ⅩⅨ.岩屋戸の宴~宴の始末~
「ーーー・・・」
神聖な御殿が神聖な御殿が神聖な御殿がーーー・・・天照は威厳の象徴である筈の御殿がどんどん格式が墜ちてゆくのをひしひしと肌で感じていた。・・・・・・酷い。この天ツ神達は酷い。弟の遣る事は実はかわいい事でないかと思ってしまう位酷い!!
(・・・あぁっ、祝詞詠んでからお神酒っっ;;)
(英語遣うなんてっ・・・1000年先の地祇の民だってここは大和詞だって知っているのに!!)
・・・・・・何度出張ろうとしたか知れない。何度岩屋戸の扉に手を掛けた事か。ギリギリのところで開けずにいる自分が不思議で堪らない。どうして素戔嗚も他の天ツ神も、私にこの様な意地悪ばかりするの・・・?
(はっ!・・・まさか、嫌われてるのは私の方―――!?)
天照、実は生来ベクトルが向きがち、ネガティヴスパイラルに陥る。そういえば、クラマに地球へ来るようお願いした時も、あのひと最初渋っていたわ―――!
はっはっは♪
祝詞がもはや時候の挨拶なのに、他の神達は気に留める事も無く笑っている。自分なんていなくても、もういいと思われているのではないか。ここ迄くると、天照の思考はもう止らない。
「・・・皆、清浄な世界はもう嫌いなの―――?」
天照は泣きたくなった。
カラ―――ン・・・ッ。
突如鳴り響く竹を割った様な音に、天照の涙はびっくりして引っ込んだ。その緊迫した高い音は、やはり岩屋戸の外から聞えてくる。
(何事なの―――?)
ツッコむのならまだしも、何かあった時に見え難いのは少々問題である。天照は岩屋戸の扉を少し開けた。
竹で出来た桶を伏せた物を踏み鳴らしたすらりと長い脚が、丁度彼女の目の前に降り立った。
ふわ・・・っ
笹葉を此方に真直ぐ伸ばし、幣をつけた五十鈴をシャリンと鳴らすのに、天照はへっぴり腰で見上げた。そして息を呑む。
天宇受賣命―――・・・
(白眼!?)
ズン!天宇受賣が踵を股の内側に、更に爪先を外側に捻って地を踵で強く踏んだ。低く腰を落し、背を反り返る。足を踏み轟かして、スピン回転をしながらぐるぐる舞い始めた。
(・・・・・・・・・!!!!)
手力男以下出番を尽した3柱は白眼となった。一応彼等、今回の宴の実行委員である筈だが。叉もサプライズ一発芸らしい。
ある種今回の宴の一番の黒幕・布刀玉がくすくす笑いながら舞台裏で
「次、貴女はまわし一丁になって相撲を取っています・・・・・・」
と、何やら催眠術めいた口調でくるくる回る式神に向かって話し掛けていた。天宇受賣は神懸っているのである。
式神が四股を踏み始めた。
「はは。確かに笑える」
嫌よ嫌よも好きの内。嫌なら舞える身体だけ貸して貰う話である。思兼の滅多に聞かない笑い声に、4柱は彼の趣味を疑うのだった。天宇受賣の衣裳の紐が、徐々に下にずり落ちる。
「んなっ」
老女伊斯許理が思兼に掴み掛り彼の両眼を両手で塞ぐ。ぐきりと思兼の首が鳴る。ぱりん。掛けていた片眼鏡が割れた。
手力男・玉祖・天児屋が唖然とする。
「いやぁーーーっっ!!」
何というストリップ‐ショー。他の神々も身を乗り出し、脱ーげ♪脱ーげっ♪と喝采を送る。この乱闘的祭りの喧噪に天照も流石に黙ってはいられなかった。
「やめて!ヘンタイっっ」
神聖な御殿がもう台無しである。高天原を穢されたという想いに天照は憤慨し、通り越して悲しくなった。自分が岩戸に篭って闇に包まれているというのに、何故皆楽しそうにしているのだろうか。
「こんな嫌がらせをして、何が楽しいの!?皆・・・・・皆、私がいなくなってしまえばいいと、そんな事思っているでしょう・・・・・・!」
神々はしんとして、岩屋戸の方に釘づけになった。出場者も気をつけをして窺っている。思兼は呆れた様に溜息を吐いた。
「!」
布刀玉の式神が破られる。
「―――ええ。負の心に囚われて陰気になっている貴女なんて、正直、嫌いだわ」
布刀玉が呆然とする。白眼になっていない天宇受賣に言われて、天照は眼に涙を溜めた。布刀玉は正坐の姿勢の侭、八咫鏡等を奉納した榊の鳥居に眼を遣る。
「・・・本日の宴は、そんな貴女より貴い神が現れるので、その神をお迎えする為に開かれたのです」
・・・アメノコヤネ
天児屋が動く。布刀玉から名を呼ばれた様な気がしたのだ。出番は時候の祝詞で終ったが、役目はまだ終ってはいない。舞台裏へ赴いて、鳥居から戻って来た布刀玉と落ち合う。・・・その手には、八咫鏡。
「その神って、一体誰ですか・・・・・・?」
「・・・・・・こういう展開になると、思っていたよ」
鏡を受け取って、天児屋は舞台袖へと奔る。天照は我慢強いが、気にしいの性格で有名である。
・・・あれ、君には予知する能力なんてあったっけ?
