エピソード4:本能的行動の代償①
翌日の火曜日、秀麗中学の北棟3階にある空き教室では、生徒会メンバーである3人がいつも通り制服で集合し、学校の玄関に飾る七夕飾りを作っていた。
部屋の中央に長机をコの字に配置して、それぞれが机上いっぱいに材料を散らかしながら奮闘している。
仙台は旧暦の七夕にあたる8月上旬に、全国的にも有名な七夕まつりが行われる。その前後は町中や公共施設など、人を出迎えるところどころに、くす玉をつけた吹き流しなど、温かみのある飾りが飾られている。
夏休み期間中は、来年の入学を考えている小学生が見学にくることも多い。特に8月上旬にはオープンキャンパスということで大規模な説明会も実施されるため、それまでに学校を飾り付けておきたいのだ。
生徒会長である阿部倫子は、紫色の薄い紙を重ねてジャバラ折にしたものを、くす玉の形になるよう広げながら……隣の机で別の色の薄紙を使って同じ作業をしている心愛に、心配そうな眼差しを向けて問いかける。
「名杙さん、森君の具合は大丈夫なのよね?」
「えっ!?」
話をふられた心愛は指先の動揺を悟られないように力を入れて、くせっ毛をまとめたツインテールを揺らして苦笑いを浮かべた。
「た、多分大丈夫だと思いますよ。とはいえ、心愛もお兄様からあまり聞いていないんですけど……」
今日、本来であれば生徒会活動を手伝うはずだった環は、体調不良で欠席していた。そしてそれを伝えに来たのが、先程、倫子の様子を見に来た統治だったのだ。
統治が主体的に関わっていることで、倫子も、そして副会長である島田勝利も、環が単純な体調不良ではないことを悟っていた。しかし、詳細を知ったところで彼らに出来ることはない。だからこそ、こうして黙々と単純作業を続けてきたのだけど……。
曖昧に答える心愛だが、実は統治からある程度の事情を聞いていた。しかし、まさか「環が石巻で縁があった女性の生霊に関わっていることが分かったので、必要以上に自宅からでないで欲しいと言われている」なんて、言えるわけもない。
曖昧に答える心愛に、倫子はそれ以上何も聞かず、壁にかかっているカレンダーを見つめた。
「週末の植樹祭は、あまり無理をさせないほうがいいかもしれないわね」
「植樹祭……ああ、石巻の。週末でしたね」
「そうなの。中学校からは森くんを含む私達4人での参加を申し込んでいたんだけど……最悪、前日に断るわ」
倫子はそう言って、心愛に苦笑いを浮かべる。この中学校を運営している学校法人からの要請で、中学・高校とそれぞれに、慈善事業への動員がかかっていたのだ。
今回は環自身に原因がある問題ではないこともあり、週末はどうなるか分からない。心愛が返答に困っていると……倫子の正面に座っていた勝利が、作業の手を止めて足を組み替えた。
「そういえば名杙さん、政宗さんの妹さんは、学校見学に来ないの?」
ちなみに彼が言う『政宗さんの妹さん』とは、ユカのことである。彼の中では色々な情報が集約されたケッカ、ユカのことを妹認識しているのだ。
勿論その間違いには倫子を含めて皆が気付いているけれど、なんかもう訂正するのも面倒だから放置しているのが現状である。
それはさておき。勝利が何の疑いもなく口にしたこの疑問に、心愛は一瞬どう答えようか悩んだ後……。
「……そのうち聞いときます」
とても曖昧な返事と共に、手元の作業を再開する。隣の勝利が続けて何か言っていたが、関係なさそうだったので聞き流すことにした。
そして、太陽がのぼりきり、暑さが厳しい15時過ぎ。
時間どおりに『仙台支局』へ集合した環と心愛を迎え入れたユカは、とりあえず2人を応接用の椅子に並べて座らせた。そして、奥にいる統治に声をかけて連れ出すと、机を挟んで向かい側に腰を下ろす。
