エピソード5:サヨナラ大好きな人④
「――ジン、うち兄も皆さんも、おかえりなさいっす!!」
車で名倉家に帰ってきた4人を、里穂が玄関先で笑顔で出迎えて……4人から感じるただならぬ気配に、思わず口元を引きつらせた。
いつもならば、笑顔で「ただいま」と言ってくれる仁義が……一度も、里穂と目を合わせようとしない。無言で里穂の脇を抜けて2階の自室へ向う彼の背中を追いかけられず……玄関先で立ち尽くす里穂に、統治が淡々と問いかけた。
「里穂、支倉さんの様子はどうだ?」
「えっ、あ……さ、さっき目を覚ましたっすよ。とりあえずまだ本調子じゃないみたいなので、和室で休んでもらってるっす……」
「分かった。佐藤、山本、森君、悪いが和室にいる心愛と支倉さんに伝えてくれ。仁義の用意が整ったら出発するから、帰り支度をするように、と」
振り向かずに指示を出した統治に、ユカは無言で靴を脱ぐと、和室の方へ歩いていった。戸惑いが残る環には政宗が寄り添い、その場から離脱。玄関先には里穂と統治が二人だけになり、統治は頑なに靴を脱ごうとしない。
「えっと……うち兄……」
里穂は引きつった口元を頑張っていつもの位置に戻しながら、いつも通り呼びかける。いつもならば「何だ?」と返事をしてくれる統治は、里穂の呼びかけに応える気配がない。
先程の言葉が里穂の解釈通りならば、仁義が今、2階の部屋で何かしらの用意をしていて……その用意が整ったら、再びどこかへ出発するのだろう。恐らく『生痕』に関することは終わったはずなのに、どうして今更?
疑問ばかりが浮かんで消えて、不安ばかりが募っていく。
里穂の知らないところで何か、とんでもないが起きた……そんな不安が、確信へと近づいていく気がした。
「うち兄……何がどうなってるっすか? ジンが用意をしたら、またどこかへ行くっすか?」
震える声を必死に隠して問いかける里穂に、統治はようやく返答した。
「名杙本家だ」
「え……?」
刹那、里穂が大きく目を見開く。普段であれば里穂と一緒にいくに決まっているその場所に、直系の里穂が蚊帳の外になっているという事実が、彼女の心に激しく警鐘を鳴らした。
現状に追いつけず困惑している里穂へ……統治は溜息混じりに、仁義がやったことを告げる。
「仁義は、『支倉さんと森君の関係縁を結んだ』……里穂、これがどういうことか分かるな?」
「っ!?」
統治の言葉を聞いた里穂が、大声を出しそうになった口元を慌てて両手で塞いだ。そして、恐る恐る統治の顔を見つめて……その表情に一切の躊躇も容赦もないことを察する。
名杙に逆らってはいけない。
これは、分家の人間ならば……嫌というほど実感していることだった。
分家は名杙本家からの助成金や、顧客の斡旋で生計を立てている。名倉家の場合は陽介が別に働いていることもあるし、直系の理英子や里穂がいることで、分家の中でも本家に近いと思われているけれど……それでも、里穂は常々、本家と分家の差を感じて生きてきた。現にイトコであるはずの桂樹は、里穂をあまり快く思っていなかった印象もある。
でも……少なくとも、今の統治や心愛は違う。彼らは本家も分家も関係なく、里穂は里穂として、仁義は仁義として接してくれている。
そう……思っていたのに。
今の統治の表情は、かつて、里穂が一番キライだった名杙家の大人と同じように見えた。
里穂は口元から両手をおろし、足の横で強く握った。そして統治を睨みながら、震える声で問いかける。
「ジンはこれから……どうなるっすか?」
「俺もまだ分からない。ひとまず、名杙当主には車内から電話で連絡をしておいたから……数日中には処分が決まるだろうな」
「……名杙との『絶縁』っすか?」
彼もまた、桂樹のように『絶縁』されてしまうのだろうか。
最悪の事態を想定した里穂に、統治は「いや」と首を横に振った。
「今回は初犯だから、そこまでではないと思う。ただし……名倉家との婚姻関係は、見直されるかもしれないな」
「っ――!!」
覚悟はしていた。しかし、実際に統治の口から聞くと……現実として重くのしかかってくる。
仁義と里穂の『許嫁』という関係もまた、名倉のみならず、名杙の許可もあって成立していることを。