布刀玉が叉冗談半分でからかう。天児屋はははっと一人、笑って流した。布刀玉は注連縄の準備をして、天児屋のだいぶ後ろを追い駆ける。
天児屋が袖から表舞台へ姿を現した。その姿を見て、天宇受賣が
「―――見てみたいですか?」
と話を切り出す。やがて布刀玉も表へ出て来た。之で役者は全員揃う。
天照はこくんと肯いた。手力男が息を殺す。玉祖はたじたじになって見る。伊斯許理は極めて真剣だ。
天宇受賣は何もかもを晒している。
思兼が腕を組み、鋭い視線で成り行きを見守る。最早この展開は計画通りだったのか、斜めに傾いて元に戻らない首とフレームのみの片眼鏡を見るともう判らない。
「―――では」
天児屋が天宇受賣より前へと歩み出る。片膝を立てて天照より視線を低くし
「之が、貴女より貴い神です」
と云って彼女に差し出した。
伊斯許理度売命の造りしその鏡は、その後数千年と“三種の神器”として安置為される貴重性の非常に高い依り代である。
天照の眼にじわりと涙が浮び、確かに凄い光を放っているけれど・・・と呟いた。
「・・・・・・そんな46㎝の器に負けるなんて・・・・・・!」
「大御神!器そのものではありませんよ!中!中を見てください!」
うわーん;;火に油を注ぐ失態に慌てる天児屋。やっぱり・・・という顔をする布刀玉。伊斯許理は天照の鈍さが理解できない様である。玉祖も
「中を見たってこの女には解らん!!」
と怒鳴る始末。思兼は首を傾げたまま表情を変えず
「言葉尻を捉えれば、天照大御神は確かに高が鏡に負けた事になる」
と天照に一票。積年の怨みをもつ天宇受賣に首を絞められばきぼき真直ぐに戻されていた。
手力男は余りの出番の先延しに流石にイライラが隠せない。遂に細く開かれた侭の天の岩戸に指を掛け
「!」
「その光は太陽神であられる貴女の光をこの八咫鏡が反射したものです」
と、ややぶっきらぼうに云った。
「・・・・・・え?」
手力男が天児屋や天宇受賣を押し退けて天照の正面に立つ。高天原で最も体格が良いと云われる彼が立ち上がると天照は相当小柄に見えた。
「貴女は其だけの素晴しい光をお持ちでありながら其に気づかず、心は陰の力に負け禍を蔓延らせてしまわれた。私達が求めているのは、己の支配に自信を抱くまさに光そのものの貴女だ。その事を皆気づいて欲しくて、この宴を開いたのです」
そうだったんだね。。。知らんぞ、そんなの。外野どころか実行委員まで実は把握していなかったが、そういう事である。皆空気を読んで、敢て何も言わなかった。
やけに手力男がカッコよく見える。併し彼自身としては面倒くさくなって、天照が勘違いする事無く解決するなら其でよかった。
この悠久の世界で“時間”という概念を最初に創ったのは彼かも知れない。どんだけ無駄に過してんだ。其が彼の言い分であった。
「其と」
ひょい、と頬を紅潮させている天照の手を引いて、天の岩戸から外へ出す。すると、目映いばかりに光が降り注ぎ、神々が総出で盛り上げても消えなかった負の力や暗い空気が一瞬にして浄化された。
「其の侭の貴女でも充分よいという事だ」
己の影響力の大きさに、天照自身驚く。布刀玉がすぐに身丈に不相応な注連縄を岩戸の入口に張り、呪文を唱えて封印した。そして
「もう之より中に入らないで下さい。私達には、貴女が必要なのです」
