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エピソード3:ロスト①

 その後、万吏に付き添われて車に乗った瑞希に向けて、ユカは換気のために半分開いていた車の窓越しに、小さなメモを手渡した。

「あたしの電話番号とメールアドレスを書いています。何か違和感を感じたら……あたしでも、仁義君でも、茂庭さんでも構いません。とにかくすぐに教えてください」

「分かり……ました……」

 力なくそれを受け取った瑞希が、何とか2人に小さく会釈をする。そして、ゆっくりと窓を閉めた。

 その様子を確認した万吏が、ユカを見下ろして苦笑いを浮かべる。

「とりあえず、今のミズのことは俺とスズに任せて。あ、俺もミズからケッカちゃんの番号って聞いてもいい? 確かこの件って政宗君じゃなくて、主にケッカちゃんが担当するんだよね?」

「あ、はい。あたしも後で仁義君から聞いておきますね」

「そうしてもらえると助かるよ。じゃあ、今日はお疲れ様。仙台まで気をつけてね」

 万吏はそう言って2人に軽く手を上げると、運転席のドアを開けて座席に腰を下ろす。そして、諸々の支度を整えた車が発進すると……すぐに、見えなくなった。

 住宅街に響くエンジン音にユカが若干顔をしかめていると……隣に立っていた仁義が彼女を見下ろし、これからのことを尋ねる。

「山本さん、今日はもう、仙台に戻りますか?」

「そうやね……時間もかかるし」

 ユカが手元のスマートフォンで時間を確認すると、18時半になろうとしているところだった。政宗からメッセージが届いているようで、画面にはそれを知らせる通知が届いている。

 さて、電車はあるのだろうかと思案するユカに、仁義が何の躊躇いもなくこんなことを言った。

「じゃあ、駅までお送りします。今から行けば59分の快速に乗れると思いますし……いつも通りに里穂を迎えに行こうと思っていましたから」

「いつも通り……ってことは毎日迎えに行きよると!?」

 驚いた表情で自分を見つめるユカに、仁義もまた、「何に驚いているんだろう」と言いたそうな表情で問いかける。

「いくら自転車とはいえ、夜道に1人なのは危険ですから。僕がいることでそれを回避出来るなら、とても嬉しいです」

「あ、あぁ……まぁ、そうやね」

 ユカは流されるがままに頷いて、空を見上げた。

 今は7月の中旬で、今日が1日快晴だったこともあり、この時間帯であっても周囲はまだ明るい。

 それでも仁義が彼女を迎えに行くのは、それがきっと、2人の間の約束事だから。

「ちょっと戸締まりをして、自転車を用意してきます。ここで待っていてもらえますか」

「よかよー」

 ユカの返事に「スイマセン」と軽く頭を下げた仁義は、踵を返して家の中へと戻っていった。

 とりあえず門柱の前に立ったユカは、改めてスマートフォンを取り出して、政宗からのメッセージを確認する。

 『戻るのか直帰なのか連絡して欲しい』という内容に対して、ユカは『急ぎ報告と相談がしたいから、59分の電車で戻る』と簡潔に返信を済ませた。

 そして、電車の中で詳細をまとめたメールを作ろうと決めて……一度、スマートフォンをカバンの中に片付ける。

 ヒントが散らばっていて、分からないことだらけだ。これらを繋げる縁は、まだ見えない。

「……でも、急がんとね」

 瑞希の様子を目の当たりにしたユカは、自分自身に気合を入れ直した。


 あの豹変ぶりは危険だ。これ以上放置しておくと、どうなるか分からない。

 人は、変わる。ユカはそれをよく知っていた。

 もしかしたら『自分の親』があんなことになってしまったのは――


「……関係なかね」

 ユカは脳裏をよぎった過去の記憶に無理やり蓋をして、一度、頭を振った。

 そして、首だけを動かして後ろを見やり……名倉家の玄関ドアに視線を移す。

「まぁ、あげなことがあったなら、送り迎えも致し方なかねぇ……」

 ユカは先程仁義から聞いた話を思い出しながら……2人の顔を思い浮かべて、小さく笑みを浮かべた。


「じゃあ、仁義君の『縁故』としての能力は……その事故で?」

 数時間前、仁義がユカに己の過去を語っていた時。

 お茶を飲んで一息ついた仁義に、ユカが恐る恐る問いかける。

 事故や災害などの突発的に見舞われた不幸で『縁故』能力が開花するのは、この業界では割とよくある話だった。それこそユカを含む中途覚醒者の多くが、これに当てはまるのではないかと思うくらい。

