エピソード5:サヨナラ大好きな人②
その場にいた5人が、2人の姿を見つけて身構える。
瑞希は先程と同じ服装で立ち尽くしており、そんな彼女と手を繋いでいる少女は、濡れたショートカットが頬に張り付いているので、顔がよく見えない。
着用している黒いTシャツも、膝が見えるグレーのハーフパンツも、全てが水分を含んでいて、べっとりと肌に張り付いていた。
足元は裸足まま、地面の上に立っている。どこからどう見ても『遺痕』だ。
そして環は、そんな『遺痕』の少女に……心当たりがあった。
今までは、時折すれ違う『痕』を見かけても、顔見知りではなかったから何とも思わなかったけど。
流石に顔見知りが変わり果てた姿で目の前にいると……足がすくむ。
ただでさえ今は本調子ではないのに、先程から非現実的なことばかりで……このまま倒れてしまいそうになるけど。
ただ、目の前の2人はきっと、そんなことを許してはくれないだろう。
「嘘だろ……」
軽い耳鳴りと一緒に、情けないほど掠れた声が自分の耳にも届く。
しかし、驚いていたのは環1人だけ。残りの4人は予め想定していたこともあり、比較的冷静に受け入れている様子だ。
そこにいたのは、そこに『いるはずのない少女』。
彼女の訃報は、引っ越し直後の環の元にも――正確には、環の母親に届いていた。当時はまだ石巻までの公共交通機関が復活しておらず、移動手段を確保出来なかったことで、葬儀等には参加出来なかった。
当時はそれが少しだけ心残りだったけれど、それももう――忘れてしまっていたのに。
しかし、流石に……先程の思い出話を聞いた直後の今は、顔を見ただけで名前を思い出せる。
だって、彼女は……。
「……お前、4年前の災害で死んだって……!?」
そこにいた彼女に関しては、4年前のあの災害が発生した時に家に居て、自宅ごと流されて……数日後に発見されたと聞いているのだから。
環の声が届いているのか、彼女が口元にニヤリと笑みを浮かべていた様子が……ユカの目にははっきりと映っていた。
環と2人の間にある道路が、この世とあの世の間であるような気がしてくる。
硬直している環へと、2人は静かに近づいてきた。足がすくんだ環がまごついていると、統治が彼の腕を掴む。
「森君、少し下がってくれ」
統治が環を引っ張って、意識して数歩後ろに下がった。ユカと政宗はそんな2人を左右に挟むような位置で、仁義は環の後ろについて、道路を渡ってきた2人を待ち構える。
間もなく日が沈む時間なので、空が群青色から灰色に変わっていく。時折涼しい風が吹き抜け、今は店の基礎だけがむき出しで残っているこの場所で、環は2人と相対して……自分の腕を掴んでいる統治を見上げ、何とか平静を装って問いかける。
彼らが『遺痕』の少女の存在に驚いていないことが、気になっていたから。
「名杙先生達は……あいつのこと、知ってたんすか?」
この問いかけに、統治は前を見据えたまま返答した。
「ああ。色々と気になるところがあって、急ぎ、少しだけ調べてみたんだ」
話は、水曜日の――昨日の就業前まで遡る。
『仙台支局』内でいつも通り、ノートパソコンを起動していた政宗は、明日のために書類仕事を早めに終わらせようと奮起するユカを見やり、何となく問いかけた。
「なぁケッカ、月曜日に会った支倉さんは……彼は『私のところに会いに来てくれる』、って、言ったんだよな?」
唐突な問いかけに、ユカは視線をパソコンから政宗へずらした。そして、週明けに相対した時の瑞希を思い出し、「うん」と間違いなく首肯する。
「そげん言いよったね。やけんが、なんかおかしいなって……本当に『生痕』なら、森君を探しに行くのが妥当だと思わん?」
それは、ずっと残っている違和感。ジグソーパズルのピースが足りない、そんな気がしている。
ユカの言葉に政宗は「だよな」と相槌をうつと、彼女を見つめて、こんな仮説を打ち立てた。
「ケッカ、覚えてるか? 支倉さんの『生痕』らしき存在は、石巻駅前のベンチで1人でひそひそ話をしていた……これが、今回の案件の発端だ。もしも、彼女に話し相手がいるとすれば……」
「……『遺痕』ってこと?」
「俺は最初、生きている支倉さんが『遺痕』と関係してしまったんだと思ってた。その後に『生痕』って激レアケースが出てきたり、森君の名前が出てきたことで、そっちに気を取られていたけど……やっぱり、『遺痕』は何かしら干渉している可能性が高いと思ってる。そしてそれは多分、支倉さんの『生痕』が森君だと錯覚するような……子どもだ」
