間、両肩にはっきりと寒気を感じたことを、今でも鮮明に覚えている。
そして――そんな環境で、ずっと手を繋いでいた、泣くのを我慢して互いを奮い立たせていた、幼い2人の姿を。
――よく頑張った。
そんな姿を見た政宗は統治と共に、自然と同じ言葉を口にしていた。
そして、その直後に大泣きした2人を見て、政宗と統治は安堵と同時に憤りを覚えたものだ。
いくら異常事態とはいえ、子どもにここまでの負担を強いるのか……いかがなものか、と。
これは実際に被災しなかった政宗や統治だから思ったことなのかもしれない。2人はそれ以降、時間を作っては石巻を訪れるようにしていた。そして、里穂や仁義と交流を重ねていったのだ。
あれから、約4年の歳月が経過して。
今は交通網やライフラインも復旧し、人々は普通の生活を享受出来るようになったけれど。
家を建てられない場所、人が戻ってこないところも多く、何もかもが元通りというわけにはいかない。
一度壊れてしまったものを戻そうとしても、そこに綻びが生じてしまうのは、しょうがないことなのだ。
「万吏さん、それは曜日や時間が決まっていたりしますか?」
政宗の問いかけに、万吏は再び首を横に振る。
「いいや、今のところ特に明確に決まっているわけじゃないみたいだけど、時間は必ず夜だね。19時以降ってところかな」
「そうですか……」
政宗は組んでいた腕を組み替えると、脳内で話を整理した。そして。
「万吏さんは義理の妹さんが『遺痕』と関係していると考えていらっしゃるんですね」
その問いかけに、万吏は一度、首を縦に動かす。
「そういうこと。俺はそういうのが見えるタイプじゃないから、頼むとすれば政宗君しかいないかなって」
「だったら、名杙に頼まないんですか?」
お茶を飲みながらしれっと尋ねる政宗を、万吏は鼻で笑った。
「オイオイ冗談だろ、俺が名杙とどれだけ仲が悪いか、知ってるよね?」
「ええ、勿論知ってますよ。失礼しました」
こう言ってコップを置いた政宗は、万吏の素性を簡単に思い返していた。
茂庭万吏、彼は以前、公認会計士として、仙台市内の大手監査法人で働いていた。
そこで名杙との接点が出来たのだが……大人同士のスマートではない関係に気付き、それらを隠蔽することに抵抗した結果、監査法人から退職することとなったのだ。
今ではフリーの公認会計士として、石巻や女川、遠くは気仙沼など、主に沿岸部に顧客を持っているが……そこに至るまでも、決して平坦な道のりではなかった。
政宗との縁は、そんな万吏がようやく自身の事務所を黒字の軌道に乗せた頃。『仙台支局』の開設前まで遡る。もともと名倉家と親交のあった万吏を、里穂の父親である陽介が間に入って引き合わせてくれたのだ。
「万吏君、彼は佐藤政宗君。今度、統治君と一緒に、仙台に名杙の窓口を開設することになったんだ。ただ、彼は経理については素人だから……色々と力になってあげてくれないかな」
「初めまして、佐藤政宗です」
初対面の時、政宗は名乗りながら……彼にどう接していこうか決めかねていたことを思い出す。
取得が難しい国家資格である『公認会計士』を持った年上の男性とどうやって親しくなっていこうかと脳内で色々考えていた政宗だったが、万吏からスッと手を出してくれたことに、内心、少し驚いていたのだ。
手を伸ばして助けを求めているのは、自分の方なのに。
「初めまして、公認会計士の茂庭万吏です。これから宜しくね、政宗君」
力強くそう言ってくれた万吏の手を、政宗は迷うことなくしっかりと握っていた。
「こちらこそ宜しくお願いします」
真っ直ぐに彼を見据えて言い返すと、どこか嬉しそうに笑ってくれたような気がして……肩の力が抜けた。
それが……2人の『関係縁』の始まりだ。
万吏は麦茶をもう一口すすってから、どこか楽しそうに政宗を見つめる。
「どう? ちょっと遠いけど……俺の依頼、受けてくれる? 勿論報酬は払うよ」
万吏の言葉に政宗は一瞬思案してから、彼を見据え、探るように問いかけた。
「申し出はありがたいですが、石巻の仕事だったら名倉さんに任せたほうがいいのではないですか?」
ここは『仙台支局』、主に仙台やその周辺に対応するための組織だ。石巻やそこから続く三陸沿岸は、それこそ名倉家の管轄だ。万吏は名杙とは確執があるけれど、名倉との関係は良好なはず。
理由を尋ねられた万吏は、どこか困った表情で肩をすくめた。
「確かに政宗君の言う通り、あの辺の仕事は名倉さんとこだけど……なんか、この仕事は政宗君に任せたいんだよね。組織的にコッチのほうがフットワーク軽そうだし、政宗君のことも信用してるから」
「……」
「当然、俺が名倉さんとこには話を通しておくよ。スズがそれとなく話を聞こうとしても、「何でもない」ってはぐらかされるって悩んでるんだ。あの子が誰にも言えない悩みを抱えているなら解決してあげたいし……範囲外だって分かってるけど、力になって欲しい」
こう言って頭を下げる万吏に、政宗は「顔を上げてください」と声をかけた。
信用している、彼にそう言われたら……断る理由なんかないじゃないか。
そして、顔を上げた万吏を真っ直ぐに見据え――背筋を伸ばす。
