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エピソード6:君とこの町で生きていく①

 ――夢に見たのは、大切な彼女が絶望した表情。

 いつも笑顔で側に居てくれた彼女の、今にも泣きそうな表情だ。


 何度も謝るけれど、彼女の表情は変わらないまま……靄がかかって、見えなくなってしまう。

 ごめんね――何度も繰り返したその言葉も、届かないままで。



 使い慣れない硬さの枕に不快感を感じ、柳井仁義はゆっくりと目を開いた。

 飛び込んでくるのは、見慣れない和室の天井。そして感じる空気の蒸し暑さ。裏庭に面した障子からは、眩しい光が差し込んでいる。

 彼は一瞬、自分がどうしてここにいるのかを考えて……すぐに全てを思い出した。


 昨日、名杙の決定を真っ向から拒絶するような、そんな『縁結び』をして。

 それを見逃せなかった次期当主・名杙統治により、仁義はこの、名杙家の離れに連れてこられた。キッチン以外は全て揃っており、仁義は金曜日の会議が終わって今後の処遇が決定されるまで、ここから出ることは出来ない。今日は1日、この6畳の和室で過ごすことになるのだ。


 仁義はとりあえず布団を部屋の隅に三つ折りで片付けると、着替えなどを詰めているリュックから本日分の着替えを取り出す。ついでにスマートフォンで時刻を確認すると、丁度朝の7時を過ぎた頃だった。

 何時に朝食が届けられるのか分からないが、簡単な身支度は済ませた方がいいだろう。着ていたパジャマの第一ボタンを外した仁義は、ふと、あることが気になって、もう一度スマートフォンを手にとった。

「……電波は届かない、か」

 そして、いたるところでWi-Fiが飛び交うこのご時世に、『スマートフォンの電波が繋がらない』という事実を目の当たりにして、苦笑いを浮かべるしかない。

 室内にはテレビもなく、用意されているのは部屋にある棚にはめ込まれている小さな冷蔵庫と、その上の棚にある小型のラジオ、その隣に推理小説系の文庫本が数冊と、白い簡素な電話機。電話は恐らく内線用だろう。要するに今日の仁義は、この文庫本とラジオのみで時間を潰さなければいけないらしい。

 ……もしかしたら、明日以降もそうなるかもしれないけれど。

 仁義は無言で肩をすくめた後、パジャマの前ボタンを外して脱ぎ去り、用意しておいたグレーの半袖Tシャツを手に取る。

 里穂の側にいたくて、彼自身も体力づくりは続けてきた。それでもまだ、毎日部活をやっている里穂には及ばなくて……もう少し何か、トレーニングメニューを増やそうと考えていたところだったのに。

 自分の考え方や生き方が、里穂の存在に大きく影響されていることを思い知った仁義は……自分の上半身を見下ろして、苦笑いをと共にTシャツに腕を通すのだった。


 その後、着替えを終えた仁義はパジャマを畳んで片付けた後、障子を含む部屋の窓や扉を開けた。この部屋の出入り口は、裏庭に面した廊下へと続く大きな障子扉である。

 障子と、廊下の先にある窓もあけて風通しを良くするけれど……朝の7時過ぎだというのに、既に生ぬるい空気がゆったりと停滞をしているだけ。空気を入れ替えても結局は蒸し風呂になりそうだ。幸いエアコンはあるので、早々に頼ることにしよう。

 仁義はとりあえずタオルを持って廊下に出ると、廊下の奥、トイレの横にある水洗い場で簡単に顔を洗う。顔を拭きながら部屋に戻り、ラジオをつけて、宮城のFM局にチューニングを合わせていると……廊下を歩いている人の足音が聞こえた。

 そして、開け放たれている障子扉から姿を表したのは、身支度を整えた名杙統治。白いワイシャツの上から薄手のカーディガンを羽織り、綿素材の黒いズボンを着用していた。その手にはお弁当箱サイズの巾着袋を持っている。