政宗の言葉に、ユカは背もたれに体重を預けながら……天井を見上げた。
確かに、政宗の言っていることは可能性として高い。しかし、まだ確証は持てない。
ユカはゆるく手を上げると、ふと浮かんだ疑問を政宗にぶつける。
「そもそも論やけど……『生痕』も『遺痕』って見えるとやか?」
この問いかけに、政宗はきっぱりとこう言った。
「俺も分からん。」
「何それ……」
ユカがたまらずジト目を向けるが、政宗は「分からんもんは分からん」と突っぱねる。ならば統治は知っているかと思って前の席に座っている彼の顔を見ようとするが、いつものようにディスプレイの隙間からユカの方へ顔を出してはくれなかった。要するに統治も知らないのだろう。
『縁故』や『遺痕』に関する情報が集約される名杙家の直系であっても、確固たる根拠を持っていない。それだけ、『生痕』に関する情報は少ないのだ。
どこか訝しげなユカの横顔に、政宗はノートパソコンにパスワードを入力しながら口を開く。
「俺たちの経験則から察するに、生きている人間とは違う世界の住人だから、互いの認識くらい出来るんじゃないかと思うのが普通だよな。第一、話し合い手まで『生痕』だったら、支倉さんとそのもうひとりの「2人」が目撃されていてもおかしくない」
そう言ってエンターキーを押した後、一瞬顔をしかめたが……すぐに表情を戻し、手元のアイスコーヒーを一口すすった。
そんな彼へ、ユカは真顔でボソリと呟く。
「彼女に『遺痕』が憑いとることで、消耗が激しくなったり、情緒不安定になったりすること……あると思う?」
「可能性としてはゼロじゃないと思う。月曜日もケッカ達の前で取り乱したんだろう? 少なくとも……良い影響を与えているとは考えづらいよな」
「だよねぇ。とは言っても……どげん探すつもりなん? 子どもって情報だけで絞りきれると?」
「昨日の森君の話をヒントにしてみる。彼に関わっていた生徒のその後を追いかけてみるんだ」
その言葉に、ユカは昨日の環の言葉を思い返した。
「そうっすね……転校する直前に、なんか、俺のいじめに関する話をしたような……」
「確か、クラスに俺と名前の似てる奴がいて、それで何故かいちゃもんをつけられて……でも、俺が特に気にしてなかったら、帰り道に襲撃されたような……」
うろ覚えながら、環はそんなことを口にしていた。もしも瑞希が『遺痕』と関わっている場合は、その接点の時間に居合わせたクラスメートとも、何かしらトラブルになったのではないか、というのが政宗の見立てだった。
ユカは顎に手を添えて「ふむ……」と思案した後、顔を上げて政宗を見据える。
「とりあえず調べるだけ調べたほうがスッキリする状況やね。あたしは何かすることあると?」
ユカの言葉に、政宗は首を横に振った。
「いや、今の話は俺の考えをケッカや統治と共有しておきたかったんだ。ちょっと俺の知り合いに聞いてみるわ。もしも本当に『遺痕』だったら、市内で亡くなった子どもの名前のリストから、すぐに足取りが掴めるかもしれないからな」
「リストって……政宗、そげなことすぐに調べてくれる知り合いがおるとね」
ユカが目を丸くすると、政宗は「まぁな」と言葉を濁して、わざとらしく胸を張ってみせた。ちなみにこの『知り合い』とは、里穂や仁義と旧知の仲である千葉駆と、その上司のことだったりする。いつもであれば仁義を通じて頼むのだが、今回はあまり時間がないため、仲介役を通さない手法をとることにしたのだ。
「俺くらいの立場になると、そういうリストを取り寄せるのは朝飯前だぞ!!」
「はぁ……良かったね」
そのドヤ顔が若干うざかったので、ユカは露骨に視線をそらした。
そして、手元にあるアイスコーヒーを一口すすってから……メールをチェックしつつ、今後の動きを確認する。
「とりあえず、政宗の読みどおりに『遺痕』が関わっとったら、その『遺痕』の『縁切り』も必要になるんやね」
「そういうことだ。なるだけ連続で対応しないようにしたいから……ケッカ、1本切ったらさっさとどいてくれよ」
「ちょっ……!? 人を邪魔者扱いせんでくれるやか!?」
ユカの言葉を政宗は軽く笑い飛ばして……先ほどからイヤホンを片方だけ外して話を聞いてくれていた統治に視線を向けた。
