エピソード6:君とこの町で生きていく④
名杙家の塀と家の隙間を走り抜け、里穂は仁義がいる離れにたどり着いた。
持っていたカバンは出る直前に心愛に預けており、今はポケットに時間確認用のスマートフォンのみ。時折、壁の向こうに人の気配を感じたりすると、思わず体が固くなったけれど……窓の位置が高いこともあって、里穂の動きが誰かに気付かれることはなかった。
「あ……」
草や蜘蛛の巣をかき分け、呼吸を最低限に抑えて、ただ無心で突き進むこと5分程度。その建物の玄関口を見つけた里穂は……周囲をキョロキョロと確認しながら近づくと、素早く扉をあけて中に入り込んだ。
「ふー……」
引き戸を閉めて安堵の息を吐いた里穂は、試しにスマートフォンを確認して……この部屋のみ、あらゆる電波が遮断されていることに気がつく。
これは昨日、事前に、政宗から聞いていた情報だった。
「里穂ちゃん、仁義君がいる部屋は、携帯電話の電波が入らないようになっているんだ。だから、こっちが終わったってメールを送ったりすることが出来ない。明日もきっと暑いだろうし、2人の姿や話が外から気付かれないように窓を閉めてクーラーを付けてもらうよう統治に頼んでおくけど、そうなると外の音も聞こえなくなるんだ。だから、時間を見て早めに行動するようにしてね」
先程、政宗と統治から聞き出した猶予は30分。既にここまでで約10分使っていると多めに見積もって、今から仁義と話せるのは15分程度。残りの時間で、先程出てきた勝手口まで戻らなければならない。
何を話そう。
どんなことを話してくれるだろう。
正直、細かいことは何も考えていない。ただ――ここで何か考えたところで、きっと、彼の心には届かない。そんな気がしたから。
「……時間が勿体無いっすね」
里穂は迷わずに靴を脱ぐと、彼がいる和室へと急いだ。そして――
「――ジン、入るっすよー」
「里穂!?」
彼の許可を待たずに、廊下と部屋を仕切る障子を開く。室内で文庫本を読んでいた仁義が、驚いたような大声で自分を呼ぶから……里穂はいたずらっぽい顔で、口元に右手の人差指を添えた。
「静かにっすよ、ジン。勝手に入ってきてるっすから」
「里穂……怒られるよ?」
「怒られたくないので、こっそりやってきたっすよ!!」
まさか、里穂が単独でここまで来たとは思えない。里穂の裏にいる人物たちを何となく察した仁義は、もう好きにしてくれと言わんばかりに肩をすくめて彼女を受け入れる。
約1日ぶりに再会した2人は、互いに苦笑いを交換して……里穂はそっと引き戸を閉めると、彼の元へ近づいた。
そして、その右隣に腰を下ろすと……まだ戸惑いが残る彼の右手をそっと握って、顔を見ないまま、単刀直入に口を開く。
「昨日……どうして、あんなことをしたっすか?」
里穂の言葉を聞いた仁義は、静かに息を呑んだ。そして……長く息を吐いた後に、前を見据えて返答する。
「それは……昨日も言ったけど、僕のエゴで――」
「――私には、ジンのエゴがどういうことなのかちっとも分からないっす。ジンがどんな気持ちで、どんな思いで、どうして2人の『関係縁』をつなげたのかを、手短に教えて欲しいっすよ」
そう言って彼の手を強く握る里穂は、ただじっと、彼の言葉を待った。
仁義は再び黙り込んだ後……里穂の手の温もりを確かめて、ポツリと呟く。
「……森君が、過去の僕みたいに見えたんだ」
「森君が……?」
「僕の故郷は厳密に言うと、石巻ではないのかもしれないけど……でも、慣れ親しんできた場所が変わり果ててショックだったし、僕達は2人とも中途覚醒で『縁故』になって、『生痕』とも関わり合ってしまって」
中途覚醒で『縁故』になるというだけならば、ユカや政宗も同じ。
けれどそこに『生痕』という要素が加わると……環だけになってしまう。
仁義は瑞希に『生痕』の可能性があると気づいたときから、彼女が誰に対して執着をしているのか、ずっと、気になっていた。
「森君とは、昨日初めてちゃんと会ったけれど、支倉さんの話を聞いて、実際に『生痕』と関わって……時間の経過に伴って、少しずつ、彼の気持ちも変わったように感じたんだ」
それは、環が瑞希の『生痕』に、麻紀の本音を黙ろうとした時。
彼であれば、「万引き未遂を知られてたから、恨んでたらしいっすよ」なんて、特に抑揚もなく、サラッと言うことも出来たと思うけれど。