 仁義は彼を見つめ、軽く会釈をしながら彼に近づいた。

「おはようございます、統治さん」

「おはよう。朝食だ」

 そう言って統治が手渡した巾着袋を受け取った仁義は、改めて彼に頭を下げる。

「ありがとうございます。出勤ですか?」

「ああ。午前中は俺も名杙にいないから、何かあれば内線で連絡してくれ。弁当箱が昼食時に引き取らせてもらう。あと……」

 統治はそう言って、周囲をぐるりと見渡した。そして……顔をしかめる。

 もしかして窓を開けるのはダメだったのだろうか。巾着袋を握って緊張する仁義に、統治がため息混じりに言葉を続けた。

「今日は気温が高い。窓を開けるんじゃなくてクーラーを使わないと熱中症になるぞ」

「は、はい……」

「飲み物は冷蔵庫に入っているから、好きなものを選んでくれ。足りないものがあれば内線で知らせて欲しい」

「わ、分かりました。と……統治さんも、お気をつけて……」

 本当は……彼をいつも通り、下の名前で呼んでいいのか迷っていたけれど。

 仁義の言葉に、統治は「ああ」と告げた後、踵を返して歩みを進め……すぐに、扉が閉まる音が聞こえた。

 統治の顔に笑顔はなかったけれど、でも、昨日よりもずっと、仁義が知っている統治に戻っているような気がする。

 そう思った仁義は……あることに気付いて、自嘲気味に吐き捨てた。

「戻るって……統治さんにあんな態度をさせてしまったのは、僕自身じゃないか」


 その後、開けたばかりの窓を閉めて障子も締め切り、クーラーをつけて快適な空間を作り上げる。

 冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出した仁義は、あぐらをかいて部屋の中央に座り、巾着袋をあけて中に入っている弁当箱を取り出した。

 半透明の白いタッパーの中には、ふりかけご飯のおにぎりが2つと、きんぴらごぼう、ほうれん草のおひたし、ブリの切り身の照焼きが入っていた。とても理想的な朝ごはんである。

 恐らくは統治か……彼らの母親である名杙愛美(なくいまなみ)が用意してくれたのだろう。理英子と仲が良かった愛美は、この名杙の中で仁義に理解を示してくれた人の1人だ。

 窓を閉めたことで、室内には外の音が聞こえない。ラジオでは今日の仙台が暑くなることを告げており、水分補給と休憩を呼びかけていた。


 ――里穂、今日もちゃんと水分をとってね。


 部活前の里穂にそう言うと、彼女が笑顔で「分かってるっす!!」と笑顔で返答する。

 昨日の朝は伝えられた言葉、成立した会話。

 でも、そんな朝のやり取りは……きっともう、出来ないだろう。


「……いただきます」

 仁義は静かに手を合わせると、久しぶりに、1人で食事に箸をつけた。



 1人で食事を食べるのは、いつぶりだろうか。

 あれは確か――4年前、災害が発生してしばらくした頃、名倉家が『遺痕』の対応で最も疲弊していた時だ。


 当時、災害の被害が凄まじかった石巻には、いまだかつて無いほど大量の『遺痕』が発生していた。

 普通ならば『痕』→『遺痕』と、順を追って状態が悪くなっていくのだが、人の生活と命を一瞬で奪い去った災害の影響は凄まじく、前段階をすっ飛ばして『遺痕』認定しなければならない存在が、街中のいたるところに溢れていたのだ。

 当時、石巻の陣頭指揮を任されていた名倉家だったが、圧倒的に人出が足りなかった。名杙本家は他の沿岸部に手一杯で、あまり多くの人員を割いてはくれず、まだ小学生だった里穂と仁義も、親や他の仲間と一緒に、日々、何かしらの対応にあたっていた。

 しかし、名杙直系の里穂と、中途覚醒して経験が浅い仁義では、実力差が歴然としている。里穂は大人に混じって『縁』を切り、仁義は1人、家で留守番……なんてことも、珍しくなかった。


