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エピソード5:サヨナラ大好きな人①

 今回のエピソードでは、後半に、東日本大震災の被災地を想像させる描写が登場します。

 これらの表現が苦手な人は、無理をしないでくださいね。

 瑞希がここまで話し終えた時、廊下と接しているふすまが開いて、仁義が入ってきた。そして、入り口近くに座っていた政宗達を見つけて軽く会釈をしてから、彼らの近くに腰を下ろす。

 次の瞬間、少し離れた場所に座っている里穂と目があったので……軽く笑みを交換してから、現状把握に務めることにした。

 一方、瑞希の話を聞き終えた環は、色々と記憶が繋がってきたようで……彼女を見やり、ポンと手を叩いく。

「あの時の、ラムネが下手な人……!?」

「は、はい、そうです……」

 瑞希は立場がなさそうに肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。

「思い返してみると……私、環君にちゃんと名乗ってない気がします。こういうところがダメなんですよね」

 この言葉に、里穂が喉の奥で笑った。

「そういうところミズちゃんっぽくて、私は好きっすよ」

「あ、ありがとう……でも、私は……」

 里穂の言葉にから笑いを返した瑞希は、何か思うことがあったのか……うつむき加減で息を吐いた。

 ユカはそんな瑞希を観察しつつ……環と再会したにも関わらず、瑞希の様子が思いの外落ち着いていることに、素直に安心出来ないでいた。

 環と会う、という目的が達成されたことで、彼女の中で彼に対する執着が消えたのだろうか?

 それならそれで構わないのだけど……一度、環との『関係縁』を確認する必要がありそうだ。

 心の中でそう結論づけたユカが、瑞希への視え方を切り替えようとした次の瞬間……環がどこか訝しげな表情で、ユカの方を見て問いかける。


「あの、俺とこの……支倉さんに接点があったことは分かったんすけど、どうして俺との『縁を切る』ことが、支倉さんを助けることになるんすか?」

「――!?」


 刹那、環の言葉を聞いた瑞希の目が大きく見開かれたことに気付き、里穂とユカが同時に立ち上がった。

 しかし――『彼女』の方が早い。


 ――がだんっ!!


 次の瞬間、机の上に飛び乗った瑞希が、呆気にとられている環の胸ぐらを掴んだ。机上にあった麦茶入りのコップが2つほど倒れ、中身が机上から畳へと滴り落ちていく。しかし瑞希はそんなことも厭わずに、環を凄まじい勢いで自分の方へ引き寄せた。

「誰がそんなことを言った!?」

 目を見開いて彼を睨み、先程からは考えられないような大声を出す彼女が……まるで、鬼のように見える。

「っ……!?」

 急に豹変した瑞希に、環はとりあえず彼女の手に自分の手を添えて外そうとしたのだが……その手があまりにも冷たくて、思わず目を見開いた。

 喉元の苦しさに耐えながら、現状に疑問を抱くことしか出来ない。


 一体、何が起こっている?

 目の前にいる彼女は――誰だ?


「……あ、え……?」

「答えろ!! さもなくば、このまま一緒に――!!」


「――やめてください!!」


 次の瞬間、2人の間に割って入ったのは仁義だった。

 仁義は先日と同じように後ろから瑞希の両脇を抑え、必死に引き剥がそうとする。一方、環側には統治がついており、環の胸ぐらを掴む彼女の手を外そうと必死になっていた。

「森君、大丈夫か!?」

「なん、とか……」

 統治も瑞希を傷つけたいわけではないので、指を折ってまで外すことは出来ない。しかし、彼のTシャツを掴むその手はしっかりと衣服を握っており、親指の先が喉に食い込み始めている。統治1人だけでは、簡単に外れそうになかった。

「ミズちゃん!! 気を確かに持って欲しいっす!!」

 里穂も加勢して瑞希を引き剥がそうとするが、瑞希は環を睨みつけたまま、髪の毛を振り乱し、なりふり構わずになじり続ける。

「どうして!? やっと『本物』に会えたのに、どうして縁を切るなんて言うの!? 私が、私が……この4年間、どんな思いで……何も出来ずにどんな思いで過ごしてきたのか!!」

「ほん、もの……?」

「そうよ、あの子じゃなくてまさか『本物』が本当に生きてるなんて思ってなかったけどねぇっ!!」

 瑞希はこう言って、握っている彼の襟元を更に強く締め上げた。環の顔に隠しきれない苦痛が浮かび、統治が本気で彼女の手を引き剥がそうとするが、白くなるまで掴まれている彼女の手はびくりとも動かない。

