ⅩⅥ.岩屋戸の宴~宴の始り~
―――宴の、始りだ
『レディース、アンジェントルメン!!今宵は十五夜。由って宴を開く』
思兼が西洋被れに横文字だけを大声で叫ぶと、大和言葉の部分はいつもの淡々とした調子で言って、一気に場を盛り下げた。
其でも他の八百万の神々は、気を取り直してわぁぁぁー!!と手を叩いて歓んだ。
『司会は私、思兼神と』
『・・・フトダマでーす』
その他大勢以上に大きな声。神にとっちゃ拡声なんて御手のもの。併し、之でもかという程テンションが低かった。
その他大勢はこう思ったに違い無い。一体どういう基準で選考をすれば、この二柱が司会に落ち着くのか。
組合せとしても珍しいが、其以前に誰がどう見てもこの二柱は司会向きではない。そして意外に向いているのではと皆が見直す事も、決して、無い。
歓声よりでかい暗い声に、宴の雰囲気は萎えてしまう。
「ーーーっ!!」
一般席に坐って客として彼等を見ていた玉祖は、余りにぞんざいな司会振りに血管がブチ切れそうになった。
「何だあいつらはーーーっ!!其で司会が務まるか!!もっとシャキッとせんかーーーっ!!」
・・・一部の席だけ、ぎゃーぎゃー煩く妙に暑苦しい。盛り下がって心を閉してしまった神達は、その席を冷やかに見つめて耳を塞いだ。
彼等の為に遣っているのに。もう彼等の心を開く事は出来ないのだろうか。
「いかんよ!之以上、場の雰囲気を壊したら・・・っ」
伊斯許理度売が暴れる玉祖を懸命に止める。が、やはり彼女も老・・・否、女神。苦労している模様。
「どけ伊斯許理度売!私がこいつらの神経を叩き直してくれるわ!!」
宴の筈なのに全く外から明るい騒ぎが聴こえてこない事。
其を最も心配していたのは、他ならぬ岩屋戸に篭っている天照大御神だった。
(―――如何したのかしら―――!?玉祖の声しか聴こえないのだけれど―――!?)
きゃっ、ちょっ・・・すっごい気になるのだけれど!!天照大御神は思わず岩屋戸の扉を無性に開けたくなった。
はっ、待って。之が彼等の作戦かも―――?
扉に少し手を触れたが、危ないと思って彼女はすぐに扉から離れた。
彼女自身は気づいていない事だが、扉のすぐ向う側には、天手力男が待ち構えている。
『宴を開くにあたって、天児屋命に祝辞として之より祝詞を詠んで貰う。
・・・布刀玉』
早くも天児屋の出番だ。宴の魁となる役目を担う相棒を呼ぶ様にと、思兼は布刀玉に耳打ちをした。
「・・・・・・アメノコヤネ」
布刀玉は奥の控に引っ込んで、暖簾を捲る。天児屋はいつも以上に包帯を巻き、その色は赤・黄・緑とカラフル仕様の衣裳を着ていた。
「・・・・・・フトダマ」
天児屋が振り返る。まるで嫁入りの御色直しの時の様な面持ちだ。緊張と期待が半分半分。
「出番だよ」
「緊張・・・するね」
天児屋が包帯の上から巻いているゆったりとしたローブ‐デコルテを首許まで上げて、にっこりと微笑む。その手には笏が持たれ、裏面には思い切り祝詞がべったり貼られている。所謂カンペだ。
「でも準備万端だね。時代も国も越えちゃってるや」
そして暗記して祝詞する気も無い様だね。布刀玉はカンペを透視して更に冷たい視線で天児屋を見る。天児屋は笏で口許を隠して流し眼で微笑み、カメラ目線で此方を見ている。『緊張』の台詞とは無縁の、バリバリアピールし放題だ。
「・・・アメノコヤネ」