言葉を失った里穂が唇を噛み締めていると、階段を下ってくる足音がした。
そして、廊下がきしむ足音と共に……着替えやスマートフォンの充電器など、名杙の離れに滞在するために必要な最低限度のものをリュックにつめた仁義が、里穂の隣に立つ。
「ジン……」
里穂の呼びかけに仁義は彼女の顔を見つめ……苦笑いで肩をすくめた。
「里穂、こんなことになってゴメン……あと、理英子さんと陽介さんにも、今までの恩を仇で返してごめんなさいって伝えて――」
「――嫌っす!!」
仁義の声を遮り、里穂の絶叫が玄関に響いた。
里穂はそのまま仁義の着ている上着ごと彼の腕を掴み、自分の方へ引き寄せようと力を込める。
あまりにも子どもじみた抵抗に、仁義が苦笑いで彼女の行動を諌めた。
「里穂……腕が抜けちゃうよ」
彼の声を聞いた里穂は、反射的に泣きそうになったが……歯を食いしばり、必死に涙を堪えた。そして、家から出ていかなければならない仁義を引き止めるように、ブンブンち首を横に振る。
「だって……だって!! ジンは森君やミズちゃんに自分と同じ思いをさせたくなくて、だからそんなことをしたっすよね!? それなのに、それなのに……!!」
「……そうだよ、里穂。これは僕のエゴなんだ」
「え……!?」
はっきりとそう言った彼の言葉に、里穂は思わず、握っていた手の力を緩めてしまった。
里穂から離れた仁義は、戸惑う彼女の目尻に指を添えて……そこに浮かんでいた涙を拭った。
そして、彼女に精一杯の笑顔を向けると……口元を引き締めて、別れを告げる。
「ありがとう、里穂。僕は……里穂に会えて、里穂とこの家で過ごせて、本当に幸せだったよ」
彼の言葉が、全て過去形になっていく。
いままでずっと、同じ時間を生きてきたのに……その全てが、『思い出』になってしまう。
仁義は里穂から手を離すと、それ以上振り向かずに……靴を履いて、静かにこの家から出ていった。
呆然と立ち尽くす里穂の後ろから、心愛がそっと、彼女の顔を覗き込む。仁義が2階から降りてきた足音や先程の里穂の大声を聞いて、和室で待機していたメンバーが帰り支度を済ませて、玄関まで戻ってきたのだ。
心愛もまた、和室で政宗から仁義のことを聞き、半信半疑だったのだが……。
「りっぴー……」
心愛が見た里穂は、言葉もなく立ち尽くしたまま……呆然と玄関を見つめている。里穂がここまで打ちひしがれている様子を見たことがなかった心愛は、仁義のことが事実なのだと嫌というほと実感するしかなかった。
里穂にかける言葉を探して俯いている心愛へ、統治が「心愛」と声をかけ、車の鍵を手渡す。
「森君や支倉さんと一緒に車内で待っていてくれ。あと、仁義は助手席に乗るように伝えて欲しい」
「分かった……って、帰りはお兄様が運転するの?」
心愛の問いかけに、統治が無言で首肯する。
てっきり政宗だと思っていた心愛は、5人乗りの車ではこの場にいる全員が一気に帰れないことに気が付き、たまらず兄に進言した。
「こ、心愛、電車で帰るから!! ほら、5人乗りの車には全員乗れないから、誰か電車で帰らなきゃダメでしょう?」
これは単純に、この場に残りたいという下心からの発言である。そして、当然ながらそんな下心を察している統治もまた、冷静に、妹の自己主張を切り捨てるのだ。
「ダメだ。心愛は俺と一緒に車で帰ってもらう」
「お兄様!?」
心愛が非難じみた声と共に統治を見つめた。そんな彼女の肩に里穂がそっと手を添えて……自分の方を向いた心愛へ、苦笑いを向ける。
「ココちゃん、あまりうち兄を困らせちゃダメっすよ」
「りっぴー、でも……!!」
尚も食い下がろうとする心愛に向けて首を横に振った里穂は、統治を見据え――静かに、頭を下げた。
「……ご迷惑をおかけしました」
分家は常に、本家を敬わなければならない。
昔、誰かに言われた言葉が胸に去来した里穂は、統治に対して意識して態度を切り替えた。勿論、半分以上は名杙への反骨心だけど。
普段の彼女とは程遠い言葉遣いと態度に、心愛を含む統治以外の全員が驚いていると、顔を上げた里穂に、統治が淡々と今後のことを告げた。