 ここで政宗が仁義に加勢しながら、既に視界を切り替えて瑞希を見据えるユカに指示を飛ばした。

「ケッカ、彼女はもう無理だ!! 切れ!!」

「分かっとる!!」

 ユカは返事をしながら机の下に置いていたカバンからクラフトバサミの入ったケースを取り出すと、既に照準を定めている瑞希と環の関係縁を掴むため、身を乗り出して手を伸ばす。


「――っ!!」


 その行動に気付いた瑞希が、ユカに向けて眦を吊り上げた。

 そして――急に環から手を離したかと思うと、ユカに向けて手を伸ばし、自分に届きそうだった彼女の手を叩き落とす。ユカの華奢な左手が机に叩きつけられ、鋭い痛みに顔が歪んだ。

 そして、一番近くにいた里穂の頬を叩いて彼女を振りほどいてから――もう一度、環を見る。

 瑞希の目に、あの時と同じ涙が浮かんでいたように見えたのは……困惑していた環の思いすごしかもしれないけれど。

 環を掴む手が、一瞬、緩んだ。

「支倉、さ……」

「……諦めてごめんね、環君。私……本当に、ダメだね」

「え……!?」

 瑞希が自嘲気味にそう言った次の瞬間……彼女の体がガクリと力を無くす。そしてそのまま机の上に突っ伏すようにして動かなくなった。慌てた政宗が脈を取り、気を失っていることを確認してとりあえず胸をなでおろす。

「豹変するにしても、いきなりすぎるだろ……仁義君、里穂ちゃん、大丈夫だった?」

「僕は大丈夫です。今の言葉は、一体どんな意味で……」

 政宗に返答しつつ、仁義が首を傾げながら恐る恐る瑞希の両脇から腕を抜いたその時――背後から、視線を感じる。


 その視線は、過去に感じたものと感覚が似通っていて――強烈な寒気がした。


「きゃぁぁぁぁっ!!」


 次の瞬間、入り口で待機していた心愛の悲鳴が響き渡る。

 全員がそこに――開け放たれた扉の向こうに視線を向けると、そこには……生気のない眼差しで和室内を見つめている、支倉瑞希の姿があった。


 その立ち姿、容姿、何もかもが生き写しのようにリアルで、これが本当に人間でないのかと、錯覚してしまいそうになるけれど。

 でも、『縁故』という特殊な世界で生きてきた彼らには、今、部屋の中で気絶している彼女が『本物』だということが分かっている。


 これが――『生痕』。

 生者の命を吸う、『痕』だ。


 彼女――瑞希は、机に突っ伏してい動けなくなっている『本体』に気が付き、冷めた目で吐き捨てる。

「……折角『本物』に会えたのに、この程度でギブアップなんて……本当に使えないなぁ……」

 そして室内にいる環を一瞥した後――ふらりと玄関の方へ移動していった。

 このまま放って置くと、瑞希本体の絶命に直結していまう。現に今の彼女は今――呼吸がとても弱々しいのだから。

 政宗は周囲を見渡し、一瞬で判断を下した。

「ケッカ、統治、仁義君、森君、動けるか?」

 名指しされたメンバーが彼を見ると、既に立ち上がっている政宗がスマートフォンで現在時刻を確認していた。

「今言った4人で『生痕』を追う。行き先は間違いなく――」

「――駄菓子屋があったところですね、案内します。災害後に大分道が変わってますから」

 すぐさま立ち上がった仁義に、政宗が一度だけ頷いた。そして、呼ばなかった里穂と心愛をそれぞれ見やり、今後の指示を出す。

「里穂ちゃんは理英子さんに、心愛ちゃんは名杙当主に『生痕』の発生を連絡しておいてくれ。あと、支倉さんにこれ以上何か異変があれば、迷わず救急車を呼んで欲しい。病院は伊達先生経由で赤十字に話をつけてあるから、そこに搬送してもらってね」