制服から私服に着替えている心愛は、襟付きの膝丈ワンピースにミュールを着用していた。一方の環は海外アーティストのTシャツにジーンズとスニーカーという出で立ち。ユカは環の様子が特にいつもと変わりないことを確認して、呼吸と共にライトベージュのキャストケットの位置を整えた。
心愛には既に話を通してあり、先に環へ話を聞くことを了承してもらっている。『生痕』に対応することなど滅多にないこともあって、心愛自身も実地研修の一環として、この場に同席しているのだ。
ユカ1人での対応だと思っていた環が、統治の登場に気付いて思わず心愛を見やる。そして、心愛が露骨に目をそらしたことに気付いて、不思議そうな表情で首を傾げた。
「……名杙、俺の体ヤバイのか?」
「へっ!? い、いや心愛はよく分かんないけどっ!! ほ、ほら、お兄様やケッカから森君に聞きたいことが沢山あるみたいよっ!!」
不自然なほど動揺した心愛が、半ば強引に会話のバトンをユカ達へ手渡す。統治が向けたジト目を受け流せない心愛は、用意されていた麦茶に口をつけてそしらぬふりを決め込んだ。
ユカはそんな彼女の態度に溜息をつきつつ……詳細を把握していない環へ、単刀直入に問いかける。
「森君、体の具合はどげん?」
その問いかけに、環は表情を変えずに返答した。
「まぁ、昨日と同じくらいダルいっすね。島田先輩の話を小一時間正座して、一切のツッコミも許されずに聞き続けた感じっす」
「はぁ……」
彼の例えにピンとこないユカだが、彼がこれだけ自己主張するのだからきっと自分が思っている以上にしんどいのだろうと勝手に結論づけた。そして、彼に誤魔化しは不要だという判断を下し、より核心に迫っていく。
「1つ聞きたいっちゃけど……あの災害直前まで石巻に住んどったと?」
その言葉を聞いた次の瞬間――環が少し目を伏せたような、そんな気がした。
しかし、ユカに返答する時は彼の表情も口調も、いつもと同じものに戻っている。
「えぇまぁ。そんなことまで調べられてるんすね」
「ちょっと必要やったけんね。引っ越しをしたのは、家の事情で?」
「そうっすね。親の離婚で」
全てにおいて特に何の感情もなく受け答えをしていく環に、ユカは一瞬言葉に詰まったが……本人が目立って気にしていないので、今は話を続けることにした。
今のユカが一番聞きたいこと、それは……。
「その、石巻に住んどった時に……支倉瑞希さんって人と、何かあった?」
「支倉瑞希、さん……」
環はユカが告げた名前を反すうすると、一瞬、キョロキョロと周囲を黒目で逡巡した後……ユカを見つめ、マジマジと問いかける。
「それ……誰っすか?」
「へ?」
刹那、ユカが間の抜けた声を共に彼を凝視した。そして思わず立ち上がろうとしたところで、隣に座っている統治が不自然に咳払いをする。
我に返ったユカは頭を振った後……膝の上に両手を添えて、冷静に、努めて冷静に問いかけた。
「あ、あのさ、森君……えっと、20代前半の、支倉瑞希さんって女性なんやけどね……」
「20代前半……? 同級生じゃないっすよね。その人がどうかしたっすか?」
「いやあのね、森君に、森君に、そのー……そう、会いたそうにしとったっちゃけど、な、何か心当たりはなかですか?」
先程の彼の反応で、既にこの質問の答えは分かっているようなものだ。顔をひきつらせながら問いかけるユカに、環はしたり顔で返答する。
「いやー、ないっすわ」
「なしてー!?」
予想通りの回答をぶつけられたユカが、頭を抱えて絶叫した。その様子を環が不思議そうに見つめるので、すかさず統治が助け舟を出す。
「森君、君は……かつて住んでいた地域にあった、駄菓子屋を覚えているか?」
「駄菓子屋……?」
唐突な問いかけに、環が首をかしげる。統治は彼の記憶を刺激すべく、情報を足していく。
