ⅩⅣ.答えのない疑問
「・・・先程、売春婦と云って悪かった。冗談が過ぎた」
お邪魔虫。そこのけそこのけ神さま通る。天児屋と布刀玉は再会してすぐ何処かへ消えた。
静かな湖畔の森の影の背。
思兼は、到着するなり突っ込み所のまるで無い、有無を言わさぬ謝罪を云った。
「・・・・・・早くてよ」
・・・・・・え?とか・・・・・・何がよ。と恍ける返事を用意していたのに、溜める部分が一切無い。天宇受賣は彼の余りの単刀直入さに感情の伴なわぬ己の顔のしょっぱくない涙を拭いた。
「貴方なら絶対、謝らないと思っていたのに」
「何を云っている。この際、此方から云いでもせねば後々まで引き摺る。集団行動の中で其は困る」
天宇受賣は己の頬を行き交う蒼い管が、流した涙を一気に蒸発させるのを感じた。情調の欠片も無い。
「もう・・・・・・少し位、悲しみに浸らせてよ」
天宇受賣がむくんだ顔を膝に埋めてぶつぶつ云う。思兼はそんな彼女を一瞥して
「何だ。浸りたかったのか。だが私は余り浸って欲しくないな。湿っぽいのは嫌いだ」
と言った。
「・・・・・・私の顔に何か付いているのか?」
やがて思兼は、口を開きこう云う。天宇受賣が涼やかな象眼を縦に開き、珍しそうに己を見つめているからであった。
「・・・ええ。いつも好き嫌いでモノを云う事なんて無いのに、本日は好き嫌いがはっきりと顔に書いてあるわ」
思兼は大した意味も無く己の頬を摩った。無論、墨で書いている訳は無いので手には付かない。彼はまるで意識をしていなかった様で疑わしげな眼をすると
「・・・・・・そうかーぁ?」
と一言、そして手を下ろした。
「大体、辛気くさい顔をしていると、そうとも知らずに禍を引き込むぞ。其に、笑顔でいた方が女は綺麗だ」
「・・・・・・え?」
初めて聞く様な言葉が、この耳に入って来た気がする・・・・・・女?彼はそもそも、女というものを意識した事が有ったのだろうか。
「女が・・・・・・如何って?」
天宇受賣は耳を後ろから覆う様に手を当てて、もう一度問うた。思兼は敢て表情を変えずに、もう一度答えた。
「女は笑顔でいる方が好きだ」
・・・聴き間違いでは無かった。天宇受賣は瞳を大きくして、恐る恐る
「・・・ねぇ、如何したの?」
と訊いた。
「恋でもした?」
すると、思兼は口に手を当てて
「・・・確かに、我々にももう神産みの時季が差し迫っているな」
と、独り言なのかその様に云った。理性を超えて、最早これは生物学。左脳の神は考える事が解らないと、天宇受賣は右脳で思う。
「・・・まぁ、だから君には笑っていて欲しい。そちらの方が絶対によいぞ」
・・・之は、私を女として意識していると、受け取っていいのだろうか・・・?幼い、と云っても産まれた時からこの姿なので、互いに子供の頃が如何とかは無いが、とてもとても永い付き合い。ふたりきりで居る事も、然して珍しくはなかったが、何故か今は、其がとても恥しい。
「で、裸踊りはしてくれるのか、してくれないのか?」
「はぁ?」
節操も趣もまるで感じられない、明快なだけの詞。併し非常に語弊が有る。意味は解っていても、天宇受賣の顔はやはり紅くなる。
「・・・・・・あのねぇ」
惜しむらくはここか。
「あれにはきちんと名前があって“神楽”と云うの!さっきから思ってたけど、あんた云い方が変態じみてるわよ!」
「そう云う君が変態だろう。私は只、君の頭でも理解し易いよう話しているに過ぎない。君の思考回路がそうだから、そういう風に受け取れるのだ」
理路整然と云い立てる思兼。説得力が妙に有るので、注意する此方が恥しくなってしまった。
「・・・・・・あんたの事だから、舞う方向で勝手に話を進めてゆくと思っていたわ」
「そうそう。勝手に話を進めていたのだ。君が嫌がっていた事をすっかり忘れていた」
元々期待はしていなかったが、やはり天宇受賣の心はがっくりと落ちる。もう少し、当り障りの無い詞がこの世界にはあった筈だが。思兼は再び口に手を当てると、目を伏せてこう呟いた。
「余りに身近に居すぎると、他人である事を忘れてしまう」
どう捉えればよいか、思兼は頭がよいので迷ってしまう。屹度、幾つものニュアンスを含んでいるに相違無い。
併しあの思兼が、己のと謂うか生物の感情と向き合うとは珍しい。理性に拘り過ぎて止ってしまった成長が、再び始るのを天宇受賣は嬉しく感じた。
でも。
「嫌よ」
「・・・・・・・・・そうか」
天宇受賣のキッパリとした拒否に、思兼は物凄く何か言いたげにしていたが、意見を求めただけなのだと氷の理性で納得した。
「・・・私は見ないぞ?」
「え・・・・」
天宇受賣はつい、何を?と言葉を零しそうになった。答えなんて判っている。悪びれた様子も無く、君の裸。なんて際どい台詞を口にするに違い無い。寧ろ言わせたくなかった。
「・・・・・・貴方はいいのよ。もう見せてるも同然なんだから。大体、神楽っていうのは―――」
「説明はそこ迄でよい。どうせ観る事は無いだろうから」
天宇受賣が軌道に乗って講じようとした時に思兼が止めた。神楽は彼女の専門であり好きなものであったので、少し機嫌を悪くする。
「・・・・・・如何して?」
天宇受賣の聴いて貰えない、落胆した気持ちなど露知らず、思兼はけろりとした顔で言い放つ。
「神楽を舞うのは神の中でも君だけなのだろう。ならば観ない」
「だから如何してよ」
「之からもずっと共に居る者の赤裸々な部分を見たら、今後付き合えなくなるかも知れないだろう?だからやめておく」
「・・・如何いう意味よ」
「・・・・・・全く、面倒くさい」
その言葉に天宇受賣は怒りかける。併し、思兼は頻りに冠も元結も無い髪の毛を掻き上げ、智慧の神らしく考え込み始めていた。
・・・天宇受賣は少し、背後に立つ思兼に少しだけ寄り掛った。思兼はすぐ側に腰を下ろした。
合理さばかりを考えていた彼は、本日で生れて初めて、答えの出ない疑問というものに行き着いた様だ。
「・・・・・・天宇受賣」
「・・・何?」
其は、哲学にも似た人類根源に纏わるもの。
「・・・何故、別天ツ神さまは、男女に神を分けたのだろうな」