エピソード2:港町で生きる人々④
それから、ユカと仁義は瑞希を連れて、名倉家の応接用の和室に戻ってきた。
ここであれば、誰にも邪魔されずに深い話をすることが出来るから。
涼子もこの場に付きそう予定だったのだが、タイミングが悪く勤務先から電話がかかってきて……体調不良で早退した同僚の穴埋めをすることになってしまったのだ。
後ろ髪を引かれる涼子と石巻駅で別れた後、3人はほぼ無言で名倉家にたどり着き……そして、今に至る。
まだこの家の大人は誰も帰宅しておらず、家の中には3人だけ
とりあえず瑞希を机の奥、いわゆる誕生日席に座らせたユカは、角を挟んで右側に腰を下ろした。3人に冷たい麦茶を配った仁義が、そんなユカの右隣に腰を下ろす。
何が始まるのかと完全に萎縮している瑞希を横目で確認したユカは、麦茶を一口すすってから……改めて、彼女を見据えた。
「さて、と……支倉瑞希さん、今日は突然スイマセン。山本結果といいます。あたしは佐藤政宗の……って、政宗のこと、知ってますか?」
外見の年齢よりもずっと落ち着いているユカの言葉に、瑞希は一瞬面食らった後、慌てて我に返る。
「は、はいっ、万ちゃんから聞いたことがありますし、確か……その、なるみさんの……」
瑞希はここまで言って、ユカではなく仁義を見つめた。そして彼が苦笑いで何も言わないことで何となくの事情を悟ると、言葉をより慎重に選んで返答する。
「なるみさんが……我が社がお世話になっている、経営コンサルタントの方ですよね」
「へ? そうなん? 仁義君知っとった?」
なるみと政宗の関係を初めて知ったユカが隣の仁義を見つめると、彼は「そうですね」と苦笑いのまま首肯した。
「詳しいことは僕もあまり知らないんですけど……確か、『仙台支局』を開設する前からのご縁だとか」
「そうやったとね……お得意様げな知らんかったけど、もっと丁寧に挨拶すべきやったやか……」
先程の簡素な挨拶を思い返してため息をつくユカに、仁義が「大丈夫だと思いますよ」とフォローを入れる。
「なるみさんはきっと、あまり気にしていないと思います。それよりも今は、支倉さんとの話を進めてもいいですか?」
「おぉそうやった。えぇっと……そう、あたしは政宗の部下で、彼の名代としてここにいます。今回は茂庭万吏さんからの依頼で、支倉さんの身に何が起こっているのかを確認するために来ました」
「万ちゃんが……」
どこか申し訳なさそうに目を伏せる瑞希へ、ユカは一瞬躊躇った後――呼吸を整えて、彼女を見据えた。
ここで遠回しにはぐらかすよりも、彼女には現実を伝えて、予断を許せない状況なのだということを分かって欲しかったから。
「支倉さん、単刀直入にお伝えしますけど……今の貴女の身体に発生している異常は、放っておくと命に関わる可能性があります」
「え……?」
刹那、瑞希のかすれた声が室内に響く。みるみるうちに彼女の顔から色が消えていき、引きつった表情が張り付いているのがよく分かった。
唯一動く彼女の眼球が、戸惑いながらユカを見つめている。そこに「先程の言葉を否定して欲しい」という願いが強くこもっていることには気付いていたけれど……ユカは瑞希を見据えたまま、冷静に言葉を続けた。
「いきなりこんなことを言われて、信じられないのは当然です。ただ、今の支倉さんの状態を一言で言うと、生霊がさるく……えぇっと、生霊が動き回っているような状態なんです」
「いっ、生霊、ですか……!?」
突拍子もない話に、瑞希は面食らったような表情で目を見開いた。そして、恐る恐る仁義に視線を向けて……彼が否定をしないことで、ユカの言っていることが冗談ではないことを受け入れるしかない。
正座をしている膝の上で、強く、両手を握りしめる。
何もしないと……震えが止まらないから。
そんな瑞希の姿を横目で確認したユカは、務めて冷静に言葉を続けた。
「生霊の出現は、見えないところで身体と心が激しく消耗してしまいます。そして、その消耗に気づかないうちに燃料がゼロになると……身体も心も、保たなくなってしまうんです」
ここまで言ったユカは、瑞希の反応を伺う。遠回しに「このままだと死ぬ」と言われていることに、果たして彼女は気づいているのだろうか。
「そんな、私、が、どうして……」
彼女は青白い顔面のままで言葉を断片的に紡ぎ、突然押し寄せてきた非日常的な情報に困惑している様子だ。無理もないことだけど。
ユカは手元のお茶を一口飲んでから、言葉を選びつつ、終始冷静に瑞希を見つめる。
「その原因が何なのかは、支倉さんの話を聞いてみないと判断出来ません。ただ、この問題は原因さえ分かれば、間違いなく対処出来ます。そのためには情報に嘘があると困りますので……今からあたしや仁義君が尋ねることに対しては、嘘をつかずに答えると、約束をしてくれませんか?」
