エピソード2.5:彼の戦場
ユカと別れて仙台まで戻ってきた政宗は、社用車を地下の駐車場に止めて、助手席に置いたカバンを手にとった。
時刻は間もなく17時、カバンを持って車から降りた政宗は、リモコンキーでロックをかけた後、早足で駐車場の出口へと向かう。
首筋を汗が伝う蒸し暑さに、思わず顔をしかめた。歩きながらズボンのポケットにあるハンカチを取り出し、首周りを軽く拭う。
これから人と会うのだ、汗が残るような状態では清潔感がないし、だらしがないと思われるかもしれない。
政宗は駐車場の出口付近で立ち止まると、自分の顔と首周りをハンカチで改めて拭き直した。そして更にカバンの中から制汗シートのパックを取り出して、中身を一枚引っ張り出す。それで首周りと顔に残る汗をもう一度拭き取った。
メントール系の成分が配合されているので、空気に触れた肌に涼しさを感じる。ゴミは地上のコンビニに有るゴミ箱で捨てることにして、政宗はもう一度、脳内でこれからの予定を組み立てた。
これから1件打ち合わせを終えれば、今日はもう終わりだ。ただ、石巻にいるユカの報告を受けるまでは帰れないので、事務所内で残務整理をしながら待っていようと心に留める。
この暑さと移動の忙しなさで、他に何か忘れていることはないだろうか……政宗は手帳を取り出してパラパラとページをめくり、これからのスケジュールを改めて叩き込んだ後、息を吐いた。そして……。
「ケッカ……」
ポケットからスマートフォンを取り出して、通知を確認しておく。ユカからは特に何の連絡もない。きっと今頃、彼女は彼女の仕事を始めているだろう。
「あたしの体とか、慣れない土地での仕事とか……心配してくれとるのは知っとるよ。でも、それで政宗が無理を続けたら、『仙台支局』がおざなりになるやんね。あたしだって……ここの一員として、一人前の仕事がしたい」
先程、別れ際に聞いた言葉を思い出す。
ユカは今、石巻で仕事をしている。今、仙台にいる政宗がやるべきことは――
「……行くか」
前を見据えて一歩を踏み出し、彼は彼の戦場へ向かった。
その後、30分ほどで打ち合わせを終えた政宗が『仙台支局』に戻ってきたのは、間もなく18時になろうかというところだった。
ハンカチで汗を拭いながら事務所の扉を開いた次の瞬間――目の前にいた少年とぶつかりそうになる。
「――っと!!」
政宗が慌てて立ち止まると、目の前にいた彼――環が政宗に気付き、チラリと見上げて軽く会釈する。
「……あ、どうも」
今日の彼は制服ではなく、某少年漫画とコラボレーションしている黒いTシャツと、左右に大ぶりのポケットが付いた膝丈のカーゴパンツという私服姿だった。ワンショルダーの肩掛けバッグに、足元はスポーツブランドのスニーカーを着用している。
「も、森君……いきなりあけてゴメンね、怪我はない?」
「大丈夫っすね」
「それは良かった。って……研修は明日だけど、今日はどうしたの?」
扉を閉めながら問いかける政宗に、環が珍しく視線を泳がせる。政宗が首を傾げていると……衝立の向こうから統治がこちらへ近づいてきた。
「佐藤、戻っていたのか」
「あぁ統治、ただいま。森君は何か用事でもあったのか?」
政宗の問いかけに、統治が顔をしかめながら、彼がここにいる理由を説明する。
「名杙の『絶縁体』が壊れたと言うから、確認していたんだ」
「『絶縁体』が、壊れた……?」
統治の言葉を反すうして、政宗もまた顔をしかめる。
名杙の『絶縁体』といえば、『遺痕』を近づけないための絶対的なお守りになってくれるチャームだ。政宗も『縁故』として覚醒してからずっと同じ物を持っているが、これまでに一度も効力が弱まったと感じたことはない。それは同じ期間使っているユカも同じだろう。
「森君、どうしてそう思ったのか教えてもらえるかな。もしかしたら本当に何か不備があったのかもしれないから、こちらでも改めて確認しておきたいんだ」
刹那、統治が何か言いたそうに政宗を見るが……彼に目線で制されて口をつぐんだ。今、環から情報を聞き出すには、少しでもこちらに過失があると思わせたほうが良いと思ったから。
環が自分からここに来るなんて、よほど何かに対して違和感があったに違いない。政宗をもう一度チラっと見た環は……どこか疲れた表情で息を吐いた。