「そういうことだ、統治。明日はいつでも切れるようにしておいてくれ」
「分かった」
端的に頷いた統治は、外していたイヤホンを再び装着して……水曜日中に終わらせたい作業を再開するのだった。
ユカも自分の作業に戻りながら……瑞希の『生痕』と会っているらしい『遺痕』は、瑞希曰く「彼」だということ――要するに男性だろうなと思いつつ、これ以上の手がかりがないので、とりあえず口を挟むのはやめておいた。
そして、木曜日の午前中、政宗のところに、石巻の『知り合い』――駆の上司から、電話が入る。
電話の向こうで、低い声の彼は端的にこう言った。
政宗が言った条件に当てはまる少女が、先の災害で亡くなっている……と。
少女の名前は『森田麻紀』、環が転校する直前に同じクラスへ転校してきた、ショートカットの少女だった。
少女の――麻紀の父親は市内にある製紙会社に勤務している。石巻にはその会社の大きな工場があり、要するに親の転勤でやって来たのだ。ちなみに転校はこれが初めてだったらしい。
親にとっては栄転だったらしいが、それに付き合うしかない子どもは、慣れない環境に必死に溶け込もうとしていた。
ただ、持ち前の性格もあってなのか少し気が強く、思い通りのことにならないと癇癪を起こしてしまうことがあるらしい。癇癪、と言っても、勿論あくまでも子どものレベルだけど。
そんな彼女の名前は、先にクラスに居た環と似通いすぎていることもあり、クラスメイトからからかわれることがあった。環は当然のようにスルーしたが、麻紀にしてみれば望まない転校で、ただでさえ不安しかない自分には優しくして欲しいのに、まさかこんなことになるなんて思っていなかっただろう。
そして、その相手である環が、自分のことを特に相手にしないのだから……苛立ちが募ってもおかしくない。
学校も、クラスメイトも、何もかも大嫌い。
こんな場所……来るんじゃなかった、と。
そんな麻紀が住んでいたのは、会社が借り上げたアパートの一室だった。本来であれば高台の社宅に入るはずだったのだが、4月以降でないと空きがないということで、一時凌ぎとして暮らす事になった家で――災害に巻き込まれ、帰らぬ人となった。
そのあまりにも噛み合わない運命の輪の酷さに、情報提供をしてくれた駆の上司も、彼女の名前を覚えていたくらいだ。
あの場所に、この町に引っ越してこなければ……助かっていたかもしれない、と。
環は統治の話を聞いて……改めて、瑞希と共に立っている麻紀を見つめる。
その髪型も、体格も、今は鮮明に思い出せる。
あの時――瑞希に追いかけられ、環に万引きを咎められたのは、麻紀なのだから。
「森田、お前……」
環が乾いた唇を動かして彼女の名字を呟くと――なぜか瑞希が目を見開き、少女の頭を見下ろした。
そして……どこか自嘲気味に吐き捨てる。
「森田……そう、それが君の本当の名前なんだね」
「え……?」
どうやら瑞希は、自分と一緒にいるのが麻紀だという認識がなかったらしい。混乱している環が顔をしかめると……麻紀が不意に前髪を半分ほどかきあげて、充血した目を見開いて、環を見つめた。
「あ……森じゃん。やっぱ生きてたんだ。久しぶり。私が見えるなんて嬉しいなー……なんてね」
そう言って、口元にニヤリと笑みを浮かべる。しかし、隣に立っている瑞希は無反応である。
どうしてなのか分からない環に向けて、麻紀は饒舌に語る。
「あぁ、この駄菓子屋のお姉さん、私の声は聞こえないみたい。ほら、こうやって俯いてれば分からないでしょ? だから今まで、ちょっと『森環君』として一緒にいたんだ。別にいいよね、名前似てるし」
「はぁ? どうしてそんな訳の分からないことを……」
目の前のクラスメイトが、そこまで瑞希に固執する理由が分からない。環が少しだけ呆れたような表情で呟くと、麻紀は真っ赤な目を少しだけ細めて……低い声で吐き捨てた。
「だって……むかついたんだもん」
「むかついた? あの万引きがってことか?」
この言葉に、麻紀は「それもあるけど」と呟いてから……両肩を震わせた。そして、時折声を荒らげながら『その後』を語る。
彼女があれから、どうなったのか。
「知ってた? 私が万引きしたって通りすがりのババァが見て、学校に言いつけたんだよ。私が森の名前を呼んだことと、見知らぬ女の子ってことであっさりバレてさ……知らないよね。だって森はさっさと転校したんだから」
