エピソード5.5:君が隣にいてくれるなら
その後、政宗の発案により、3人はスーパーへと出かけて、夕食を調達することになった。
時刻は間もなく18時30分になろうかという頃、日が沈みかけている空は、オレンジから紺色へのグラデーションによる絶妙な色遣いを魅せてくれている。昼間の暑さが幾分和らぎ、涼しい風が時折ユカの頬をなでていた。
外に出て、車がないので歩いていこうとしたユカと政宗を、里穂が「ちょっと待って欲しいっす」と引き止めて……政宗に自転車の鍵を手渡す。
そして、ガレージの奥に止まっている自転車を指さした。
「政さん、あれ、使っていいっすよ」
そこに停まっていたのは、シルバーのフレームが鈍く光る、ごく普通の自転車だった。里穂は別の鍵を持っており、ガレージには自転車が2台並んでいるので、里穂の自転車でないことが分かる。
その持ち主が誰なのかを2人が悟った時、里穂は苦笑いで肩をすくめた。
「いつもはジンが使ってる自転車っすけど、持ち主はしばらく帰ってこないかもしれないので……動かしてあげてほしいっす」
「分かった。でも……ケッカはどうするんだ?」
今、すぐに使える自転車は2台。政宗が首を傾げながら問いかけると、里穂はそんな彼に少し意地悪な視線を向けた後……手持ち無沙汰のユカに視線を向けて、こんな提案をする。
「ケッカさん、私の自転車の後ろに乗って行かないっすか?」
「へ?」
予想外の問いかけにユカが目を丸くすると、里穂はドヤ顔で自分の自転車の後輪を指さした。
彼女が指さした先には、後輪タイヤの中央から垂直に伸びる、6~7センチほどの棒があった。『ハブステップ』『メカガード』などと呼ばれているその金具は、後輪の変速機側につけておくもの。転倒時に変速機を保護するための部品である。
しかし、その取り付け位置と長さから、後輪に足をかけて二人乗りをする際に足を乗せる人も多い部品なのだが……あくまでも変速機を守るための部品なので、現実世界では二人乗りで使ってはいけません。
……それはさておき。
それを見たユカが、面白そうと言わんばかりに目を輝かせる。
「里穂ちゃん、二人乗り出来ると?」
「当然っす!! 女子高生の嗜みっすよ!!」
そう言って胸を張る里穂を、ユカが羨望の眼差しで見つめた。そんなユカの視線を受けた里穂は……会話に参加せずにスマートフォンを見ている政宗をチラ見して、わざとらしく声を張る。
「まぁ……政さんの方が体が大きいので、私より掴みやすかったり、諸々安定してるかと思うっすけどね」
刹那、政宗の両肩がビクリと反応した。そして、里穂の言葉を受けたユカが、「おぉ」と声を漏らして首をかしげる。
「……そんなもんなん?」
「やっぱり肩幅がある方が安定感もあると思うっすよ。まぁ、政さんが二人乗り出来るなら、自転車を交換してもいいっすけど……出来るっすか?」
わざとらしく政宗を煽る里穂に、煽られた政宗はスマートフォンを片付けて……腕を組み、ジト目を向ける。
「里穂ちゃん、俺を大分見くびってるよね? それくらい出来るよ」
「本当っすか? 後ろにケッカさんっすよ? 超絶に密着っすよ? 目を開けて前を見て運転出来るっすか?」
「でっ……ででで出来ますけど!? 政宗さん大人だからそれくらい出来ますよ!!」
「おぉ、そうっすか。じゃあ、頑張ってくださいっすー!!」
「なっ!? あ、お……おう!! 任せとけ!!」
心地よい風が頬を撫でる中、顔を赤くした政宗が胸を張る。そして、ニヤニヤする里穂に仁義の自転車の鍵を渡すと、代わりに里穂の自転車の鍵を受け取った。
そして、そんなことどうでもいいから乗せろと言わんばかりに目を輝かせているユカを見つめ……ため息をつく。
「ケッカ……随分楽しそうだな」
「だって、自転車の二人乗りげな初めてなんやもん!! 実は一度やってみたかったっちゃんねー!!」
「今回だけだ。あと、国道に出たら降りてもらうからな」
ちなみに自転車の二人乗りは道路交通法違反なので、現実の世界の公道ではやってはいけません。
……それもはさておき。