「なんか最近……体が特に重いっすよ」
「体が重い……夏バテとか、疲れが取れてない感じかな?」
「そうっすね、どれだけ寝ても十種競技を10回やったくらい疲れてるんで、これは何か憑かれてるかと思って」
「そ、それは相当だね……」
政宗には環の例えが何となくしか分からなかったが、とりあえず彼が人並み以上に疲れていることは分かった。その顔は一切表情を変えていないので、実に伝わりづらいけれど。
政宗は軽くまばたきをして、視える世界を切り替えた。そして、彼の『縁』を一通りチェックして……特に異常がないことを確認する。
軽く目線を上に向けると、『仙台支局』の『親痕』でもある分町ママが宙に佇んでいた。彼女は足を組み替えた後、首を軽く横に振る。彼の周囲に『遺痕』がいないことを確認した政宗は、環を見つめて情報収集を続けた。
「それ、ここ最近の話?」
「まぁ……最近といえば最近っすね」
「随分アバウトだね……」
「筋肉痛とかいつものことなんで。まぁ、これまでにも似たようなことはあった気がするけど……逐一覚えてないっすわ」
淡々と語る環に流されないよう、政宗は何とか自分のペースを保つために、一度咳払いをした。そして彼を見つめ、現状を告げる。
「とりあえず今、森君には何も取り憑いていないよ。『縁』をずっと見ている疲労が蓄積しているのか……もしかしたら心愛ちゃんからの影響を強く受けている弊害かもしれない。あまりにも原因不明の症状が続くようなら、やっぱり眼鏡を――」
「――いや、俺、眼鏡は本当無理なんで。失礼しました」
環は政宗の言葉を淡々と遮った後、そそくさと事務所を後にした。どうやら本当に、『縁』の見え方を抑制する眼鏡をかけるつもりはないらしい。
掴みどころのない環に、政宗は肩をすくめつつ……統治と顔を見合わせて、事務所の方へと足を進める。
帰り支度を終えた華蓮が、「お疲れ様でした」と2人の横をすり抜けて行った。
「統治、ケッカから何か連絡は届いてるか?」
自席に荷物を置いた政宗の問いかけに、統治は首を横に振って、両耳にイヤホンを装着した。
政宗も椅子に座って、スマートフォンを確認する。ユカからも仁義からも特に連絡がないため、彼の方から簡単にメッセージを送っておいた。
次いで、PCに届いているメールを確認しようとノートパソコンを起動しながら……背もたれに体重を預けて、天井を見上げる。
チラチラ視界に入る分町ママが、ビールジョッキを持っているから……先程から羨ましくてしょうがないのだ。
「分町ママー!! 俺、まだ仕事中なんですけどー!?」
「あら、ゴメンね政宗君。でも、熱中症には水分補給でしょう?」
「なんで『痕』の分町ママが熱中症になるんですか!! なぁ統治、ビアサーバーっていくらで買えるんだ!?」
政宗の問いかけに、統治がイヤホンを外すことも視線を向けることもなかった。
予想していたとはいえ、なんとなく切ない。政宗はトボトボ立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルのアイスコーヒーを取り出すと、自分のカップに半分ほど注いだ。
「統治も飲むか?」
彼が首を横に振ったことを確認した政宗は、それを冷蔵庫に片付けてから、カップを持って自席に戻る。そして、中身で喉を潤しながらマウスを動かしていると、ジョッキを空にした分町ママが政宗の隣に降りてきて、自分の現状を改めて確認した。
「今回、私はケッカちゃんに同行しなくて良かったのよね?」
「ええ。分町ママには仙台で異変を感じたら教えて欲しいので、今回は大丈夫です。それに……」
「……本当に『生痕』だったら、私には見えないのよねぇ」
分町ママが苦笑いで肩をすくめ、視線をどこか遠くへ向ける。
『生痕』は『生命縁』すらコピーしてしまった代物だ。生きている人間に認識出来るということは、生きていない彼女には認識出来ないということになる。要するに、分町ママは『生痕』を認知出来ないのだ。