布刀玉がずずいっと前へ出て来て天児屋と一緒にポーズを取る。写真撮影の真似事か、隣同士に並んで暫く静止すると腕を取り合った。
「往ってくるよ」
「あぁ。往きなよ」
天児屋と布刀玉が入れ違いで出て往く。あ、そうだ。と天児屋がきびすを返すと
「君は、此処に居残って何をする心算だい?」
と、フフフと笑みを漏らして訊いた。布刀玉はにやりと愛嬌ある顔を妖しく歪ませる。天児屋は笑うとあどけないが、布刀玉は逆だ。
布刀玉は蜘蛛の糸を操る様に指の関節を軽く曲げて、空中で匣を開ける。漆で出来た玉櫛化の蓋がスライドし、更なる宙に浮く。
「まるで散楽師だね」
「種も仕掛もありません。神だから」
そう言って、布刀玉は匣を開けたり閉めたりぱこぱこさせた。
「・・・・・・遅い!!」
乱闘寸前の玉祖。立ち上がり、司会でありながら拡声器を置き、ひとり思考の世界に埋没する思兼の許へずんずん歩く。もれなく伊斯許理度売もころんころん引き摺られて思兼の前に寝そべった。
「・・・大変だな君も」
思兼は玉祖の存在を思いっ切り無視してしゃがみ込んで言う。伊斯許理度売は仰向けになりながら惚気た顔をして
「でも之だから、ほっとけないのーん♪」
と、玉祖の服の裾を握ってコロコロ転がりながら云った。宴に何の楽しみも見出せない他の神達は、頑張って見つけたとでも言う様に
「うおぉーー!」
「よっ!老女の青春!」
と、祝福した。後々彼等が、天屋戸の裏に呼び出され伊斯許理度売の鋳造の鉄鎚を受ける事になるのは想像に難くない。
「幸せそうで何よりだ」
「何が何よりなものかーーーっっ!!」
玉祖がフンッと服の裾を引っ張り、伊斯許理度売をもっと転がす。伊斯許理度売は悲劇のヒロインみたく白眼になってショックを受けると
「いやーん。ぞくぞくするわーん」
と頬を紅潮させた。思兼にも玉祖にも、そして一般席にも電撃が走って衝撃が墜ちる。どーん。
「・・・あ・天児屋と布刀玉は何してる!!いつまでイチャイチャパラダイスなんだあいつ等はーーーっ!!」
「羨ましいのか?玉祖よ・・・・・・」
気を取り直して口を開けば開く程、墓穴を掘るのが玉祖。羨ましがっているのはその言葉通りだが。
が、玉祖は顔の血の気を引くと
「な・・・何を言う思兼!?御前が知らない筈は無いだろう!?あいつ等は」
シャーッと白い簾が横に開き、丁度いいタイミングで天児屋が出て来た。すると何故か上空から盆が降って来て、玉祖に直撃する。
「・・・おや。タマノオヤ」
指をぴくぴくさせて崩れ落ちる玉祖を上から目線で見送る天児屋。暖簾の向う側では布刀玉がにやにや妖しい笑みを浮べている。
「たまのおやん♪」
所謂事故にも拘らず、伊斯許理度売は至極ご機嫌に玉祖を抱え起す。途端、般若の如く凄まじく哀しい表情に変化し、宮崎の中心で愛を叫んだ。
「助けてーっ!助けてくださいーー!!」
生と死の間で生れた、許されざる恋。八百万の神は感動した。
特別ゲストの意外な働きかけで、場の雰囲気は一気に盛り上がり、宴の余興としてはぴったりだった。漸く宴会らしくなる。
「盛り上がってますね」
「たった今な」
思兼が遠い眼をして云う。
天手力男は誰からも見えない扉の向うで、即ち存在を忘れられた中で、最初構えた体勢を崩さず
(早く祝詞云えよ天児屋!!)
と、心の中でツッコんでいた。きついのだ、この体勢。
「さて。私達も宴に交るとしますか。オモイカネ」
(祝詞は!?)