鍵でロックを解除しながら、政宗は隣で同じくロックを解除している里穂をチラリと見やり……彼女なりに前を向こうとしている強い眼差しを見つけた後、その自転車の持ち主と重ねて、苦笑いで肩をすくめた。
里穂の案内で、2台の自転車は住宅街の細道を疾走する。自転車そのものが久しぶりな政宗は、両肩に感じるユカの体重を出来るだけ意識しないようにしながら……バランスを保ちつつ、前を見据えて先を目指した。
ユカはかぶっている帽子が飛ばされないかと若干ヒヤヒヤしながらも……心地よい風を受けながら、普段よりずっと高い視点で、街の風景を見つめる。
彼女の目の前に広がるのは、どこにでもありそうな住宅街。家の1軒1軒に、部屋の明かりの下に、誰かの生活がある。
この町がかつて、途方もない悲しみに包まれたなどと……にわかには信じがたい。
けれど……見えないだけで、みんなそれぞれ、色々な思いを抱えて生きている。仁義も、目の前を走る里穂も、勿論ユカ自身も。
そして……きっと、今、ユカの近くにいる政宗も。
――こんな風に彼を後ろから見るのは、『どれくらいぶり』だろう。
『5月』の秀麗中学の一件で、過労から歩けなくなったときに、おんぶをしてもらった時だろうか。
きっとそうだ。だって『6月』の『あの時』は、政宗が後ろにいて――
「よしケッカちゃん、俺にもたれかかっていいよ」
10年前の再現をすると言い張って、『彼女』の後ろに座って。
「ここからは新しい思い出だ。俺がなけなしの勇気を振り絞って頑張ったんだからな」
そう言って抱きしめてくれた彼との距離を、『彼女』は笑顔で近づけて。
「ああ、その時は頑張るから……出来るだけ、忘れないでくれよ」
その言葉に強く頷いて、忘れたくないと思った、そんな『彼女』は――
――『彼女』は、誰?
「え……?」
頭の中に浮かんだ見知らぬビジョンに、ユカは思わず目を見開いて……恐る恐る、政宗を見下ろす。
今のユカから見えるのは、彼の後頭部だけ。どんな表情なのかを伺い知ることは出来ないけれど。
でも……さっき、ユカの中にいた『彼女』は、政宗のことを、心から――
「――っ!?」
刹那、全身に冷や汗をかいたユカは、彼の肩を掴む両手に力を込める。それに気付いた政宗は、視線を若干上に向けつつ……少し大きな声でからかった。
「ケッカ、怖いのか?」
「そっ、そうじゃなか!! むしろ快適過ぎて気持ちよかねー!! もっと飛ばせーっ!!」
「無茶言うなって……とにかく落ちないように掴まってろよ」
政宗がそう言って、2人の間が再び静かになる。
半ば無理やりテンションを上げたユカは、そのままの勢いで軽く頭を振って……意識を切り替えた。
何と混同しているのか分からないけれど、最近の自分はちょっとだけ妄想が過ぎると思うようなことが多い。仕事のしすぎだろうか。休めているつもりになって、実際は休めていないのか?
答えの出ない自問自答を繰り返すユカは……考えるのを諦めて、虚空を見上げる。
雲ひとつ見えない空は、明日も容赦ない太陽を予感させた。
「……とりあえず、美味しいご飯食べたかー……」
ユカの呟きを聞いた政宗が、口元に笑みを浮かべてペダルを踏む。
2人を乗せた自転車は、スーパーへ続く裏道を疾走するのだった。
その後、スーパーで調達した弁当を名倉家で食べながら、明日の動き方を確認して。
ユカと政宗の前だけでも、里穂が笑顔を作ってくれたこと。そして、彼女が明日の午後にこれまでの思いを全てぶつける決意を固めたことを確認した時……時刻は20時をとうに過ぎていた。
「ケッカさんも政さんも、そろそろ仙台に戻ったほうがいいっすよ。もうすぐお父さんも帰ってくるので、私は大丈夫っす」
こう言って笑顔を向ける里穂の言葉に見送られて、ユカと政宗は石巻駅に向かった。
彼女が母親について何も言わなかったということは、恐らく名杙本家に呼ばれているのだろう。そして、帰りが深夜になるのか……帰ってくることが出来ないのか、そこまでは分からないけど。
ただ、ユカと政宗も明日は定時に出勤した後に通常業務があるため、あまり長い時間、石巻に滞在するわけにもいかない。里穂と別れた2人は、駅までの夜道を歩きながら……自然と、今日の話になる。
