ひとりぼっちの魔法使い (その8)
「信じられないような話なのだけれど、私の両親は魔法使いでね。幼い頃から色々な魔法を教わったわ」
真夜中の森に二つの足音が鳴り響く。
あれから少しだけ時計の針が進んだ、午前1時。
陽輝は美月の道案内の下、帰路に就いていた。
「魔法の勉強は別に嫌じゃなかったの。他人には言えない習い事みたいな感じだった。辛かったけれど、出来なかったことが出来るようになるってだけで達成感もあったわ。でも、私の進路、というか生き方で両親の考えは真逆だった」
月明りに照らされながら陽輝は先導する少女の後を追う。
不安と恐怖で包まれていた森も、今は何も感じない。
「お父さんは私を魔法使いとして育てたかったみたい。お前には素質がある、がお父さんの口癖だったわ。でもお母さんは違った。私の自由を尊重したいってずっと言ってた」
分かれ道を左に折れる。
彼女の紡ぐ言葉を一言も取りこぼさないように陽輝は耳を傾ける。
「卒業が近づくにつれ両親の口論は酷くなったわ。あの頃は毎日が苦痛だった。どうしたら良いのかわからなかったの、自分のことなのにね」
今度は右に曲がる。
「仲の良かった友達がいて、その子は悩んでる私に言ってくれたの。嫌なら全部投げ出して逃げちゃおうよって・・・・・・あの日々が人生で一番楽しかった。徹夜でカラオケしたり公園で野宿したり、野良猫を追いかけて知らない街へ旅をした。海で泳いで山で遭難しかけて、明日が待ち遠しくて仕方がなかった。世界が私を中心に回っているみたいだった。けれど、私とその子の旅は長く続かなかった」
死んじゃったの、私のせいで、と美月は言う。
「あの子はとても優しかった。いつも笑顔で私を引っ張ってくれた。後ろ向きな私を叱ってくれた。どれだけ感謝しても足りないくらいなのに、私は何も出来なかった。私はあの子を守れなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・いいえ、あの子は私が殺したようなもの」
また右へ。
「今でも夢に見るわ。笑いながら走るあの子を私が追いかけるの。頼むから行かないで、置いていかないでって言いながら・・・・・・夢の終わりはいつも一緒。その背中にようやく届くってときに、あの子の真っ赤な血を全身に浴びたところで目が覚めるのよ」
今度は左へ。
「世界を恨んだ。運命を呪った。でもそれ以上に自分を許せなかった! 私と一緒にいなければあの子が傷つくことはなかった。私と出会わなければ死ぬことはなかったのに。私が魔法使いなんかじゃなければあの子は・・・・・・」
直進。
「私はもう誰かを失いたくない。私のせいで誰かが傷つくのは見たくない」
果てない森の、終わりが見えてきた。
「この世界に、私の居場所はもうないの」
美月が振り向く。表情のない顔が月明りに照らされる。
「さようなら。二度と会うことはないでしょう」
足音が消える。
冷たい風が、頬を撫でる。
陽輝は大きく息を吸った。
彼女の話が信じられない。それ以前に現実を未だに受け入れられないでいるのに。
魔法使い?
人を馬鹿にするにも程がある。
いい加減にしろと声を上げて主張したい。
でも、この目で見た。この心で感じた。
彼女は嘘をついていない。佇む少女は本物だと、自身の何かが悟っている。
美月の物語を思い出そうとする。
けれど、何故か彼女の話の一字一句がシャボン玉のように弾けていく気がした。
自身の不器用さに失笑する。
結局、訊きたいことは一つしか思い浮かばなかった。
「君は、それで良いのか」
余りにも愚かな質問。それでも訊かずにはいられなかった。精一杯の熱意を込めたつもりだった。
少女の答えは冷ややかだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・これで良いのよ」
俺は、この返事を受け入れることしかできない。
「・・・・・・送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
夜の街へと足を踏み出す。
森に別れを、一人の少女に決別を。
振り返らない。
前だけを見て、ひたすら歩く。
『二度と会うことはないでしょう』
彼女の言葉が木霊する。
本当に?
ひとりぼっちの魔法使い。
まるで夢のような出来事。
朝になったら何もかも無くなっているような、
彼女の顔も名前もきれいさっぱり忘れてしまいそうな、
このまま行ってしまったら、彼女は?
あの場所で、
傷つきながら、
これからもずっと、
自らの願いを守り続けるのだろうか。
『これで良いのよ』
彼女は言った。
本当に?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当に?
違う、訊きたいのはそんなことじゃない。
美月の顔が蘇る。
きれいだった。美しかった。
でも、
それ以上に、
寂しかった。
彼女の選択だとか、意志だとか、
そんなものはどうだっていい。
大事なのは自分がどうしたいかだ。
笑顔が見たいと、俺は思った。
もっといろんな顔を見たいと、
彼女に幸せになって欲しいと、
俺が思ったんだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!」
歩いた道を引き返す。
今度は確かな足取りで、魔法使いの少女を迎えに行く。
歩調は速く、いつしか駆け出す。
夜空に浮かぶ月がとても美しい。
ただ見上げるだけで手は届かないけれど、
俺はきっと、同じ名前の少女の手をとることが出来るんだ。
魔法使いの住処が近づく。
彼女は今まさに森の中へと姿を消してゆくところだった。
「待って!」
少女が振り返る。
その目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
息を切らす青年に少女は問いかけた。
「・・・・・・どうして戻ってきたの?」
「お前が、泣いていると、思ったからだ」
その手をとって、陽輝は歩き出した。
「ち、ちょっと待って、どこに行くの?」
「いいから付いてこい」
小さな手は温かい。
確かな命の温度が此処にある。
なんだ、やっぱり。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・普通の女の子じゃねえか」
陽輝は美月の手を強く握った。