「……そうっすね。とはいえ、俺も正直、詳しいことは知らないんすわ」
環はそこで言葉をぼかして、瑞希の話を聞いていた。それは勿論、自分に執着していた訳を知りたいという理由が大半だと思うけれども……仁義はそこで、環が瑞希への気遣いを見せたことが、少し気になっていて。
「――良かった……生きてて、くれたんだね……っ……」
「……俺はずっと、飴食べながら生きてたっすよ」
4年ぶりに心が通った2人の会話が、これで終わりだなんて……思いたくなった。
仁義は名杙直系の里穂が側にいれば、母親のことを思い出せる。
けれども……この2人のすぐ隣に、名杙直系は、いない。
環は心愛と学校で会うし、瑞希も里穂とどこかで顔を合わせることがあるかもしれないけど、そんな、誰かに頼った一時的な絆ではなくて、これから、2人の意思でより強くしていく絆にしてほしかった。
「だから……縁結びをしたっすか?」
里穂の問いかけに、仁義は苦笑いで首肯した。
「そうだね。自分でもほとんど衝動的だったと思うけど、でも――」
「――それで私との『縁』は切れても良かったってことっすか!?」
思いがけない大声に、仁義はビクリと肩をすくめて……里穂の方を見つめる。
里穂は大きな瞳に涙を限界まで溜めて、とても苦しそうに言葉を続けた。
「ジンが優しいのも知ってるっす!! 森君やミズちゃんにとっては、これで良かったとも思ってるっす!! でも……これで私との『縁』が切れると思ってなかったわけじゃないっすよね!? 私のことなんか、ちっとも考えてくれてないっすよ!!」
一度言葉が溢れてしまうと、簡単に止めることが出来ない。
マイナスなことは深く考えないようにしていた。悲しいことは悲しいし、怒ることもあるけれど、基本的にはいつも笑って、明るく楽しく一緒にいられればいいと思っていたけど。
高校生になって、初めて学校が別々になって。
里穂が環境の変化に慣れることが出来たのは、仁義がそばに居てくれたから。
変わっていく里穂に寄り添ってくれる、それはとても嬉しいけれど。
でも、それは……彼が変わろうとしていることの、邪魔になっていないだろうか。
名倉里穂の存在が、柳井仁義の生き方を狭めているのではないか。
瑞希と環を繋いだこと、それが彼のエゴなのだとすれば……里穂とはもう、一緒にいないほうが、もっと自由に生きていけるのではないか。
1人になって、改めて考えてみると……里穂から結婚の申し出を受けた時、彼は一度も、里穂が『好きだ』とは言っていなかったから。
「里穂……」
戸惑いが混じった声で名前を呼ばれて、里穂は慌てて我に返った。
そして、スマートフォンで時間を確認して、あと10分程度であることを確認する。
2人だけの時間が、終わってしまう。
だからちゃんと……しっかり、伝えなきゃ。
「いきなり……うるさくしてゴメンっす。静かにしてなきゃ……うち兄に、怒られちゃうっすね……」
里穂は俯いで声を震わせると……頬に流れた涙を右手で拭った。
こんな自分を見せたくなくて、彼の前ではずっと、得意な笑顔で笑っていたけれど。
でも、もう……そんなことをしたって、彼が自分の意思でやったことは何も変わらないから。
だから里穂も、隠す必要はない。
「私は……ジンが、私との『縁』よりも、他の人を優先したのが……きっと、悲しかったっす」
「……」
「それがジンの意思だって分かってても、凄く、悲しかったす。でも……」
里穂はもう一度自分で涙を拭うと、彼の手を強く握り、彼の方を向いた。
仁義の目の前にいたのは、彼が何度も救われてきた……そんな、いつも笑顔でいてくれる女の子。
この笑顔に何度も救われて、惹かれて、憧れた。彼にないものを全て内包している、里穂にしか出来ないものだ。
未だに戸惑いが大きな仁義に、里穂は一度、口の中にたまったつばを飲み込んで……少し体を傾けると、彼の手を、両手で握った。
「これで……これでジンがもっと正直に生きることが出来るなら、私はそれを笑顔で応援するっす」
これは、里穂なりの餞別。
これから改めて、自分の人生を歩いていく彼への、形のない餞だ。
「だって、私は……ジンのこと、あー君のこと……君のことが大好きっすから」
次の瞬間、仁義が里穂を強く抱きしめた。そして、彼女の肩に額を押し付けて……優しい声音で、言葉をかける。
「ずっと一緒にいてくれて……ありがとう、里穂」