「政宗、統治から連絡来とる?」
ユカの問いかけに、政宗は首を横に振った。
「特にこれといった連絡は来てないな……統治のことだから、日付が変わる前だと思う」
「そうなんやね……」
暗がりの中、スマートフォンの明かりで自分の顔面を照らしていた政宗は、電源を切ってポケットに押し込んだ。
そして、前を見つめて歩みを進めながら……ボソリと呟く。
「俺がもっと、仁義君の話を聞いてあげれば良かったのかもな」
「政宗……」
「仁義君が『生痕』に関わってることは、俺も知ってたから。彼が里穂ちゃんと一緒にいることで、お母さんとの思い出を思い出せて嬉しいと思ってたんだ。勿論それはあると思う、けど――」
「――それだけじゃなかった」
ユカの言葉に、政宗は「ああ」と首肯した。そんな彼へ、ユカもまた前を向いて歩きながら言葉を続ける。
「今回は、里穂ちゃんでさえ分からんかったとよ。本人も何も言わんかったとに、政宗やあたしが分かるわけないやんね」
「ケッカ……」
政宗がユカを見下ろすと、彼女は彼を見上げ、口角をニヤリと上げる。
「だから明日、聞きに行くっちゃろ? それに……仙台支局の支局長さんは、大分面白い提案をするみたいやけんね」
「受け入れられるかどうか分からないぞ。ただ……今は、この方がいいような気がしたんだ」
「あたしは嫌いじゃなかよ。良い報告、期待しとるけんね」
そう言ってユカが笑顔を向けると、裏道が終わり、駅に続く大通りに出た。
石巻のメインストリートでもあるこの通りは、車道を挟んで左右に歩道と店舗が整備されている。暖かい明かりの向こうから聞こえる楽しそうな声は、この町の悲しみを感じさせない希望がある。
大丈夫、きっと……きっと、明日は全て上手くいく。そんな希望を抱きながら、ユカは政宗と並んで石巻駅を目指した。
仙台へ向かう電車に乗り込むと、乗客がまばらに乗り込んでいた。
仙石線を走る列車は4両編成、座席は基本的に7人が横並びになるタイプなのだが……1両だけ、座席位置を動かせばボックス席のようになる車両がある。
業務的な話をするかもしれない可能性を考慮して、ユカと政宗は二人がけの席に腰を下ろした。前の席を回転させればボックスシートになるタイプの座席だが、今は共に進行方向を向いているので、二人がけの席として機能している。
窓際にユカを座らせて、政宗が通路側に腰を下ろし……一度、長く息を吐いた。
「政宗、おっさんみたいなんやけど……」
「うるせー、疲れた中間管理職を労ってくれよ」
ジト目を向ける政宗にユカがジト目を返した次の瞬間、ホームに発車を知らせる音楽が響き、車内アナウンスが電車の発信を告げた。
扉が閉まり、電車がゆっくりと動き出す。ユカは手元のスマートフォンに届いたメール等を確認しながら、「そういえば」とあることを思い出した。
「ねぇ政宗、来月、レナ達が遊びに来るって聞いとるよね?」
ユカと同じくスマートフォンの通知をチェックしていた政宗は、「ああ」と顔を上げて首肯する。
「一誠さんと瑠璃子さんは、秋保温泉に泊まるって聞いてるぞ」
政宗の出した情報に、ユカは目を丸くして問いかける。
「秋保温泉って……仙台から遠くなかと?」
具体的な場所を思い浮かべられなかったユカに、政宗は簡単に解説をする。
「一応仙台市だから、そんなに遠くないぞ。車だと40分くらいだし、駅からは直通バスもある。まぁ、俺が送り迎えをしていいから……ケッカ、セレナちゃんは頼んだぞ。ちゃんと仙台の良いところを――」
「――まずはあたしにも、もっと教えて欲しいところやね」
ユカがどこか意地悪にこう言うと、政宗は口ごもって……ぎこちなく視線をそらした。
「……どうせ牛タンしか覚えないだろうが」
「ひっどっ!! ケッカちゃんを馬鹿にせんでよね!! 政宗こそ……」
政宗こそ……こう言いかけたユカが、その先の言葉を喉の奥で一度引き止めた。
政宗こそ、レナをちゃんとおもてなしせんねよ。
彼に言おうとしたのは、わざわざ言いよどむような内容ではない。
セレナと政宗は友人であり、そして……彼のことが好きなセレナにチャンスをあげたいと思うのは、当然だと思う。