「そうですね。それまでは人並み……か、どうかは分かりませんが、普通の世界で生きてきました」

 仁義がそう呟いて、持っていたコップを机の上に置く。そして、少し遠くを見つめながら……言葉を続けた。

「僕の言葉をきっかけに、名杙本家から『縁故』だと認定された僕は……2週間ほど入院して、退院しました。そして……一時的にこの家に引き取られて、父親が事故で死に、母親が昏睡状態だということを聞いたんです」


 退院した彼は、里穂の家で過ごすことになった。

 彼が入院している間に父親の密葬が終わっており、彼が対面出来たのは、急ごしらえの遺影で笑う父親の写真と……小さな骨壷だけ。

 こんな箱の中にいるのが、優しくて大きかった自分の父親だなんて、どうやって受け入れればいいのだろう。

 そして、母親は未だに昏睡状態だ。彼も退院前にお見舞いに行ったのだが……対面出来たのはガラス越しまで。体中にチューブを通され、機械のおかげで生きているような、そんな、変わり果てた姿だった。


 幸せだったのに。

 辛いことは沢山あったけれど、それらを差し引いても……今までずっと、幸せだったのに。


 どうして。

 辛いことには耐えてきた。それは、この髪の毛や目の色で蔑まれることがあっても、両親が断固として彼を守ってきたから。

 時折、彼に対して「ゴメン」と言うこともあったけれど、彼が首を横に振って「大丈夫」と言えるくらい、強く、優しく、護り続けてくれたのだ。


 そんな両親が、ある日突然、両隣からいなくなって。

 見ず知らずの土地で、一人ぼっちになって。


 どうすれば、いいんだろう。

 どうして……自分を置いていったのだろう。

 どうして自分を……連れて行ってくれなかったのだろう。


 ――どうして、僕を1人にするの?


「おか、あ、さ……っ!!」


 彼の瞳からとめどなく流れ続ける涙に気付いた名倉陽介が、後ろからそっと、ハンカチを差し出す。

 そして、ハンカチで顔を覆う彼の肩に手を添えて……彼の気が済むまで、寄り添い続けた。


 幸いにして学校は夏休み期間だったこと、彼の母方の祖父母――彼の母親の両親がすでに亡くなっており、その親族からも今後の対応を丸投げされたので、彼は名倉家にある和室をあてがわれ、そこで本を読みながら時間を潰していた。

 生活に必要な最低限のものは買ってもらえたが……当然ながら彼は、ここが自分の家だとは思えるはずもない。外に出ればこの髪の毛と目の色で笑われるに決まってる。


 誰にも会いたくない、誰とも関わりたくない。

 出来ることならば、このまま1人で……消えてしまいたい。

 そんな思いを誰にも言えるわけもなく、彼は1人、本の世界に逃避していた。


 とある日の午後、彼が1人で本を読んでいると……不意に、とある方向から視線を感じる。

 読んでいた小説にしおりを挟んだ彼は、顔をあげて入り口の方を見やり……廊下と繋がっているふすまを少しだけあけた里穂が、じぃーっと彼の方を見ていたことに気がついた。

 そういえば、里穂とは家の中で顔を合わせても、特に会話をすることもなかった。地元のサッカークラブに入っているという彼女は、夏休み期間もほぼ毎日練習にあけくれており……ノースリーブのワンピースから覗く両腕が、逆ポッキーの色に日焼けしている。

 彼が訝しげに首を傾げていると……里穂はポニーテールをひょこひょこ揺らしながら、後ろ手に隠していた計算ドリルを取り出した。

 そして、日焼けした顔に苦笑いを浮かべて……オズオズと口を開く。

「あ、あのね!! 宿題で分からないところがあって、その、里穂に教えてくださいっ!!」

 そう言ってドリルを突き出した里穂を、彼はどこか冷めた眼差しと共に切り捨てた。

「……お母さんに教えてもらったら?」

「お、お母さんは計算出来ないから!!」

「……」

 地味に失礼ないことを言ってのける里穂は、大きな眼差しで彼をじぃっと見つめている。

 そんな状態が、5分ほど続いた。

「……諦めたら?」

「やだ!!」

 頑固に首を振った里穂は、更に強い眼差しで彼を見つめ、ドリルをブンブンと上下に振った。

 恐らく……このままにらみ合いを続けても、彼女が諦めることはないだろう。

 彼は溜息をついて、読んでいた本を閉じると、荷物の脇に置いた。

 1人で淡々と本を読むだけの時間にも飽きていたし、この家で世話になっている以上、元々の住人である里穂を無碍に扱うのは気が引けたのだ。

 彼がのそのそと部屋の中央にある机に移動したことを確認した里穂が、ドリルとペンケースを持ち直して部屋の中に入ってくる。一度部屋の中央まで来たところで扉を閉めていなかったことに気が付き、慌てて戻ったりもした。