ユカの問いかけに、瑞希は改めて彼女を見つめ……恐る恐る問いかけた。
「い、いきなりそんなことを……言われても……本当に、心当たりが、何も……ないんです……」
「まぁ、そうですよね……ただ、この現象は、人間関係の恨みや強い執着で発生することも多いんです。支倉さんは4月から、新しい環境で働いていらっしゃると聞きました。あたしや政宗は、少なからずそれが原因ではないかと思っています。その……イベント会社の契約社員、ですよね。どうしてそのお仕事を?」
ユカの問いかけに、瑞希は少し考えてから……正座をしている膝の上で、もう一度強く、両手を握りしめた。
「元々……人前に出たり、何かを主導するのは、苦手なんです。でも私、あの災害のときに……何も、本当に何も出来なくて」
俯いた横顔から聞こえる声は、かすかに震え始めている。
「私自身も自宅を失ったショックがあったんだと……思います。近所のボランティアさえ、行くことが出来なくて……でも、ずっと、何かしなきゃって思ってたんです。なるみさんの会社は、災害復興に関するイベントも多く手がけているし、女性も多いし……それに、私が動けば、もしかしたら……『彼』に会えるかもしれないって……そう、思って……」
「『彼』……?」
唐突に出てきたキーワードに、ユカが眉をひそめて仁義に目配せをした。
そして彼が「心当たりがない」と首を横に振ったことを確認して、瑞希に問いかける。
「支倉さん、『彼』っていうのは……誰のことですか?」
「あ……そのっ……!!」
恐らく無意識のうちに呟いていたのだろう。ユカの言葉に瑞希は我に返って口をつぐんだ後……少し遠慮がちに、その続きを呟く。
「4年前の災害で、連絡が取れなくなった男の子がいるんです……あの子の家も地域的に無事じゃなかったから、ご両親は仕事で忙しかったみたいで……もしも、もしも家に1人でいたらって思ったら……」
「生きているかどうか、分からないんですか?」
ユカの問いかけに、瑞希はゆっくりと首を横に振ふった。
「分からないんです……もともと、おばあちゃんのお店で顔を合わせるだけだったので、連絡先も知らないままで……」
「そうなんですか……」
ユカは相槌をうちながら、そっと、まばたきをして視える世界を切り替えた。
そして、原因があると思われる瑞希の『関係縁』を見つめ――首を、傾げる。
確かにそこには一本、明らかに変色しまくっている『関係縁』があった。先日の写真でははっきり判別出来なかったのだが、やはり一本だけ違和感を抱くものがある。そして、ここまで至近距離&ユカほどの能力者であれば、違和感のある『関係縁』の先に誰が居るのか、名前も知ることが出来るのだ。
ただ……その『関係縁』が繋がっている相手の名前が……。
「……森、君?」
ユカが半信半疑で彼の名字を呟いた瞬間、それを聞いた瑞希の両肩がビクリと震えたのが分かった。
そして――次の瞬間、目を見開き、ユカの両肩を強く掴む。
「――どうして!? ねぇ、どうして知ってるの!?」
ユカの小さな両肩に指を食い込ませる瑞希は、先程までのオドオドした彼女から豹変していた。ユカは慌てて彼女の両手を掴むが、体格差と切迫感が違うため、簡単に振り解けない。
「は、支倉さん、落ち着いてください!!」
「質問に答えないさいよ!! どうして貴女が彼の名前を知っているの!? やっぱり貴女も、『彼が死んだ』って、そう思っているんでしょう!?」
瑞希は目を若干血走らせながら、ユカに馬乗りになりそうな勢いでまくしたてていく。
「死んで『ない』……そんなことない!! だって彼は『私のところに会いに来てくれる』から!!」
「会いに来て……え? 支倉さん、今、何を……!?」
必死に情報を整理しようとするユカだが、目の前で興奮状態の彼女が質問に答えてくれるとは思えない。ユカが原因を探るためにその目で瑞希の『関係縁』を見ると、一本だけ変色しているそれに、小さなささくれを見つけた。
ユカは自分の背後で立ち上がった仁義の方を向くと、指示を待っていた彼にこう告げる。
「ちょっと一時的に対処するけん、彼女を抑えてもらってよかやか?」
「分かりました。後ろから羽交い締め……で、大丈夫ですか?」
「それが出来れば上出来やね。お願い出来る?」
ユカがそう言って口角を上げると、仁義が「分かりました」と呟いて移動を開始する。
そしてすぐに瑞希の背後に移動すると、彼女の両脇の下から自分の腕を入れて、そのまま動きを固定した。
瑞希の両手が、ユカの肩から離れる。
「――っ!?」