しかも『生痕』は、主体となっている人物の『関係縁』を見なければ対象者が分からない。今頃ユカと仁義が瑞希と接触して、対象になっている人物の名前くらいは確認していると思うけど、そこから更に相手のことを調べて、名杙に『縁切り』の許可を取らなければならないのだ。その辺をもう少しペーパーレス化だったり簡略化して欲しいと思っているが……旧態依然の名杙に電子申請なんて夢のまた夢だ。
それを知っているからこそ、政宗は彼女に仙台周辺の警備を依頼していた。何か異変があれば、すぐに誰か駆けつけることが出来るように。
自分たちの持ち場である仙台を疎かにして、石巻に熱心に対応している、名倉は若造の力を借りないといけないのか……名杙にそう思われるのは心外だからだ。
そんな彼の性格を認知している分町ママが、政宗へ現状を報告する。
「とりあえず今のところ、仙台や周辺に異変はないわ。海の方も重点的に見ているけれど……まぁ、季節的にはこれからよねぇ」
「そうですね。引き続き、宜しくお願いします」
「分かったわ。でも……ケッカちゃんがいないのに、何かあった時には一体誰が対応するつもりなの? やっぱり仁義君には、ここに入ってもらった方が良かったんじゃないかしら?」
「……」
分町ママの言葉に、政宗は何も言い返せず……画面に届いたメールを機械的にクリックした。
かつて、仁義が中学3年生の頃。
彼は己の進路を決める際、高校に行かずに『仙台支局』で働きたいと政宗に相談していた。そして、そんな彼の願いを……政宗が真正面から受け止めた上で、断ったことがある。
柳井仁義にとって、佐藤政宗はとても身近な目標だ。
自分と同じ中途覚醒の『縁故』でありながら、1人の『縁故』として自立している。そして遂にあの名杙を納得させた上で、『仙台支局』という一組織のトップにまで登りつめた。
明るく気さくな人柄で、人の心を掌握するのが早い。それは単純に才能だけでなく、これまでの経験から培われたノウハウがある。それを相手に応じて使いわけているだけだろう。
色々な人と広く浅く関わってきた仁義だからこそ、そんな彼の処世術を素直に凄いと思ったものだ。
そんな政宗が、ある人物について語る時だけ……どんな時よりもあどけなく、優しい表情になるから。
仁義は彼が『ケッカ』と呼ぶ女性がどんな人物なのか、とても気になっていた。
そして、『仙台支局』――ひいては名杙家に前代未聞のトラブルが発生して。
政宗と統治を助けるために、『ケッカ』が――山本結果が、仙台にやってきた。
今回の件に対応する直前のこと、政宗から頼まれていた情報を持った仁義は、仙台にいた。
いつもどおり仙台駅近くの複合ビルに入り、『仙台支局』がある階でエレベーターを降りると……支局のドアから、帽子を被った少女が出てくる。
そして、何やらブツブツ呟きながらこちらへ向かってきたところに……仁義の姿を見つけて一度口をつぐみ、彼にいつも通りの表情を向けた。
「あぁ、仁義君、お疲れ様ー。政宗なら中におるよ」
「山本さん、お疲れ様です。これから仕事ですか?」
「そうなんよ。これから1件、えぇっと……どこやったっけ……」
ユカは顔をしかめつつ、パーカーのポケットからスマートフォンを取り出して、今日の仕事内容を確認した。
「そう、西公園。西公園ってところに『遺痕』がおるらしいけんが、ちょっと行ってくるけんね」
軽い口調で言い放つユカに、仁義はどこか心配そうな表情で問いかける。
「お一人で、大丈夫ですか?」
ユカは先日、長いこと体調を崩していた。そんな彼女に政宗が単独行動をさせるとは思えない。
仁義の言葉の意味を察したユカは、「あぁ、大丈夫」と言いながら宙を掴み、紐を引っ張るようにグンと下に引いた。
「ここに分町ママがおるけんね。あと、統治も合流出来るかもしれんし」
「そうでしたか……お気をつけて」
「ありがとう。仁義君もゆっくりしとってねー」
そう言ってエレベーターの方へ向かうユカを見送りつつ、仁義もまた、『仙台支局』を目指す。
室内で仕事をしていた政宗は、来客を告げるインターフォンの音と共に立ち上がった。そして仁義を出迎えた後、応接用の机を挟んで向かい合って座り、仕事の話を済ませる。
仁義から頼んでいた資料を受け取った政宗は……顎に手をあてて、足を組み換えた。
「なるほど……交通事故だったか」
「出会い頭に突然のことだったようで、そのせいで、ご自分が死んでいるとは思っていないんだと思います」
