ⅩⅢ.地球防衛計画
岩屋戸というのは、雲の様なものだと誰かが云った。確かに、天照は岩屋戸という名の雲の下に居るから、太陽の光を受け取らないのだ。
曇りの日、空は暗い。全てが闇かと謂えばそうでは無いが、ソーラー‐システムは働かない。電気は点かなく、車は動かない。
ここから先は少しややこしい話になってしまうが、2008年現在(執筆当時)、ここ30年間で日射が10%低下していると云う。雲が増加して太陽光が遮られ地球が暗くなっていると云うのだ。雲も一種の浮遊粉塵、其等が地球表面を蔽い、天岩屋戸の様になる地球薄暮化という現象である。
地球薄暮化が引き起す問題は、恐竜絶滅の原因ともなった寒冷化へと繋がる。太陽の保護の無い状態が続くと、自ら耀きを放つ熱エネルギーを持たない地球は、本来の無機質な物体の惑星へと戻ってゆく。
地球は実に冷ややかな星だ。何れ寒冷化から氷河期へ這い進む。そして赤道を含めた地球全体が凍結し、太陽の光を反射する白い色の氷床が光の大半が宇宙空間へ反射して、凍て付いた氷床を溶かす事は出来なくなる。結果、凍結状態から脱出する方法は全く無くなり、地球は永遠にひらける事の無い“全地球凍結”となってしまうのだ。
「・・・な、何だって!?」
選ばれし6柱の戦士は思兼の持論に愕き退がる。まさかそこまで地球の命運を握っていたとは。玉祖もそこまでは考えていなかった。
「而も、一定以上の範囲が氷に覆われると寒冷化は急激に加速する。如何せん時間が無い」
制限時間つき!? 6柱はおったまげた。時間が無い。地球が亡ぶ。
そして、其を防げるのは私達だけ―――!
「あたし達、地球防衛隊ってやつなんね!」
「共に戦う仲間、倒すべき敵(素戔嗚尊)、助けるべき神(天照大御神)、司令塔(月夜見尊)―――うむ、完璧だ!」
「いえいえ、倒すべき敵は、若しかしたら金星より来た使者かも知れなくってよ!」
「天照大御神が居なく、弱っている地球ですものね・・・・・・」
布刀玉の低く響く声に、6神はびくっ!と背筋を震わせた。この神が云うと妙に現実感が有る。高揚した気分が、急速に不安へと変る。本当に狙われていたら如何しよう・・・・・・
6柱は6柱の、夫々(それぞれ)に分岐した恐ろしき地球を狙いし金星大魔王・サナト=クラマの像を頭に描いていた。
「このままじゃいかんよ!」
何だかよく解らないが纏りが出てきた。伊斯許理度売に手を握られて思兼は思った。現実的な問題よりも物語的な展開の方が俄然ヤル気が出るらしい。
「ちょっと」
天宇受賣が思兼の腕を掴んで伊斯許理度売の握る手を払った。握られていた手で今握るのは、天宇受賣の絹の様に濃やかな手だった。
伊斯許理度売はきょとんとする。やがて目尻に皴を作って微笑み、歳相応に彼女を見守った。
「青春やねぇ・・・」
「今は手を取り合わねばならない時ですね、タマノオヤ」
場面変って天児屋と玉祖。天児屋も包帯を何重にも捲いた手で握って、胸の前に引き上げた。
「我々が共に倒さねば地球は亡びる。この際、欠点にはお互い目を瞑って、協力し合いましょう」
真っ直ぐに一点、己の眼のみを見つめる黒の瞳。玉祖は包帯の手を乱暴に振り払って、その指で天児屋を勢いよく指さした。
「そんな働きかけに私は誤魔化されないぞ!!大体、欠点は御前の側にしか無いじゃないか!!早く書類を持って来い!!」
「そんな・・・フトダマだって提出してないでしょ。ホラ」
天児屋が己と似た顔の布刀玉を引き合いに出した。布刀玉は装うどころか本当に無関係の様に解せませーんといった顔をし、チーンチーンと楽器を鳴らした。
「っ・・・忘れてた御前もめちゃくちゃ関係有るんだ!!出せーーっ!!耳障りだその楽器!!」
玉祖が布刀玉の肩を掴んでゆさゆさする。今までずっと呆れて見ていた天手力男がその光景を見、此方へ飛んで来た。玉祖と布刀玉を引き離し、布刀玉を背中で庇う。急な事で玉祖は驚いた。
「何だ!!御前は」
「女神には手を出したらいかんだろ」
玉祖は目をきょとんとさせた。隣に立つ天児屋も何故か、である。玉祖と天児屋は顔を見合わせて、首を傾げた。
「・・・・・・は?」
天児屋の方の不思議な反応を見て、天手力男は困惑した・・・何かおかしな事でも云ったか。布刀玉が・・・ども。と小さく礼を云った。其の侭、見下ろす天手力男の眼をずっと見つめている。
