Ⅺ.うまくいかない虚像
一息吐く度に鏡より思兼自身の像が現れ出でて、各神一体についた。驚き神の動きが止る。布刀玉が思兼の虚像に触れた。
《揃った様だな》
各神各虚像。7神7虚像に加え、本体の思兼が同時に同じ事を喋るので、7柱は煩くて耳を塞いだ。
だが、後は個人面接となるのでわいわいがやがや、別の意味で煩くなった。
<何だ、まだいたのか>
手力男に言う最初の台詞がその言葉。手力男はガックリきて帰ろうとも思ったが、之迄のごった返した光景を思い返してこう言った。
「・・・・・・帰れそうにないぞ。この業からみても御前が凄いという事は解ったが、何気に皆を纏め切れていないからな。何か・・・御前自身が滑ってるし」
<要点を手短に言って欲しいものだな。脳内筋肉の君には難しいと思うが、そこは頑張ってくれ給え>
手力男の脳内アキレス腱が、プッチンプリンと音を立てた。思わず、思った事を直球勝負、誇大に捲し立て後悔する事となる。
「御前一柱じゃ絶対できないから、手伝って遣るっつってんだよ!皆を纏めるのをな!!」
<私の補佐をしてくれるという事か。其は助かるな>
折角協力を申し出たのに、冷ややかに言われてグッサリくる。気は優しくて力持ちなのが、天手力男神なのだ。だが、今回ばかりは本当に消えない後悔が残る。
<生憎私はこの能力を使うから、この動物達を纏める気は無い。此処へ呼び出したのも、一重にこの能力が行き届き易くする為だ>
虚像が本体とは違う動きをする。本体が一体、どういう想いでこの言葉を述べているのか気になったが、本体の姿が見当らなかった。
「・・・・・・?あれ?」
<其はそうと、髪を結ぶ紐は何処だ?この醜態を、いつまで晒させる心算でいる。君は私の補佐なのだろう?>
・・・・・・実体で無くとも発信しているのは本体そのものだと物凄く実感できた。紐を持って来たら髪では無く、首を絞めたい。
「・・・・・・はいはい」
冠もう無いくせに・・・・・・とぼそりと言ったのが、虚像の思兼に届いたかどうかは判らない。
続いて、天津麻羅・伊斯許理度売・玉祖等製作班である。
といっても、究極の個人主義者思兼神の政策である。言う台詞は皆同じだが三体夫々(それぞれ)各神に憑いている。非常に非効率な気もしないではないが。
まぁこの三柱は、とても仲がよかった。互いに腕を組み合っているのだ。玉祖は若干ひき気味であるが。
「若干じゃなーーい!!」
仕事に関しては真剣な天津麻羅の御蔭で難を逃れた天児屋が、引き摺られてゆく玉祖を品の有る笑顔で見送った。
<矜持ばかり一人前で、使えなさそうな男だな>
天児屋が振り返る。言われた通り、とても雅に。思兼の虚像を見ると、にっこりと微笑んだ。
「こんにちは、思兼神。まさかまさか貴方に呼ばれるとは」
<別に呼びたくて呼んだわけでは無い。祝詞を詠む事が出来る天ツ神が君だけだったから仕方無く、だ」
「!」
礼儀正しく頭を下げるが、顔を上げる前に思兼は言ってしまう。
堂々と天児屋の前を透り、かれの肉体をするり貫けて、背後に回った。
「・・・・・・」
天児屋が驚いた様な顔をして振り返った。
「祝詞を・・・・・・?」
<そうだ。君には、十五夜の歓迎会で祝辞を述べて欲しい。天照大御神を誘き出す、とっておきの祝辞をな>
「・・・何を為さる御心算で・・・・・・?」
天児屋が眉を寄せて思兼を見据える。頭がよいのか悪いのか。思兼は右上を見上げて、考えながらゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
<そうだな・・・君等には占いをして貰わなくてはいけないから、全てを話しておいたがいいな」
占い!? 天児屋は目をぱちくりさせて思兼を見た。思兼は片眼鏡をぐっと捻る様に握ると
<布刀玉は?>
と、誰かに訊いた。すると、天児屋が答えるより先に
<此処だよ・・・此処だよ・・・此処だよ・・・・・・此処だよ・・・・・・》
と、声の波紋が拡がって、その声が木霊状に返ってきたと思ったら、思兼の虚像が一反木綿の如く宙に舞い、物凄い速さで眼鏡に吸い込まれて往った。
天児屋が瞬きをして次の空間を見た時には、虚像の思兼は実体と入れ替り、月が照明を彼に当てていた。
「・・・・・・また、仰々しい事で」
天児屋は呆れる顔を、片手で隠した。
「・・・布刀玉は?」