天手力男は自分が出て往かねば計画は始動しない様な気がした。併し、自分が今潜んでいるのは天の岩屋戸の扉の向う、天照大御神の隠れる真裏。気配が知れれば、計画自体がおじゃんになる。
実行が見込めない計画を永遠に俟つか、いっその事総てをぶち壊しにするか。天手力男は、大いに悩んだ。
「君は神酒を呑みたいだけだろう」
思兼の声が聞えてきた。フッフッ、と云う、天児屋の不敵な笑いが後に続く。
「・・・甘いですねオモイカネ。私がその神酒如きで、満足できると御思いですか!?」
「呑む前から酔ってはいる様だがな」
自己に酔う天児屋に、思兼は其が如何謂ったニュアンスになるであろうか知りながら云った。
「こういう日が来ると知って、私、予め用意して来ていたんですよ。オモイカネ」
天児屋はそう云って、着物の大きな袖をがばっと広げると、焼酎の一升瓶を3本と猪口を夫々(それぞれ)取り出した。まるで四次元ポケットだ。何と無くパクリくさいが、でも神だから許される。
「ほら、タマノオヤも起きて。皆に配ってくださいよ。今宵は宴なんですから」
天児屋がぺちぺち玉祖の頬を叩く。玉祖は呻き声を上げた。優しく叩いているのだが、頬がどんどん掌の形に紅く染まり、膨れる。
「・・・まだあちしの膝に、居たいんやて・・・」
伊斯許理度売が勝手な解釈をする。「まだ」というくせに今、膝枕を作って彼の頭を乗せ、がたがた左右の太腿を上下運動させる。
「ゆりかごー♪」
いえいえ其は軽い脳震盪。瘠せた脚だから猶更痛い。
「おっと。之は失礼」
天児屋は極めてスマートに腰を上げると『ゆりかごの愛』に涙する神達に叫んだ。
「皆さん!之が人類の誇る民衆の酒・焼酎です!此処は神の国・高天原ですが隣国の肥の国、薩摩は鋳造が盛んで、美味しいんですよ。まぁ、後々人類が呑むのは室町辺りになりますが」
余興に如何です、余興に。天児屋は伊斯許理度売に瓶を渡し、伊斯許理度売も玉祖の手に確りと握らせると、
「オロナミン、ピ~♪」
と口を横に開いて笑顔を作った。拍手喝采が巻き起る。
「中尉ーー!!」
「小隊長ーー!!」
「・・・今度産れ変ったら、私は貝になりたい」
戦争ドラマ!?今の今迄優柔不断にも悩み続けていた天手力男が、宴の妙な盛り上がり様にびびる。世界の中心で貝になってしまった。
天児屋が急に指を振り上げて、4拍子を取り始める。神々はぽかんと口を開けた。
「♪みぃんしゅうのーさぁけ焼酎はぁ♪」
「♪安くーて回ーりが早いぃー♪」
「びぃるではー♪薄すぎるー♪」
「ウィスキーではぁー♪高ぁすぎるー♪」
「みぃんしゅうのーさぁけ焼酎はぁ?」
「♪安くーて回ーりが早いぃー♪」
之は焼酎の唄。文字通り、ウィスキーは簡単には手に入らないが、ビールの味は薄くて呑み足らない時代の庶民の唄。
其が具体的に明治時代であるか如何かは、皆さんの時代考証にお任せする。
あっはっは♪
声音パートまで確り決めちゃって・・・如何してそんなに盛り上がれるのか。天手力男は気を失いそうになった。
が
ギ・・・
「・・・・・・!」
天の岩屋戸が、少し、開いた。
宴の楽しげな雰囲気に誘われて、外を覗いてみたいと思ったのだろう。天照大御神も意地っ張りに勝るミーハーな神だ。だが、抉じ開けて押し入るには、まだ早い。
この隙間では、彼が動いたと同時に叉すぐ閉じられてしまうだろう。其位、指一本入る余地の無い細い隙間だ。
(・・・・・・やれやれ)
思兼はきびすを返し、天手力男は坐り直した。もう少し様子を見てみる事としよう。