 名倉家のリビングで、1人、食事を食べる。

 普段は隣に里穂がいてくれるのに。

 朝や夜は、理英子や陽介もいてくれるのに。


 家に誰もいない、そんな時間が続く度に……仁義の心は混乱の中に強烈な孤独を感じていた。そして、彼自身に異変が生じる。

 見かねた理英子が「1週間、里穂と仁義は家の仕事を手伝わなくていい」と言ってくれたけれど……最前線に立っていた理英子までも、過労で戦線離脱することになってしまったのだ。


 名杙直系の理英子でさえもさばききれない『遺痕』に、最早石巻は終わりだ、その場にいた誰もがそう思っていた。

 そんな時に、統治が、友人の政宗を連れて応援に駆けつける。当時大学生ながら、既に『特級縁故』として活躍していた2人は、阿吽の呼吸で大活躍してくれた。


 そして……その時に生じていた『仁義の異変』に、名倉家以外で気付いてくれたのも、この2人だった。


「仁義君、君……『遺痕』も『縁』も、見えてないんじゃないかな?」

 沿岸部からベースである名倉家に戻ってきた政宗は、リビングで宿題をしていた仁義を見つけると、顔を上げた彼に問いかける。

 次の瞬間、仁義の顔に表情が張り付き、緑色の瞳が大きく見開かれる。遅れて入ってきた統治が様子のおかしい仁義に何があったのかと尋ねようとした時――仁義の正面に座っていた里穂が椅子から下りると足早に移動して、仁義と政宗の間に割って入った。

 そして、ポニーテールを揺らしながら精一杯強い眼差しで政宗を見上げて……両手を水平に伸ばす。

 まるで……仁義を守るように。

「じっ、ジンはちょっと疲れちゃっただけっす!! ちゃんと『縁故』っす!!」

 それは、誰が聞いても苦し紛れの嘘にしか思えなかった。案の定、政宗も苦笑いで言葉を返す。

「里穂ちゃん、あのね――」

「――それに、ジンの分まで私が頑張ってるから大丈夫っす!! 何も問題ないっす!!」

 政宗の言葉を遮って、里穂は強い口調で訴えた。

「政さんやうち兄に迷惑はかけないっす。だから……!!」

 里穂は口の端をキュッと結ぶと、泣きそうな眼差しで政宗と……彼の後ろにいる統治を見つめた。

 ここで、仁義が戦力外だということが分かると……誰から何を言われるのか分からない。

 恐らくは環境の変化や周囲の緊張感による、一時的な能力の消失だと思うけれど、里穂も理英子も生まれつきの『縁故』のため、中途覚醒者である仁義の異変に、どう対応すればいいのか悩んでいた。ちなみに陽介にも『縁故』としては中途覚醒だが、彼は仁義以上に特殊な覚醒方法なので、同じく対処法など分かるはずもない。

 だから里穂は彼の分まで『遺痕』に対応しているし、陽介は仁義の話を聞いて大丈夫だと言い含め、理英子は彼らに休むよう言い渡したのだから。

 それでも……今のところ、回復の兆しはないけれど。

「だから……このことは、誰にも言わないで欲しいっす……!!」

 この言葉に、政宗と統治は視線を交錯させて……口元に笑みを浮かべた。

 そして、政宗は里穂に向き直ってからその場に膝をついて座り込むと、泣きそうな里穂と視線を合わせて、首を横に振る。

「俺も統治も、仁義君のことを責めたり、他の人に言うつもりはないよ」

「政さん……」

「実は、俺と統治の知り合いで、『縁』に関する研究をしている人がいて、その人に相談をしてみたんだ。そしたら……仁義君の近くに、名杙直系が2人以上いる環境を整えればいいんじゃないかって。名杙直系の持つ素質で、仁義君の中で眠ってしまった『縁故』の力を呼び起こせるんじゃないかってアドバイスをもらったんだよ」