と柔かな微笑みで静かに称えると、天照は涙眼を細めた。
「・・・お帰んなさい。天照大御神」
伊斯許理度売命が、責めずに娘を包み込む対する母親の様な抱擁で天照を迎える。彼女が先駆となって、天照と手力男を取り囲む様に八百万の神が集まり始める。
「お帰りなさい。大御神」
「仕事はたんまり溜っているからな!天照大御神!」
「―――ほら。俺達が俟っていたのは天照大御神だったのだ」
手力男が云う。
よっ!色男!最後の最後でトリいったなぁ!酒に酔った神達の台詞に、天照は頬を紅くするが次に最高の笑みを湛えて
「ただいま・・・・・・!」
と、云った。太陽の光は益々光り耀き、明るくなった天照の周囲には神の讃美が絶える事が無かった。
「―――予想外のところから一発芸でいいものが出て来たな」
何はともあれ高天原の長と八百万の神の間の信頼を取り戻す事に成功し、思兼はその証拠となる情景を遠巻きに見て肴としていた。
「―――吊り橋理論。タヂカラヲも之にて株を上げましたな」
八百万という神がどっと押し寄せるのを予期して早々に群りを出て来た布刀玉が正坐をして煮しめの残りを食べている。この宴の司会者“兼”他者をも陰で動かそうとしていた黒幕とも謂える彼等は、交じる暇が無かったのだ。
腹ペコの胃に残り物を詰め込みながら神酒を啜っていると、ビビッと布刀玉が身体を震わせる。思兼も振り返った。
「貴方達・・・・・・!」
ゴゴゴゴゴ・・・ ・・・・・・ 最早陰の存在だけに誰も気づかぬお隣さんで、プログラム第5番が展開されようとしていた。
「大御神と入れ替りに岩屋戸に立て籠もらせて遣るわ!!反省しなさーーい!!」
勇ましく仁王立ちをした裸の女が追い駆けて来る。思兼と布刀玉はすぐさまバラバラの方向へ逃げた。布刀玉は箸をしゃぶって逃げる。神を呼び出す今回の舞では武道的な男性的力強さと女性的エロティシズムの融合が必要であったとこの後瀕死状態の思兼から説明を受けるが、無論天宇受賣には納得が出来る筈も無かった。
一応之にて、様々な神を捲き込んだ岩戸隠れの事件の方は解決!である。そういった情報は宴に出席しなくともすぐにこの鍛冶部には流れ込んでくる。
天津麻羅という集団は、特に村落共同体の意識が強く、イエと同じく秘匿性と情報の浸透が非常に早い特性をもつ。
天目一箇神は鍛冶での一休みに、休憩処へ行き横になっていた。鍛冶はとにかく眼を酷使する。黒鉄の躯体に膝くらい迄の高さの段を設けて、平均身長分に畳が敷かれてその上に横になり、眼を休めるのだ。
目一箇はデイダラボッチと関係の有る神なので(身も蓋も無い!)背が高すぎて膝から下は畳から零れ落ちている。
「・・・・・・」
すぴー。。。無事解決の報せを知ってか完全に寝入っている。まぁ、彼の場合無事に解決していなくとも確実に爆睡しているであろうが。己の片脚を抱き枕にして横向きにすぴすぴ眠っていたが、やがて眼を覚まし、起きている時とそう変らない惚けた様な顔をして地上が遙か遠くに見ゆる高い窓から下を覗いた。・・・・・ふぬ。とご機嫌そうな顔をして、眼帯を隠す長い前髪をさらさら揺らす。
「私の好きな、死のケガレが放出為される匂いがする・・・・・・」
其は果して、天照の追い出した禍の正体であるか否か・・・・・・
「そちらも、そろそろ・・・・・・」