「今、地球は月夜見尊のツクの太陽光の反射で灯を受けている。之から寒冷化が進むと、益々(ますます)地球は薄暮し、ツクの反射光も何れ享受できなくなるだろう」
思兼が天宇受賣と腕を組んだままの状態で話を続けた。初めてその光景を目撃した天手力男等4柱のグループは、一瞬にして固まった。そして、ひそひそ話を始める。
「・・・何だ!?出来てたのか、あの二柱!」
「そうなんよ、あたしが手を握るとウズメちゃんがやきもち妬いちゃってん♪かわい~♪」
「思兼神の側も満更でも無さそうですねぇ」
チーンチーン。
4柱が屯して盛り上がっている中で、只一柱玉祖だけは、不機嫌極まりない顔をしてぺたぺたと二柱の許へと歩いて往った。そして
「職場内での恋愛は禁止!!」
びっ!と二柱を指さして、部長みたいな事を云いくさった。天手力男は冷ややかな眼で玉祖を見る。
「あーらぁ、妬いちゃって♪」
「羨ましいんですね、タマノオヤ」
「もてない男の哀しい心理・・・・・・」
とどめの布刀玉の抉る様な物云いに、玉祖は暫し何も云えず、耳まで真赤にする。やっと出てきた台詞は、更に哀しく、墓穴を掘った。
「うっ・・うるさい!御前だって、天児屋の様なぼーぼーな顔をしているから声が掛らないんだ!少しは手入れしろ!!」
・・・コレには寧ろ、隣に居た天児屋の方が深く傷ついた。
突然、衣服の撓みがぴんと張る様な音がして、5柱は愕いて互いから離れた二柱を見た。天手力男が、責める様に玉祖を肘で突く。
「っ・・・!」
「・・・・・・!」
二柱は互いに顔を紅くしていた。そして、今までに無い怒り具合で5柱を睨みつける。
「でっ・・・出来てないわよ!別に!!」
「そうだ!!誰がこんな売春婦・・・」
布刀玉が思いっ切り苦い顔をした。天児屋もつられた様に同じ様な顔をする。伊斯許理度売はあちゃー、と額に手を当てた。
天宇受賣の目から涙が。
思兼は慌てた。天宇受賣が去ってゆく。布刀玉がすぐに走って追い駆ける。辺りは急に静かになった。
「・・・・・・」
思兼は走り去る際に天宇受賣が落したウズの髪飾りを拾い上げた・・・仕舞った、口を滑らせた。
俯き小さくなる思兼の頭を、天手力男はこづいた。見上げると、手力男は思いの外感情の無い顔をしていた。
「・・・天宇受賣に謝れ。でないと俺は協力しない」
「いや!其は困るだろ!地球の命運が懸ってるんだぞ!!」
玉祖が八重歯を剥き出しにして咆える。だが、天手力男は冷めた目つきのまま玉祖にも目を遣ると、玉祖の言葉を一薙ぎにした。
「だから何だ。目の前に居る者ひとりも大切に出来ずに、地球なんぞ守れるものか。たとえ地球が助かって、人類を産む事が出来る様になったとしても、そんな情の無い奴の子孫なんぞ、俺は産みたくない。そんな子を俺は愛せない」
そう云って、天手力男もこの場を去った。その際、天児屋に何やら耳打ちをした。
「・・・多分こいつ、こういう経験初めてだから、結構深く傷ついてると思う。俺が居ない間、何かと気にして遣ってくれ」
天児屋は苦笑した。
「・・・はい、はい」
私がアメで、貴方がムチですか。
(・・・併し、何故私?)
天手力男に理由を訊こうとしたが、訊くまでも無く、この場に残ったちーちーぱっぱなメンバーを見れば一目瞭然だった。
(・・・あぁ・・・重荷)
天児屋は額に手を当てた。やがてフッと顔を上げると、上空高くから隕石の様な凸凹した物体が物凄い速さで降って来るのが見えた。
「みんな!!」
天児屋が叫ぶ。その甲斐有って、3柱は気がつき身を伏せて、一柱として怪我する神はいなかった。
草原に舞う、黄土色の砂煙。日頃が草に包まれている為か、平和な緑に非日常の粉塵はひどく不似合いに思えた。
「・・・・・・」
めり込んでいる緑土。4柱は恐る恐る埋る隕石に匍匐前進で往くと、4柱4種、木の棒でつついてみたり砂をかけてみたり、多種多様に好奇心を埋めていた。
その背後に迫る者・ひとり。
「本・物!!見つけた・・・・・・!!」
周囲を押し退け犬の様に驚異的な速さで土を掘り返す隻眼の男。掘り返すと、めり込んだ衝撃で崩れつつあるその石を空に掲げた。
天津麻羅である。
「之ぞ天照に対抗ツクの石!!之にて鏡を造りしは、ツクの引力にて天照を出せる!!」
そう叫び、ぱぁっと両手を開いてゆっくりと立ち上がる。石はフワリと天津麻羅の両手から放たれ、徐々に速さをつけて地面へ散った。
パリーン!