思兼は再度、訊く。偉そうに腕組みをして。肩幅に足を開いて。
その足を、真白で紙の様にひらひらとした手が突如ぐっ!と掴んだ。
「!!?」
「フフ・・・い・る・わ・よ」
冗談なのに全然冗談に聞えない、明るい声なのに全然明るく聞えない。
まるで傀儡師の如く、視えない糸を操る様に空気を掴み、ぐっと引っ張ると、思兼はべちゃ。と地面に見事な突っ込みをキメた。
「―――!」
あぜん。思兼はむくりと起き上ると、鼻を押えつつ涙目できっ!と布刀玉を睨みつけ、だがひっくひっくと嗚咽を漏らしていた。
「――何かあったのかい?」
天児屋が現れた布刀玉の隣へ来て訊くと、布刀玉は手の形をした式神をくるくると巻きながら
「煩いから、虚像」
と短く言い、之迄巻いていた物を一気に広げる。紙の式神はその衝撃で真っ二つに破れた。
同時に思兼の眼鏡もばらばらに崩れ去った。
「――――!!」
次の瞬間、二柱は情けなくも我先にと布刀玉から逃れようとする。互いに足を引っ張り合い、遠くへ往く事が不可能だと理解した彼等は、立てば膝丈ほどに伸びている芒の中に隠れる。でも、もぞもぞ動くので布刀玉の眼から見れば一目瞭然だ。
「何を言ったんですか思兼神!かれは溜めますよ!相当溜めて噴射しますよ!貴方がとどめですね!!」
「そんな感情論に感けていられようか!いいか!?之は戦なのだ!人類救済の為の!!」
「オモイカネーーー!!」
!!? 天児屋と思兼は互いに攫み合って、同時に声のする方角を見た。腰が非常に引けている。あからさまに数歩、後じさった。
「・・・・・・何をしたんですか、思兼神。アメノウズメが御立腹の御様子ですが・・・・・・?」
蒼くなって言う天児屋。思兼は子供の如く首を左右に振り切って
「・・・知らぬ!我は存ぜぬ!」
と、涙声で叫んで地団駄を踏んだ。天児屋はそうですか。とあっさりあやしい言葉を呑みこんで
「なら、貴方に逃げる理由は有りませんね。私は・・・・タマノオヤが来たので、逃げます!」
と、思兼を置いて走り込み始めた。後れを取った思兼は・・・え?の吐露と共に天児屋の去る逆方向を見た。製作班三柱が近づいてくる。其もかなりの速さで。
「天児屋は何処だぁーーー!!」
最初に乗り込んで来たのは玉祖であった。もう三柱が三柱とも御機嫌斜めで、互いに全く手を繋いでいない。紳士な微笑を浮べてばかりの天津麻羅も、渡された磐の破片を差し向けて、低い声で思兼に言った。
「―――贋・物!!」
・・・刺されるかと思った。天津麻羅は奇声を発しながら自らの頭を掻きむしると、聞き取れない位の速さでこう叫んだ。
「屈・辱!!天津麻羅に贋物提供無礼られし職人集団南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・・・・」
神のくせに仏に祈ったかと思うと、突如線が短絡した様に力が抜け、フラフラと歩いて雲に乗り、何処かへ飛び去ってしまった。
「・・・・・・大丈夫か・・・・・・?」
さすがに彼の身を案じる思兼。併し、他人を心配できる様になった時には、もう時は遅く己の心配をすべき晩年にきていた。
「婆さん婆さんうっせぇんよ。年寄りであぁたに何か迷惑かけた事あんね?あぁたみたいな頭でっかちより、よっぽど役に立つろぅ?」
思兼は、己の鏡像が一体何を言ったのか本気で悩んだ。鏡像は鏡像で、一個の独立した存在である。思兼がいちいち管理はしていない。別人は別人だが、思兼の分枝系である。思兼自身は己の鏡像を責めているが、鏡像でなく実体であっても彼は確実に同じ事を皆に云っている。
「AVAV煩いのよ。大体“滑稽な肉体”って何?あたし以外の女の裸なんて見たコト無いくせに」
女性陣に囲まれ、まさに陰湿な“いじめ”を受ける思兼。布刀玉が体育坐りをして、いじめの見学をしている。傍観者も加害者です。
いじめの起源は神にあった。そう考えれば人間の間でいじめが起っても納得が出来る。納得してはいけないが。
だが、今回のいじめの原因は、彼自身にありそうだ。
「手力男ーー!!天児屋でもいい!助けてくれーー!!というか何故戻って来ない!?私の補佐だろーー!?」
眼鏡も割れてしまい、個別面談で済ませようにも出来なくなってしまった。やはり、皆を纏めなくてはならないのである。
補佐の有難さ。思兼は少しだけ、解った気がするでも無かった。