その言葉に答える代わりに、里穂は静かに彼の背中に腕を回すと、いつもより小さな背中を優しくさすった。
大丈夫、ありがとう、あえて言葉にしなくても伝わる手の温もりに耐えられず……仁義は両肩を震わせて、彼女にしがみつく。
普段の2人は、ここまで親密に触れ合うことを避けてきた。単に恥ずかしいこともあるし、付き合いの長さと、婚約者だからという自負から、そんなことをしなくても分かり合える……そんな、自信に見せた虚勢もあったけれど。
でも、手をつなぐだけでは、笑顔だけでは、伝えられないことが増えてきた。
それは、2人がそれだけ……色んな人と関わって、大人になったということだ。
仁義は眼鏡の奥にある瞳から止めどなく涙を流しながら、とても悔しそうに呟いた。
「でも僕は、これ以上、君のことを……守れないかもしれないって、思ってたんだ……」
「ジン……」
「僕も里穂も高校生になって、それぞれに忙しくなって……里穂は毎日部活で頑張ってて、輝いている里穂の側に僕がいていいのか、そんなことを考えると……僕も、もっと何かしなきゃって……」
部活も『縁故』も、色々なことを全力で頑張っている。そんな里穂は、仁義の誇りでもあった。
けれど、同時に……いつも明るく笑顔の里穂は、1人で何でも出来るような気がして。
婚約者だと言いまわっているけれど、自分が里穂や名倉家のおかげで生かされているという感謝は消えない。
仁義はずっと、里穂に守られているのに。
里穂は笑顔で、仁義の隣にいてくれるのに。
どうやっても……彼女との差が埋まらない、そんな、目に見えないジレンマ。
「里穂の邪魔になりたくなかったのに……里穂と一緒にいたいはずなのに、今のままじゃ追いつけないんだ。僕は……もっと、君に相応しい人間になりたいのに……!!」
こう言って悔しそうに彼女を抱きしめる仁義に、里穂は「何言ってるっすか……」と、苦笑いを浮かべた。
彼の胸の内を聞いたのは、本当に久しぶりで。
だからこそ、こんなに認識のズレがあったのかと……それにしっかり気付けなかった自分にも、呆れてしまう。
「ジン……何言ってるっすか。ジンはずっと、ずっと、私の隣にいてくれたっす。まさか、『生痕』状態で側に居てくれたわけじゃないっすよね?」
からかうようにこう言う里穂に、仁義もまた「そんなことないよ」と笑い合う。
そのまま、2人だけで静かな時間を過ごした里穂は……一度息を吐いて、彼を強く抱きしめた。
「私は、これからもジンと一緒に生きていきたい、それだけっす。だから……」
里穂はこう言って、彼にある提案を耳打ちする。それを聞いた仁義は、涙目でゆっくりと頷いた。
仁義の査問会が終わり、今まで静寂を保ってきた名杙本家がにわかに騒がしくなる。
中で会議をしていた男性陣が続々と出てくる流れに混ざって、縁側に面した廊下へと出てきた政宗と統治は……自分たちの方へ向けて走ってくる里穂に、大きく目を見開いた。
「里穂ちゃん……!?」
靴がないことでキョロキョロとする政宗に、統治が静かに足元を指差す。近くの置き石にあったつっかけを履いた政宗は庭に飛び出して、飛び石を1つ飛ばしで超えてくる里穂に近づいた。
当然ながら彼女の姿はその場にいた他の人にも見えており、にわかに周囲がざわつき始める。
蝉の声がうるさく響く中、里穂に追いついた政宗は、額に汗を滲ませつつ、困惑した顔で彼女を見下ろした。
「里穂ちゃん……」
「政さん、あのっ……うち兄は――」
「――里穂」
政宗の後ろから歩いてきた統治は、政宗より一歩前に出てから、冷静に里穂を見下ろした。
「何をしに来たんだ」
「お話があります」
里穂はそんな彼を見据えて……凛とした声で決意を告げる。
「私、名倉里穂は……柳井仁義との婚約を、解消します」
「婚約解消したら君とこの町で生きていけないじゃない!!」というツッコミは甘んじて受け入れます。(笑)
仁義に瑞希と環の『関係縁』を修復させること、そして、里穂に最後の一言を言わせるために、第4幕を書いたのかもしれません。里穂が仁義の前で感情を吐露するところは書きたかったので、書いていてとても楽しかったっす。
そして挿絵が増えたっす。(定期)おがちゃんが描いてくれたものっす。最後、静かに結論を共有した2人の姿だと思いました。笑顔が似合う2人から笑顔を奪ったひっどい人は誰でしょうね!?(作者です)いつも本当にありがとうございますー!!