天児屋は絶句した。経験の多い流石な伊斯許理度売も、この時ばかりは破片を拾い上げるだけだった。ここまで割れては鏡は造れない。
青筋を通り越して、玉祖の頬骨がぴきっと罅割れた。
「えぇーい!何処往っていた天津麻羅!!会合には集らず、余計な事ばかりしくさって!!造る前から壊すなーー!!」
「“天津麻羅”は寂しい・・・・友ならば我が個人の名を呼んでください・・・・・・!!」
そう云って女性を口説くかの様に両手を握っていそいそと近づいて来た。玉祖の肌は耐えられず、鳥肌をつくった。
「羨ましいわーん」
伊斯許理度売が蟹歩きで後ろへ下がり、目を無意味にぱちぱちさせて玉祖を見た。だが其はとても慣れた目つきでもあり、見物の眼でもあった。
「呼んであげればいいでしょう、タマノオヤ。減るもんじゃ無し」
期限切れの書類一つ提出しない、はっきりいって己より下とみる存在に軽~く云われて腹が立つ。
「じゃあ御前が呼んで遣ればいいじゃないかぁー!!」
「・・・・・・でかした、天津麻羅」
天児屋は口を開いていたが、彼が何かを言う前に思兼が口を開き、中断した。何とタイミングのよい。玉祖は舌打ちをしたくなった。
「その崩れた石を勾玉に回そう」
思兼が落ち込んでいると思っていた天児屋は、相変らず高飛車な彼に苦笑し、安心した。
玉祖、と呼んで手招きをする。併し、なかなか己の許に玉祖が来ないので、思兼は頬を膨らませて足元を蹴った。
「如何して来ない!」
「こんな状態で誰が往けるかーー!!」
天津麻羅に確り手を握られたまま叫ぶ玉祖。叫びすぎで遂に声ががらがらになってしまった。喉も痛い。
「・・・・・・大丈夫ですか」
天津麻羅が心配そうに真摯な眼で語りかけてくる。きらきら光線に玉祖は流石にうっときた。如何せんこいつは貌だけはいい。いや逆にそうで無ければ困る。綺麗な貌在ってこそのこの役回りだ。そうで無ければ只の変態、即刻退場戴きたい。
性格も素直でいいコなんだけどなぁ・・・と天児屋と伊斯許理度売は隣同士に並んで思った。併しどうもアプローチの仕方を間違えている。出自や生き方の違いであろうか。
「とにかく、109倍の力を持つ太陽に守られた、あのソーラー神に敵う事が出来るのは、ツクの力が一番大きい十五夜とある種今の均整の取れた地球薄暮化の重なった3日後のみだ。其迄に、一つでも多く天津麻羅には月夜見の力が増大するツクの石を集めて貰って、伊斯許理度売には天照を惹き込む八咫鏡を、玉祖には宴の際に奉る八尺瓊勾玉を、そのツクの石で造って貰いたい。出来る事なら今からでも」
高飛車な思兼にしては、云い方に十歩位譲歩がある。先程の出来事が効いたのだろうか。
職人天津麻羅が最も初めに彼の気持ちを汲んだ。玉祖からすっと離れると、天高く手を伸ばし、ぱちん、と指を鳴らす。すると突然、上昇気流が発生し、頭上に金斗雲が現れて彼の足下を掬い上げた。そして、消える。跡形も無く。
辺りはしんとなった。
「・・・・・・さて。私も勾玉を造るとするか」
玉祖が地面に散ばったツクの破片を一つ一つ拾い上げて、足元まである長い前垂に包む。伊斯許理度売は感心した顔をして、玉祖に云った。
「さすが勾玉職人さんやねぇ。遣る事が早いわー」
「私にはもう材料が有るからな。たくさん造るに越した事は無いだろ。其より・・・おい、天児屋命!!」
玉祖が去りゆく途中で浪々と立つ天児屋に声を掛けた。天児屋は静かに振り返る。
「御前、当日まで仕事無いんだから、提出書類をきちんと書いておけよ!!」
そう云って、ずんずん歩いてゆく。伊斯許理度売も玉祖についてゆき、残るは天児屋と思兼の二柱だけとなった。
「・・・・・・」
風が吹き、草達がさらさらと鳴る。
「天児屋」
思兼が声を掛ける。天児屋の耳は声の断片だけを取り込んで
「・・・・・・はい?」
と、訊き返した。
「太占をしてくれ」
天児屋は反射的に思兼の方を向いた。占いなんて非科学的なものを思兼神が頼るなんて意外だ。
「・・・・・・いいですよ」
よく視ると、彼は微妙にばつの悪そうな顔をしている。実は結構勇気を出していたりするらしい。
「でも、太占は私単体では出来ませんね。フトダマが居ないと」
思兼の表情は変らなかった。天児屋は了解の証として口角を上げると
「解りました。占いましょう。では、往きましょうか」
と、思兼の先頭を切って歩いた。