「理英子さんにも既に連絡が入っているはずだが、出先から直接名杙に向かう可能性がある。今日の夜は帰ってこないかもしれない」
「分かってます」
「処分は改めて通達する。それまでは個人的に仁義と連絡を取ることは禁止だ」
そのの言葉に里穂が無言で頷いたことを確認した統治は、彼女の後ろで成り行きを見守るしかなかった瑞希と環へ視線を向けると……彼らに今後の動きを説明した。
「とりあえず今から、支倉さんと森君はそれぞれの自宅へ送ります。心愛と一緒に車内で待っていてもらえますか?」
「え、あ……そのっ……!!」
どこか動揺している瑞希が統治に向けて何か言おうとしたが、環が一歩前に出て、その言葉を遮った。
「把握しました。じゃあ、車で待ってますわ」
そしてスタスタと里穂や心愛の横を通り過ぎると、靴を履いて……くるりと心愛を振り返る。
「名杙が来ないと、鍵が開かないんだけど」
「え!? あ……っ!!」
環の指摘に、心愛はどこか悔しそうな顔で唇を噛んだ後……里穂を一瞥して、靴を履いた。
そして里穂に向き直り、いつもどおりの口調と表情で言葉をかける。
「心愛、お父様達にジンのこと頼んでみるから!! 絶対に何とかしてみせるから、だから……りっぴーはここで待っててね」
「ココちゃん……ありがとうっす」
里穂がいつもどおりの口調と笑顔でこう言ったことを確認した心愛は、どこか安心した表情で、ツインテールをなびかせて玄関から出ていった。後に続こうとした環は、扉を出る直前で立ち止まり、振り向くと……オロオロしていて動けない瑞希を見据える。
「支倉さん……歩いて帰るつもりなんすか?」
「へっ!? そ、そんなことないよ!! ない、けど……」
瑞希はおずおずと前に進みながら、すれ違いざまに里穂の顔を見た。そして、彼女に何の言葉もかけられないまま靴を履いて、心愛と環に合流する。
3人が出ていった後、統治はポケットからスマートフォンを取り出して、届いていたメッセージを簡単に確認した。そして、里穂の後ろに立つユカと政宗に視線をうつし、どこか申し訳なさそうに声をかける。
「2人とも、気をつけて帰ってきてくれ」
車に乗れない2人は、別途電車で帰ることになっている。統治の言葉に「気にするなって」と声をかけた政宗は、明日以降のことをあえてこの場で確認した。
「なぁ統治、仁義君の査問会って多分明日だと思うけど、俺は出なくていいのか?」
政宗の問いかけに、統治は少し思案しながら……政宗の都合を問いかける。
「そうだな……佐藤、明日で都合がつけられそうな時間帯はあるのか?」
「明日、明日だと……15時以降で良ければ大丈夫だな」
「分かった。追って連絡する」
政宗の言葉に首肯した統治が、少しだけ里穂を見つめたが……それも、統治が彼女に背を向けるまでの、一瞬の出来事。
統治が出ていき、静かに扉が閉まる音を聞きながら……ユカは里穂の隣まで歩くと、前を見据えたまま言葉をかけた。
「……正直、里穂ちゃんはもっと取り乱すかと思った。流石やね」
「ケッカさん……」
里穂がユカを見下ろすと、反対側に立った政宗が、里穂の頭にそっと手を添えた。
そして……かつての彼女にかけた言葉を改めて贈る。
「里穂ちゃん、よく頑張った」
「政さん……」
これは以前……4年前の災害直後、『遺痕』の対処が続いて頼みの綱だった里穂の母親が倒れてしまい、どうしようもなくなった時に、政宗が里穂にかけた言葉でもある。
もっともその言葉をかけてくれた時は、里穂の隣には仁義がいて、政宗の隣には統治がいたけれど。
どうして、こんなことになったのだろう。
どうして……仁義は、統治の目の前でこんな無謀な賭けに出てしまったのか。
突然に現実が襲ってきた里穂は、その場に力なく座り込んだ。
目から大粒の涙が止めどなく溢れて、溢れていく。
頭が、胸の中が、全てがぐちゃぐちゃで……どうすればいいか分からなくなっていた。
「ケッカさん……政さん……ジンは、ジンは……ずっと、嫌だったんすかね……」
白くなるほど強く握りしめた両手に、涙が何度もこぼれ落ちる。
彼の何を信じればいいのか分からない。
ずっと自分に向けられていた笑顔は……本当に、彼の心からのものだったのだろうか?