「分かったっす」

「わ、分かりましたっ……!!」

 まだ動揺の残る心愛が震えながらもしっかりと頷いたことを確認した政宗は、上着のポケットから車の鍵を取り出しながら、外へ向かって先陣をきって歩き出した。

 そんな彼に続くユカに、仁義が心配そうな眼差しで声を掛ける。

「山本さん、手は大丈夫ですか?」

 その言葉に、ユカは手をプラプラと振りながら笑顔を向ける。

「あぁ、この程度やったら大丈夫。『縁切り』に支障はないっちゃけど……」

 廊下で政宗に追いついたユカは、彼の背中に問いかけた。

「政宗、『縁切り』は本当にあたしでよかと? 統治と変わる?」

 彼女の言葉に、政宗は歩きながら口元に手を当てて考え込み……。

「そうだな……今回は統治がよさそうだ」

 この言葉に、ユカの隣を歩く仁義がピクリと反応した。

「とりあえず、現地でどうなるか分からない。ケッカも統治も、勿論俺もだけど……すぐに対応出来るよう、心がけておいてくれ」

「了解」

「分かった」

 ユカと統治が端的に返事をしたところで、玄関に到着する。それぞれが靴を履いて外に出ていく中で……環は1人、何とも言えない感情を抱えていた。


 車に乗った5人は、助手席に座る仁義の案内で沿岸部の方へ移動を始めた。ナビで表示されている道を進もうとしたのだが、仁義がその手前で曲がるように指示を出す。

「この先は工事中なので、先に曲がって迂回してください」

「分かった」

 彼の指示に従って、車が狭い路地に入った。住宅街を突き進む中、後部座席の中央に座っている統治は、左隣に座っている環を見やる。

「森君……大丈夫か?」

「……何とか」

 まだ横顔が青白い環は、不意に、自分の両手を見下ろして……ボソリと問いかける。

「名杙先生……その、支倉さんって、本当に生きてるんですよね?」

「森君……?」

「いや、その……さっき触った手が、ありえないほと冷たくて。いきなり人が変わったみたいになってたし、何もかもが信じられないっつーか……」

 部屋に入って自分を見た時に、とても驚いていて……その後、どこか恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに、環との思い出を語ってくれた。

 たった1度の出会いを、あれだけ鮮明に覚えていてくれた。環が石巻で生きていたことの証人のような女性だ。

 先程の話を聞いて、思い出したことがある。

 自分が中学で陸上部とパソコン部を兼任し、更には生徒会にまで興味があるからと首を突っ込んでいる一因は、間違いなく瑞希からのあの言葉だった。


 ――環君は何でもやってみたほうがいいよ。諦めちゃうのは、勿体無いと思うよ。


 誰に言われたのか忘れていたけれど、この言葉があったから……誰かが自分を肯定してくれたから、今の環がいる。

 やっと、その人物と再会出来たのに。


「……諦めてごめんね、環君。私……本当に、ダメだね」


 彼女の言葉の意味は分からないけれど、今、諦めなければならないのは環の方だ。

 瑞希との『関係縁』は間もなく切れる。これは――決定事項なのだから。

 諦めるなと言ってくれた彼女の言葉に反するけれど、こればっかりは……どうしようもない。

 それに……。

「まぁ、どうせ縁が切れれば……自然と忘れられるんすよね」

 『関係縁』が切れれば、彼女とのことは忘れてしまう。今回は統治という名杙直系が手を下すことで、仁義のように……急激に無関心になれるだろう。

「俺の存在が支倉さんをああさせるなら……『関係縁』は切らなきゃダメですわ」

 どこか自嘲気味に吐き捨てた環の言葉に、統治は努めて感情をのせずに返答した。

「……きっとすぐに、忘れられると思う」


 統治の言葉に環が俯いて息を吐いた次の瞬間、車がゆっくりと停車した。その場所に到着したようだ。

 環は反射的に顔をあげると、窓から外を見て――体を硬直させる。


 かつて家々が立ち並んでいた場所が、広大な更地になっていた事実に……絶句するしかなかった。


挿絵(By みてみん)


 テレビやネットのニュースで見てきたし、情報としては知っていた。

 けれど、本当になにもない事実を目の当たりにした時――どこか遠かった、遠ざけてきたあの災害が、現実になって環に襲いかかる。


 かつて友人と遊んだ公園も。

 通っていた幼稚園や小学校も。

 親からお金を貰って1人で買い物に行ったコンビニも。

 家族が働き、親戚が入院していた市立病院も。



 彼の頭の中にあった風景は、何もかもが消え失せていた。



 環の異変に気付いた統治が、助手席に座っている仁義の肩を叩く。そして、振り向いた彼へ耳打ちした。

「仁義、すまないが……森君のフォローをしてもらえないだろうか」

 彼は返事をする代わりにコクリと頷いた後、そのまま身を乗り出して、後部座席の環を覗き込む。

 ここで環に話しかけるのは、あの災害をこの町で経験している仁義が適任だと思ったから。

「森君は……どのあたりに住んでいたのか、聞いてもいいかな」

「俺は……」

 環は仁義をチラリと一瞥した後、再び窓の外を見つめる。

「……母親が市立病院で働いてたんで、その近くのアパートに……」

「そっか。あの辺だね……ちょっと、車を降りていいかな」

 環が頷いたことを確認した仁義は、スマートフォンをポケットにねじ込んで車から降りる。環もまた彼に続き……外の熱気と、かすかに感じる潮の香りに、思わず目を伏せてしまった。