けれど、胸の奥に感じる、この言いようのないモヤモヤは……何だろう。
そして……その先にいる『彼女』は、どうして――
どうして、政宗と他の女性が一緒にいると、モヤモヤしてしまうんだろう。
まるで……彼のことが好きな女の子みたいだ。
――ありえない。
そんなことはありえない。
自分が誰よりも分かっているはずなのに、どうして……。
「ケッカ?」
名前を呼ばれて我に返ったユカは、自分を訝しげな表情で見つめている政宗への言葉を探した後……両手を膝の上で握りしめ、溜息をプラスして、言葉を続けた。
「政宗こそ、飲み過ぎには気をつけんねよ。瑠璃子さんがおるからって、仲間が増えたとか思わんでよね」
その言葉が完全に図星だった政宗は、ユカを見つめる表情をこわばらせ……苦々しく返答する。
「べ、別にいいだろ? 仙台支局は誰も外飲みに付き合ってくれないんだよ……」
「付き合うわけないやんね……」
ユカのジト目が痛くなってきたので、政宗は視線をそらして……溜息をついた。
仙台支局はユカを含めて、未成年の職員が多い。仕事終わりに宴会が出来るまでには、あと何年かかかりそうだけど。
「そういえばケッカ、あと1ヶ月で20歳に――」
ユカの誕生日を思い出した政宗が、彼女に話しかけた次の瞬間。
隣り合っている彼の左肩に、彼女の頭がぶつかってきた。
「いっ……!?」
鈍い衝撃に政宗が彼女の方を向くと、疲れと振動で完全に眠気に包まれている彼女の頭が、あっちへこっちへとフラフラ移動している。
見かねた政宗はフラフラしている肩をトントンとたたき、ぼんやりした眼差しで自分を見つめるユカに、苦笑いを向けた。
「眠そうだな、ケッカ。まだ時間もあるから寝てていいぞ」
その言葉に、彼女は無謀にも首を横に動かす。
「だい……じょうぶ……政宗こそ……つかれっ……」
「どこか大丈夫なんだよ……缶コーヒーも買い損ねたし、また頭をぶつける前に寝てくれって」
「……」
そんな彼に、ユカはコクリと頷いた後……政宗の方へと体を倒す。
「へっ!? あ、ちょっ……!!」
まさか自分の方へ倒れてくると思っていなかった政宗は、眠気に身を委ねたユカの両肩を掴んで受け止めると……そっと椅子の背もたれに戻して、自分の方へもたれかかってくる彼女を肩で受け止める。
普段は身長差もあって、あまり近くで見ることはないけれど。いつも以上に近くにいるユカに、政宗はどうすればいいか分からず……とりあえずどさくさに紛れて手を握っていたことに気付き、慌てて離そうと腕を動かした。
「あ、あれ? ケッカ……?」
当然ながら名前を呼んでも、眠っている彼女が起きることも、ユカから固く握られた手が離れることはない。
政宗は自分の手汗を気にしつつ……俺は悪くねぇと開き直ることにする。むしろ役得だとさえ言い始める自分に、心の中で苦笑いを浮かべた。
電車はまだ、仙台には遠い位置。明日以降も何かと忙しい日々が待っているはずだし、ユカは慣れない石巻での仕事も頑張ってこなしてくれている。
だから……自分の隣にいる今くらい、安心して休ませてあげたい。
「……お疲れ様、ユカ」
そう言って繋がった手に力を込めると、彼女が生きているぬくもりを実感出来て、嬉しかった。
そして……彼自身もまた、電車の心地よい振動で1日の疲れが襲ってきたこともあり、やがてゆっくりと船を漕いで……意識を、手放す。
そのケッカ……。
「どうして起こしてくれんかったと!? もう終点やんねバカ政宗!!」
「疲れてたんだよ眠かったんだよ悪かったな!!」
本当は途中下車すれば自宅への最寄り駅だったにも関わらず、華麗にスルーして終点まで乗ってしまった二人は……眠気覚ましのための缶コーヒーを買うために、並んで一度電車を降りた。
「あぁー眠かー……ねぇ政宗、自販機って駅の中にあるとー……?」
「上の改札口近くにあったはずだから、行くぞ」
あくびを噛み殺しながら階段を登るユカに、苦笑いの政宗が続く。
あの時、ユカが『わざと』彼と手をつないだことには……気付かないままで。
公道における自転車の二人乗りは道路交通法違反です。真似しないでね!!