「僕は里穂ちゃんが羨ましいよ!! 僕なんか……僕なんか……!!
あの時、まだ仁義になる前の彼から言われた言葉を思い出す。
もしも……もしも、彼が『柳井仁義』になった後も、この言葉のような感情を抱いて、自分を含む名倉や名杙の人間と接してきたのであれば。
里穂は一番近くにいたはずなのに……何も、気付けなかった。
彼の笑顔を信じて、自分だけが笑っていた。そんな気がしてしまう。
「ジンは……きっと、ずっと辛かったっすね……お母さんのことを自分で思い出せないことが、ずっと、歯がゆくて……でも、私は勝手に、ジンを支えてるつもりになって……!!」
自分がやってきたことは、善意の押しつけだったのだろうか。
仁義の役に立っているつもりで、実は……彼に我慢をさせていたのだろうか。
一度そう思ってしまうと、疑心暗鬼から抜け出せない。
涙が……止まらない。
ユカは彼女の隣にしゃがみ込むと、震える背中をそっとさすった。そして、里穂に向けて声をかける。
「本当のことは、仁義君しか分からんけど……少なくとも、里穂ちゃんやこの名倉家が嫌だったことはないと思うんよ。あたしに自分のことを話してくれた仁義君からは、里穂ちゃん達への感謝しか感じられんかったよ
「ケッカさん……」
「ただ……今回はちょっとスタンドプレーやったかな」
ユカは苦笑いでこう言って、ポケットからハンカチを取り出そうとして……。
「政宗、綺麗なハンカチ貸して」
「それくらい持ってろよ!!」
しれっと手を出したユカに、政宗は慌ててズボンのポケットからハンカチを取り出した。
それを受け取ったユカが里穂に手渡すと……2人のやり取りに笑ってしまった里穂が、泣き笑いのままハンカチを受け取る。
それで顔を抑える里穂を見つめながら……ユカは更に言葉を続けた。
「里穂ちゃんは、仁義君が何も言わずにこげなことをしたのが、一番悔しいっちゃなかと? 許嫁っていうくらいやけんが、大事なことの前には、ちゃんと相談してほしいことって……あるんよね」
ユカはそう言って、2人を見下ろしている政宗を見上げた。過去の失態を思い出した政宗はきまりが悪そうに視線をそらしつつ……里穂を挟んだユカの向かい側にしゃがみ込み、里穂の肩に手を添える。
「明日の午後だけど……時間、取れそう?」
「政さん……?」
ハンカチから顔を出した里穂が恐る恐る政宗の名前を呼ぶと、彼は口角を上げて、里穂に向けてこんな提案をした。
「明日の15時、仙石線の本塩釜駅に来てくれれば……何とか、仁義君と話す時間を作ってあげられると思うよ。どうする?」
試すような政宗の問いかけに、里穂は涙を急いでハンカチで拭って……顔を上げる。
「……そんなの決まってるっすよ、政さん」
そして、政宗の方を向いて、口元に笑みを浮かべた。
仁義と一緒にいる時は、笑う。それが……彼女の中のルールだから。
「私も連れて行って欲しいっす。明日、名杙本家に潜入して……ジンを取り調べるっすよ!!」