自分の身に何が起こったのかに気付いた瑞希が、仁義の方を向いて彼を睨みつけ、そのまま暴れ始めたた。
「邪魔しないで!! 離して……離してぇっ!!」
「ぐっ……すいません、離せないんですっ……!!」
仁義が顔をしかめながら瑞希を抑え込んでいる間に、ユカは、テーブルの下に置いたカバンからクラフトバサミを取り出すと……位置、呼吸を整える。
「……これで少しは、落ち着くといいっちゃけどね……」
そして、問題の発生している『関係縁』を掴むと……照準を合わせて、部分的にささくれたところを、剪定をするようにパチンと切り落とした。そして、その切り口を左手で強く握る。
次の瞬間……仁義を振りほどこうと暴れていた瑞希が、ゼンマイの切れた人形のようにピクリとも動かなくなった。気を失っている様子だ。
仁義は瑞希が暴れないことを確認してから、そっと彼女を畳の上に寝かせると、安堵しているユカの方を向いて、肩をすくめる。
「山本さん……お疲れ様でした」
「仁義君こそお疲れ様。助かったよ。それにしても……」
ユカは改めて、気を失っている瑞希を見下ろした。そして……先程の彼女の言葉を思い出す。
彼は『私のところに会いに来てくれる』、確かにそういった。
彼女が『生痕』を飛ばす側の場合、会いに行っているのは、彼女の方なのではないのだろうか。
何かが根本的にズレている、そんな違和感を感じる。
「どういうことか聞きたいけど……今のままじゃ聞けんね。というか、支倉さんどげんしよう……」
ユカが目の前で気を失っている瑞希に頭を抱えていると、仁義が自分のスマートフォンを取り出して、ユカにこんな提案をした。
「僕から万吏さんに連絡をして、支倉さんを連れて帰れないかどうか聞いてみます。今日はこれ以上、何も分からないと思いますし……支倉さんは災害復興住宅に住んでいらっしゃるらしいのですが、どの区画なのか僕もちゃんと聞いていなかったので……」
災害公営住宅は、災害の被害がなかった内地に整備されている。行政が新たに定めた区画ごとに整備されているので、過去の地名や土地勘を頼りに足を踏み入れても、どこにいるか分からなくなる可能性があるのだ。そもそも、車の運転が出来ない2人に、気絶している瑞希を運ぶことなど出来るはずもない。
里穂の両親が帰ってくれば協力してくれるかもしれないが、今回の件は、元々名倉家の案件だったものを横からかっさらったようなものだ。それで、特に対策を講じることもなく、困ったから手を貸して欲しいと言うのは……虫が良すぎるだろう。
今のユカには、その提案を断る理由はない。ユカは仁義を見つめて首を縦に動かす。
「そうやね。連絡調整、お願い出来るやか」
「分かりました」
頷いた仁義がスマートフォンを操作している様子を横目に見ながら、ユカは改めて、気絶している彼女を見つめた。
支倉瑞希と、森環。
奇しくも、同じ名前を持つ2人だ。
しかし、年齢が少し離れているこの2人に接点があるとすれば、一体、いつ頃から……どうして?
恐らく仁義も知らないであろう、2人の関係縁。見ているだけでは何も分からない。
『縁故』に見えるのは、繋がっているという事実だけ。その理由までは……分からないのだから。
「……とりあえず、政宗に報告して、森くんにも急ぎコンタクトを取らないかんね」
ユカがボソリと呟いた瞬間、気絶している瑞希の目元がピクリと動いたような、そんな気がした。
そして、時刻は18時を15分ほど過ぎたところ。
仁義の連絡を受けて外車でやってきた万吏は、案内された和室で、青白い顔のまま横たわる瑞希を目の当たりにして……言葉を失った。
「ケッカちゃん、ミズは……大丈夫なんだよね?」
「今のところは。ただ、この状態が長く続くと……命にかかわる可能性があります」
命にかかわる可能性がある。
冷静に告げるユカに、万吏はつばを飲み込んで……声に動揺を出さないよう、意識して問いかける。
「……何とか出来そう?」
この言葉に、ユカははっきりと首を縦に動かした。
「次の行動につながるヒントは持っています。なるだけ早くケリをつけないといけないので……あと少し時間をください。必ず、何とかしてみせます」
終始冷静に現状を告げるユカの横顔に、万吏は彼女が超えてきた場数の多さを垣間見たような気がした。
その眼差しは、平凡に生きてきた普通の少女が出せる鋭さではない。
政宗と統治の信頼を全幅に受けていることが、最初は信じられなかったけれど……控えている仁義がユカと同じように首を動かしたことで、万吏は改めて、2人に言葉をかける。
「分かった。ミズのこと……宜しくね。俺の大切な人の、大切な家族なんだ」
そういった万吏に2人してもう一度頷いた次の瞬間……瑞希が身動ぎして、意識を取り戻した。