「市立病院の近くにあった個人商店だ。女性の店主が1人で経営している」
「あぁ、なんか、猫がいたような気が……」
「そうだ。先程山本が口にした『支倉瑞希』という名前の女性は、その駄菓子屋の店主のお孫さんだ。確か……森君とは7歳近く離れているな。だから、学校やクラスが同じだったわけではない」
「はぁ……」
案の定、環が一切ピンときていないことが分かった。そして今、統治は視え方を切り替えて環の『縁』を見ているけれど、目立つ異常はない。
しかし、『支倉瑞希』との『関係縁』は確かに存在している。色が濃いわけではないので、本当に些細なキッカケだったようだ。
「詳しいことは、今はまだ理解出来なくて構わない。ただ……今、支倉さんの身に厄介な事象が生じていて、解決のために森君の力が必要なんだ」
「はぁ……どうして俺なんすかね」
「それは正直、俺達にもよく分からない。ただ、彼女のトラブルの原因になっている『関係縁』が、君と繋がっていたんだ。そして君にも、彼女との『関係縁』がある」
「……」
「昨日、体が本調子ではないというようなことを言っていたと思うが、恐らくそれも、この件が原因だと考えられる。何でもいい、本当に些細なことでいいんだ。彼女との接点について、何か思い当たることがあれば教えて欲しい」
統治の問いかけに、環は口元に手を添えて……しばらく思案した後、どこか自信なさげに口を開いた。
「そうっすね……転校する直前に、なんか、俺のいじめに関する話をしたような……」
「も、森君がいじめ!?」
刹那、心愛が素っ頓狂な声を上げた。次の瞬間、統治に目線で諌められて……少しだけ萎縮しながら問いかける。
「森君……いじめられてたの?」
「俺はいじめられていた……らしい」
「ら、らしい?」
どこまでも他人事のように語る環に、心愛を含む3人の理解が追いつかない。環は一度机上のお茶を飲んだ後……水面にうつる自分の顔を見下ろし、断片的な情報を語りだした。
「確か、クラスに俺と名前の似てる奴がいて、それで何故かいちゃもんをつけられて……でも、俺が特に気にしてなかったら、帰り道に襲撃されたような……」
「しゅ、襲撃!?」
「まぁ、小学生のやることだから大したことじゃないけど、確かその時に駄菓子屋の高校生が出てきて……あぁ、確かその人、俺と同じ名前だって言ってたような……」
顎に手を当てて記憶をひねり出す環に、ユカと統治は顔を見合わせて……頬を引きつらせる。
環と瑞希には幼馴染とか初恋の人とか、とにかく互いにとって、とても印象的な関係があると思っていたのだ。しかし、話を聞く限りでは……環と瑞希の関わりは正真正銘のワンポイント。それ以上でもそれ以下でもないような気がする。
にも関わらず、彼女の執着が環に向かう理由は……どこにあるのだろう。
ユカと統治が黙り込んでしまったことを察した心愛が、記憶をたどる環の横顔に問いかけた。
「じゃあ、森君……あの災害の時は、もうこっちに引っ越してたの?」
この言葉に、環は心愛の方を見つめ、首を縦に動かす。
「まぁ、ギリギリ」
彼の言葉に、心愛が胸をなでおろしてこう言った。
「そっか……じゃあ、家が流されたりしたわけじゃなくて、良かったね」
刹那、環が珍しく軽く目を見開いた。そして、きまりが悪そうに心愛から視線をそらすと……ボソリと呟く。
「そうっすね、俺は……何も失ってないっすわ」
「え……?」
「前の学校のクラスメイトは、家が流されたり、逃げ遅れて死んだやつもいたらしくて……でも俺は、たった数週間前に引っ越しただけで全部無事で、人生ってこんなに変わるんだなって……」
彼はそう呟いて、ぼんやりと天井を仰ぐ。
生まれ育った町から、引っ越すことになって。
引っ越してた直後に――あの災害が起こった。