「ジンの近くに……でも、私やお母さんが一緒にいるっすよ?」

 不安そうに尋ねる里穂に、政宗は「そうだね」と首肯しながら……自分の後ろに立っている統治を見上げた。

 つられた里穂も統治を見上げ……「あっ!!」と声をあげる。その反応に頷いた政宗は立ち上がると、今度は里穂の向こう側にいる仁義を見つめて、腰に手を当てた。

「今度からは統治とも一緒にいる時間を長くしてみようと思うんだ。と、いうわけで……2人とも、明日からは俺達の仕事にもついてきてね」


 その翌日以降、里穂と仁義は、政宗と統治の仕事にも帯同するようになった。

 と、言っても……2人は離れた場所から仕事の様子を見ているだけ。そして、帰り道には主に政宗の提案で、コンビニやスーパーでお菓子を買ったりしていた。

 2人にとっても、『縁故』という素質関係なく接してくれる、貴重な年上のお兄さん。家に戻れば2人に勉強を見てもらえたこともあり、特に仁義の成績は目に見えて良くなっていった。

 そして……。

「ね、ねぇ、里穂……統治さんって、名杙で特に偉い人だよね……?」

「そ、そのはずっすよ……?」

 里穂と仁義は、目の前に並べられた夕食――揚げたての唐揚げとポテトサラダとわかめと豆腐の味噌汁と白米――を見つめた後、同じタイミングで顔を上げる。

 そこには、バットにのせた唐揚げを大皿に盛り付ける、統治の姿があった。

「どうかしたのか?」

 首をかしげる統治に、代表して里穂が問いかける。

「うっ、うち兄は、料理が出来るっすか……?」

「ああ、まだ簡単なものしか作れないが……」

「全然簡単じゃないっすよ!? 最近はお母さんも唐揚げはウジエ(近所のスーパー)で買ってくるっすから!!」

 力説する里穂に仁義が苦笑いを浮かべていると、お盆にのせた4人分のお茶を運んできた政宗が、コップを配膳しながら笑顔を向けた。

「統治の唐揚げは美味いから、2人とも遠慮しないで食べてね」

 その言葉に、里穂が思わずジト目を返す。

「それ、政さんが言うことじゃないっすよ……?」

 里穂の視線から逃げるように背を向けた政宗は、お盆をテーブルの脇に置いて、仁義の前の椅子を引いて腰を下ろした。空になったバッドを台所に戻してきた統治が里穂の前に座ったところで、政宗が仁義を見つめる。

「じゃあ……仁義君、挨拶をお願いね」

「えっ!? えっと……」

 唐突に指名された仁義が、戸惑いつつ政宗を見ると……彼は胸の前で手を合わせて、仁義にその一言を促す。

 統治と里穂も政宗に倣い、仁義の言葉を待った。

 3人から注目された彼は……そっと、胸の前で両手を合わせる。そして……。

「……いただきます」

 この言葉を復唱した3人と共に、統治が作ってくれた食事を楽しんだ。


 

 そんなことを思いながら、仁義は1人、きんぴらごぼうを口に運ぶ。

 あの時から更に腕をあげた統治の作る食事を食べる機会は、『仙台支局』が開設してから、少なくなってしまったけれど。

「……里穂、ちゃんと朝ごはん食べたかな」

 電車に間に合わないからと起き抜けに朝食を詰め込んだり、電車で食べられるようにおにぎりを持っていったりすることも多い。今日は午前中から部活だったはずなので、今頃はきっと電車に揺られているのだろう。

 無意識の内に里穂のことを考えている自分に苦笑しながら、仁義はタッパーの中身を綺麗に食べきって……お茶を飲んで、一息つく。

 そして……自分がここにいることで、『あの話』が――里穂と名杙遠縁の男性との結婚話が、『また』復活しないように頼むため、政宗に連絡を取る手段を考え始めるのだった。

 里穂と仁義の過去に関しては、2017年の里穂生誕祭外伝でもう少し書きました。(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/13/)

 この2人における政宗と統治は、頼りになるお兄さんなので……書いていて地味に楽しいっすね。

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