「ご依頼ありがとうございます。お客様の期待に応えられるよう、いつも以上に全力で頑張らせていただきますね」
そう言って万吏に笑みを向けると、彼がどこか安心したような表情で肩をすくめるから……政宗は改めて彼の力になることを決意する。そして、手元にあったメモ帳とペンを彼に差し出した。
「取り急ぎ、義理の妹さんのフルネームと、住所を教えてもらってもいいですか? 当然ですが今回の仕事以外では使いませんから」
政宗の言葉に首肯した万吏が、時折スマートフォンで住所を確認しながら情報を記載している間……政宗は無意識の内に足を組み替えて、脳内にスケジュールを呼び出す。
この仕事がどれだけ長引くのかは分からないが、少なくとも何度となく石巻に向かう必要があるだろう。仙台と石巻の間は、どれだけ頑張っても片道1時間、往復で2時間は考えるべきだ。日々、仙台を中心に営業や折衝で動き回っている政宗にしてみれば、この2時間をロスと捉えてしまうのはしょうがない部分でもあった。
「ちなみに万吏さん、その妹さんは……里穂ちゃんや仁義君との面識はありますか?」
「うーん、多分あるとは思うけど……最近はどうか分からないな。なんてったって……」
渡されたメモ帳に言われたことを書き終えた万吏は、それを政宗に返却しながら……どこか伏せた眼差しで言葉を続けた。
「……スズの実家は津波で流されて……今、彼女以外は内地の災害公営住宅に住んでるからな」
「そうでしたか……分かりました」
万吏の言葉にかろうじて相槌をうった政宗は、戻ってきたメモ帳に記載された名前を確認する。
「――支倉瑞希さん、ですかね。住所は……」
政宗は万吏の眼の前で名前と住所を確認してから、改めて記載された内容に視線を落とし、どんな人員配置でいこうかと考えていると……そんな彼を万吏が見つめ、口角をニヤリと上に上げる。
「そういえば、俺はまだ、政宗君がご執心の『ケッカちゃん』を紹介してもらっていないんだけどなぁー?」
「……」
政宗がメモ帳から視線をあげると、自分をそれはもうニヤニヤした表情で見つめる万吏に……分かりやすくため息を付いた。
「……あのですね万吏さん、さっきも少し言いましたけど、必要であればいずれご紹介させていただきますから……」
「って言われて3ヶ月以上経過してるよ、佐藤支局長。今日だってたまたまいないみたいだけど、そろそろ万ちゃんにケッカちゃんを紹介してくれていいんじゃないかなぁー?」
最近の万吏は、地味にしつこい。以前から興味のあることに関しては蛇の如き執着心を見せるようなことはあったけれど……殊更ユカに関しては、政宗が意識して『会わせないようにしている』ことを感じ取っているので、何かにつけて話題に出すのだ。
ちなみに、政宗が万吏にユカを紹介したくない理由は……自分の立場をこれ以上弱くしないためである。
「……ケッカを紹介したところで、万吏さんが彼女と一緒に仕事をすることなんかありませんよ」
「分からないよ? 今回の仕事だってケッカちゃんが担当するんだったら……俺が石巻を案内しなきゃいけないかもしれないし」
「石巻には里穂ちゃんや仁義君もいますし、そもそもケッカにそんな遠方の仕事は……」
政宗は万吏の言葉を否定しようとして……ふと、あの時の、彼女との会話を思い出す。
先月、様々な要因が重なって、ユカの体が本来の19歳の状態に戻った。
ただし、唐突な体の成長と引き換えに記憶が退行してしまい、10年前の研修以降のことを覚えていなかった。
そんな彼女と改めて『縁』を繋ぎ、気持ちが通じ合い――リミットを迎えた彼女は、本来あるべき場所へ戻っていった。
そんな彼女と引き換えに戻ってきた彼女は、その時のことを一切覚えていなかった。
ずっと思い続けた女性と思いが通じ合ったかと思えば、もう一度片思いからやり直し。
一時期はどうしようもないほど落ち込んでしまった政宗だが、忙しない日常と、いつもどおりのユカが戻ってきたことで、以前のようにふさぎ込むことはなくなったけれど。
――勿論、仙台以外のところにも行ってみたかよ。
あの時……2人きりで未来を語り合ったときに、彼女が楽しそうにそんなことを言っていたから。
政宗は彼女との約束を果たすことを、強く、強く誓った。
今のユカは、その時の約束を覚えていないけれど……でも、何かキッカケがあれば思い出すかもしれないし、何よりも、彼女との約束はしっかり果たして行かないと、未来で再会したときに、誇れる自分でいられない気がするから。
「石巻、か……」
政宗がボソリと呟いて、再びメモ帳に視線を落とす。
その様子を見つめた万吏は、これ以上何も詮索せずに……そっと、残りの麦茶を飲み干した。
遂に(ようやく?)茂庭万吏が本編に本格参戦です。万吏は2017年の9月に、伊達先生の友人として外伝に初登場したのですが、そこから何かと評判が良い気がしておりました。先日の里穂誕生日小話でも活躍してくれましたね。
そんな彼は公認会計士です。最初は税理士にしようかと思ったはずなんですけど……なんかこんなことになってました。(どういうことだ)政宗より年上の頼れるお兄さん(既婚者)です。万ちゃんって呼んでね!! 宜しくお願いしますー!!