「――了解。あとはこっちで対応するよ。わざわざありがとう」
机上に並んだ資料をまとめながら、政宗が仁義に笑顔を向けると……彼は「いえ」と相槌をうちながら、先程のユカの様子を思い出した。
「山本さん、お元気そうで安心しました」
「あぁ、さっき会ったんだね。本当はまだ1人で出歩かせたくないけど……まぁ、分町ママがいてくれるから大丈夫だと思ってるよ」
「そうですね」
仁義はいつもどおり相槌をうちながら……膝の上で両手を握りしめると、意を決して口を開く。
この現状は、やっぱり――
「あの、政宗さん、やっぱり僕はここで――」
「――その話は保留だって、2年前に言ったよね?」
仁義の言葉を遮り、政宗が静かに首を横に振った。
そして、どこか悔しそうな彼に目を細めると……「ありがとう」と呟いて、組んでいた足を解く。
かつて、仁義が中学3年生の頃。
彼は高校に行かずに『仙台支局』で働きたいと政宗に懇願して――彼から断られたことがある。
そして、その時に出された条件が、「高校をしっかり卒業すること」だった。
「仁義君、俺たちの場合は特に、働くのはいつだって出来ると思う。けど……今は、同じ年齢の人と触れ合って、もっと世界を広げて欲しいんだ。通いたくても通えない人を、俺はよく知ってる。高卒の学歴は最低限持っておいたほうがいいし、勉強をして身につくのも、今が一番いい時だと思う。それまで、俺も頑張って……仁義君にボーナス払えるくらい、仙台支局を大きくしておくからね」
そう言って笑顔を向けてくれた彼に、2年前の自分は納得して頷いた。
でも、少しくらいは力になりたいと思い……得意分野で貢献する許しを得たのだ。
政宗はあの時の仁義の表情を思い出し、今、目の前にいる彼を見つめる。
確かに彼は成長したと思う。けれど……独り立ちをするには、まだ早い。
彼にはもっと、石巻で――宮城で、見て欲しい世界がある。
「仁義君は今も十分働いてもらってるから。まずはちゃんと高校を卒業して、出来れば大学まで通って欲しいかな。勿論、大学生になったら……名倉さんとこに本気で交渉しに行くからね」
そう言って笑顔を向ける政宗に、仁義は軽く目を見開いて……肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。その日のために……僕も頑張りますね」
力強い彼の言葉に、政宗は未来への期待を込めて……口角を上げて返答した。
「ああ、ここで待ってるよ」
少し前の、そんな会話を思い出しつつ、届いていたメールの内容を目で追いかけながら……政宗は一度、首を横に振った。
頼りたくなってしまう、頼ったほうが楽になると分かっている。
けれど……もしも、彼の身に何かあったら。
先月のユカのように、何も出来ないままだったら。
自分はもう、立ち上がれないかもしれない。
「仁義君は……名倉さんの大切な息子さんです。そんな彼を預かれるほど、俺はまだ、器が大きくありませんから」
これが正直な彼の本音だ。先日のユカの件があって、何も出来なかった己の無力さを痛感したばかり。そんな自分にこれ以上守るべきものが増えても、ちゃんと守りきる自信がない。
もしも、成長した彼が自分の意思で仙台を選んでくれたら、少しくらい一緒に働いてみたいとは思うけれど……でも、里穂がいる石巻と仙台を天秤にかけて、彼が仙台を選択するとは思えないのだ。
そんな政宗の横顔を見つめる分町ママは、白ワインの入ったワイングラスを傾けながら……1人で立ち続けることしか出来ない彼に、苦笑いで釘を刺す。
「……政宗君の器が割れると、修繕する人が大変だと思うわよ。気をつけなさいね」
その言葉に、彼は何も言い返せなかった。
仙台に戻った政宗が何をしていたのか……結局あまり書いてない気がしますね。まぁいいか、仕事したんです仕事。
そして仁義の頼みを断っていた政宗は、ユカがまともに学校に通えていないことを知っているので、彼に同じ道を歩んでほしくなかったのでしょう。学歴でも高卒は必要ですからね。(ユカも高校までは卒業してますけど)
さて、何度となく取り上げている仙台支局の人材不足問題ですが、今後どうなるのでしょうか。引き続きお付き合いくださいませ。