「……」
それは、環の知らない後日談。確かに瑞希と出会った直後、環は親の都合で石巻から離れていた。その後は災害が発生したこともあり、麻紀が死んだという情報以外は聞いていなかったのだ。
引っ越してきたばかりのよそ者が、地域に根ざした駄菓子屋で万引きをした。
麻紀の母親は、彼女の頬を叩いて泣き崩れた。父親はその問題が明るみに出て、自分の出世に響かないかどうかだけを気にしていた。
本当は結局未遂に終わったのだが、そんな訴えを聞いてくれる人はいないし、そもそも麻紀が悪意を持って万引きをしようとしたことも事実。だれも……麻紀がどうしてこんなことをしたのか、心の中に秘めた葛藤を、悩みを、不安を、聞いてなどくれなかった。
何もかもが、うまくいかなかった。
その反応で環が何も知らないことを悟った麻紀が、目を見開いて訴えかける。
「その罰で、私はあの日、1人で家にいたんだ!! 卒業式で休みだったから、前の学校の友だちと遊ぶために家を出てたはずなのに……!!」
そこにいたのは、そこに『いるはずのない少女』。
土地勘がないのでどこに逃げればいいかも分からず、サイレンが怖くて家に閉じこもっていた……そんな、不幸の連鎖が最期まで続いた結果だった。
麻紀はここまで言った後、自分から瑞希の手を離した。そして、自分を見下ろす瑞希を見上げ――醜悪に笑う。
「ゴメンね、駄菓子屋のお姉さん。私、森じゃないの」
瑞希に麻紀の声は聞こえないけれど、麻紀が自分から見上げたことで……彼女のことを悟った瑞希は軽く目を見開いた。そんな瑞希を見据え、麻紀はとても意地悪な笑みを浮かべながら、ヤレヤレと言わんばかりに肩をすくめた。
「でも……お姉さんも森は死んだって思ってたんでしょ? こうやって普通に生きてるじゃん。思い込みで勝手に殺すなんて……ひっどい話だよね」
こう言われた瑞希が露骨に視線をそらした。恐らく麻紀が自分に対して悪意しか持っていないことに気付いたのだろう。麻紀はそんな様子をとても楽しそうに見つめ、これ幸いと一気に畳み掛ける。
「今のお姉さん、私と近いニオイがしたから……だから近づいたんだよ!! こうやって一緒にいれば近いうちに仲間になってくれそうな気がしたんだよね」
そして――決定的な一言を告げた。
「そう、私は――お姉さんのせいで死んだ!! だから、お姉さんを殺すつもりで一緒にいたんだよ!!」
麻紀がこう言った瞬間、環の隣にいたユカが、静かに彼の前へ出た。
その手には、カバーを外したクラフトバサミ。
ユカは睨むように麻紀を見据えると――低い声で、彼女の名前を呼ぶ。
「森田麻紀さん……なるほど、それで支倉さんと一緒におったとね」
唐突に割り込んだユカの存在に、麻紀が明らかに不機嫌になる。
「はぁ? あんた誰なの? 私は今、森と話してたんだけど」
その問いかけには答えず、ユカは改めて、麻紀との距離と……彼女の手に残る『関係縁』との距離を確認していた。
2人の距離は、目測で3、4メートルほど。
これならば……自分のほうが早い。ユカはそう結論づけていた。
「そうやね、でも……そろそろ終わらせんと。もう十分やろ?」
ユカはそう言って、既に見えていた『関係縁』を掴んだ。そして、瑞希と麻紀をつなぐそれに、刃を開いたハサミを食い込ませる。
「――っ!?」
流石にこの行動の意味を悟った麻紀が、ユカの邪魔をしようと彼女に向けて手を伸ばしたが――
「……重なった不幸を全部他人のせいにしとる時点で、救いがあっても気付けんとよ」
『縁故』は慈善事業ではない。だから、死者の言葉には――基本的に、耳を傾けない。
ユカが静かに切り落とした『関係縁』と共に、麻紀の痕跡は消え去ったのだった。
今回の騒動のネタバラシ、前半戦です。なんで瑞希が麻紀と環を間違えていたのかは後半戦に続きます。(入らなかった)
ちなみに彼女の万引きを学校に通報したのは、彼女が麻紀を追いかける時に店の近くですれ違ったおばちゃんです、という裏話。
そして終盤のイラストは、おがちゃんが描いてくれたものを挿絵にしました。ユカがハサミを使って『関係縁』を切ってる場面というのは初めてなので(4幕序盤ではささくれを切っただけなので)、描いてもらえて嬉しかったっすね。振り向かずに歩き続ける彼女の決意を感じます!! ありがとうございますー!!