 そして、角を挟んだ隣に腰を下ろすと、手に持っていたものを机の上に置いて、ペコリを頭を下げる。

「宜しくお願いしますっ!!」

 大きな声の挨拶に、彼が思わず萎縮してしまう。

「よ、宜しくお願いします……それで、どこか分からないの?」

「えっと……」

 里穂がページを開き、彼が問題を確認する。それは彼にしてみれば何も考えずにサラッと解ける問題なのだが……これを解くのは里穂だ。どう伝えれば、分かってもらえるだろう。

 彼が真顔で思案していると……里穂がどこか不安そうな表情で、彼の顔を覗き込んだ。

「『あー君』も、計算、出来ないの……!?」

 里穂は、出会ったときからずっと彼を『あー君』と呼ぶ。誰にもあだ名で呼ばれたことがない彼には新鮮な響きだ。自分が態度を変えても里穂は態度を変えようとしない。その強さは凄いと純粋に思う。

 そんな里穂がとても不安そうなので、彼は焦って頭を振った。

「そ、そんなことないよ!? 出来るけど、その……どう伝えればいいのかと」

「どう伝えれば……? 里穂はね、教えてほしいだけだよ?」

「いやまぁ、そうなんだけどね……えっとね……」

 難しく考えすぎていたことに気付いた彼は、一度、息を吐いてから……。

「じゃあ里穂ちゃん、この問題を解いてみて。どこが間違ってるのか分かったら教えられると思うから」

「わ、分かった……!!」

 里穂が真顔で鉛筆を握り、苦手な計算問題と対峙する。

 そんな彼女の横顔を見つめる彼は……里穂はどんな気持ちで自分に話しかけてきたのかと、答えの見えない問題をぼんやりと考えていた。


 その後、40分ほど2人で勉強をしたところで……里穂がバタリとテーブルに突っ伏した。

「もう無理……甘い物食べたい……」

「じゃ、じゃあ、ちょっと休憩しようか」

 その言葉にコクリと頷いた里穂は、突っ伏したまま顔を動かして……大きな瞳で彼を見上げる。

「……あー君は、お外、出ないの?」

「あ、えっと……」

 里穂の言葉にビクリと反応した彼は……決まりが悪そうに視線をそらした。

「僕は……ほら、こんな髪だし……」

 そう言って前髪をつまむ彼に、里穂は心底不思議そうな表情でこう言った。

「里穂は、あー君の綺麗な髪の毛が羨ましいのにな」

「え……?」

 悪意のない里穂の言葉に、彼は思わず目を見開いた。

 彼女が純粋にそう思っていることは、よく分かる。彼女が嘘をついたりお世辞を言ったりするような性格ではないことくらい、付き合いが短い彼でも、よく分かっている。

 分かるけれど……でも、今の彼は、何を言われても悪いように捉えてしまうのだ。


「僕は……」

 一度口を開いてしまうと、溢れ出る言葉を止めることが出来ない。

 思わず拳を握りしめた。これは、言葉を止められない自分に対する苛立ちだ。

「僕は、里穂ちゃんが羨ましいよ。みんなと一緒なんだから……!!」

「あー君……」

 里穂が目を見開いて彼を見つめた。

 今の彼には、そんな彼女が……。

「里穂ちゃんはいいよね!! 髪も目も黒くて、お父さんもお母さんもいて!! 友達も沢山いて!!」


 八つ当たりだ。

 そんなこと、自分が嫌になるほど分かっている。


 里穂にこんなことを言っても、死んだ父親は戻ってこない。

 母親が回復することもない。

 この町で友達が出来ることもない。

 自分の髪の毛と目の色が、里穂と同じになることも……黒くなることも、ない。


 自分にないものを全部持っている、そんな里穂が、眩しくて、憎らしくて……。


「僕は里穂ちゃんが羨ましいよ!! 僕なんか……僕なんか……!!」

 


 とても……とても、羨ましい。


挿絵(By みてみん)


 彼の言葉を受け止めた里穂は、少しだけ目を細めて、俯いた彼をまじまじと見つめた。

 そして……脳内で結論を導き出し、口元に笑みを浮かべる。


「じゃあ、あー君も……里穂と同じになろうよ!!」


 そう言って立ち上がった彼女を、彼は反射的に見上げて……確固たる意志を持った眼差しに、強く惹き込まれた。

 ここから少し、仁義と里穂の過去話になります。里穂が天使でした。

 そして本文中のイラストは、狛原ひのちゃんが描いてくれたものっす!! 幼い頃の仁義の余裕がないシーンなんですけど、可愛いと思って口角が緩みました。それでいいのかな? まぁいっか!! ありがとうございますー!!

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