環の知っている場所は全て流され、遊んだ公園も、近所のコンビニも、通っていた学校も……全てがなくなってしまう。
環はその光景を、間接的にテレビで見ていた。
知っている場所が、思い出の場所が、一瞬で――知らない場所になった。
「本当……何が起こるか、分からないっすね」
その眼差しで何を見つめ、彼が何を思っているのか……この場にいる3人には、察することなど出来ない。
彼らもまた――災害を知らないのだから。
「ごめんなさい、心愛、軽率なこと……」
萎縮して頭を下げる心愛に、環は「いや、いいっすわ」と軽く手を降って、浅く息を吐いた。
「俺も……引っ越してから、石巻には一度も行けてないから。俺の家があった場所も、知ってる場所も、全部更地になって何も残ってなくて、知ってる人はみんな避難所からの仮設住宅で、今は災害公営住宅だけど……学校も統廃合でバラバラになったらしいし」
石巻に友人はいるけれど、身内が誰もいない環は、災害後、石巻へ行くことはなかった。
仮に友人と会ったところで……何を話せばいいのか、分からなかったから。
自分は彼らとは『違う』、一度そう思ってしまうと、物理的な距離以上に、心の距離が遠くなる。
けれど……今、石巻に、なぜか自分の力を必要としている人がいるらしい。
――環君は何でもやってみたほうがいいよ。諦めちゃうのは、勿体無いと思うよ。
自分に何が出来るか知りたくて、気になることは片っ端から挑戦してきた。
そうやって走り続けてきた今、同郷の女性が自分の力を必要としているらしい。
「だから正直、その……支倉さんって人が今の俺に何の用事があるのか、全然分からないっすけど……」
理由は分からない。ただ、そんなもの……解決してからゆっくり聞けばいい。
環はここまで口にしてから、改めて統治を見据える。
「名杙先生、俺が石巻に行けば……その支倉さんが助かるってことでいいんすか?」
彼の言葉に、統治は静かに首肯した。
「ああ、そうだ。協力して欲しい」
「把握しました。交通費は自腹なんすか?」
その問いかけに、統治は首を横に振る。
「いや、明後日の午後に車を出すつもりだ。何か予定は?」
「午前中はパソコン部があるっすけど、午後なら大丈夫っすね」
「時間は追って連絡する。もしも一度で終わらなかった時は相談させて欲しい。急なことで申し訳ないが……よろしく頼む」
こう言って頭を下げる統治に、環は「分かりました」と返答してから……目線の先で漂う無数の『関係縁』を見つめ、少しだけ目を細めた。
そして、ユカと統治に核心を問いかける。
「俺は……石巻に行って、何をすればいいんすか?」
この問いかけに口を開こうとした統治を、ユカが視線で制した。この件を担当するのは自分であるというせめてもの意思表示だ。
ユカは環を見据え――冷静に返答する。
「森君は……何もせんでよかよ。2人の『関係縁』を確実に切るために、近くにおってもらいたいだけやけんね」
ユカの言葉を聞いた心愛が、無意識の内に両手を膝の上で握りしめた。
分かっていたことだ。
環と瑞希、2人の『関係縁』は必ず切る。それが今回のユカの最終目標なのだから。
例え、2人がどんな関係出会っても縁を切る、そういう意味では、今回はまだやりやすいかもしれない。
ユカの言葉を受けた環は、軽く一度だけ頷いた。
「……把握しました」
翌日、名杙から正式に、支倉瑞希と森環の『縁切り』の許可がおりる。
塩釜にある名杙本家から書類を取ってきた政宗が、デスクワークをしていたユカにそれを手渡して……端的にこう言った。
「頼んだぞ、ケッカ」
環は「災害直前に引っ越しをして、難を逃れた少年」という設定にしました。命も家族も家財も、自分の持ち物は無事だったけれど、知っている場所や知っている人が被災して、距離をおいてしまった印象です。