 政宗が車を停めたのは、かつて、駄菓子屋があった場所だった。今はこの地域が『災害危険区域』に指定されているので、新規に住宅を建てることが出来ず……残されているのは、家々の基礎のみ。海の方へ目を向ければ、護岸工事のための工事車両や重機が仕事をしている様子が伺える。

 車を降りた環の隣に立つ仁義は、彼の左斜めの方を指さして……目を細めた。

「分かってるかと思うけど、病院はあっちの方だね。あの辺も解体が進んでいるから……近づいても、何もないんだけど」

「……そうっすね」

 端的に呟いた環は、風で土埃が舞う……かつての故郷を見つめた。今の環の位置から、海岸線を見ることは出来ない。

 この場所は、こんなに広くて……こんなに、海から遠いのに。

 強大な自然の力を前にすると、自分たちが築き上げたものは一瞬で奪われてしまうようなものだということを実感せざるを得ない。

 言葉を無くす環へ、仁義がふと、反対方向を指さした。そこには大きな立て看板で『頑張ろう石巻』と書かれている。

「きっと森君も、あそこのコンビニには行ってたよね。オーナーさんが駅前に新店舗をオープンさせてるよ。それ以外の個人商店でも、駅近くの商店街に再建した人もいる」

「……」

「確かにこの町は、凄まじいダメージを受けたけど……でも、立ち上がった人、諦めていない人も沢山いるよ」

 仁義はそう言って、環に笑顔を向けた。

「だから……この件が終わったら、もっとゆっくり遊びに来て欲しいな。僕でよければ案内するから」

「……」

 その言葉に、環は少し考えた後……前を向いたまま返答した。

「……考えときます」


 車から降りたユカ、政宗、統治の3人は、2人が沿岸部を見つめている様子を注視しながら……周囲を警戒する。

「……広かね」

目の前に広がる更地を見つめ、ユカはボソリと呟いた。

砂混じりの乾いた風が、ユカの頬を撫でて通り過ぎていく。人が住んでいない地域のため、往来は工事車両が中心だ。家に帰る学生は、今のところ目にしていない。

人の生活を許さない空間が、目の前にどこまでも広がっていて……ユカは少しだけ目を伏せた。

以前、仙台に来たばかりの頃に、仙台沿岸部の被災地を見たことはある。その時も見渡す限り目立つ建物がない風景に、自分がその場に立っていることも含めてゾッとしたけれど……今はそれ以上に気を配るべきことがあるから、これ以上、感慨にふける暇などない。

 瑞希の『生痕』は十中八九この周辺にいると思っているけれど、その姿が見当たらないのだ。

 ジリジリと照りつける西日と、隣接する道を通る工事車両が巻き上げる砂埃に、ユカは思わず顔をしかめる。

「ゲホッ……政宗、もしもこのまま見つからんかったらどげんすると?」

「そうだな……とはいえ、『生痕』は気配を追うのが困難だからな……」

 ユカの問いかけに政宗が思案した次の瞬間――統治が、2人の名を呼んだ。

 そして、道を挟んだ反対側を指さして、視え方を切り替える。

「見つけたぞ――あそこだ」


 統治の指差す先には、先程見失った瑞希が……子どもらしき小柄な『遺痕』と手をつないで、その場に佇んでいた。

 災害前をよく知っている場所、そこを改めて災害後に目の当たりにすると、言葉では到底言い表せない、色々な感情が押し寄せます。

 メディアの情報は意識して取捨選択出来ても、自分の目で見てしまうと、目を閉じる以外に逃げようがないんですよね、当たり前ですが。

 でも、その場所を5年、10年と長いスパンで追いかけていけば、きっと見方が変わってくるはず。環にとってそんなスパンの始まりの日であって欲しいですね。

 挿絵イラストはおがちゃんが描いてくれたものです。為す術なく立ち尽くすことしか出来ない、そんな環の様子が伝わってきます……!! ありがとうございましたー!!

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